リヒトの再就職
「心配してくれてありがとう。パラケルスス師……うーん、いまさらだからリヒトって呼んでいい? それに、私には普通に話し掛けて欲しいな」
「お好きな名前で呼んでくださって構いません。ですが平民として長く生きておりますと、上位貴族家の晩餐の席で砕けた言葉遣いをすることの方が難しいのですが」
リヒトは生まれてすぐに捨てられ、長年平民として生きてきた。オーデル王族とも親しくはなったが、それも反ロイセンのレジスタンス活動の中で接しただけで、自分自身が貴族になったことはない。
王都で他人の名前を借りて宮廷錬金術師を名乗っていた頃も、変わり者の老人だと思われていたため、あまり社交の場に呼ばれることはなかった。先代のグランチェスター侯爵とは友人であったため、食事を共にする機会も多かった。だが、晩餐の席などに呼ばれることは皆無で、いつも塔の食堂で気取らない食事ばかりであった。
「サラ、無茶を言ってはいけません。お客様を困らせるのはマナー違反ですよ」
久しぶりにレベッカのお説教が飛んできた。
「はい。お母様」
するとテーブルの反対側に座っていたクロエがくすくすと笑い出した。
「サラもちゃんとお説教されるのね。ちょっと安心したわ」
「当たり前じゃないの」
「だって、いつも一番下のおチビちゃんが一番偉そうなんだもの。たまにお説教されているのを見ると、ちょっと胸がすくわ」
「クロエったら酷いわ」
その様子を見ていた周囲は、微笑ましい目線で彼女たちを見ていた。
「パラケルスス師、いえリヒトさんでしたっけ、とてもお若い外見をされているのですね」
クロエはリヒトを興味津々で見つめた。
「幸いにも妖精との友愛を結んでおりますので、実際より若く見えるのです。これでも300年以上生きております。なにせ私はそこに居るアリシアの高祖父ですから」
「えっと、アリシアさんってお幾つでしたっけ?」
「私は17歳でございます」
「そのアリシアさんの高祖父ってことは、祖父様の祖父様ってことですよねぇ? レベッカ先生以上にびっくりです」
なお、年齢を聞かれたアリシアと、その隣にいるアメリアは、グランチェスター侯爵家の晩餐に呼ばれたことで緊張はピークに達していた。黙々と食事を口に運んではいるものの、味はさっぱりわかっていなかった。
「無駄に長く生きて、少々若作りなだけの老人だと思っていただければ」
「”だけ”じゃないことは確かだと思います。リヒトさんはとても綺麗なお顔をしていらっしゃいますもの。サラもそうですけど、転生者って綺麗な顔に生まれるとかルールがあるんでしょうか?」
「それはわかりません。確かにサラお嬢様はお綺麗な方でいらっしゃいますが、私はサラお嬢様以外の転生者にお目にかかったことがありません。それに、クロエお嬢様も大変可愛らしい方でいらっしゃいますよ」
するとクロエは小さなため息をついた。
「リヒトさんは300年以上も生きていらっしゃるのに、女心はちっともお分かりではないのですね」
「申し訳ございません。不調法なものですから」
リヒトが慌てて謝罪する。だが、自分がどのような失態を犯したのか全く理解できてはいなかった。
すると今度はエリザベスがクロエを窘めた。
「クロエ、およしなさい。リヒトさんが困っていらっしゃるでしょう」
「いえ、私の発言に問題があったようです。大変不躾ではございますが、私はどのような失言をしてしまったのでしょうか」
「ははは。著名な錬金術師であるパラケルスス師にもわからないことはあるのですね」
ロバートが小さく笑いながら説明した。
「クロエは可愛いと言われて拗ねているのですよ」
「貴族のお嬢様には失礼にあたるのでしょうか?」
「そうではなく、サラを綺麗だと肯定した後に可愛いと言われても嬉しくないと言っているのです」
「あぁぁぁ、なるほど。申し訳ございません。そのような意図はまったくなかったのですが」
「こちらこそ、うちの生意気な娘が申し訳ございません」
エリザベスはリヒトに謝罪した。
「クロエお嬢様、大変ご無礼いたしました。お詫びとしてこちらをお受け取り下さい」
リヒトは目の前で赤い薔薇を1輪だけ作り出し、後ろに控えている使用人に預けてクロエに渡してもらった。
「すごくいい匂いがするわ!」
「香りの強い品種なのです。食事中には少し邪魔になってしまうかもしれませんね」
「いいえ、問題ないわ。とても素敵」
「寛大なお心で私の失態をお許し願えますでしょうか?」
「ええ、もう気にしていないわ。本当にありがとう」
リヒトは内心胸を撫で下ろした。貴族を怒らせるのは得策ではないことをリヒトは知っており、同時に女性を怒らせると面倒なことになることも学んでいた。
だが、リヒトはシルヴィアから、『女性を怒らせたら、まずは花をプレゼントして謝れ。それでもダメなら菓子や装飾品』という有難い教えを受けていた。この方法で8割方は上手くいくのだが、うっかり相手がリヒトに惚れこんでいる場合には泥沼になる。その時にはシルヴィアが出張ってきて助けてくれていた。
「ところで、リヒトさんは今後どうされるのですか? 乙女の塔で働くのでしょうか?」
アダムがリヒトに尋ねた。
「サラお嬢様から相談されていることがありますので、まずはそちらのお手伝いをすることになるかと。とはいえ、私の研究室は既に玄孫のものですから、新たな研究室をどこかに設けなければなりません。私はちょくちょく研究室で夜を明かしてしまう悪癖がございまして、さすがに乙女の塔でそのような働き方はできませんので」
「高祖父様、その働き方を変えた方が良いのではありませんか?」
さすがにアリシアが突っ込んだ。
「お前は研究で夜更かししたことが無いような言い方だね」
「そ、それは…」
「無理だろう?」
「はい。無理ですね」
『え、そこで納得しちゃうの? 駄目だよ!』
心の中でサラは突っ込んだが、そもそもサラだって前世はワーカホリックだったので、人のことはまったく言えない。まさに仕事人間の集団である。
「少なくとも当分はグランチェスター領に滞在されると思って宜しいのでしょうか?」
「40年も会っておりませんが、私の家族もグランチェスター領におります。今のところ他領や他国に移り住む気はございません」
「それは良かった! あなた様の功績が素晴らしい物であることは聞き及んでおります。どうか今後もグランチェスター領に力をお貸しください」
アダムは嬉しそうな表情を浮かべて、リヒトの説得にかかった。だが、それを見ていたグランチェスター侯爵と小侯爵は苦笑いを浮かべた。
「アダムよ、熱心なのは感心だが、それは私の台詞だ」
「小侯爵の私だけじゃなく、領主である父上の頭まで超えて依頼を出すとはな。越権行為だぞ」
「あ! も、申し訳ございません」
窘めてはいるものの、アダムが熱心なことをグランチェスター侯爵と小侯爵は二人とも喜んでいるようだ。
『短期間でアダムは激変したな。コーデリア先生恐るべし』
「だが、確かにパラケルスス師、いやリヒト師にはグランチェスターに力を貸していただきたい」
グランチェスター侯爵はリヒトに再就職を提案した。
「サラお嬢様次第です。私を眠りから揺り起こしたのはサラお嬢様ですので」
「ふむ。とうとうサラはパラケルススの実験室や資料だけでなく、本人も手に入れてしまったのか」
「私の魔法発現のご祝儀に塔と花園ごと土地をくださったのは祖父様ですが?」
「確かにそうだな」
リヒトは驚いた目でサラを見つめた。
「サラお嬢様、そのような方法で乙女の塔と秘密の花園を手に入れたのですか!?」
「はい。その通りです。中に入ってビックリでした」
「ちなみにあの塔の設備、資料、そして実験素材などを用意するのにかかった費用をご存じでしたか?」
「具体的な費用は知りませんでしたが、中を見た時にとんでもなくお金が掛かっていることは理解できました」
「なのにおねだりされたのですか?」
「もちろんです!」
リヒトは頭を抱えた。
「侯爵閣下、もしかしてあの塔を閉鎖していたのですか?」
「はい。恥ずかしながら、私はあの塔の価値を正しく理解しておりませんでした。父が道楽で湯水のように予算を注ぎ込むことを苦々しく思っており、父が亡くなって侯爵位を継承する際に閉鎖しておりました」
「確かに私が眠りに就く前、侯爵閣下からは嫌われていたように記憶しています」
「大変不徳の致すところです。サラがあの塔を欲しがり、乙女の塔として活動を開始した後に、私はあなたの功績や花園に居る妖精たちの存在を知ったのです」
「なるほど。近寄ることも避けていらっしゃいましたから、知らなくても不思議ではありませんね」
リヒトは少し考え込んだ。
「サラお嬢様が所有されている敷地の範囲内に、研究室を備えた建物を建設しても構いませんか?」
「構いませんよ。では秘密の花園の地下と接続できるよう、花園に隣接している雑木林の辺りにでもしましょう。それと、馬車も必要でしょうから厩舎も少し拡張しましょう」
アダムがため息をついた。
「またサラに持っていかれちゃうんだな」
「アダムがグランチェスター侯爵になる頃には、状況も変わってるかもね。まずはアカデミーの入試頑張るしかないでしょう」
「それもそうだな」
そしてサラはリヒトに向き直った。
「建物の建築費用は、設備や備品も含めてすべて私が負担します。必要だと思うものをすべてリストアップしてください」
「アダム様、どうやら当分の間、雇用主はサラお嬢様と言うことになりそうです」
「そのようですね」