物理はやめておこう
「ところでゲルハルト王太子殿下、グランチェスター侯爵は敢えて口にされておりませんが、この件をアヴァロン王室やグランチェスター侯爵家を飛び越し、私と直接交渉しようとしたことに問題を感じてくださいませ。『道理』を重んじる方が、このように筋の通らない交渉を一介の商人とされるのはいかがなものかと思います」
「其方を一介の商人と呼ぶべきか疑問の余地は残るが、確かに問題ではある。元々このような話をするつもりはなかったのだ」
「承知しております。ジェノアのフローレンス商会と交渉したかったということですよね?」
「そうだ。結果としてこのような話をすることになった。グランチェスター侯爵、本当に申し訳ない」
「致し方ございません。ですが、これ以降はアヴァロン王室を抜きに交渉はできません」
グランチェスター侯爵はゲルハルト王太子をフォローしつつも、これ以上の交渉に釘を刺した。
「そうだな。狩猟大会も終わったことだし、アヴァロン王に再度謁見すべきなのだろうが、国許で正しい数字を把握するのに少し時間が掛かりそうだ。だが、その間にも国民は飢えていくことになる…」
そこにレベッカが発言した。
「まずはアヴァロンの国王陛下に、無理のない量の小麦輸出を依頼したらいかがでしょう。ロイセンの急場を凌ぎつつ、現状把握を急がれたら宜しいかと。グランチェスター侯爵閣下もゲルハルト王太子と共にアヴァロン王に謁見し、小麦の輸出許可を求めてはいかがでしょうか? 既にグランチェスターも巻き込まれているのです。被害を訴えれば陛下も理解してくださるのではないかと」
「なるほど。相変わらず我が家の嫁は聡明だな。ロバートに嫁してくれることを感謝するばかりだ」
「アドルフ王子が誠実に求婚しておれば、この叡知がロイセンにもたらされたかもしれないと思うと残念でならないな」
そしてソフィアの方にチラリと目を遣った。
「それにしてもアヴァロンは、聡明な女性が多いのだな。オルソン令嬢、ソフィア、そしてサラ嬢もあの年齢で驚くほど賢く、しかもとてつもない魔力だった」
「ゲルハルト王太子殿下、残念ながらその3名だけが突出してると思ってください。他の女性はもっと普通です」
「いえ、私もソフィアやサラと比べられるとちょっと…」
「オルソン令嬢? ご自分だけ普通の枠に収まろうとなさらないでくださいませ」
堪えきれずにグランチェスター侯爵が「くくっ」笑いを漏らすと、その場にいた全員が一斉に笑い出した。
連鎖的に発生した笑いの発作が収まると、ソフィアが真剣な表情に戻ってゲルハルト王太子に話しかけた。
「ですが国王陛下に交渉する前に、ある程度の落としどころを決めましょう」
「ふむ」
「沿岸連合は既に大量の小麦を確保しています。どれくらい在庫を抱えていられるかはわかりませんが、資金が尽きれば放出せざるを得なくなるはずです。ギリギリまで引っ張って底値で購入することを目指しましょう」
「可能であろうか?」
「そうせざるを得ないように追い込むのです。ロイセンほど大量に、しかも高値で小麦を販売できる国などそうそうありませんから」
「確かにそうだな」
「まずはロイセンが最低限必要とするだけの小麦を確保しましょう。アヴァロンから必要量を確保できなかったとしても、ソフィア商会の全力で昨年ロイセンが沿岸連合から輸入した量と同じだけの小麦を必ず用意してみせます。その場合にはアヴァロンの国法に触れぬよう、第三国から輸入いたします。ですから、ゲルハルト王太子殿下は、安心してお国許に小麦を確保する目途が立ったと報告してくださって大丈夫です」
「辛うじて無能者の烙印を押されずに済みそうだな。まぁ事実として無能者であることを否定はせぬが…」
「自己憐憫は後程お一人になってからなさってください。無論、ソフィア商会として報酬はいただきます」
「それは当然だ。先程示した鉱山は必ず其方に譲ろう」
「大変ありがたいお申し出ではございますが、今年分の小麦の代金として鉱山3つはあまりにも暴利でございます。商人たちはよく『稼げるときに稼げるだけ稼げ』と口にしますが、あまりにも適正価格を逸脱すると結局は自分に返ってきます。ですから私はロイセンの食糧事情を改善する施策を実際に見ていただき、必要であれば栽培する作物の提案や土壌改良などのお手伝いをいたしましょう」
ロバートがいかにも”ピンときた”といわんばかりの表情を浮かべた。
「もしかしてあの集落に行くのかい?」
「はい。ロイセンの方に見てもらうのに最適だと思うのです」
「確かにそうかもしれない」
ゲルハルト王太子が不思議そうにロバートを見た。
「実はグランチェスター領もすべての土地が豊かだというわけではありません。ある開拓民の集落では、土地が貧しく小麦が栽培できずライ麦を育てていたのです。ところがライ麦が疫病にかかってダメになってしまったため、さまざまな作物を試験的に栽培しているのです」
「ほうほう」
「この集落には錬金術師ギルドと薬師ギルドの職員も出入りしており、土壌の研究や薬草なども研究しているのです。よろしければ、一度視察にいらっしゃいませんか?」
「それは面白い。我が国の食糧事情を改善する糸口を見つけられるかもしれんな」
そこにソフィアがひんやりとした空気を纏って、そっとエドワードに話し始めた。
「ところで小侯爵閣下、その後はどうされます?」
「その後?」
「ロイセンへの工作に失敗した沿岸連合の首脳陣をどうするかですね。一泡吹かせて欲しいと仰せでしたので」
「あ、あぁそうだな」
「どういった対処をお望みでいらっしゃいますか?」
「……物理はやめておこう」
「ふふっ。先程の戯言を本気になさらないでくださいませ。私も大事なものを傷つけられない限り無茶はいたしません。ひとまずは小麦で大損をさせましょう。できれば何人かは破産に追い込みたいですね。その後は、あちらの出方次第で臨機応変に」
華やかな微笑みを浮かべながら、ソフィアはかなり物騒な発言をしていた。
「その、なんだ、ソフィア」
「はい?」
「其方はサラに似すぎていて、とても怖い。笑顔を見ているだけで背筋が凍るのだが」
「まぁ8歳のお嬢様を怖いなどと。冗談が過ぎますわ」
エドワードは辛うじて笑顔に見えないこともない引き攣った表情になり、横で聞いていたロバートは頭を抱えた。
「ゲルハルト王太子殿下、今宵お話しできることはこれ以上無いように思われます。これ以降は、アヴァロン王室を抜きで進めることはできないかと存じます」
「そうだな。呼び立ててすまなかった。有意義な顔合わせとなったよ」
「光栄に存じます」
そして、ソフィアとダニエル、そしてグランチェスター家の面々は部屋を後にした。さすがにこの会談の後でジルバフックス男爵とダンスなどする気も起きず、ソフィアはそのままジェフリー邸へと引き上げることにした。
だが、ソフィアと近づきたいと思っていた貴族令息や商人たちは、ゲルハルト王太子に呼び出されたままソフィアが戻ってこなかったことにガッカリし、そして『ゲルハルト王太子の手付きとなった』『実は他国の姫である』『グランチェスター家の隠し子である』などさまざまな憶測を飛ばした。そして、この話には尾鰭が付きまくり、気が付けばソフィアは社交界の話題の中心となっていく。
ジェフリー邸に戻ったソフィアは、自室のソファにちょこんと座っていたゴーレムのサラに驚いた。
「ソフィアおかえりなさい」
「うわぁぁぁ。びっくりしたぁ。忘れてたよこの子のコト。ただいま、サラ」
「大人しく待ってたのですが、それほど驚かれますか?」
「さすがにちょっと」
「ご自分で作られたくせに」
「まぁそうなんだけどねぇ。あなたを目立たないように移動させる方法を綺麗に忘れてたのよね。どうしようかしら?」
「生体ボディからユニットを外してスリープモードに移行し、空間収納に入れれば良いのではありませんか?」
「え、なんか扱い雑じゃない?」
「ソフィア様はご自分で作られたのに、ゴーレムたちをそれぞれ個別に認識し、それぞれに人格を持った対象のように扱うのですね」
「そうかもしれない」
「人型で造るとそういう気持ちが強くなるのでしょうか。私たちはそれぞれの個体に異なる人格があるよう振舞っていますが、結局のところマギの端末です。必要に応じて起動し、不要になればスリープすれば良いのです」
「確かに複雑な気持ちにはなるね」
「そのうち慣れると思いますが」
「そういうものかしらね」
ソフィアはゴーレムに纏わせていたサラの生体ボディを消し去ると、残ったユニットをスリープして収納した。実際にやってみると、それほど違和感はなかった。確かに慣れてしまいそうだ。
その後、サラの姿に戻ってベッドに入ると、今日の出来事を反芻し始めた。
『妖精に愛されない国かぁ。本来のロイセンってどんな姿をした国だったんだろうなぁ』
「ねぇ、セドリック、どうせもう来てるんでしょ?」
サラの声に応えるように、空中にピンクのドアが現れて小さな執事たちが次々とやってきた。
「サラお嬢様、お呼びでございますか?」
「ええ、申し訳ないけど眷属を増やしてもらっていいかしら? 魔力はたっぷり渡すから複数人欲しいの」
「沿岸連合ですね?」
「そうよ」
「ひとまずロイセンにいたセドをジェノアのフローレンスに送っておきましたが、ロイセンを放置するわけにもいかないので、彼は一度戻しましょう」
「ええそうね。一国につき1人くらい必要かしら?」
「沿岸連合に所属する国は大小含めて9カ国あります。すべてに派遣するのですか?」
「私の魔力をどれくらい必要とする?」
「うーん。半分は必要ないと思いますね。一晩寝れば回復しますよ」
「私って本当にデタラメな魔力量なのね」
「いまさらですよね?」
「そうなんだけどねぇ」
セドリックはベッドサイドに近づいてサラの手を取ると、魔力を一気に吸いだして10体の眷属を作り出した。全員、幼体の黒豹の姿をしている。
仔豹たちは、わらわらとベッドの上に飛び乗ってサラにじゃれついてきた。
「可愛いっっ!」
「なんとなくお嬢様はこちらの方を好みそうでしたので」
「あれ、でもなんで10体?」
「1体はひとつの国ではなく臨機応変に動き回るようにしておきます。うん、この者にしましょう」
セドリックは一匹の仔豹を持ち上げ、額部分に白い稲妻のような模様を付けた。
「報告はこの者にさせます。一気にこれだけの眷属が集まると、サラお嬢様にもご負担でしょうから」
だがそんなセドリックの意見を無視し、サラは仔豹たちと幸せそうに戯れていた。
「……その心配は必要なさそうでしたね」
「ううん。その配慮はありがたいわ。実際、目を離せない場面も一杯あるだろうし。でも、この状況もすごく幸せ。やっぱりもふもふは正義よ!」
「まぁお嬢様の癒しに貢献できるのは光栄ですが、なんというか顔がだらしなくなってますよ?」
「今夜はいろんなことが一杯あったの。疲れてるから今は許して」
「承知しました。では細かい報告も今日はやめておきましょう。急いで対処しなければならないこともありませんので。ゆっくり休んで魔力を回復なさってください」
「わかったわ」
「では、お休みなさいませ。サラお嬢様。眷属たちはお嬢様が眠ってからそれぞれの国に向かわせます」
「ありがとう。セドリック。おやすみなさい」
こうして長い夜は終わり、サラは8歳のあどけない姿でぐっすりと眠りに就いた。