私はとても愚かでした
晩餐会の後、サラは久しぶりに本邸の自室に引き上げた。
ドレスから夜着に着替え、ベッドに横になろうとしたところで、部屋のドアがノックされた。
「こんな時間にどなたでしょう?」
サラの髪を梳いていたマリアは不審そうな表情を浮かべ、ドアの手前から外に向かって誰何した。
「どなたでいらっしゃいますか? サラお嬢様はお休みになられるところなのですが」
「私だ」
外からグランチェスター侯爵の声が聞こえてきたため、マリアは慌ててドアを開けて部屋の中に招き入れた。その後ろからロバートとレベッカも入室してきた。
「お揃いで何の御用でしょう? 呼んでくだされば私の方から伺いましたのに」
サラは三人に椅子を勧め、マリアに飲み物の支度を頼んだ。
「今朝の手紙の件だ。きちんと謝罪せねばと思ってな」
「謝罪は不要と書き送ったはずですが」
「しかし…」
「ジェフリー卿を利用するような行動を止めて頂ければ構いません」
ロバートは自分の父親と娘を交互に見つめ、言葉を発した。
「父上、今朝の手紙と言うのはどういう事でしょうか。私はサラが居所を乙女の塔に移すと聞いて、辞めるよう説得に来ただけなのですが」
「遅かれ早かれ私が乙女の塔に引っ越すことは確かです。既にあちらの部屋も整っています。実はこの部屋よりも広くて便利なんですよ?」
サラはにっこりとロバートに微笑んだ。
「待ってサラ。僕たちが結婚した後は、別館に引っ越すし、ここより広い部屋を用意できるよ。設備だって新しく整えるし」
「何度も申し上げたと思いますが、新婚のお二人の邪魔をしたくないのです」
「家族を邪魔に思うわけがないだろう!」
「お忘れかもしれませんが、私はお父様よりも年上の女性だった記憶があるのです。新婚夫婦の家に居づらいことを理解していただけませんか?」
レベッカはロバートの腕を軽く叩いた。
「ロブ、どうやらサラは既に心を決めているわ。おそらく説得しても無駄よ」
「ちゃんと遊びには行きますから」
「やっと娘になるのに、いきなり別居なんて寂し過ぎるじゃないか」
レベッカは自然な仕草で、しょんぼりと肩を落とすロバートの頭を慰めるように撫でた。
『そういうさりげないイチャイチャを毎日見せられるのかと思うと、ちょっとねぇ…』
「そういう事であれば、本邸に残れば良いではないか」
「いろいろと都合が良いのです。警備はゴーレムがやってくれますしね」
「本邸にもゴーレムを増やせば良いではないか」
「そうやってなし崩しにゴーレムをグランチェスター城の戦力に加えられるのを避けるという目的もあります。ジェフリー卿から説明されませんでしたか?」
「されたな。では、領主としてソフィア商会に要請をしたら、ゴーレムを派遣してもらえたりはするだろうか?」
「お断りいたします」
「では、領主命令であればどうだ?」
その瞬間、サラの表情が失われ、無意識に魔力が漏れ出してグランチェスター侯爵を威圧し始めた。
「サラ、落ち着きなさい。魔力が漏れているわ。お義父様は仮定の話をしただけで、まだ命令を出したわけではないでしょう?」
アンドリュー王子とは違い、魔力暴走は起こさなかった。レベッカの説得で魔力もあっさりと鎮まる。だが、桁違いの魔力にあてられたグランチェスター侯爵は、顔を真っ青にしてぐったりとソファに沈んだ。
「父上、大丈夫ですか?」
「大丈夫だ。ふぅ…サラは戦場で相対したどの騎士よりも重く威圧してくるのだな。ドラゴンの尻尾を踏むというのはこういうことか。ミケやポチの言う通りであった」
「申し訳ありません。あまりこのような事態にならないようにしているつもりだったのですが、上手く魔力がコントロールできませんでした」
「いや、悪いのは私なのだろう」
丁度そのタイミングで、マリアがハーブティとワインを載せたワゴンを押して入室してきた。ロバートは無言で立ち上がってワゴンに近づき、デキャンタに入ったワインをグラスに多めに注ぎ入れると、グランチェスター侯爵に差し出した。
「あぁ、すまんな」
「いえ。ですが、父上がサラに何を言って怒らせたのかはなんとなく理解できました。ゴーレムを利用したかったのですね?」
「そうだ。既にアヴァロンはロイセンを挟んで沿岸連合と睨みあっているような状態だ。そしてグランチェスター領は、真っ先に攻撃されている。身内の裏切りによって横領事件が起こった以上、これから先も身内の裏切りを警戒しながら領民を守っていかねばならない。領主として貴重な戦力を確保したいと考えるのは当然であろう」
マリアがサーブしてくれたハーブティを一口飲んだサラは、真剣な表情でグランチェスター侯爵を見つめた。
「そこまで正直だと清々しささえ感じますね。でも、ゴーレムを派遣することは絶対にありません。領主命令で供出させるおつもりなら領を出ますし、国王陛下からの勅命が下れば国を出ます」
「なぜそこまで頑ななのだ。グランチェスターやアヴァロンの民を守りたい気持ちは持っていないのか?」
「祖父様。そうやって愛国心や罪悪感で強制させようとするところ、いかにも為政者でいらっしゃいますね。ジェフリー卿を通じてお伝えしたことを、本当には理解していないということはよくわかりました。そして、リヒトが晩餐の席で私を諫めた理由を、実体験として理解できた気がします」
「どういうことだ? 晩餐の席でゴーレムの話など出なかったと思うが」
侯爵は首を傾げて考え込んだ。
「私がやり過ぎたということです。私がこの世界に生み出してしまったモノが、争いの火種になりつつあることを実感しているところです」
「火種とは大袈裟な。私はただ領民を守って欲しいだけだ」
「祖父様。"守る"とはどこまでの行為を指すのですか? 今のゴーレムたちは、自分たちに敵対行動を取らない限り、こちらからは一切攻撃しません。護衛対象の人間に危害を加えようとしている人物がいても、実際に攻撃してこなければ行動しないのです」
「もう少し詳しく説明してくれるか?」
「そうですねぇ。あの子たちは自分を中心に半径200メートルくらいの範囲を常に索敵しています。不審な人物を発見しても、観察しているだけで特に何もしていないように見えます。私たちに警告すらしません。ですが実際にはゴーレムたちは不審人物の発見と同時に警戒モードに入るので、不審者の情報を共有し、その人物を特定しようとします」
「警戒モードに入るのに警告しないのか?」
「最初は警告するようにしていたのですが、あまりにも数が多くて鬱陶しくなったので通知を止めました。繰り返し警告されると慣れてしまって、『あぁまた不審者か』みたいな感じで気にしなくなってしまうんですよね」
「ふむ」
「で、この不審人物たちが、一定以上の距離に近づいてくると、ゴーレムたちは相手に立ち去るよう話しかけます。それでも立ち去らずに近づいてきた場合には、相手を抱え上げて敷地の外まで運び出します。この時、相手に怪我を負わせることのないよう細心の注意が払われます」
「確かに私も抱えられたな」
「基本はコレの繰り返しなのですが、業を煮やしてゴーレムに敵対行動を取ると、ゴーレムたちは相手の捕縛を試みます。相手が魔法を使う場合には、やむを得ず猿轡と目隠しを施します」
「目隠し?」
「猿轡は詠唱させないためですが、無詠唱の魔法には効果がありません。ですが、多くの魔法使いは相手を目視できないと上手く魔法が発動できないのです。そのための目隠しですね」
「ほう」
「実はそういう状態に至ったことはないので正常に動作するかは未検証なのですが、目隠しをしても魔法を発動する魔法使いに対しては奥の手があります」
「奥の手?」
「相手をくすぐるんです」
「は?」
「ゴーレムがあの指で、こちょこちょと。集中できないと魔法ってなかなか発動できないんですよね」
「なかなかえげつないな」
「お褒め頂き恐縮です」
グランチェスター侯爵はゴーレムが犯罪者をくすぐっている姿を想像し、背筋に冷たい汗が伝い落ちたことに気付いた。
「それでも、あの子たちはそれ以上の武力を行使しません。仮に自分が破壊されたとしてもです」
「仮に護衛対象の人間に武器を持った人間が襲い掛かった場合はどうする?」
「身を挺して庇います。その間に他のゴーレムが犯人を拘束するのです」
「なんとも健気なことだ」
「その健気なゴーレムを酷使なさろうとしているのは侯爵閣下ですよね?」
サラが自分を『侯爵閣下』と呼んだことに、グランチェスター侯爵は愕然とした。
「何故そのように余所余所しい呼び方をするのだ」
「今は領主であるグランチェスター侯爵閣下に応対していると判断しているからです」
「そう、か。だが、ゴーレムを酷使するつもりはないのだ。身を挺して庇わなくとも、敵対行動をとった相手には武力行使も許可すれば良いではないか」
「もちろん、そのように教えることは可能です。では敵対行動とはどこまでですか?」
「少なくとも意図的にこちらを攻撃しようとしていれば、それは敵対行動だろう」
やや興奮気味に捲くし立てるグランチェスター侯爵に対し、サラは深くため息をついた。
「では、『意図的にこちらを攻撃しようとする』という判断基準はなんですか? ある程度の距離で武器を構えたら敵対行動ですか? 射程範囲内で弓を持った人はどう判断しますか? そもそもゴーレムにどこまでの武力行使を許可するのですか?」
「それは…」
「確かにゴーレムには警棒などを持たせています。ですが、それで相手に攻撃することはほぼありません。相手からの攻撃を受け流すことや、捕縛時に相手を押さえつけるのに使用するくらいです。そのくらい、対人攻撃には慎重になっているのです」
「何故だ。先制攻撃をした方が制圧するのも容易いではないか」
「グランチェスター侯爵閣下、私は意図的に人を傷つける行為をゴーレムに教えるつもりはありません。それを容認してしまえば、いつかゴーレムに敵を倒せと命令することになるでしょう」
「それの何が悪い。領民を守るためなら致し方ないだろう」
「領民を守るための次は、グランチェスターのため、アヴァロンのため、敵地を攻撃しろと言い出すことになるでしょう」
「私は他国を侵略したりせぬ!」
「そうでしょうか? 仮にこちらを攻撃しようと隣国から軍隊が行進を始めたら、国内に入る前に攻撃しませんか? あるいは国王陛下が他国への進撃を命じられたとしたら、ゴーレムに侵略行為を命令しないと言い切れますか?」
「むう…」
「閣下、ゴーレムは人ではなく、あくまでも魔道具です。命じられるままに動き、その行動に疑問を持ちません。指揮官がゴーレムに"あの村には敵が潜んでいるから皆殺しにしろ"と言えば、女子供でも殺すことを躊躇しません。使う側の心の在り様のまま、簡単に殺戮兵器となってしまうのです。武器に転用できるモノを作り出してしまった私は、確かにやり過ぎたのでしょう。リヒトが指摘した価値観の相違にやっと理解が及びました。少し考えれば容易に想像できたはずなのに、私はとても愚かでした」




