サラの目覚め
『知らない天井だ。…いや、このネタはもういいや』
少し身動ぎするだけで酷く身体が重く感じる。首だけで周囲を見回すと、そこが乙女の塔の自室であることに気付いた。
「あ…だ…」
すぐ近くに人の気配がするため、声を上げて呼ぼうとしてみたが、上手く声にならずに呻くような音が喉から漏れる。
だが、幸いなことにサラの呻き声に近くの人物がすぐに反応した。
「サラお嬢様!」
マリアは慌ててベッドに駈け寄り、身体を起こそうとしているサラを押し留めた。
「急に動かれてはなりません。今、リヒト様と乙女の方々をお呼びしますので、そのままでいてくださいませ」
部屋の外に出たマリアが、近くにいた別のメイドにリヒトたちを呼んでくるよう命じる声を聞きながら、サラは改めて自分の現状を振り返った。
『うーん。動けないどころか、まともに声も出せないな。どれくらい寝込んでたんだろう…グラツィオーソの話では一週間とか言ってたけど。まぁマリアの雰囲気だと何年も経ってる感じじゃないわね』
数分後、バタバタと大きな足音を立てながらリヒトが部屋に飛び込んできた。その後ろからはアリシア、テレサ、アメリアの姿も見える。
「リヒ…わたしは…」
「まだ上手く話せないよね。ゆっくり回復していくから心配はいらないよ。10日も寝込んでたから上手く動かせないだけだから。もし、魔力が普通に動かせるようなら、ゆっくりと魔力を動かして身体強化してみて」
『なるほど10日も寝込んでたのか。身体がすっかり鈍ってしまったのね』
リヒトに言われたように魔力をゆっくりと体内に巡らせたサラは、そのまま身体強化の魔法を発動した。
「あ、少し楽になったかも」
「暫く魔力でサポートしながら身体を通常の状態に戻そうか。幸いそれほど長い期間ではなかったし、アメリアさんとマリアさんが熱心にマッサージを続けてくれてたから、多分すぐに戻ると思うよ」
「アメリア、マリア、ありがとう。それにリヒトも乙女の塔のみんなもありがとう。心配かけちゃってごめんね」
「それなんだけどさ。グランチェスター侯爵とロバート卿が死にそうな顔してたよ」
「なんで?」
「自分たちのせいでサラが倒れたと思ってるから。いい大人が8歳の女の子の前で言い争うのはさすがにねぇ」
「そういうことか。まぁ状況的に間違ってないんだけど、アレはどちらかというと考えなしにやらかした自分を省みてたんだよねぇ」
『でも丁度いいから、そのまま反省していてもらいましょう。そもそも血族だからと私を自由に扱えると思ってることは許しがたいし』
「ふむ…。寝込む前よりも強かな雰囲気になったね」
「女子、10日会わざれば刮目して見よ。ふふっ。私ちゃんと帰ってきたわ」
「うん。おかえりサラ」
サラが前世の三国志演義から生まれた慣用句を口にすると、リヒトは可笑しそうに目を見開いた。また、周囲の女性陣もリヒトとサラが見つめ合ってくすくすと笑っている様子を見て安堵し、一緒になって笑い始めた。
するとそこに、妖精たちも姿を現した。ミケ、ポチ、セドリックはもちろん、フェイ、ノアール、アラタも姿を見せた。なぜかポチとセドリックは、それぞれ眷属と思われる子犬と子豹たちを連れてきていた。
「サラ! 起きたのね」
妖精たちを代表するようにミケが声をかけてきた。
「うん。心配かけてごめんね。それより私の目の錯覚じゃないなら、ポチにも眷属ができたのかしら? セドリックの眷属も明らかに増えてるよね?」
「サラったら暢気ねぇ。あなたの魔力が溢れて大変なことになってたから、私たちが吸い出したのよ。その時にポチとセドリックは眷属を増やしたの」
「ミケはいいの?」
「私は眷属を作るのが得意じゃないのよ」
「そうなんだ」
そこにフェイとノアールが近づいてきて、サラの顔を覗き込んだ。
「無事に目を覚ましてくれたね。レヴィにも伝えて良いかな?」
「うむ。私もブレイズに報せてやりたいのだが」
「そっかみんな心配してるよね。伝えてきてもらえると嬉しいわ」
「わかった」
「承知した」
フェイとノアールが慌ただしく妖精の道へと姿を消すと、アラタもサラに近づいてきた。
「帰還おめでとう。リヒトはサラがそのまま儚くなるんじゃないかって、ずっと心配していたよ。リヒトにとってサラはずっと待ってた同胞だからね」
「アラタ。余計なこというなよ」
「事実だろう?」
「そうだけどさぁ」
「そっか。リヒトは同胞を渇望してたんだもんね。不安にさせてごめんね。もう大丈夫。記憶は全部戻ったから、もうこれくらいで倒れたりしないよ」
「よかった…本当によかった。オレは見つけたばかりの同胞を失うかと思ったよ……」
よく見るとリヒトははらはらと涙を流していた。
『あぁ、これがガイア様の言ってたことなんだ。リヒトはずっと孤独に耐えてきたんだね。妻子ができても心は異邦人のままだったのか…』
「リヒト…ごめんね。もう勝手にいなくなったりしないから」
「うん。うん…」
リヒトはベッド脇に置かれた椅子に座ってサラの右手を握りしめ、その手の上にボタボタと涙の雫を落とした。サラは暫く黙ってリヒトの様子を眺め、周囲の女性陣も声を発することなくその様子を見つめた。
『きっと実の両親が愛情深くリヒトを育てていたら、記憶が戻るのがずっと遅かったら、リヒトはここまで孤独じゃなかったんだろうな』
サラは傷ついた幼少期のリヒトを想って、胸が張り裂けそうに痛んだ。握りしめられたままの右手を見つめつつ、左手でリヒトの頭をぽんぽんと軽く叩いた。
暫くそうしていると、部屋の扉がノックされ、トマシーナの声が聞こえてきた。
「サラお嬢様がお目覚めになったと聞き、グランチェスター侯爵とロバート卿、そしてレベッカ様がお越しになっています。今は外のゴーレムが引き留めていますが、立ち入りの許可を与えても構いませんか? あ、いまジェフリー卿とご子息様方、トマス先生もお越しになったようです」
常時外のゴーレムと連絡が可能なトマシーナは、塔に近づいてくる人物を即座に認識することができる。
「まぁそうよね。全員に入ってもらって構わないのだけど、病み上がりだからあまり五月蠅くしないように伝えてもらえるかしら」
「承知しました。サラお嬢様」
サラは改めてリヒトに声を掛けた。
「ねぇリヒト。トマシーナの魔力補充はばっちりみたいね」
「さすがにもう慣れたよ。あ、ちなみにソフィアの魔力もオレが補充してるんだ」
「えっ!」
サラはリヒトがゴーレムのソフィアに魔力を補充している状況を想像し、なぜか顔がかっと赤くなるのを感じた。さすがに自分の分身の胸部に手を翳すと言うのは、なかなかに気恥ずかしい。
「次からソフィアの魔力補充は私がやるわ」
「できればそうしてもらえると助かる。美女二人に囲まれていると倒錯的な気持ちになっちゃって。魔力の補充方法もアレだし」
「リヒトおじーちゃん、しっかりして!」
「お、おう。けどさソフィアは美しすぎるだろう。サラの将来の姿ってことはわかってるけど、それにしても凄い」
「トマシーナも凄い美人ですけどね」
「そうだね。ゴージャスな美女っていうのはあんな人のこと言うんだろうね」
「髪もキラキラの金髪だし!」
「銀髪の儚げな美女も捨てがたいぞ」
「あー、はいはい。ありがとう」
リヒトは少しだけ困ったような顔をしつつも、決して嫌がっている様子ではない。どうやら彼も美人には弱いらしい。
すると突然、部屋の外から大きな声が聞こえてきた。どうやら続々と客人が乙女の塔に押し掛けてきているようだ。




