私も欲しい
本日、レベッカはガヴァネスをお休みしている。狩猟大会そのものは終了しているが、まだ大勢の客人が滞在中であることから、婚約して既に主催者側の立場であるレベッカには仕事が山のようにあるのだ。おそらく今も帰路につく貴族家のお見送りをしていることだろう。
なお、トマスも午前中は休みを取っていた。トマスの祖父であるタイラー子爵も狩猟大会に参加していたため、『帰領する前に孫の顔を見たい』と言われたのだ。
主要な教師2名が抜けた穴を埋めるのはコーデリアとジェインであるが、アダムの個別授業にコーデリアの時間がかなり割かれてしまうため、本日はアリシアとアメリアも特別講師として参加する予定になっている。
コーデリアが乙女の塔に到着すると、荷馬車に積んであった複数の木箱をゴーレムが運んで来るのが見えた。最初はコーデリア自身が自分で運ぼうとしていたのだが、護衛のゴーレムが慌てて近づいてきてコーデリアを手伝った。
「おはようございます。サラお嬢様、スコットさん、ブレイズさん」
「おはようございます。コーデリア先生。なんだか凄い荷物ですけどそれは?」
視界の先では、ゴーレムがゴーレムに荷物を受け渡しているのが見えた。外で働く護衛ゴーレムは身体が大きいので、玄関付近に居た室内用の小さいゴーレムにバトンタッチしたのである。
『なんだろう…物流倉庫のロボットみたいな連携だな』
「あぁアダム様の教材用に持ってきました。これを他の教師の方にも見ていただいて、初等教育に使う教材のアイデアも欲しかったですし」
箱の中には、さまざまな木製の玩具のようなものが入っていた。
『え、さすがにアダムでも、これは幼児用過ぎない?』
視線と表情で考えていることが伝わったのか、コーデリアが苦笑した。
「この辺りはただの玩具ですが、知育玩具としても優秀なので、商会で取り扱ってもらえないか、相談したかったのです」
「あぁ、なるほど」
コーデリアが箱の底の方をゴソゴソして出てきたのは、山のような『紙の束』であった。紐で綴じてあるため、本のようにも見える。
「これは私が教え子たちのために書いた物語なのです。同じ絵本ばかりだと飽きてしまうので」
「では、これはコーデリア先生のオリジナルなのですか?」
「大した物ではありません。読み書きを覚えさせるため、子供たちの興味を惹きそうな題材で文章を書いただけですから」
サラはこれらの本を手に取って、パラパラと読み始めた。冒頭部分をちょっと読んだだけでも、冒険活劇っぽい物が多くて面白い。
「コーデリア先生は、作家になるべきなのでは?」
「大袈裟ですわ。それに、私は教師が楽しくて仕方がないのです」
「この原稿、書籍にしても良いですか? 絵本になったら学校や集落に100冊ずつ寄付することをお約束します。もちろんコーデリア先生には、売上から印税をお支払いします」
「このように拙い内容で良ければいくらでもどうぞ。しっかりした絵本にしていただけるのであれば、教材としても使いやすいですから寄付も大歓迎ですし。できれば大きな文字でお願いしますね」
20冊分ほどの原稿が、その場で箱から取り出された。これはあくまでもアダムのレベルに合わせた内容だということで、もっと小さい子向けの絵本などは、もっと沢山あるらしい。サラはすべての原稿を確認させてもらう約束をとりつけ、メモを取った。
「読み書きはともかく、数学は最終的にはトマス先生にお任せできるようにすべきです。とはいえ、現状ではトマス先生の授業を理解するための基礎教育も足りていませんので、そのあたりは急いで私が教えます」
「そうですね試験期間を考えるとあまり時間がありませんから。掛け算の早見表を用意しましょうか? 本邸で勉強している時にはブレイズ用にトマス先生が用意したのですが、早々にいらなくなってしまったので、こちらに持ち込まなかったのです」
「ブレイズさんの優秀さが伝わるエピソードですね。では、お願いできますか?」
「お任せください。次の授業までに用意しておきますわ」
『ここまで熱心だと、箸にも棒にも掛からない成績でも合格できそうとは言い難いなぁ。まぁ成績は上がったほうがアカデミーの人たちの良心も痛まないだろうけどさ』
などとサラは結構酷いことを考えていた。もちろんアダムが本来の合格レベルにまで到達できることを祈ってはいるものの、元があまりにも酷いため、今一つアダムを信じ切れないのだ。
だが、サラが思考の底に沈む寸前、玄関に小侯爵夫妻の子供たちとジェインが到着した。
「おはようございます!」
元気な声で挨拶しながら、アダムは慕わし気にコーデリアに近づいた。
だが、クロエとクリストファーはぐったりしているように見えた。
「クロエ、クリス、どうかしたの? なんか元気無さそうだけど」
「アダムの自習に付き合わされたのよ」
「何をそんなに頑張ったの?」
「ひたすら詩作よ。アダムのあの調子の詩をずっと聞かされるし、感想を求められるし…もう最悪よ」
「な、なるほど」
『あの演歌みたいな詩をずっと聞かされるのか、それはなんとも気の毒な話だ』
だがアダムは嬉しそうに詩を書き付けた紙を、コーデリアに手渡していた。受け取った側のコーデリアも満面の笑みだ。
「でも、アダムは随分変わったわね」
「そうね。あんなに熱心で嬉しそうなお兄様は初めてみるわ」
「いいことなんじゃないの?」
「多分そうなんだけどさ、サラもあの詩作の勉強に付きあわされたら僕らの気持ちがわかると思うよ」
「ごめん。遠慮するわ」
教室に移動すると、教師陣から今日の授業について説明を受けた。
「本日はレベッカ先生とトマス先生がお休みのため、午前中はジェイン先生に歴史の授業をお願いしています。アダムさんは別カリキュラムなので、私がご一緒いたします。午後はアリシアさんとアメリアさんによる、魔法陣のお勉強をいたしましょう。アカデミーの入試には直接関係しない内容ではあるのですが、ソフィア商会の新製品にも多くの魔道具があります。おそらくグランチェスターの新しい産業になると思いますので、グランチェスター家の皆さんには、魔道具が動く仕組みを理解していただいたほうが良いと判断いたしました」
「面白そう!」
コーデリアの説明にクロエが目をキラキラと輝かせた。
「クロエってそういうの好きなの?」
「今までは気にしたこと無かったけど、魔石と治癒魔法の魔法陣をサラから貰ってから興味が出てきちゃったの。魔力はあるんだし、このまま魔法が発現しなくても、自分で魔法陣が描ければ魔法が使えるでしょう?」
「媒体になる魔石はどうするんだい?」
クロエの発言にクリストファーが突っ込んだ。すると、そのやり取りを見ていたアリシアが答えた。
「魔石が無くても、魔力を流せば発動できる魔法陣もありますよ。そういう事も含めてお勉強しましょう。魔力枯渇で保有できる魔力量が増えることは知られていますが、積極的に魔力を流すことで、魔法を発現する際の魔力効率も上がります」
「それは、同じ魔法でも少ない魔力で発動できるということですか?」
サラがアリシアに質問すると、アリシアはニッコリと微笑んで答えた。
「その通りですサラお嬢様。それに魔法を発現している方にとっては、魔法の制御能力にも影響するので、きちんとお勉強しておく方が良いですよ?」
「確かに、大きな魔力を制御できないのは危険ですよね」
つい先日、とんでもない威力の魔力暴走を体験したばかりなので、サラは実感として納得した。
ジェイン先生の歴史の授業は、淡々と年号を覚えさせるような物ではなく、その時々でどんな事件が起きたのかをドラマティックに教える愉快な内容であった。歴史の出来事を題材にした物語や詩なども紹介してくれるため、単に歴史だけでなく文学的な素養も一緒に深まりそうであった。
『ヤバい、この授業面白い! 歴女の血が騒ぐわっ』
だが、比較的知能指数の高そうなクリストファーの弱点がここで明らかになった。歴史上の出来事や人物の名前を覚えるのは問題ないのだが、致命的に地理が苦手だったのだ。
「クリスは周辺の国の位置関係を理解してなかったりする?」
「あんまり得意じゃないかも」
「あらら、それはちょっと問題かもしれないね」
もっとも、この世界の地図はそれほど精度の高いものではないので、ざっくりとした位置しか理解していない人は意外と多い。平民の中にはまともに地図を見たことが無い人もいるくらいだ。
「じゃぁ、後で地理の勉強に役立ちそうな本をゴーレムに教えて貰いましょうか」
「何でゴーレム?」
「彼らはすべての本を記憶してるから」
「えっ!?」
サラは歴史の授業が終わったタイミングで教室の外に出て、ゴーレムを一体呼んだ。
「ねぇ、地理の勉強に役立つ本を選んで欲しいの。それとできるだけ正確な地図が欲しいのだけど」
「誰がお読みになるのですか?」
「クリスよ」
するとゴーレムは筆記用具と紙が置かれている机に近づき、さらさらと数冊の本のタイトルを書き出した。
「クリストファー様でしたら、本邸にあるこちらの本をお読みになることをおすすめします。こちらにも置かれている本ですので、今すぐお読みになることも可能です。お持ちしますか?」
「いいえ、今は大丈夫。クリスも戻ってからでいいでしょう?」
「そ、そうだね」
「承知しました。地図ですが、現状で最も精度の高いものをお求めでしたら、マギに描かせた方が良いと思います。いくつかの地図を取り込んでいますが、それらよりも精度の高いものが描けるでしょう。それでもマギは非常に不満であるらしく、測量用ゴーレムの作成と稼働を希望しております」
「そこまで言うならドローン作った方がいいんじゃないの?」
「作れるなら是非!」
ゴーレムがノリノリで返事をするとは思わなかったサラは、その反応に驚いた。どうやらマギは地図にかなりの不満を持っているようだ。
だが、そのやり取りを見ていたクリストファーは、口をあんぐりと開けて驚いていた。
「ゴーレムが高性能だってことは知ってたつもりだけど、ここまで凄いの? 僕なんかよりずっと賢いんじゃ」
「本から読み取れる知識っていう意味なら、私よりもずっと知識の量は多いわ。だけど、賢いというのはそれだけで決まることではないと思う」
するとスコットとブレイズがボソボソと話し始めた。
「なぁ、僕らがアカデミーに入学したら、トマス先生は乙女の塔で司書になりたいんだろ? このままだとゴーレムには勝てないよな」
「力仕事の面でもゴーレムの方が優秀だよね。別に司書じゃなくても、本を読むだけなら通えばいいだけだし」
二人の会話は、トマスが希望している将来に少しだけ影を落とす内容であった。確かに司書としてはゴーレムの方が優秀かもしれない。
そこにクロエが近づいてきた。
「ねぇサラ、私もゴーレムが一体欲しいんだけど」
「何に使うの?」
「侍女やメイドと一緒に働かせたいわ。物忘れすることはないし、裏切らないもの。それに戦闘能力もありそうだから、護衛にもなるんでしょう?」
「中に入ってる魔石だけで王都の一等地に貴族家の邸を新築できるくらいのお値段だけどクロエ払える?」
「それは無理だわ」
クロエは残念そうにため息をついた。
「だったらアリシアの授業をちゃんと受けるといいよ。もしかしたら、いつか自分でゴーレム作れるかもしれないわ」
「魔石が無理だと思う」
「そこも含めて、解決策を見つけられるかもよ?」
「でも、私はアカデミーで勉強できるわけじゃないわ」
「アリシアだってアカデミーは通ってないわ。当然でしょう?」
「確かにそうね。でも、彼女にはお父様がいらっしゃるわ」
「その代わり、クロエには乙女の塔がついてる。パラケルススの資料もたくさんあるし、ここに居ればゴーレムたちも助けてくれる。アカデミーだけが選択肢じゃないってことを、アリシアが示してくれてるでしょう?」
「確かに! でもそうだとしたら、私もグランチェスター領の学校に入ろうかな」
「うーん。貴族だからって偉ぶった態度を取らないなら考えてあげるわ」
「アダムと同じね」
「そうね、だけどクロエには社交界でソフィア商会の製品を宣伝する役目があることを忘れないでね」
「うーん。難しい。瞬間移動できる魔法欲しい」
「それは私も欲しいわ」
春のせいか気圧のせいかわかりませんが、何故かとても眠くて執筆が捗りませんでした。