暴走を止められる人
「ふむ。サラお嬢様の暴走の根源を少しだけ垣間見た気がしますね」
サラに向かってリヒトは穏やかに声を掛けた。
「どういう事でしょうか?」
「先程も言ったと思いますが、あなたは転生したという自覚に乏しいのです。やはり記憶を取り戻すのが少し早かったのでしょうね。あなたが目指したい方向性を理解しないわけではありません。ですがこの世界にはこの世界の価値観があり、ルールがあるのです。いきなり覆そうとすれば、必ず反発があります。このままサラお嬢様が思いついたまま暴走を繰り返せば、いつかあなたを愛してくれる人たちを巻き込んで大きな争いを生むことでしょう。おそらく既に火種をそこら中に撒いてしまっているのではありませんか?」
この発言を聞いて、グランチェスター侯爵を始めとするグランチェスターの一族は、リヒトが転生者であることを理解した。驚いたエドワードが言葉を続けた。
「パラケルスス師は、転生者なのですか?」
「おや、事前にサラお嬢様から聞いていらっしゃらなかったのですね。てっきり先に話をしてから私を起こしたのかと思っていました」
「あなたはグランチェスターの血筋の方なのでしょうか?」
「グランチェスター家の身体的特徴はまったく引き継いでおりませんし、何より私は旧オーデルの出身ですから可能性は低いと思います」
「本当にグランチェスターの血筋でなくとも転生者はいるのですね」
「逆に質問なのですが、何故グランチェスターにしか転生者がいないと思われたのでしょう」
瞬間、グランチェスター家の男子は全員が黙り込んで下を向いたが、すっと顔を上げたグランチェスター侯爵が理由を説明した。
「我らの始祖が転生者なのです。始祖は『ゼンセノキオク』によってこの土地を開拓したそうです」
「それは薄々気づいていました。この土地のあちらこちらに、違和感を覚える技術が使われていましたから」
「かつてこの地はアクラ山脈の麓に広がる広大な森の一部でした。始祖は森を切り開き、アクラ河を中心とした土地を豊かな穀倉地帯としたのです。開拓した土地は開拓者であるグランチェスター家の土地となり、我らの所領は広大になりました」
「その肥沃な土地を狙った近隣の領主とも小競り合いをしたことも含め、アヴァロンの歴史を学んだ者にとっては常識でしょう。今と違って500年前は領地戦が普通に行われていましたし、違法でもありませんでしたから」
当時、アヴァロン王室には今ほどの力がなく、領主たちが領土争いをしていても止めることが出来なかったのだ。だが、そうした争いを憂いた王室、王室の血を引く公爵家、そして王室の意に賛同する貴族家によって王権を強化し、国内の争いを少しずつ鎮めていった。
グランチェスター家は元々貧しい伯爵家であったが、開拓によって領地を拡大し、堅牢な砦に守られた城塞都市を築いて外敵からの侵略を防いだ。この城塞都市こそ今のグランチェスター城である。そして、グランチェスター家は、他領からの侵略を防ぐため王室に忠誠を誓って侯爵へと陞爵した。
「ですがこれだけの功績を残しながらも始祖にはあまり強い魔力がなく、あなたのように妖精の恵みを受けることなく世を去りました。始祖は二代目のグランチェスター侯爵となる孫に自分が転生者であることを明かし、『自分以外の転生者がそのうち現れる。その時に自分が転生者だったことを明かして自分の記録を見せて欲しい』と遺言を残しました」
「もしかして、グランチェスターの血筋にのみ、次代の転生者が生まれると考えたのですか?」
「その通りです」
カズヤの孫にあたる二代目のグランチェスター侯爵は、カズヤを神聖視するあまり、カズヤの血筋にしか偉大なる転生者は生まれてこないと考えていた。そのため、次代の転生者には絶対の忠誠を誓うような家訓まで作っている。
『要するに、自分たちは特別な血を持った存在だと勘違いしてたってこと? え、それってかなり痛くない?』
「では、サラお嬢様はその記録を見ているのでしょうか?」
「いえサラにはカズヤの、いえ始祖の走り書き程度のモノしか見せていません」
「理由を伺っても?」
「その…サラはまだ幼いですし、女性ですから領主にもならないだろうと」
「なるほど。そのあたりにサラお嬢様が暴走する原因があるわけですね」
リヒトが困った表情を浮かべるのを見て、ロバートは焦燥感を覚えた。
「パラケルスス師、あなたは父親である私よりもサラを理解しているようですね」
「お気に障ったのであれば謝罪いたします。ただ、同じ世界からの転生者として、サラお嬢様が何に憤りを感じるのかは理解できる気がします」
「教えてください。私たちは何を間違えているのでしょうか」
ロバートは真剣な眼差しでリヒトを見つめた。
「あなた方が間違っているとは思っていません。ただ、価値観というか思考や行動を左右する基準が違うため、サラお嬢様は”理不尽”と感じてしまうのでしょう」
「理不尽…ですか」
「サラお嬢様がかつて生きていた国には、王制はありますが貴族制度は残っていません。王族以外は全員平民です。そして、すべての国民は法の下に平等であり、性別、人種、性的指向、宗教などによる差別は法律違反です。職業選択の自由は法律で認められており、採用する側も性別や性的指向などを理由に採用者を決めることはできません」
「は? でも、女性にはできない職業もたくさんあるだろう? それにか弱い女性を守らない社会はおかしくないか?」
「どうでしょう。確かに男性が多い職場や女性が多い職場というものはありますが、『女性にはできない』と言い切れる職業を私は思いつきません。それに弱い者を守るという思想は理解できますが、弱いのは女性だけではないのではありませんか? 逆に強い女性もいるでしょう」
リヒトはグランチェスター侯爵にも語り掛ける。
「先程、侯爵閣下は『死と隣り合わせの状況において、騎士の理性はそれほど強固ではない』と仰せでした。まったくその通りだと私も思います。だからこそ騎士道によって己を律しているのでしょうね」
「その通りです。だが、戦場には傭兵や平民から徴兵した兵士もおり、彼らに騎士道を押し付けることは難しいのも事実です」
「ですがそれで危険なのは本当に女性だけでしょうか? 私は無駄に長生きをしていますからね、戦場で乱暴された少年兵も沢山見ましたし、ストレスのはけ口として味方に殴り殺される身体の弱い男性も見ましたよ。薬師としてさまざまな戦場に行きましたから、おそらくこの中の誰よりもその凄惨さを知っているのは私でしょう」
「なっ!」
グランチェスター侯爵は言葉を失った。もちろん彼には従軍経験がある。だが、常に指揮官の立場であるため、下々の兵士たちの行動を直接知っているわけではない。ただ、自分の率いる軍隊の誰かが略奪行為に走った、仲間内で喧嘩をした、女性に暴行を働いたといった報告を受け、当人たちの言い分を聞いてから処分をしてきたに過ぎない。
「もちろん、女性の方がリスクが高いことは承知しています。ですが、その上で申し上げることがあるとすれば、軍隊の風紀を制御して士気を高めるのは指揮官の役割であり、女性がいるから風紀が乱れるというのは、指揮官の能力に問題があると言っているようなものです。事実、女性騎士を採用して成功している国もありますから」
「なるほど。パラケルスス師の言う通りかもしれません」
エドワードもリヒトに質問をした。
「しかし、平民だけで国は統治できるのですか?」
「国の制度をすべて説明するのは難しいですが、一番近いのは沿岸連合に多い共和国でしょうか」
「王は君臨しているのですよね?」
「はい。王族は国の象徴でしたが、政治に王族は係わりません。政治は国民から選ばれた代表が行うのです」
「領主はいないのですか?」
「地域ごとに自治が行われていますが、その地域の代表者もやはり国民から選ばれるのです。任期もあり、世襲することはありません」
この説明にエドワードは首を傾げる。
「ですが平民は所詮平民です。農民は作物を育て、職人はモノを作り、商人は商売をする。彼らに統治する能力はないのではありませんか?」
『うわっ、やっぱりエドワード伯父様は貴族至上主義が抜けないなぁ』
「王族や貴族が国を統治できるのは、統治するための知識を持っているからですよね?」
「そうですね。子供のころから高い教育を受けるからでしょうな」
『アダムの現状を知ってて、それを言い切れるエドワード伯父様って、なかなか面の皮が厚いなぁ』
「私たちのいた世界では、すべての国民が満6歳から最低でも9年間、教育を受ける権利を有しており、保護者、国、自治体は子供に教育を受けさせる義務を負うのです。そして多くの国民はそれからも高等教育を受け、専門的な知識を身に付けます。ちなみに、サラお嬢様はどのくらいの期間教育を受けられましたか?」
「私は義務教育が終わった後に、3年の高等教育と4年の専門教育を受けて商会に入り、他国に渡って仕事をしながら、2年間の専門教育も受けました。ちなみに、義務教育の前にも3年ほど幼児教育機関に通い、義務教育や高等教育を受けている期間中にも予備校と呼ばれる私塾に通っていました」
「は? サラ、お前は学者にでもなるつもりだったのか?」
「いえまったくそんなつもりはありませんでしたよ。他国での教育はともかく、教育の期間としては割と一般的ですから」
サラは平然と答えたが、エドワードは混乱していた。なお、グランチェスター侯爵とロバートは以前にも聞いたことがあるので動じなかった。なお、トマスと子供たちは愕然としつつも、サラの能力の高さの理由を納得した。
「まぁ前世が学者なのは私ですね。サラお嬢様と同じように義務教育、高等教育を受けた後、専門教育を6年受けて国家資格を受けました。それからは研究機関でひたすら研究ばかりでしたね。アカデミーで研究を続けている錬金術師や薬師をイメージしてもらうとわかりやすいです。私はグランチェスターの始祖のことを知りませんが、おそらく私たちと同じ国の出身でしょう。この国の灌漑設備などを考えると、土木建築に携わった方だった可能性が高いように思います。おそらく高い教育を受けていたでしょう。グランチェスター城も、初期の建物は驚く程に堅牢ですし」
『カズヤって建築士だったのかなぁ?』
サラはリヒトが自分よりもずっと冷静にグランチェスター領を観察していたことを知った。
「要するにあなたたちがいた世界では、すべての平民がこの世界の貴族でも到底及ばない程の教育を受けているということなのでしょうか?」
「あちらには魔法が無く、おそらく妖精もいないので、一概にこちらよりも高いとは言い切れません。すべての国民が皆優秀な成績と言うわけでもありませんしね。ですが、その気になれば、誰でも政治に参画することは可能だと言えるでしょう」
「な、なるほど」
それだけ言うと、エドワードは押し黙ってしまった。おそらく貴族としての矜持と向き合っているのだろう。
「でもまぁ、あくまでもそれは”制度”の話でしかありません。現実として制度が正しく運用されていると言い切ることができるのかは、とてもアヤシイですね」
「というと?」
押し黙ったままのエドワードに代わり、ロバートが応じた。
「そもそも男女平等を法で定めなければならないくらい、前世の国で女性は差別されていた過去があるということです。本当に男女が平等に扱われる社会なのであれば、法律で縛る必要もありません。わざわざ声を上げて主張しなければならないくらい、誰もが平等な社会を実現することは難しいということなのです。事実、他国にはまだまだ性差別や人種差別が残っていました」
そして改めてリヒトはサラを見つめた。
「サラお嬢様、あなたが女性として生まれて、この世界で何に憤っているのかは理解できます。あなたが突然社会に向かって『元始、女性は実に太陽であった』のような声を上げても応援するでしょう。ですが、強い力で性急に社会の秩序を破壊する事には賛成できません。あなたはもっとこの世界の社会制度や社会秩序を学ぶべきです。あなただって前世で沢山理不尽な目にあったでしょう? 商社にいたなら色々な国を見て、その世界のルールに沿って取引を行ったはずです」
「はい。仰る通りです」
サラは素直に頷いた。
「思いだしてください。異なるイデオロギーが対立した時に何が起こるのか。今のままでは、あなた自身が争いの火種になりかねません。転生者のチートがどれほど恐ろしい事態を招くのか、あなたはもっと自覚すべきです」
この時、グランチェスター家の関係者と乙女たちは全員同じことを考えた。
『この人はサラの暴走を止められる人だ!』