目覚めの珈琲
ベッドの上で身じろぎするリヒトに向かって、サラは言葉を続けた。アヴァロン語で話しかけたのだが、反応がイマイチなので岩に刻まれていた英語で話しかけてみる。
「I made coffee for you. So will you please wake up? (あなたのために珈琲を淹れたわ。だから目を覚ましてくださる?)」
「Thank you so much. By the way, where did you come from? (どうもありがとう。ところで、君はどこから来たの?)」
「What kind of answer are you expecting? You don't want to hear that I'm from somewhere in Grantchester, do you? (どういう答えを期待してるの? グランチェスターのどこから来たかって聞きたいわけじゃないよね?)」
「I'm hoping you'll answer that we're from the same world. I have been waiting for you for a long time. (同じ世界の人だと答えて欲しい。オレはずっと君を待っていたんだ)」
少し掠れたような声ではあるが、普通に英語で会話できるようだ。そのままリヒトはゆっくりと身体を起こし、サラが差し出した珈琲を一口飲む。40年も眠っていたとは思えない程、リヒトの動作には支障が見られない。これも妖精の力によるものなのだろう。
「すげー濃くて美味い。ありがとう。あ、日本語じゃわかんないか」
「わかりますよ。私の前世は日本人ですから」
「どうして英語で話しかけたんだい?」
「岩に英語で珈琲を要求してたから、英語で話しかけないと反応しないのかと思って。たまたま珈琲豆持ってましたけど、こういう要求は資料の方にも書いておいてくださいよ」
「岩のメッセージはジョークだよ。本当に持ってくるとは思ってなかった。あの岩は魔力さえ流せば消えるし、ラテン語のメッセージが正しければオレを起こせるようになってた」
「ちゃんと岩の前で珈琲淹れた私の立場は?」
「うん。なんかいろいろ凄いね。おかげで美味かった」
サラはちょっとだけガックリとした。
「なんでラテン語と英語を使ったんですか?」
「転生者が日本人とは限らないから」
「でもラテン語はやり過ぎじゃないですか? 日本人でも読めない人は普通に居るとおもいますけど。英語で『I think, therefore I am.』じゃ駄目だったんですか?」
「えー、なんかギミックとしてワクワクしないじゃん」
『うわー、面倒臭い人だー』
「ギミックって言えば、茨に囲まれたガラスドームってのも、設定がいろいろ混ざっててオカシイと思いますけどね。リヒトさんって姫だったりします? 王子にキスされたい願望とかあります?」
「あー、それはノリ。長く寝るならコレかなぁって。ちなみにオレの恋愛対象は女性。王子にキスされる趣味はないかな」
「それは残念。BL展開がご希望なら、グランチェスター領に滞在しているロイセンの王太子かアヴァロンの王子に頼み込んであげたのに。今はグランチェスターの狩猟大会が終わったばっかりなのよ」
「君、容赦ないね。まぁプリンセスなギミックがやり過ぎってことは認めるよ」
もちろんリヒトとサラは日本語で会話をしているため、会話の内容は周囲の人間にはまったく通じていない。実に幸いである。
「サラ、その言葉は?」
スコットが不安そうな表情を浮かべて質問してきたため、サラはアヴァロン語でスコットに答えた。
「あぁ、そうかごめんね。これはグランチェスターの始祖が使ってた言葉よ。スコットもグランチェスターの一族なんだから、始祖のことは知ってるでしょ?」
「待って。サラは転生者なの?」
「そうだよ。あれ? スコットには言ってなかったっけ?」
「聞いてないよ!」
『ダ〇ョウ俱楽部か?』
「ごめん。ソフィアの正体と一緒に教えたつもりになってたかも」
「マジかぁ。じゃぁ僕らはサラに従わないといけないわけか」
「あ、そういうのはどうでも良い。単に前世の記憶があるだけだから」
「一応グランチェスターの家訓なんだけど」
「その家訓って本当に必要? 始祖が残したメモって、こっちで食べられない前世の食べ物を恋しがってるだけの駄文だからね?」
「うわ。それは聞きたくなかった」
その様子を見ていたリヒトがニヤニヤとした笑いを浮かべた。
「やっぱりグランチェスターの祖先は転生者だったんだ。そうじゃないかなって薄々思ってたんだよね。変なとこ近代的な設備があるしさ」
「リヒトさんは知らなかったんですか?」
「うーん。ギルは何も言わなかったしねぇ」
「ギル?」
「ギルバート・マディス・グランチェスター ここの領主だろう?」
「先代の領主ですね。今は息子のウィリアムが継いでいます」
「あぁ、あの子が今の領主なのか。オレあの子には嫌われてたんだよなぁ。いつも胡散臭いヤツって感じで睨まれてたし」
リヒトは少し冷めたマグの中身をごくごくと飲み干し、スッキリとした表情でベッドから立ち上がった。
リヒトはスラリと背が高かった。中性的な顔立ちではあるが、さすがに女性と間違われることは無いだろう。トマスと比べても見劣りしないというのはなかなか凄い。今の肉体年齢は20代の半ばくらいだろうか。
「さて、改めて自己紹介するよ。オレはリヒト。パラケルススであり、テオフラストスでもあるけどね」
「リヒトさんが本名ってことであってますか?」
「うーん、オレは捨て子だから親が付けた名前は知らないんだ。名付けられたかどうかもアヤシイしね。だから前世の記憶にある名前をそのまま使ってるんだ」
「リヒトさんって日本人ですよねぇ?」
「うん。オレは桜庭理人って名前の日本人だよ。医師だったけど、45歳で死んでる」
「医師だったんですか。てっきりIT系のエンジニアかと思ってました」
「そっちは趣味のレベルかな。オレ自身も好きだったし、弟は実際にエンジニアだったから、他の人よりはちょっと詳しいってくらい。それに、オレは臨床医じゃなくて研究医だったから、ITは使ってた方だと思う」
「なるほど。それは錬金術師や薬師を名乗るわけだわ」
「だろ?」
「ごめんなさい。勝手にリヒトさんのことを中二病の痛い人だと思ってました」
「うん、ごめん。それは否定できない自分がいる」
数秒間、サラの言葉と動きが静止した。
「えっとね、リヒトさん。45歳の研究医と中二病が上手くリンクしなくて、頭の中がちょっとバグってるんだけど」
「医者に夢持ち過ぎ。結構いるよ?」
「うん、スコットの気持ちが分かった。確かに知りたくないことってあるわ」
その発言を聞いて、リヒトはケタケタと笑い出した。
「そろそろ君らのことも聞かせてよ。凄い人数だけど、君も含めて子供っていうか若い人ばっかりだね」
『350歳から言われたら、大抵の人は若いんじゃ?』
などと考えないことも無いが、一番年上が19歳のトマスであることを考えれば間違いなく若い集団である。
「私はサラ・グランチェスター。あなたが知る先代のグランチェスター侯爵の曾孫にあたります」
そして、アリシアの横に移動して彼女を紹介する。
「この人はアリシア。あなたの曾孫のテオフラストスの娘よ」
「はぁ? あのおチビの娘なのか!?」
「初めまして高祖父様。アリシアです。父はもう45歳になります」
「……オレ、40年くらい寝てた?」
「はい」
「長いような短いような時間だな。普通に考えれば長い眠りなんだろうけど、オレを起こせる人がそんなに簡単に現れるとも思ってなかったからね」
そしてリヒトは他のメンバーに目を遣った。
「あちらのお嬢さんは、薬師のアメリア。ここで働いているの」
「ここ?」
「あぁ、リヒトさんが寝ている間に領主が代替わりしたせいで、リヒトさんとグランチェスターの雇用契約は終わっています。というか、普通これだけ職場放棄したらクビですよね。だから、リヒトさんが使ってた実験室のある塔を現在所有しているのは私で、彼女たちは私に雇われているんです。今ここにはいないけど、鍛冶師のテレサも私たちの仲間なんですよ」
「オレが寝てる間に、アカデミーや鍛冶ギルドの方針が変わったの? オレも前から女性を受け入れるべきだって主張してたんだけど、まったく聞く耳持ってくれなかったんだよ」
「残念ながら、今でも女性は入れないままです。そういう意味では”自称”になりますね」
「ははは。じゃぁオレの仲間だ。よろしくね」
「「よろしくお願いします」」
アリシアとアメリアは緊張しつつも挨拶を返した。
「それと、あちらの少年二人はグランチェスターの一族の子供で、スコットとブレイズ、その隣にいるのは家庭教師のトマス先生です」
「スコット・グランチェスターと申します。ギルバートの曾孫になります」
「弟のブレイズ・グランチェスターです」
「トマス・タイラーと申します」
三人をじーっと見つめたリヒトは、ボソリと日本語で呟いた。
「なんか三人とも、めちゃくちゃイケメンなんだけど、どういうこと? 逆ハー?」
「ただの偶然です。容姿ならリヒトさんも負けてませんよ」
「でも、みんなサラちゃんのこと好きだよね?」
「なんでわかるんですか! じゃなくて、いまのところ8歳なので特定のお相手を作るつもりはありません。それと、ちゃん付けはやめてください。サラでいいです」
「んじゃオレもリヒトでいいよ。けどさ、見た目8歳でも中身は違うでしょ?」
「私の前世は商社勤務の女性でした。享年は33歳です」
「独身だった?」
「過去に付き合った人は何人か居ますが、死んだときは彼氏いなかったですね。独身のまま死にました。お一人様でマンションまで買ってましたけど、何か文句あります?」
「イエ、アリマセン」
なんとなくこれ以上触れるのは危険だということを、リヒトは肌で感じ取った。
そして、目の前で聞いたことも無い国の言葉で会話する二人を、男性陣は不思議そうに見守っていた。
「あぁ、ごめん。寝起きでボケてたみたいだ。アヴァロン語で話すね」
「いえ、大丈夫です。偉大なるパラケルスス師ですから、古代語でお話されても驚きません」
「トマス君はオレの書いた古代語の本を読んだのかな?」
「はい。もちろんです」
「本当はアレ改版したいんだよね。書いた後に解明できたことも一杯あるからさぁ、間違ってるとこ訂正したり、追記したりしたい」
『ほほう』
サラの商売魂に火が着いた。
「改版というか書き起こしの方がいいんじゃないですか? 今の古代語の書籍って、近所のおじいちゃんの功績なんですよねぇ? 自称錬金術師の弟子のじゃなくて」
「確かにそうだね。かなり前のことだからオレらを混同してる人も多いけどね。オレも敢えて否定しなかったし」
「まぁ妖精との友愛を結んでる方が本物って思われそうですよね」
「実際のとこ、パラケルススの本物ってオレのことだよね。確かに名前は借りたけど、今残ってるパラケルススの資料って全部オレのでしょ」
「スタート地点が間違ってるんですから、やり直した方が良いと思いますけどね。書き起こすなら、うちの商会から出版して販売しますよ?」
「どういうこと?」
「私は商会を経営してるんですよ」
「その歳で? あぁそうか。商社出身って言ってたね。専門分野は?」
「うちは若いうちはいろいろ経験させてもらえるんですよ。繊維と食品が多くて、最後の取引はワインでしたね。自分用にもちょっと高いヤツをお土産にしたのに、飲めなかったのが心残りです」
「酒呑みだったのか。オレ前世では下戸だったんだよね。こっちではガンガン飲んでも大丈夫な身体になったけど」
「私はこっちに転生してから8年しか経ってないんで、まだ飲めないんです。強いか弱いかもわかりません」
「子供が成人するのはあっという間だよ。そっから先の方がずっと長い」
「リヒトが言うと説得力ありますねぇ。実は私も時間を司る妖精とお友達なんです」
「それはとてつもなく長いな」
リヒトは遠い目をしつつ、アルカイックスマイルとしか呼べないような微笑みを浮かべた。
『あぁ、この人と私では、生きてる長さがあまりにも違うんだわ』
サラは自分では経験したことのない350年という長さを、一瞬だけ垣間見た気がした。