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ロイセンの危機を招いたのは誰か

バタバタと目の前で進行する出来事を見ながら、リヒトはどうにも愚痴っぽいことを口にせずにはいられなかった。


「それにしても、私が眠りに就く40年前ですらかなりロイセンの農業は深刻なダメージを受けていました。なのに、どうしてロイセンは何も手を打たなかったのでしょう?」

「さて…」

「それは、ブランシュ姫とシャルル公子が故国の民を見捨てられなかったからだよ」


グランチェスター侯爵が首を傾げたところに、ノアールがひょっこり現れた。


「おや、妖精だけがこちらに顔を出すとは。ブレイズの傍に居なくていいのかい?」

「いまは寝所で眠っているよ。大きな魔力の動きを感じたので様子を見に来ただけだ」

「さすがに妖精には気付かれるか」

「当たり前だ。あぁ、そうだ先程の話だな。お前がアヴァロンに去ってから、あの二人がナイトハルトに住んだことは知っているだろう?」

「もちろんだよ。あそこは旧ネルクス公爵領だから、ノクスは随分反対したってシャルルからの手紙には書いてあったよ」

「そりゃぁそうだろう。ロイセンの奴らは逃げたブランシュ姫やシャルルを探し回っていたのだから。あそこは元々シャルルの領地なのだし、ブランシュも幼少期はネルクス公爵領で育っている。言わばゆかりの地だぞ」


かつてノクスと呼ばれていたノアールは、リヒトの傍にペタリと座り込み、懐かしい過去を思いだしていた。


「人はそれほど簡単に故郷を捨てることなどできないさ。第一、彼らを隠すために、二人を老人にしたのはノクスだろう? あぁ、今はノアールだったね」

「彼らの容姿を知る者がいなくなるまで、ずっと老人の姿で過ごしていたよ。おかげで二人はすっかり落ち着いてしまって、甘い雰囲気にまったくならなかったがね」

「まぁオレもそうだけど、精神は肉体の年齢に影響されるからねぇ。あの面倒な二人が枯れちゃうと、完全に茶飲み友達だよな」

「まったくだ。二人はすっかり畑を耕すのが大好きな農家の老人のご近所さん同士として過ごしていたよ。大勢の妖精と戯れてどんどん魔力を与えるものだから、彼らを中心に広い地域が常に豊作になったのさ」

「はぁ。意識してやったわけじゃないだろうけどさ、結果として今のロイセンの危機は彼らのせいってことじゃないの?」

「そうとも言えるな。なにせロイセン国内で消費される小麦の半分はナイトハルトが賄っていたのだから」


元々ネルクス公爵領だったナイトハルトは、広大で肥沃な領地であった。作付面積だけでもグランチェスター領全体より大きい。ベルン城を中心とした領都の人口も多く、ロイセン王都に継ぐ第二の都市として知られている。


現在、この地を治めているのは、ゲルハルト王太子の実父であるベルン公爵である。ゲルハルト王太子が生まれる少し前、当時の王弟だったゲルハルトの父が臣籍降下し、ベルン公爵となった。その際に王家の直轄領だったナイトハルトを賜り、ゲルハルト王太子はナイトハルトの地で生まれて育った。


幼少期、常に豊作が約束されているような特別な土地で育ったゲルハルト王太子にとって、土地とは豊かであることが普通だった。


そして問題が起きた。


王子としての教育も受けていない17歳の少年は、王家のお家騒動の煽りを受け、突然次代の王という立場を押し付けられたのだ。しかも、本来であれば率先して国の立て直しを図るべき国王は、息子たちが原因で起きた騒動のせいで一気に老け込み、国政の大部分をゲルハルト王太子に任せるという無責任さを発揮した。


お家騒動以前にロイセンの最大派閥であった貴族派は、王を傀儡として政治に深く関与していた。いや、彼らこそが真の為政者であった。彼らに推されて王位に就く予定であったアドルフ王子は、性格や品行はともかく政治能力は他の王子よりも高かった。


粛清の嵐が吹き荒れた後、貴族派の貴族家は大半が取りつぶしとなり、新しく任命された領主たちは引継ぎもままならない状況となった。農業、林業、漁業などの第一次産業はもちろん、製造業などの第二次産業にも大きく影響し、ロイセンの国力は大きく低下することになった。


このお家騒動によって、冒険者ギルドに傭兵のような依頼が舞い込むようになったことも不幸の一端を担っている。結果的にシャルル公子はギルドの依頼を遂行中に命を落とし、ショックで産気づいたブランシュ姫がブレイズを生んで亡くなってしまったのだ。


ところが自分たちの豊かさがブランシュ姫とシャルル公子に支えられているなど知る由もなく、傲慢な程に自分たちは豊かな国に生まれ育ったのだと信じていたゲルハルトは、ロイセンにおける農業政策の優先順位を下げてしまった。


これはゲルハルトだけが悪いわけではない。何故ならロイセンを取り巻くさまざまな国が、混乱に乗じて攻めてくる可能性が高かったからである。特にゲルハルトの実父であるベルン公爵は、王弟であった頃から王立騎士団の団長を務める生粋の武人であり、現在は王国軍の総帥である。


必然的にゲルハルトも武人の目線で情勢を見つめることが多く、外交政策に重点を置き、政略結婚によって沿岸連合との距離を縮めていった。もう少し慎重にナイトハルト以外の領地の状況を確認していれば、そこまで農業政策を放置はしなかったかもしれないが、自領の問題を訴えるべき領主すら引継ぎを終えていない俄か領主である。『上手く領地を管理できていないと思われたら、せっかく拝領した領地を失う可能性もある』と考えた一部の領主は、自領の問題を報告しないことすらあった。


こうしてロイセンの収穫量は大幅に減少し、結果として食糧の輸入量は増大した。必然的に国内の農業も衰退の一途をたどった。そして10年の歳月を経て、ようやく自分たちがとても危ういことに気付いたゲルハルトを始めとするロイセンの首脳陣は、アヴァロンからの小麦輸入に活路を見出そうとしている状況であった。


このような危機に陥っているロイセンなど、狡猾な沿岸連合の首脳陣にとっては『テーブルの上に乗ったご馳走』にしか見えない。どのように切り分け、どの部分を誰が食べるかで内輪揉めてしていた数年間は無事に生き延びられたが、いよいよロンバルを中心とした派閥が切り分け用のナイフを手に持ち、ロイセンに刃を突き立てているのだ。


『今回ロイセンに小麦を輸出したところで問題は何一つ解決しないよな。どう考えても焼け石に水になるはずだが、サラはどうするつもりだったのだろう? まさか何も考えていないわけではないと思うが…』


リヒトは横たわるサラを見つめ、この小さな女の子が何を考えていたのかを知りたいと強く思った。


『君はとても興味深いよ。早く目を覚ましてくれ』


「それにしても侯爵閣下、仮に国王陛下から小麦輸出を許可されたとしても、ロイセンが必要とする小麦をすべて提供することはできないのではありませんか? 失った備蓄を補充した残りだとしても、保有量の辻褄が合わないように思うのですが」

「そこまでサラの魔力で生み出す小麦は多いのだろうか?」

「私もどれくらいの量になるかは把握できません。辻褄合わせが難しくなったら、別の作物に切り替えるようお願いしたほうが良いんじゃないですかね」


そこにポチがサラの魔力を吸い出すために戻ってきた。


「やぁポチ。どんな調子だい?」

「そんなに効率は良くないみたい。ソフィア商会に空の倉庫は9つあるんだけど、1つをいっぱいにするのに、3日くらいかかるわね」

「ポチ、申し訳ないんだけど、サラお嬢様の魔力が漏れ出す速度の方が早いみたいなんだ。セドリックみたいに眷属を増やせるかい?」

「やったことはないけど、たぶんできると思う」

「じゃぁ眷属増やして、並行して作業してくれないか? いまの3倍くらいの魔力を吸いだしても問題ないと思うよ」

「まずは眷属を増やすのに魔力を使うわ」


ポチはサラから魔力を吸い出し、5匹の子犬を生み出した。ポチの身体は深い緑色をしているが、眷属たちは若草色である。


「一気に5匹とはやるね。おまけに凄い可愛いじゃないか」

「ありがとう。この子たちは吸い出せる魔力が私よりも少ないから数で勝負って感じ」

「なるほどね」


ポチと5匹の眷属たちは、サラからどんどん魔力を吸い出していく。


「リヒト、どう? 大丈夫そう?」

「魔力は随分吸い出せたみたいだ。まったく漏れて来なくなった」

「良かったわ」


そこにグランチェスター侯爵が割り込んでポチに尋ねた。


「ポチよ。ソフィア商会の倉庫とは、領都外れにある大型倉庫だろう?」

「ええ、そうよ」

「だとすれば、1つでグランチェスター領が1年で収穫する小麦の2割が格納できるはずだ。すまないが、小麦でいっぱいにするのは5つまでにしておいてくれないか? それ以上あっても、グランチェスター領の小麦として流通させることが難しくなる」

「もし、5つをいっぱいにしても、サラの魔力が漏れていたらどうするの?」

「別の作物を検討したい」


実際にはサラの空間収納に放り込んでおけばいいので、検討が間に合わないようであればポチは小麦をエルマに変換して放り込んでおくつもりであった。


「わかったわ。何にするかは考えておいてね」

「承知した」


グランチェスター侯爵は、サラ用の身体に合わない小さな書き物机から立ち上がると、身体のあちこちを伸ばした。どうやら少々腰が痛くなったらしい。


「グランチェスター侯爵閣下、サラお嬢様はすぐに目を覚ますとは思えません。今日のところはお引き取りになられたほうが良いかもしれません。ロバート卿とオルソン令嬢も明日のことを考えたら、もうお休みになられた方が良いのではありませんか?」


しかし三人はサラの様子をチラリと窺うと、どうにも傍を離れがたい様子である。


「このまま二度と孫娘に会えなくなってしまうのではないかと不安になるのだ」

「僕もサラが気になって眠れそうにないよ」

「私は看病のためにこちらに残ります」


リヒトは困った人たちを見るような眼差しで三人を見た。


「侯爵閣下、サラお嬢様は負の思考に陥って戻ってこないタイプの方でしょうか?」

「それは難しい質問だな。驚く程前向きな性格のようでもあるが、母親が亡くなったときは、そのまま衰弱死を選びそうでもあった。どちらに振れるかは想像がつかない」

「なるほど。では、上手く心に折り合いがつくことを祈るしかありませんね」


グランチェスター侯爵はしょんぼりとソファに深く腰掛けた。どうやら、まだ離れる気にはなれないらしい。


「ロバート卿は、ポチがせっせとつくっている小麦を上手く処理するためにも、明日は朝から動く必要があるはずです。サラお嬢様が目を覚ました時には、手配を終えておく方が彼女の負担にならないと思いますよ」

「わかりました。僕はサラが目を覚ましてくれることを信じて、英気を養うことにします」

「必要なら負担にならない程度の睡眠薬を処方しますが、大丈夫ですか?」

「大丈夫だと思います。お気遣いいただきありがとうございます」


ロバートは無理矢理自分を納得させ、サラの魔力を使って作り出した小麦を有効活用すべく動き出すことを決意した。


「オルソン令嬢、今すぐの看病より、今後の体制を整える方を優先してください。今の段階では、サラお嬢様がいつ目を覚ますかわかりません。長期になる可能性もありますので、彼女の仕事をどうやって引き継ぐかを検討する必要があるはずです。特に商会の方はどうすべきなのでしょうか」


リヒトの指摘にレベッカはハッとした。


「確かに私が看病に費やす時間はありませんね。リヒトさん、気付かせてくださってありがとうございます。サラが目を覚ました時に、少しでもスムーズに動けるような状況を作っておかなければいけませんもの。まずは明日、王族たちを無事にお見送りしなければなりませんわ。王子たちはサラがいないことを残念に思うかもしれませんが、発熱しているといえば無茶は言わないでしょう。子供の発熱はよくあることですから」

「確かにその通りですね」

「ただ、問題はソフィアのゴーレムですね。魔力を毎日注がないと動かなくなるらしいのです。かなり魔力を必要とするらしいのですけれど、サラが倒れると同時にソフィアが姿を消すのはいかにも不味いと思います。せめて仕入れのために外国に行くかのような体裁を整えないと」

「ふむ…気は重いですが、そのゴーレムには魔力を補充しましょう。しかし、サラお嬢様の成体となると、とんでもなく美女なのでしょうね…」


『誰もいないところで、ささっとやらないとダメだよなぁ…』


リヒトは生体ゴーレムへの魔力補充方法に難があると思っているものの、サラが寝込んでいる以上仕方がないと割り切ることにした。

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― 新着の感想 ―
あのまま言い争いが激化してたら最悪目覚めた後に記憶が無くなってたかもしれないね まあ、目覚めてないから現段階で何も言えないけど
[良い点] 妖精やら生体ゴーレムやら、魔力吸い出す図は見せたくないですね。特に少年ズには刺激が
[一言] まだ幼女だからお漏らしは仕方ないですよね。でも垂れ流した後始末は自分でやろうか。 ロイセン国だけで済むなら自業自得の放置でいいと思いますが、やっぱ戦争になっちゃいますかねー
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