怒ると容赦がない
「ねぇ、もしパラケルススに会えるとしたら、アリシアは会いたいと思う?」
この質問に対する答えは即座に返ってきた。
「もちろん会ってみたいわよ。質問したいことは山程あるもの。うちの家族にとってパラケルススは誇りだしね」
「偉大な祖先ってこと?」
「うーん。祖先だからっていうより、身内に偉大な錬金術師がいるってことが嬉しいって感じかなぁ。会ったこともない人だしね」
他の人とは距離があるため、アリシアの口調も先程よりくだけたものになっている。
「でもさ、奥さんと子供を残して自分から姿を消したわけでしょう? そういうことをあなたの一族は複雑な気持ちにならないの?」
「あぁ、そういうことか。そんなこと咎める者はシルヴィアを含めて誰もいないわよ」
「そうなの?」
「詳しくはシルヴィアに直接聞いた方がいいかも。話好きだから、きっとサラにもおしえてくれるはずよ。一族の秘密のはずだけど、結構いろんな人に話してるから」
「なんか、怖い秘密って気がするんだけど…」
「あははは。確かに女って怖いって思うかもしれない」
『な、なに? どんな秘密があるっていうの!?』
「誰でもわかるくらい、簡単な情報をひとつだけ先に教えておくね」
「え、いきなり!?」
「私の父は45歳ですが、パラケルススの曾孫です」
「ええ、知っているわ」
「本人はあまり言いたがらないけど、シルヴィアは今年で82歳になるわ」
「え、ちょっと待って。テオフラストスさんが生まれた時、シルヴィアさんは37歳じゃない。なのに曾孫? もしかして、シルヴィアさんとテオフラストスさんって、血は繋がってないの?」
「単純な計算問題だからすぐにわかるよね。そのあたりも含めて、彼女からじっくり話を聞いてみるといいよ」
どうやらパラケルススには、資料だけではわからない深い事情があるようだ。これは実際に当事者から話を聞いた方が良いのかもしれない。
「アリシア、申し訳ないんだけど、シルヴィアさんのアポイントメントを取ってもらえない?」
「わかったわ。多分すぐに回答が来るはずよ。でも、サラがそんなことを聞くってことは、パラケルススの消息がわかったってことなのかしら?」
「隠しても仕方ないから言うけど、その通り。彼はぐっすり眠ってるらしいわ」
「なにそれ、おじいちゃんの居眠り?」
「随分と長い居眠りだけどね」
「叩き起こしちゃっていいの?」
「起こし方は書いてあったから大丈夫じゃないかなぁ」
「ビックリして心臓止まったりしない?」
「起こすときは一緒に行こうか。アリシアが『おじいちゃん!』とか呼んだら、かなり面白いことになりそう」
二人は目を見合わせてくすくすと笑い出した。
「でもパラケルススは妖精の恵みを受けてるから、外見はサラみたいに年齢不詳だと思う。見た目は全然おじいちゃんじゃないかも」
「その言い方だと、私が歳を誤魔化してるみたいじゃない!」
「まるで誤魔化してないみたいな言い草ね。ソフィアに焦がれてる沢山の男性たちに教えてあげたいわ」
「みんな見た目に騙され過ぎなのよ。それに私はソフィアの年齢は公開してないわ」
「ほら、認めた!」
だが、さすがに認めないわけにはいかないだろう。年齢不詳なのは事実である。
「あとね、パラケルススって美形だったらしいわよ」
「それはアリシアを見れば納得できる」
「褒められてるとは思うけど、超絶美少女で将来は美女確定のサラに言われてもなぁ」
などと言っているアリシアも、サラとは方向性の違う可愛い系の美少女である。
『アイドル系って感じかなぁ? モテそうなのに、彼氏いるようには見えないなぁ』
テレサやアメリアと違って、アリシアには特定の男性の影は見えない。
「ねぇアリシアって恋人はいないの?」
「いままで誰ともつきあったことないですね」
「でも錬金術師ギルドにも若い男性はいっぱいいるでしょう?」
「あー、若い錬金術師はほぼ全滅ね。私がギルド長の娘だからなのかもしれないけど、新人の錬金術師がグランチェスターに来ると私に向かって自分の論文とか成果を自慢しに来る人が多いんだよね。中にはアリストだったことを知ってる人もいるわけ」
「ありそうな話よね。テオフラストスさんに覚えてもらいやすそうだし」
「でもね、私が相手の論文とか資料を読んで質問すると大半は引いちゃうんだよ。そのうち『女の子なんだし錬金術よりも料理とか頑張ったほうがいいよ』とか言うわけ。錬金術師として話しかけてきたくせに、大きなお世話だと思わない?」
「あー、そういうことかぁ」
「どういうこと?」
「アリシアが頭良すぎて、プライドがポッキリ折られたってことでしょ」
「でも、ソフィアは頭良くてもモテモテよね?」
「それって9割くらいは容姿とお金に惹かれてると思うんだよね」
「仮にそうだとして、なんで料理の上手な方が良いって言うのかなぁ」
「そりゃぁ食事は人が生きて行く上で不可欠だもの。美味しい物作れる人が奥さんになったら、毎日おいしいもの食べられるでしょ」
アリシアが首を傾げた。
「それが目的なら、料理が上手であれば誰でも良いみたい」
「人が人を好きになるのは一つだけの要素じゃないでしょう?」
「料理上手ってタダのスキルですよねぇ?」
「そんなこと言ったら、美人が好きっていうのも面の皮一枚だけの話よ。好きになるきっかけにはなるかもしれないけど、それだけで自分のパートナーは選ばないわ」
「難しいなぁ。私にはパートナーなんていないのかも」
「わからないわよ。すっごい熱烈な恋に落ちるかもしれないじゃない?」
「全然想像できない! だってね、私はトマス先生の顔を見ても全然ときめかないのよ。確かに綺麗な顔だなって思うけど、それよりも彼の書いた教科書の方が凄いって思っちゃう。王都の女性はみんな彼にときめいてたって聞いたけど、私は全然違うみたい」
すると、突然横から声が掛かった。
「私は顔よりも教科書を評価してもらえる方が嬉しいですけどね」
「うわぁぁぁ。トマス先生いらしてたんですか!?」
どうやらサラとアリシアは話に夢中になるあまり、トマスの到着に気付いていなかったらしい。
「すみません、立ち聞きするつもりはなかったのですが」
トマスが困ったような顔を浮かべた。
「勝手に話題にしたのはこちらですからお気になさらず。それより今日のトマス先生は貴族っぽいですね」
「身分的には貴族ではないのですが、今日は祖父との茶会でしたので」
「タイラー子爵はいつ頃グランチェスターをお発ちになるのですか?」
「明日だそうです」
「トマス先生と離れるのを寂しがっていらっしゃるのでは?」
「そうですね。少し引き留められました」
トマスは苦笑せずにはいられない。確かに祖父に引き留められたのは事実だが、それ以上に母親が結婚相手をしきりに勧めてくるのを断るのに苦労したのだ。だが、そのことをこの場で口にするのは、少しばかり憚られた。
「私も親元を離れるときには、随分と父に引き留められました」
「アリシアさんは女性ですから、テオフラストス師もご心配だったのでしょう」
「結果としては自宅より安全でしたけどね。実家に居たままだったら、怖いことになってたかもしれません」
「話は伺っています。アカデミーからマッケラン教授たちが訪ねていらしたそうですね」
それを聞いたサラは、少し強い口調でトマスに指摘した。
「あれは訪ねてきたというより、強引に押し入ろうとしたと言うべきです。ゴーレムを攻撃した上に、持ち帰ろうとしたんですから」
「そこまでされたのですか? アインズ教授とヒル教授もご一緒だったと伺いましたが」
「はい。武装している護衛騎士も含めると20名程が乙女の塔に押し掛け、ゴーレムに魔法を放ったり、武器で物理的に攻撃したりしています」
「なんと非道な。私が祖父から聞いた話では、アカデミー関係者が乙女の塔に来たものの、女性しかいないため立ち入りを断られたという話だけでした」
「この件はアンドリュー王子の顔を立てて、こちらからは窃盗や器物破損で訴えることはしないことにしたのですが、話を捻じ曲げられるのは納得いきませんね」
トマスは近くにあった椅子に座り、落ち着いた口調で話し始めた。
「おそらく、貴族に話を流したのはアカデミー関係者でしょう。こちらから訴えない確約があるのですから、女性ばかりで遠慮したという話をでっち上げて責任追及を逃れようとしているのでしょうね」
「アンドリュー王子は把握されていない可能性がありますか?」
「それはわかりません。ですが、そのような噂を王室が意図的に流したと思われることは避けるような気はします。グランチェスターを敵に回したくはありませんから」
「仮にそうだとしても、王室には筋を通していただきたいですね。あのような愚行を繰り返されては困りますから」
「複式簿記をベースにした会計の書籍がもうじき出版されますから、そうなれば私のところに問い合わせが殺到しそうです。おそらくアカデミー関係者もきますね」
サラはため息をついた。
「ありそうな話ですね。ですが、アリシアの錬金術と違って、複式簿記の方は積極的に広めたいんです。他領や他の商会も積極的に使って欲しいと思っています」
「商会のことはわかりませんが、少なくともグランチェスターの文官たちは価値を正しく理解していると思いますよ」
「そういえば先日、グランチェスターの文官の方々と飲みに行く機会があったのですが、国や領の会計には複式簿記を導入すべきだし、行政書類は様式を統一すべきだという話で盛り上がりました」
「よくそんな話題で飲めますね」
「文官なら誰でも苦労する話ですから。なんならベテランの先輩方も、昔の苦労話で盛り上がること請け合いです」
『一気に前世の居酒屋トークみたいになったわね』
「まぁそれはともかく、アカデミーの関係者にはちゃんと学習していただきたいですね」
「それは重要ですね」
その夜、部屋に戻ったサラはアンドリュー王子に宛てて手紙を認めた。貴族たちの間に流れているアカデミー関係者の噂を聞いて、サラをはじめとする乙女たちは非常に不愉快な気持ちになっていると抗議する内容である。
この手紙を読んだアンドリュー王子は慌てて噂の内容と出処を確認したところ、噂を流したのはマッケラン教授の親戚にあたる男爵であることが判明した。詳しい事情は知らなかったものの、当事者であるマッケラン教授本人自身が語っていたため、話を真に受けて他の貴族の前でも話題にしたのだという。
今回の問題を重く受け止めたアンドリュー王子は、即座にマッケラン教授を始めとする錬金術科の教授陣をまとめて更迭することを決定した。
「余計な小細工などしなければ、もう少し穏やかに引退させてやったものを…」
アンドリュー王子は怒ると容赦がない性格のようである。