ブレイズは何かに目覚める
『あら、アカデミーの教授たちは更迭されたのね』
昨夜出した抗議の手紙は即座にアンドリュー王子の目に留まり、彼は迅速に行動を開始したらしい。アンドリュー王子はアカデミー関係者たちの行動を止められなかったことを陳謝し、この後は厳正に処分を下すことを明記した直筆の手紙を送ってきた。
朝食の前に報せを受けたサラは、アンドリュー王子からの手紙を読んだ。
マッケラン教授を始めとするアカデミー関係者は、護衛騎士や使用人も含めて全員がその場で地位と権利を剥奪されたらしい。さらにアンドリュー王子はグランチェスター騎士団に依頼し、昨夜のうちにアカデミー関係者全員を護送用の馬車に乗せて王都に送り返している。
『アンドリュー王子はやると決めたら苛烈ね。そこまでして欲しいと思ったわけではなかったのだけど』
乙女の塔を襲撃したのは20名程だったが、護送されたのは40名近い人数であることから、アンドリュー王子は容赦なく関係者全員を処分したことになる。
王都が近づくほどに街道には人が溢れてくる。地位の高い教授たちは貴族用の護送馬車を使っているだろうが、護衛騎士や使用人などは普通の罪人を護送する馬車に乗せられているに違いない。
こうした護送馬車は鉄格子で作られ、用を足す設備すらない。外からも中の様子を窺い知ることができるため、護送されている彼らの姿は家族や知り合いにも目撃されることになるだろう。
アカデミーの研究者、騎士、あるいは社会的地位の高い人物の使用人として、それなりの暮らしを送っていたはずの彼らにとっては理不尽極まりない処遇である。しかも、彼らをこのような目に合わせた張本人たちは、貴族用の馬車に乗せられ、衆人環視に晒されることもないのだ。
もちろん、彼らも自分たちの罪状は理解していた。大の男が大挙して若い女性しか住んでいない施設を襲撃したことは紛れもない事実である。だが、雇用主であるアカデミーの教授に指示されれば、否と言い切れる人物がどれだけいるだろうか。
実は護送馬車の中には、マッケラン教授を諫めるような発言をしたため不興を買い、宿舎で大人しく待機していた研究者もいた。彼は若いが優秀な錬金術師として将来を嘱望されており、乙女の塔を訪ねるメンバーに選ばれたときには、純粋にアリスト師と議論できると胸を高鳴らせていた。実に気の毒な話である。
とはいえ王室の体面に傷をつけたとなれば、明確に責を問わねばならないことも事実ではある。アンドリュー王子が表沙汰にすると決めた以上、全員を護送するという決断は間違ってはいないだろう。
『王都では公平な裁判が行われるといいのだけど…』
そこでサラははたと気づいた。
『あれ、これって私は証人として裁判に召喚される流れ?』
公平な裁判を望むのであれば、どう考えても王都行きは不可避である。おそらくアリシアも同様だろう。サラは開き直った。
『王都行きが不可避なら十分な準備をしておくべきよね。そう考えればパラケルススさんには会っておくべきなんだろうけど……』
などとつらつら考えているうちに朝食の時間となったため、サラはマリアを伴ってテラスに設けられた朝食のテーブルに向かった。
テラスには既にスコットとブレイズが着席しており、サラダをフォークでつついていた。実は二人ともあまり生野菜が好きではないため、お世辞にも食が進んでいるとは言い難い状況であった。
「あなたたち、また朝から好き嫌いしてるみたいね」
「別に好き嫌いしてるわけじゃないよ。僕はあまり食欲がないだけで」
「オレもそうなんだよね」
「あら残念。この後はふんわりオムレツが出るってマリアから聞いたわよ」
「「えっ!?」」
「私はこの邸の料理人が作るオムレツが大好きなの。本邸のオムレツより美味しいって断言するわ」
「なんか急に食欲でてきたかもしれない」
「うん、オレも!」
二人はサラダをすごい勢いで口の中に放り込み、あまり咀嚼することなく飲み込んだ。
「あなたたち、行儀悪すぎよ。サラダくらい普通に食べられるようになりなさいよ」
「ははは。サラはまるでこいつらの母親みたいだな」
突然ジェフリーの声が聞こえてきた。どうやら朝の鍛錬から戻ったばかりらしく、庭の方からテラスに入ってきた。
「おはようございます。ジェフリー卿。私が母親ってことは、夫は彼らの父親であるジェフリー卿ってことですよね?」
「まぁそういうことになるのかねぇ。まぁこいつらが不甲斐ないんだからしょうがない」
「父上、不甲斐ないとは失礼じゃないですか!」
スコットが憤慨して父親に抗議をしたが、ジェフリーは息子の言うことなどどこ吹く風といった様子で静かにテーブルに着いた。
「だってお前ら、サラに行儀が悪いって指摘されてたじゃないか。騎士にとって身体は資本だ。好き嫌いせずに黙って食べろ」
「はい」
「ブレイズ、お前もだ。お前が将来騎士になるのか魔法使いになるのか、あるいは他の道を選ぶのかは知らないが、何をやるにも身体は大事だ。そもそも傭兵団にいた頃は、まともに飯も食えずに痩せてただろう? 食事の大切さは理解してると思ってたんだがな」
「でも、あそこでは生野菜なんか食べなかったから…」
ぼそぼそと小さな声でブレイズは言い訳をした。それを見たサラもブレイズに話しかける。
「あのね、ブレイズ。生で食べられる野菜ってすごく貴重なの。特に葉物野菜は日持ちしないから、収穫したらすぐに食べないといけないしね。この野菜たちは、この邸の温室で特別に栽培されていて、普通の平民たちが食べられるような物じゃないのよ。お金も手間暇もかけてあなたたちに野菜を食べて欲しいって思ってるジェフリー卿の気持ちをちゃんと汲んであげて欲しいわ」
とはいえ、この世界のサラダは塩とオリーブオイルを掛けるだけなので、苦手だと思う子供の気持ちも理解できないことはない。
サラはマリアに『オリーブオイル』『エルマビネガー』『塩』『砂糖』を持ってくるように指示した。次にポチを呼んで、『黒胡椒』『マスタードシード』を用意する。
その様子をワクワクしながら子供たちが見守っている。見れば、ジェフリーも興味津々といった表情であった。
サラはマスタードシードに魔法で少し水を含ませてから潰し、エルマビネガーと塩と砂糖を加えて粒マスタードを作った。次にオリーブオイル、エルマビネガー、塩にちょっぴりマスタードを加え、乳化するまで魔法で盛大に撹拌する。
出来上がったのはヴィネグレットソースのようなドレッシングだ。魔法を使えば即席でドレッシングを作るのも簡単である。目分量で適当に混ぜているが、更紗の頃はブレンダーを駆使して自作のドレッシングを作ることも多かったので、大きく外れることはないだろう。
「うーん。魔法って生活に密着してるなぁ」
「いや、そんな風に使うのはサラだけだと思うけど」
「まぁ細かいことは気にせず、これをサラダに掛けてみてよ」
「うーん」
スコットは訝し気にサラが作り出したドロッとした液体を生野菜に掛け、恐る恐る口に入れた。
「うまっ! サラ、これ凄い美味しいよ!」
その様子を見て、ジェフリーとブレイズもドレッシングをサラダに掛けて食べ始める。当然のことながら、あっという間にサラダは綺麗に食べつくされた。
「あ、ここに粒マスタードが残っていますが、これ茹でた腸詰に乗せて食べると凄く美味しいですよ」
「おい。誰かこの前作った猪の腸詰を茹でてもってこい!」
ジェフリーが叫ぶと、心得たように使用人たちが調理場に向かった。
暫くして調理場から茹でた腸詰と人数分のオムレツが運ばれてくると、三人の男性は黙々と食べ始めた。そして、サラがオムレツを半分程食べた頃には、既にテーブルの上に山ほどあった腸詰は男性陣の胃袋に収まっており、皿の上にあったオムレツも綺麗に平らげられていた。
「サラ、ヤバいぞこれは。朝だっていうのにエールが飲みたくなる」
「えーっと…食べ過ぎは良くないと思います。その腸詰って結構塩を使ってるんで。と言うかですね、作った粒マスタードを全部消費しましたね?」
「おう、食べた。アレってなんだ?」
「マスタード、あるいはカラシナと呼ばれる植物の種子を使ったスパイスです。今回使ったのは比較的辛さが優しい種類ですが、もっと辛味を感じる種類もあります」
「あー、聞いたことあるぞ。沿岸あたりで使われるスパイスだな」
「そうです。栽培自体は難しくないのですが、連作被害が出やすいので他の作物と合わせて栽培計画をしっかり立てる必要がある植物です。あ、ちなみに花は可愛いので私は大好きです」
『うーん。やっぱり次に狙うのは香辛料だよねぇ。そうなると、沿岸連合の商人との取引が必須になるかぁ』
「ねぇ、サラ。オレも作れるようになりたいんだけど、魔法の使い方教えてくれないか?」
「いいけど、使う属性は水と風ね。水属性はマスタードシードに加水するのに使うだけじゃなくて、風属性の魔法で撹拌してるときにも周りに飛び散らないよう、薄い氷の膜を作ってる。意外と細かい制御いるけど大丈夫?」
「練習してみるよ」
かくして、かつて偉大なる魔法使いと称されたオーデル王家の末裔であり、全属性の魔法使いでもあるブレイズは、生野菜を美味しく食べるために繊細な魔法制御を覚えることになった。
なお、彼が自由自在にブレンダーとしての役割を果たせるようになるまで、約2週間の練習が必要になることを、この時のブレイズはまだ知らない。
頑張れブレイズ。そこまで行けば、マヨネーズもスムージーも自由自在だ!
……魔道具作ったほうが早そうな気がしてきた。