表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
251/436

Femme Fatale - SIDE マイアー -

あの女と目が合った瞬間、私は運命を感じた。


一見ただの小娘にしか見えない。だが、外見で相手を判断するのは非常に危険であることを、私は身を持って知っている。


美しい女であることは間違いない。月の光を紡いだような髪、静謐さを感じる蒼い瞳、優美な曲線を描く姿態、あの外見だけでもあの女は巨万の富を稼げるだろう。


外見の特徴は会う前から聞かされていた。あの女の正体を探るために閉会式に参加したのだから当然だ。


だが、知識として知っているのと、実際に目にするのとの差はあまりにも大きかった。会場に入った瞬間、私の視線は輝く銀の髪に惹きつけられ、あの女が会場を見回した時に一瞬だけ絡んだ視線が私の心臓を貫いた。


おそらく向こうは気づいていないだろう。しかし、私は激しい胸の痛みを覚え、体中の血液が凍り付いたような錯覚に陥った。


断じて恋などではない。そのような浮ついた感情では表現できない程の衝撃であった。間違いなく、この女は私のファム・ファタルだ。この女を殺さなければ、いつか私の息の根を止めに来る、と。


身体が熱く滾るようなことはなく、それどころか気を抜けばガタガタと身体が震えてしまいそうな寒さを覚えた。この感情に最も近いのは”恐怖”だろう。


小さな商家の次男坊として生まれついた私は、物心ついた頃から常に商売をしてきた。学生時代には誰よりも早く課題を終わらせ、答えを裕福な貴族の令息に恩を売るように写させていた。そうして親しくなった”学友たち”には常に親切な顔で接し、彼らから漏れ伝わる貴族家の情報を元に安い価格で仕入れた商品を、必要とする貴族家に売りつけた。


学友の家が破産寸前であることを知ったときには、彼の家を助けるフリをして宝石、美術品、銀食器などを購入して助けた。欲の皮が突っ張った愚かな商人たちは、こうした貴族家を見ると足元を見て安値で購入しようとする。だが、私は彼らよりもいくらか高値で購入し、友人やその家族から感謝された。無論損をする程の高値で購入するわけではない。売ればそれなりの利益が出る。


こうして”秘密裡”に貴族の資産を、それなりの価格で現金化することは口コミで広がり、そのうち愛人に入れあげた貴族夫人からの依頼も舞い込むようになった。商売の基本は”信用”や”信頼”であることは間違いない。


ちょっとした小遣い稼ぎのつもりで始めた商売だったが、気が付けば学生時代が終わる頃には実家の総資産よりも私の所持金の方が多かったのは事実である。


学校を卒業した私は、傭兵団の経理として雇われると同時に、自分だけの商会を設立した。実家は兄が継ぐことが決まっており、私も家業を手伝うだろうと家族は思っていたらしい。だが実家の商売は兄だけでも十分回る規模であるため、私は実家を手伝う気になれなかった。


傭兵団を経営していたのは学友の父であったため、私は商会を設立することを下手に隠したりはしなかった。仕事さえきちんとこなしていれば、プライベートな時間は何をしても構わないという鷹揚な人物でもあった。


この傭兵団は、流れ者の冒険者などを雇うような二流の組織ではない。家を継ぐ予定のない若い男性を兵士として一から鍛え上げ、組織として行動できるよう訓練し、見込みがある者には読み書きや戦略なども教え込む戦闘の専門家を数多く抱える組織である。


私は経理として雇われてはいたが、荒くれ者の傭兵たちに舐められないためには、自分自身も鍛える必要があった。兵士を一人育て上げるためにかかるコストは高く、生存率を高めるためには武器や防具も質の高いものを支給する。だが、こうした装備を横流ししたり、金に換える不心得者は必ずいるものだ。こうした輩を処分するためには、それなりに強くなければならない。気が付けばペンと剣を同じくらい巧みに操ることができるようになっており、今でも鍛錬を欠かすことは無い。


各地に派遣された傭兵たちは、自分たちの生存率を高めるため、さまざまな情報を積極的に収集する。もちろん、これらの情報は傭兵団全体で共有されるため、本部にいるだけで私はさまざまな商機を知ることができた。なにしろどの地域にどのような戦略物資が足りないかがすぐにわかるのだ。これを利用しない阿呆はいないだろう。私は傭兵団の情報を駆使し、自分の商会で利益を上げていった。


また、どこかの国が戦争によって経済封鎖されたと聞けば、その国に輸出していた品目を確認した。本来売れるはずだった在庫を抱えた商会から在庫を安値で買い漁り、傭兵団の情報網を使って独自の通商ルートを開拓した。


リスクの高い商売であったが、自分でも驚くほどの利益となった。しかも、在庫を抱えた商会と経済封鎖された国の民の両方から感謝され、まるで聖者のように扱われた。通商ルート開拓には傭兵団の精鋭を投入していたため、代替わりして傭兵団の経営を任されていた学友も大金持ちにしてやった。こうして私の商会は、気が付けば多くの国に拠点を持つ多国籍商会へと成長していったのである。


一方、父の跡を継いだ兄は商売でいくつかの失敗を重ね、私の元に金を借りにやってきた。だが、私が金を貸したところで焼け石に水にしかならないような状態であったことから、私は兄に商売を畳むよう提案した。ところが兄は意外なことを言いだした。


「だったらマイアー、私は引退するからお前が経営してくれ。先祖が遺したシルト商会を私の代で終わらせるわけにはいかない」


正直言えば、あまり魅力的な提案ではなかった。吹けば飛びそうな小さな商会であり、その規模に見合わない借入があるのだ。だが、一つだけ大きなメリットがあった。それは「ロンバル王室御用達」の看板を掲げられるということだ。シルト商会はロンバル王室の御用商人だったのである。


「わかりました。さすがに王室御用達の商会を潰すわけにはいきません。私がシルト商会を継ぎ、私の商会と合併させます」


事実上は私の商会への吸収合併であるが、『シルト商会』という名前を残すことで合意した。兄夫婦はロンバル郊外で年金を受け取りながら悠々自適な隠居生活に入り、彼らの子供たちは全員シルト商会の従業員として雇用することにした。


兄とは1歳しか歳が離れていないため、私は兄を引退させるつもりはなかった。しかし、「私が残れば古い従業員たちが混乱する」と言って兄はあっさりと商売から一切手を引いてしまった。兄は商売があまり好きではなかったのかもしれない。


兄は驚くほど子沢山で、男女共に4人ずつ8人も子供がいた。私は仕事が忙しくてついつい結婚を後回しにした結果、三十路を超えても独身であり、婚外子もいなかった。そこで兄の子供たちを全員養子に迎え、いずれ能力の高い男子を後継者にしようと考えた。まだ10代の若者であるため、決定は数年先となるだろう。女子たちについても、商会にとって有利な家に嫁いでくれることを期待しているが、恋愛結婚したいというのであれば止めるつもりもない。


私もまだ40歳であり、『今から結婚しても後継者を作れるのではないか』と言う声もある。だが、積極的に結婚したいと思うほど、女性に興味が持てなかった。いずれ商売に大きなメリットのある相手が現れれば、結婚する可能性はある。そう考えれば毒にも薬にもならないような女性と慌てて結婚するメリットは感じられない。


そんな私が、このアヴァロンの地でとんでもない女性に出会ってしまった。


突如としてグランチェスターに現れた女商人は、見たこともない商品を販売して貴族たちの心を鷲掴みにした。そして、グランチェスターの小麦を買い占めて、商人たちを仰天させた。


グランチェスター領が示した小麦価格と収穫量をかけ合わせれば、ソフィア商会が書いた手形の額面は簡単に予想がつく。商業都市ロンバルでも周囲から一目置かれる大商人と自負している私だが、その金額は簡単に書けるものではない。


この半年、ロイセンを追い込む計画が少しずつ狂っていることには気づいていた。


息子たちが殺し合いをしたせいで、すっかり気力の衰えたロイセン国王は、甥のゲルハルトを王太子に任命した。


ゲルハルトの立太子は、それまでロイセンが推し進めてきた他国への侵略による拡大政策を一変させ、内政の充実に着手し始めた。あの王太子は農作物の収穫量が落ちている原因を『徴兵による農業従事者の減少』にあると考え、まずは兵士たちを解放したのだ。


当初、この政策は成功したかのように見えた。実際、緩やかに農作物の収穫量は増えていった。だが、3年後には逆に収穫量が下がり始めた。


当然だ。なにせロイセンからは『妖精の祝福』が失われているのだから。放っておけばもっと土地は痩せていくだろう。私は念のため妖精と友愛を結んだ複数の人物を訪ね、オーデルの地の情報を妖精に確認してもらった。その結果は私の予想通りであった。


歴史書を(ひもと)けば、ロイセンがかつて人の住めない荒れ果てた土地であったことは容易に把握できる。そこにオーデル王が妖精と友愛を結び、長年に渡ってオーデルの王室があの地を豊かにしてきたのだ。


ロイセンの野蛮人どもは、妖精の偉大さを知らな過ぎる。ただのおとぎ話ではないことくらい、隣国のアヴァロンをみたらわかるだろうに。あの地を豊かに治めたいのであれば、妖精と友愛を結んだオーデルの王族と真に婚姻を結ぶべきだったのだ。最後の姫を冷遇して幽閉したことで、妖精の祝福は失われ少しずつ元の荒地へと戻っているのだ。


だが、そうしたロイセンの状況から、私は食糧、特に小麦によってロイセンの鉱物資源を手に入れることを思いついた。元は武人であったゲルハルト王太子は、基本的に思考が単純である。こちらの思惑に沿ってホイホイと沿岸連合から正妃を娶り、食糧を輸入に頼ることを”普通”のことのように思い込んだ。


サルディナのマルグリット姫は実に献身的であった。こちらがそろそろ小麦の価格を上げようとおもったところで、小麦の値段を据え置いてくれと実家に泣きついたのだ。異国の地で健気に振舞う娘可愛さにサルディナが我らの盟約から抜け、小麦をロイセンに安く提供したことは、皮肉なことにマルグリット姫の命を縮める原因となった。私は何もしていないが、犯人の目星はついている。


そして計画通りロイセンに小麦を高値で売りつけ始めた。同時にロイセンの隣に位置するアヴァロン、穀倉地帯である特にグランチェスター領に対する工作も始めた。アヴァロンがロイセンに小麦を提供するようになれば、我らの計画が頓挫しかねない。


グランチェスター領の横領は順調に進み、奪った小麦はロイセンに高値で売りつけた。備蓄の大半も奪うことに成功したため、アヴァロンがロイセンに食糧を輸出することはできないところまで追い込んだ。


だが、グランチェスター侯爵はアヴァロン貴族にしては、意外なほどに勤勉な人物であった。横領が発覚するのは数年後の監査の時期になる予定でいたのだが、かなり早い段階でグランチェスター侯爵に気付かれてしまった。そのため、数年後に計画的に逃げ出す予定だった代官や文官たちは、慌てて沿岸連合側へと逃亡してきた。


ここで我らの関与を疑われるわけにはいかないため、私はかつて仕事をしていた傭兵団に依頼し、グランチェスター領の代官と文官を全員始末させた。生き残った者は誰一人いないという報告を受けている。念のため別の組織に現場を確認させたが、遺体の数は合っていた。


新たな代官としてグランチェスター侯爵の次男が就任したことを確認した私は、横領計画を諦めることにした。その代わりにグランチェスター侯爵を代替わりさせつつ、グランチェスター領内の小麦を焼き払う計画を立てた。備蓄が失われていることを考えれば、数年は立ち直れなくなるはずだった。


だが、この計画も失敗した。暴動によってグランチェスター侯爵を害することも、領内の小麦を焼くこともできずに終わったのだ。しかも、既にゲルハルト王太子はアヴァロン国王と接触しているという情報も伝わってきた。


計画が後手後手に回っているとは思ったが、ひとまずアヴァロンとの交渉を失敗させるため、かねてから買収していたロイセンの官僚たちに指示を出し、ゲルハルト王太子に必要な小麦の量について虚偽の報告をさせた。


10年も王太子の地位にいるのだから、そろそろ学習すれば良いと思うのだが、素直な性格が邪魔をするのか彼は官僚の言うことを額面通りに受け止めたという。


どうやらこの工作はうまくいったらしく、グランチェスター領の狩猟大会でゲルハルト王太子の隣に居たのは、王太子ではなくその息子のアンドリュー王子であった。


私はゲルハルト王太子とアンドリュー王子の雰囲気を自分自身で感じるため、アヴァロンへと足を運んだ。


しかし、グランチェスター領に着いた早々、コジモが小麦の談合に失敗したという報せをうけた。コジモは決して無能な男ではない。グランチェスターで横領の工作を始めた頃、ちょっと情報と餌を与えただけで簡単に談合組織を作り上げた。もちろん数年間はアヴァロンのシルト商会も儲けさせてもらっている。


そんなコジモが嗅ぎつけられない程の資金で、あの正体不明の女は我らをいきなり殴りつけたのだ。


私はどうにも興味を抑えきれず、本来であれば出席するつもりのなかった晩餐会でソフィアに声を掛けた。小麦の買い占めを知っていることを告げ、相手の反応を見るつもりであった。だが、少しくらいは動揺するだろうと思った私の予想を大きく裏切り、ソフィアは微笑みながら私を本名で呼んだのだ。


背筋に冷たい物が走り、一瞬で全身の肌が粟立った。私は必死で商人としての経験やプライドをかき集め、なんとか笑顔を浮かべて会話を続け、彼女の正体を探ろうと無駄な努力を重ねた。


ソフィアはフローレンス商会の一族と思われる身体的特徴を有してはいるが、私の調査によれば該当する女性は一族に存在していない。なによりソフィアの年齢が掴めないのが不気味であった。見た目は二十歳前後に見えるが、彼女が妖精と友愛を結んでいるのであればもっと年上かもしれない。彼女と会話すればするほど、本当に年齢がわからなくなるのだ。狡猾なようでもあれば、若い女性らしく迂闊なようでもある。下手をすればもっと幼い子供のような雰囲気を纏うこともあるのだ。


既にゲルハルト王太子の股肱(ここう)であるジルバフックス男爵がソフィア商会を訪れたことは承知している。慌ててソフィア商会の情報を探るよう優秀な密偵を放てば、ソフィア商会のゴーレムたちに捕まりそうになって慌てて逃げてきたという報告を受けることになった。これほどまでに正体がわからない相手は初めてである。


また、舞踏会の最中にジルバフックス男爵がソフィアを連れ去り、同時にグランチェスター家の主要な面子も席を外している。


どう考えても、小麦の裏取引をしているとしか考えられない。しかも、あちらには妖精と友愛を結んだオルソン子爵令嬢がいる。彼女がゲルハルト王太子に、ロイセンの作物の収穫量が減っている原因を告げてしまえば、ゲルハルト王太子がどのような行動に出るか全く想像がつかない。


ひとまず私は舞踏会の会場を足早に立ち去り、宿泊していたホテルに戻ることなく、急いでロンバルの地へと立ち去った。


結果として、私の判断は正しかった。ジェフリー率いるグランチェスター騎士団は、会場から姿を消した私を探し回り、まずはホテルに向かったのだという。その分時間を稼いだ私は、傭兵団の力を借りて国境門を通過することなく無事にアヴァロンを出国した。


当分は私自身がアヴァロンの地を踏むことはできないだろう。


だが、あの正体不明の女は、私にとってどういう存在なのだろう。『天敵』や『好敵手』という言葉も思い浮かぶが、それ以上にしっくりくるのは『運命の女』である。


果たして私の運命とはどのようなものなのだろうか。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 投稿お疲れ様でした。 マイアーの優秀さがよく伝わってきました。 その優秀さが導き出したソフィアへの畏怖や警戒……色々なものが入り混じって複雑な諸々を考えると、たしかに「愛」や「恋」ではなく…
[気になる点] >ソフィアはフローレンス商会の一族と思われる身体的特徴を有してはいるが、彼の調査によれば該当する女性は一族に存在していない。 この「彼」はコジモなのでしょうが位置が離れており回想の舞…
[一言] >だが私は激しい胸の痛みを覚え、体中の血液が凍りいたような錯覚に陥った。 つ【ヘビに睨まれたカエル】 …まぁヘビどころかドラゴンなんですけどねw 自分にとってどういう存在も何も、シンプル…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ