Butterfly Effect
ノアールはリヒトたちの会話を黙って横から見ていたが、会話が途切れたところでリヒトに質問した。
「リヒトよ、その話はゴーレムに限ったことではないだろう。今、まさに妖精たちがやらかしていることも同じだ。お前とて、こんなことが禁じ手なのは承知しているだろう?」
「正直、サラお嬢様の魔力が漏れ出していなければ、オレだってこんな無謀なことはやらせたくないよ。うっかりすれば、グランチェスター周辺の生態系が崩れてしまうからね」
「ポチのことだ、そのあたりはうまくやるだろうが、こんなことはコレきりにすべきだ」
「それは同意するよ」
この会話を周囲の人間たちが不思議そうな表情で見守っていた。しかし、疑問を持ったのはアメリアであった。
「リヒトさん、生態系が崩れてしまうというのはどういう意味なのでしょうか?」
「そうかアメリアは薬師だから気になるよね」
頷いたアメリアの横にはアリシアも立った。この世の理を解き明かすことに情熱を注ぐ錬金術師として、アリシアもリヒトとノアールの発言を無視することはできなかった。
「この世界が循環しているって考え方を理解できているかな?」
「土から植物が生まれ、その植物を食べる動物がいて、その動物を食べる動物もいると言う話ですか?」
「そうだね。そして人や動物はいつか土に還る。そうした食物連鎖なんかの生物間の相互関係や、水、大気、光、そしてこの世界に溢れる魔力なんかの無機的環境のことを、総合的に捉えて『生態系』って呼ぶんだ」
「概念としては理解できます」
アメリアは頷いた。
「生態系というのはとても微妙なバランスの上に成り立っているんだ。そうだなぁ、たとえばグランチェスターの領都に沢山の移住者がやってきたら、家も沢山必要になるだろう? そうなったら木をどんどん切り倒すよね?」
「はい」
「だけど、その木の実や葉を食べていた生き物はいきなり困っちゃうよね。餌がなければ生きて行けないから、数が減少してしまう可能性も高い。そしたら、その生き物を食べていた動物も減るかもね」
「確かにそうですね」
「特定の生き物が減少したことで、天敵が減って数を急に増やす動物が現れることもある。個体数が増えると餌が足りなくなって人里に降りてくるかもしれない」
「理解できました。木を切り倒したことで、連鎖的にいろいろな生物に影響を与えるということですね」
「そうだね。実は生物だけの問題でもないんだ。木っていうのは土をがっちり抑えてくれる働きがあるんだよ。大量に木を伐採してしまうと、この土を抑える力が弱くなってしまうから、土砂崩れを起こしてしまうことがある。代々のグランチェスター領主は、そのことを熟知しているようだね。狩猟場近くの山はきちんと管理されている」
「うむ。始祖からの知恵だ」
「そんなことだと思ったよ」
リヒトは納得した表情を浮かべた。
「ポチが小麦を作り出すためには元になる別の植物が必要なんだ。オレにはどこだかわからないけど、今は開拓地近くの雑木林から小麦を作り出してる。妖精たちは環境の変化に敏感だからあまり無茶なことはしないと思うけど、雑木林だって生態系の一部であることには変わりない。いきなり失われれば必ず影響が出る」
「どんな影響があるのでしょうか?」
「それはわからないし、すぐにわかりやすい形で変化が見えるとも限らない。だけど、こんな無茶なことを不用意に乱発すれば、どこかで歪が生まれるだろうね。あまり考えたくないけど蝗害が発生するとか、疫病が発生するとかね」
「そんな! あの地は麦角菌の騒動が収まったばかりなのに!」
「え、麦角菌でたの? サンプル残してる?」
「残念ながらすべて焼却しました。グランチェスターは穀倉地帯ですから、リスクを冒したくなかったんです」
「それは仕方ないね。賢明な判断だと思うよ」
「高祖父様なら新しいお薬を作れましたか?」
「作れるだろうけど、ヤバい物も作れちゃうんで扱いは難しいかな」
「サラお嬢様も同じようなことを仰っていました」
「そっか。彼女なら言うかもしれないね。ちなみに疫病っていうのは、植物のだけじゃないんだよ。普段姿を見ない動物からは、未知の病気に感染する可能性もある。もし、雑木林の中で暮らしていた生物が病気を持っていたら?」
リヒトの説明を聞いて、アメリアとアリシアはぶるりと背筋を凍らせて表情を引き締めた。
「とても恐ろしい話ですね」
「力を振るうということは、さまざまなことに影響を与えるということなんだ。サラお嬢様が目を覚ましたら、それをちゃんと自覚してくれると良いね。どうか君たちも日ごろから意識して、サラお嬢様にも伝えてあげて欲しい」
「承知しました。リヒト様」
「わかりました高祖父様」
ノアールはグランチェスター侯爵に近づき、牙を見せつけるように話しかけた。
「グランチェスターの領主よ、其方も心して聞いておくのだ。このような正攻法ではないやり方で作物を手に入れることを常態化しようなどとは努々考えるな。下手をすればグランチェスター領どころか、アヴァロン全体で小麦やその他の農作物が全滅するかもしれぬ程危険なことなのだ」
「承知した。それは始祖の教えにも適っている」
「ふむ。だとすれば、其方は始祖の教えの本質を真に理解しているとは言えないな」
「どういうことだろうか?」
「其方が為政者であるのなら、妖精の力や転生者の知識に依存し、常態ではない物に頼ることにもっと危機感を持つべきだ。小麦も然り、ゴーレムも然り、おそらく魔石も然りなのだろうさ。グランチェスター領がゴーレムを運用すれば、他領や国も黙ってはおるまい。どうせ、グランチェスター家の秘術とでも言って高く売りつけるなり、貸し出すなりの算段をしているのだろう。貴族家としての影響力が増すなどと考えているなら止めておけ」
「ソフィア商会にとっても大きな収益に繋がると思うのだが」
「あれほど高価な魔道具を簡単に何体も買えるような領などほんの一握りだ。金が払えない代わりになんらかの便宜を引き出すつもりなのだろう?」
「そうだ。いずれソフィア商会は他領にも支店を出すだろうし」
「それでは多くの人々から妬みや恨みを向けられることになるだろう。サラの力に依存する其方のやり方は、かつて妖精に依存して滅んだオーデルと同じだ。オーデルの破滅から、其方は何も学んでおらんのか? 業腹ではあるが、『人の営みは人の力で成すものだ』と喚いたロイセンの若造の意見も一理あることを認めざるを得んな」
グランチェスター侯爵は不思議なモノを見るような目でノアールを見つめた。
「もしやノアールは、オーデルの黒き狼なのか?」
「なんだ知らなかったのか。まぁどちらでも構わん。だが、実際に国の崩壊を目の当たりにした私の言うことは、聞いておく方がいいと思うぞ」
「そうか……わかった。心しておくとする。しかし、ブレイズは随分と偉大な妖精を友人に迎えたな」
「妖精に偉大もなにもない。我らはただ親しき友に添うだけだ」
「そうか」
ノアールも、ブレイズがオーデル王家の血筋であることを明かしたりはしない。
「さて、私は友人の元に戻るよ。夜も更けてきたからな」
「そうか。また会おう」
「機会があればな」
ロバートはグランチェスター侯爵とノアールのやり取りを横で聞きながら、小さい領地とはいえ結婚後には領主となる自分への戒めにしようと心に刻んだ。だが同時に別の印象も持った。
『しかし、この二人の会話って、なんだか爺臭くないか?』
もちろんロバートはわざわざ口に出すほど愚かではなかった。
一方、アメリアとアリシアは、マリアを交えてサラの今後の看護体制について検討を始めていた。
「リヒトさん、サラお嬢様がいつお目覚めになるかわからないのであれば、お食事の代わりの薬湯を準備すべきですか?」
「そうだね。マリアさんに任せれば、薬の嚥下は問題なさそうだ」
「必要な薬剤はこのような感じでしょうか?」
アメリアは薬剤のリストをリヒトに手渡した。
「アメリアさんは優秀だね。ただ、8歳という年齢を考えると、この辺りの薬剤を使うかは様子を見ながら慎重にならざるを得ないかもね」
「ミケに頼んでソフィアさんの姿に変えてもらうことも検討しますか?」
「いや、今のサラお嬢様は記憶を処理するためにずっと魔力を消費している状態だ。下手に魔法で弄らない方がいい」
「わかりました。ところで他の薬師からの意見を伺う必要はありますか?」
「そうだなぁ。オレが眠っていた40年で何か変わったかもしれないし、別の薬師の意見は聞いておきたいね」
「でしたら私の師匠であるアレクサンダーでもよろしいでしょうか? 薬師ギルドの副長を務めております」
「アメリアさんの師匠なら優秀だろうね。是非お会いしたいと伝えて欲しい」
「承知しました」
薬師としても長年の経験を持つリヒトとの会話は、アメリアにとって師匠のアレクサンダーとはまた違った学びを得られる貴重な機会でもあった。同時に、彼らの差異も気になるところであり、熱心にメモを取っている。
「リヒトさん。やはりサラお嬢様は、乙女の塔に移した方が良いのではありませんか? あそこなら薬剤も機材も揃っています。何より私たちが交代でサラお嬢様の様子を看られます。サラお嬢様の状態が急変しても対処がしやすいです」
「確かにそうなんだろうけど」
リヒトはグランチェスター家の三人に視線を移す。彼らはアメリアの提案にビクリと反応している。
「本邸では駄目なのか?」
「ご家族の心配はわかりますが、サラお嬢様の状態に合わせて迅速に対応できる最善の環境は乙女の塔です。サラお嬢様の状態が回復するまでは、乙女の塔の規則を曲げてリヒトさんに客間をご用意します。マリアさんもサラお嬢様と一緒に乙女の塔に移られますよね?」
「当然です」
「リヒトさんもそれでよろしいですか? あぁ、でも目を覚まされたことは、ご家族に報せておいた方が良いと思いますよ」
「オレは構わないけど、君らはいいの?」
「優先されるべきはサラお嬢様です。本邸のゴーレムをすべて乙女の塔に引き上げれば、安全でしょうし」
「その安全って、君らがオレから守られるって意味に聞こえるんだけど…」
「それは考えすぎでしょう。逆のパターンでも安全ですから」
微笑むことすらせず、アメリアは淡々と事務的に答えた。アメリアは頭が薬師モードに切り替わっているので、これは軽口ではなく本気の回答である。
『サラのために万全の体制を』というお題目がある以上、グランチェスター家の三人が否を唱えられるはずもなく、サラは乙女の塔に設えた彼女自身の部屋に移されることになった。もちろん、本邸にいたゴーレムたちも一緒に移動する。
かくしてリヒトはなし崩し的にサラの主治医となり、アメリアとアリシアがサポートに就くことになった。日常の世話はマリアを筆頭に、乙女の塔に所属する若いメイドたちが担当し、下働きに相当する業務はゴーレムたちが処理する。偶然にも倒れる前のサラがグランチェスター侯爵に告げた通り、乙女の塔に居を移して本邸のゴーレムもすべて引き上げる結果となったのである。
なお、人数が増えたことで、翌日には料理人の女性も採用された。彼女は元々女性たちの集落に住んでいたが、最近娘が嫁いで独り暮らしになったのだという。誰もいない家で一人になるよりも、住み込みで働きたいという彼女の希望を受け入れ、乙女の塔に新たなメンバーとして迎え入れられた。




