戦える身体をつくる
サラが目を覚ますと、外から木剣を打ち合う音が聞こえてきた。
ベッドから起き上がって夜着のままテラスに出ると、庭先でスコットとブレイズが剣術の稽古をしている様子が見えた。二人は同じ木剣を持っているが、スコットは木剣を片手に持って小さな丸盾を構えているのに対し、ブレイズは木剣を両手で構えていた。
スコットの方がブレイズよりも剣に親しんだ時期は長く、年齢も3歳上であることから身体も大きく力がある。それでもブレイズはスコットの動きにきちんと対応しており、必死に喰らいついて隙を窺っていた。
だが、経験や体格の差を覆すことは難しいらしく、ブレイズは繰り返し剣を弾き飛ばされたり、丸盾に身体ごと吹っ飛ばされたりしている。
キリの良いところでサラは二人に声を掛けた。
「おはよう。あなたたち随分早いのね」
「おはよう、サラ。これは毎日の日課なんだ。それより、昨夜も遅かったみたいだけど、まだ寝てなくて大丈夫?」
スコットが気遣うように返事をした。ブレイズは地面に横たわって肩で息をしており、声を出すのも苦しいようだ。
「結構元気みたい。お昼寝したくなるかもしれないけど。ところで、ブレイズ大丈夫?」
「だ、だいじょ…ぶ。すげー。かっこ、わるいよ、な」
ブレイズが切れ切れに応えると、スコットは面白く無さそうな顔をした。
「格好悪いのは僕の方だよ。こっちは3歳で初めて剣を持って、もう10年は剣を振り回してるってのに、始めて2か月ちょっとしか経ってないブレイズにもう追い付かれそうなんだよ」
「二人は戦い方が全然違うのね」
「今日はたまたま僕が丸盾を持ってたからね。僕は盾を構えないことの方が多いんだけど、今日はブレイズのリクエストだったんだ」
「そうなの?」
「この前、騎士団の見習いに盾で吹っ飛ばされたのが気に入らなかったみたいだ」
「あららぁ。ブレイズは負けず嫌いなのね」
「僕たち騎士は負けず嫌いじゃなきゃダメなんだよ。負けても良いなんて少しでも思ったら戦場では死んじゃうだろ?」
「いつだったか、『死なんと戦えば生き、生きんと戦えば必ず死するものなり』って言葉を聞いたことがあるわ」
「いい言葉だね。でも、それは死んでもいいって考えながら戦うってことじゃなくて、生き残ろうって考えは雑念になるって警告だと思うよ。余計なこと考えると身体が動かなくなることがあるんだ。勝敗とか生死とかを意識せずに戦えってことじゃないかな」
「そういうもの?」
「たとえば相手を恐いって思うと身体が固くなって動きが悪くなる。逆に相手を侮ると緊張感がなくなって負けてしまうこともあるんだ。だから必要以上に怖がったり侮ったりせず、いつでも自分のペースで戦わないと駄目なんだ」
「なるほどね。じゃぁ私も必要以上に相手を怖がったり侮ったりすることをやめるわ。全力で叩き潰す!」
「あ、いや…サラはちょっとくらい手を抜いた方がいいかも…」
だが、スコットの最後の言葉はサラの耳には届かなかった。
「ねぇ、朝食までまだ時間があるし、私もちょっとやりたい!」
「構わないけど、ちゃんと身体をほぐしてから、ちょっと走って身体を温めてからにしないと怪我するよ?」
「わかったわ! ストレッチしてから走ってくる」
「ストレッチ?」
「あぁ身体を柔軟にする動きのことよ。じゃぁ着替えてくるねー」
サラは着替えを済ませるために部屋に戻った。
やっと地面から起き上がったブレイズはぼそっと呟いた。
「オレ、すごいカッコ悪いよな。全然いいトコないじゃん」
「お前はまだ10歳だろ? そんなお前に負けたら僕の立つ瀬がないだろう? もうしばらくは僕の方が頼れる兄で居させてくれてもいいんじゃないか?」
「スコットの年になったらオレも強くなるかなぁ?」
「そしたら僕は16歳だから、もっと強くなってると思うけど」
「追い付ける気がしない…」
「それは僕がいつも父上に思ってることだよ」
二人は同時にため息をついた。
「でも急がないとマズい気はする。サラの周辺がどんどん危険になってるのはわかるよ。父上もダニエルもピリピリしてた」
「うん。それにはオレも気がついた。ノアールも昨夜はソワソワしてたけど、オレが聞いても何も教えてくれないんだ」
「なぁブレイズ」
「なんだい?」
「お前、サラみたいに身体の年齢を操作できるよな?」
「魔力をすげーもってかれるけどね」
「身体を大きくして戦闘訓練してみるのはどうかな? いつだったか、サラもソフィアの姿でダニエルと打ち合いしてたよね」
「やってみたいけど、その前に魔力量を増やさないと無理そう」
「魔力量は僕も増やさないとダメだな。妖精にも名前つけたいし」
そこにサラが走ってやってきた。
「お待たせ―」
「サラ、それドレスだよね?」
「ドレスだよ」
「剣術の訓練するんじゃなかった?」
「私ね、ドレスを着たままでも戦えるように訓練する!」
「「はぁ!?」」
サラは簡素だが布製の柔らかいコルセットで締め上げるタイプのドレスを着ていた。スカートも脹脛丈である。
「だって私は普段ドレスで過ごしてるじゃない?」
「そうだね」
「いざって時に、ドレスだから戦えないなんてあり得ない!」
「そのために護衛がいるんだよねぇ?」
「自分も戦えた方が有利じゃない」
「そうだけどさぁ」
サラは自信満々であるが、スコットとブレイズは唖然としている。
「多分、剣を持って戦わなくても、私なら魔法で対処できると思う。だけど、戦う手段は多い方が良いと思う。これから先は、それくらい危険になる気がするの」
ふっとサラが真剣な表情を浮かべたため、スコットとブレイズも真剣になった。
「わかった。それじゃサラの訓練に付き合うよ」
「オレも手伝う」
「ありがとう。それじゃひとまずストレッチしてから走り込みしてくる」
「じゃぁオレも走るよ。まだまだ体力不足だって実感したし」
「そう。ありがとう」
「僕だけ置いていくつもり?」
「何言ってるのよ。スコットはいつだって私たちを置いて先に走っていっちゃうじゃない!」
「おチビたちより僕の方が体力もあるし足も長いしね」
「むぅぅ。あ、そうだ。ブレイズちょっと来て」
「うん?」
「傷だらけだから治しちゃうわ」
サラはブレイズに向けて治癒魔法を発動した。
「サラ…、なんか治る速度が上がってない?」
「そうかもしれない。しかも使う魔力が前より少ないわ」
「相変わらずデタラメな能力だなぁ。僕たちだからいいけど、あんまり他で使ったら駄目だよ? あっという間に聖女って呼ばれちゃうよ」
「う、気を付ける」
「危なっかしいなぁ」
「ブレイズにまで危なっかしいって言われるのはショックだわ」
サラはちょっぴり落ち込みつつも、ストレッチで身体をほぐし、走り込みを始めた。だが1キロも走らないうちに、サラはゼイゼイと息をし始めた。
「サラ、ドレス邪魔じゃない?」
楽々とサラを周回遅れにしたスコットが声をかけてきた。
「すっごい邪魔。足にまとわりつくし、汗は吸わないしで酷いもんだわ」
「騎士が金属鎧で走り込みするようなものかもしれないね。だとしたら、ドレスの方をサラに合わせて作ったら? 汗を吸収しやすい素材にするとかさ。スカートがまとわりつくのはどうしようもなさそうだけど」
「それは良いアイデアね。検討の余地がありそう。だけど、私はこの戦い方に慣れないとダメって気がする」
「でもさ、その格好で武器はどうするの?」
「乙女の武器はスカートの下って言いたいけど、残念ながら空間収納よ」
「なんで残念なのかわからないけど、スカートを人前で捲り上げるわけにはいかないだろうから、それでいいんじゃないの?」
「ロマンが無いのよ」
「今の会話のどこにロマンがあるのか全然僕にはわからないよ!」
なんとかドレス姿で5キロ程走ったサラは、スコットやブレイズと手合わせし、どういう立ち回りや体捌きが必要なのかを検討した。
『うーん。これは後でお母様にもチェックしてもらった方が良さそう。優雅さを失うことなく、華麗に舞うように戦えるようになりたいわ』
「参りました。それにしてもサラは、新しい流派でも立ち上げるつもりなの?」
ドレス姿のサラから、剣を首元に突き付けられたスコットが質問した。
「女性用の剣術? それも面白いわね。王女殿下とか身分の高い女性の護衛として、戦う侍女とかメイドって格好良くない?」
「普通に護衛騎士がいるよね?」
「寝室や浴室で襲われたらどうするのよ」
「サラのその発想は凄いと思うけど、刺客がメイドのフリをして潜入する方が怖くない?」
「あぁその可能性もあるか」
その様子を見ていたブレイズは、深いため息をついた。
「仮にその流派を立ち上げたとしてさ、どんな女性が習いに来るんだろうね。できればその子たちには、治癒魔法が使えるようになって欲しいかな。女の子が傷だらけになっちゃうのは可哀そう過ぎる」
「あ、ブレイズ、それって良いアイデアかも」
「へ?」
「戦場を男性騎士と一緒に駆け抜けて、戦いながら癒しを与える戦乙女の集団とか、超恰好良くない? ヴァルキュリアって呼んじゃう!」
「えっとさ、戦場でドレスは着なくても良くない?」
「うーん、軽鎧に動きやすい丈のスカートのイメージかも。頭にはサークレット着けたい」
「ごめん。そのサラの想像についていけないんだけど」
「ついでに歌う!」
「なんで歌うの? まったく理解できないよ!!」
「彼女たちの歌を聞いてたら騎士たちも元気になったりするかなぁって」
「それじゃぁ、その子たちはみんな歌が上手じゃないとダメってことじゃないか。剣と魔法と歌って、サラじゃないんだから全部は難しいんじゃない?」
「むぅ。ロマンなのにぃ」
するとスコットとブレイズは顔を見合わせて同時に言った。
「「サラのロマンが全然わからない!」」
どうやら、この二人は中二病を患っていないようである。