清濁併せ吞む
「私どもは商人でございます。より利のある方と取引するのは当然だと思われませんか?」
「現状において、シルト商会はそちらにとっても敵だと思うが?」
「グランチェスター領やアヴァロンにとってはそうかもしれません。ですが、ソフィア商会にとっては取引相手の一つです。取引相手には敵も味方もありません。そこに利があるか否かです」
さらりと言ってのけたソフィアに対し、ゲルハルト王太子は不快感を示した。
「其方も沿岸連合の奴らと同じか。商人には道理と言うものが無いのか? 母国を害する者を利する行為だぞ。それは裏切りであろう!」
ダンッと拳をテーブルに叩きつけたゲルハルト王太子は、ソフィアを睨みつけた。
「殿下の仰る『道理』とはどのようなものを指していらっしゃいますか?」
「人としての正しい行いだと私は考えている」
「その正しさとは誰が決めるのですか? 殿下は常にご自身が正しい行いをしていらっしゃると言い切れますか?」
「常に正しいとは言わぬ。だが、そう在らねばとは思っている」
「そうですか。では今すぐ王太子の地位を返上することをお奨めいたします」
これにはゲルハルト王太子本人ではなく、ジルバフックス男爵が反応した。
「なんだと! ソフィア、それはあまりにも不敬であろう!」
「ゲルハルト王太子の何に敬意を払えというのです? 王族としての血統にですか? ですが、ここはロイセンではありませんし、私もロイセンの民ではありません。来賓されている方に対する敬意と言うのであれば、あなた方は私の客ではありません。言ってみれば招かれた家に出入りしている商人に文句をつける面倒な客人だと、グランチェスター家から見られるだけでしょう。あぁ、自分の客人に無礼を働いたとして、グランチェスター家から罰を受けるかもしれませんね」
ソフィアはちらりとグランチェスター侯爵に目を遣った。
「私に出来ようはずもないことを要求するな」
「ですが、このままですと私はグランチェスター家の客人に対し無礼な態度を崩さないと思います」
「客人がそれを不快と思い、其方の言葉をこれ以上聞かないというのであれば、其方は立ち去るが良い。私が許可しよう」
「承知いたしました」
優雅な微笑みを浮かべ、ソフィアはスッと席を立った。
「ご無礼仕りました。私はここで失礼させていただきます」
そのまま部屋を出て行こうとするソフィアを、慌てて止めたのはゲルハルト王太子であった。
「待て。私は忠言を聞けぬ程に狭量な男ではないぞ」
「申し訳ないのですが、私はゲルハルト王太子殿下に忠言して差し上げる程の気持ちを持ち合わせておりません。単なる事実の指摘と私の個人的な感想でございます」
「うっ…そ、そうか…。それでも構わない。ひとまず其方の話の続きを聞かせて欲しい」
『あらら、ゲルハルト王太子殿下の顔が引き攣ってるわ。まぁ身近にこんな態度取る人なんているわけないもんね。ジルバフックス男爵は怒ってるみたい。まぁ後で踊らなくて済みそうだからいいか』
「続きと仰せられましても…」
「なぜ正しくあろうとする私は、王太子を返上すべきなのだろう?」
「正しさや正義を貫くというお心はご立派です。道徳心を欠片も持たない君主は恐ろしいですから。ですが、正しさを絶対と思うのもまた愚かだとは思われませんか?」
「愚かだとは思わぬ。人として大切なことだ」
「為政者は民を守るために存在します。そして、時には清濁併せ吞む覚悟が必要です。常に自分が正しくありたいなどと戯言を口にするのであれば、聖職者にでもなればいいのです。このことについて、私はある方に言われたことがあります」
「どのようなことだ?」
「人は『善悪』や『正義』という価値観を主張し、争いごとに名分を付けたがる。『民のために国を豊かにしたい』という名分を善なるものとして語り、他国に攻め入った王もいた。多くの人間が他国を侵略することを悪だと主張するが、王は戦に勝利して英雄と称えられ、国を豊かにした善なる王として名を残す。このように立場や状況でコロコロと姿を変える善悪や正義をどう理解すれば良いのか皆目わからない、と」
『やだなぁ。私がノアールに向かって言った言葉が自分に返ってきてる。ずっと為政者の傍にいた妖精になんて失礼なことを言ったんだろう…』
「確かにそうだな」
「罪なき他国の民を犠牲にしても自国の民を豊かにするのが善なる王であるなら、正義を堂々と主張できるのは勝者の側であることだけは確かでしょう。力無き者がどれだけ正義を叫んだとしても、民のお腹は膨らみません。そして私のような商人たちが実の無い”正しさ”に振り回されれば、待っているのは破滅だけです。私だけが破滅するのでは在りません。ソフィア商会の従業員とその家族、多くの取引先が不利益を被るのです。にもかからず殿下は私になんら代替案を示すことなく『シルト商会に小麦を売るな』と仰せになり、難色を示せば『道理と言うものは無いのか』と叱責されたのです。それは私どもに『大量の小麦の在庫を抱えたまま死ね』と言うも同然です」
『まぁ、ウチはそれくらいじゃ死なないけど、普通の商会なら破産だよね』
「力無き者…ロイセンが力無き者だというのか?」
「逆に質問したいのですが、国力の低下を防げず王妃や側妃を他国から娶って他国から干渉され、今も政略結婚によってアヴァロンから食糧を引き出そうとしている状況をどうお考えですか? 商業を中心に成り立つ沿岸連合にとって、今のロイセンは熟れて今にも木から落ちそうな果実です。木の下で口を開けて待ってるだけで美味しい思いができると考えているんじゃないですかね。というか、気付いているからゲルハルト王太子殿下は、アヴァロンにいらっしゃったのでしょう?」
「……そうだ。否定はしない。ただ認めたくなかっただけだ」
「殿下…」
ゲルハルト王太子とジルバフックス男爵はしょんぼりと項垂れた。
「オルソン令嬢がいらっしゃる場で言うのは少々憚られるのですが…」
「構わないわ。ソフィアの思うことを話して頂戴」
レベッカはにっこりと微笑んだ。
「10年前、アドルフ王子が他国への侵略を主張したのは、彼なりの正義だったのだと思います。まだアヴァロンを圧倒するほどの国力を誇っていたロイセンにおいて、危機感を抱いていた第二王子は、為政者として高い能力をお持ちだったのかもしれません。彼が側室に求めたオルソン令嬢は、妖精との友愛を結んだ聖女でもあります。長期間に渡って衰えることのない美貌と高い治癒魔法の能力をお持ちなのです。国民の士気を高めるための広告塔としても有効だったでしょう」
「ソフィアに美貌と言われてもピンとこないけど、お褒め頂き光栄だわ」
『さすがに妖精に愛されない土地であることは知らなかったと思うけど』
「10年前のゴタゴタが無ければ、私が王太子として引っ張りだされることも無かったのだがね」
「そういうことは自国に戻ってから関係者に愚痴ってください」
「そうさせてもらう」
「だがグランチェスターに仕掛けられた数々の攻撃を考えれば、確かにシルト商会にすんなりと小麦が渡るのは業腹だな」
エドワードはまだ怒っていた。自分の債務超過は仕組まれた可能性が高く、暴動では父親が暗殺されそうになったのだ。怒るなと言う方が無理だろう。
「アヴァロンにあるシルト商会はアヴァロンに納税しています。理由もなく排除できる相手ではありません。今の段階で私にできるのは、せいぜいシルト商会の息が掛かった商会に小麦を高値で売ることくらいです」
「ソフィア、沿岸連合に一泡吹かせてやることはできないか?」
エドワードがさらに詰め寄ってきた。
「小侯爵はよほど腹に据えかねているのですね」
「僕も同じ気持ちだよ」
ロバートもエドワードに同調する。
『うーん。お父様と伯父様に言われちゃうと断りにくいなぁ』
「できないこともないのですが、ソフィア商会にまったく利がありません」
「金を用意すればいいのか?」
「小侯爵、あなたの債務はソフィア商会で借り換えしたことを忘れてませんよね? それとロバート卿、見栄を張ってロイセンへの献上品のシュピールアを買いまくった手形がこちらの手元にあることをお忘れですか? どちらもなかなか素敵な金額ですよ?」
「うっ」
「うへぇ」
『この兄弟、こういうとこそっくりだな。父さんも追いつめられるとこんな感じだったのかなぁ?』
「鉱山ならどうだ? 抵当に入っているアレだ。グランチェスター領に接しているし、ソフィア商会なら開発も簡単だろう?」
「うーん。魅力的ではあるんですが、つり合いが取れないと思いません? 連合国との戦争に勝てって言ってるんですよねぇ?」
「ではロイセンの鉱山も付けようではないか。私の所領のうち、アヴァロンの国境に面した地域に3つの鉱山がある。これをすべてソフィア商会に譲ろう。さすがに国境線を引き直す権限は無いが、鉱山の権利は私が所有しているので譲っても問題ない。特区として国境の行き来についても制限を緩めても良い」
『うーん…悪くない条件だけど…どうするかなぁ』
ソフィアは暫し考え込み、その様子を周囲の人間は黙って見ていた。
「グランチェスター小侯爵の『一泡吹かせる』のレベルがわかりません。あちらはロイセンの足下を見て高値で売りつけるため、小麦の在庫を大量に抱えているはずです。ロイセンに適正価格で大量の食糧を供給できれば、沿岸連合の商人たちは売れない小麦の在庫を抱えて苦労するでしょう。おそらく破産する商会もあるはずです。そのレベルで問題ないのですか?」
「もっと上のレベルがあるのかい?」
「そうですねぇ…一番上は『沿岸地域一帯を焼け野原にする』ですが、その次くらいが『首脳陣の首をまとめて切る』でしょうかね。物理的に」
「そこは、物理じゃなくてもいいんじゃないかな」
「静かになっていいと思いますけど、ちょっぴり過激ですよね」
その場の全員が『ちょっぴり?』と疑問に思ったが口には出さなかった。
「要はアヴァロンに手を出したら容赦しないってことを理解していただいて、ロイセンにはアヴァロンという後ろ盾がいるってことをアピールすればいいんですよね?」
「そうだな」
「ついでに、あちらからロイセンに対して『安くても良いので小麦を買い取ってください』って泣きながら頭下げさせればいいのかしら?」
「別に泣かせる必要はないのだが…」
「あらゲルハルト王太子は、それくらい屈辱を味わったのかと思ってましたが、そうでもない感じですか?」
「いや、実際そうなったらさぞかし爽快だろうとは思うくらいには屈辱的だったな」
だが、ソフィアの説明を聞いていたレベッカは疑問を口にした。
「ソフィア、あなたは大量の小麦ではなく、大量の食糧を供給するって言ってたわよね?」
「はい。小麦と大麦は戦略物資なので輸出に制限がありますが、その他の食糧には制限がかけられていません。しかしながら、この方策で乗り切るにはロイセンで食事改革を実施して頂く必要があります」
「どういうことだ?」
「パンなど小麦が原材料になっている食糧以外の物を食べてもらうのです。小麦への依存度を減らさなければ、いつまでも同じ問題で悩み続けることになります」
それを聞いたゲルハルト王太子は哀しい顔をした。
「ロイセンに豊かな土壌が戻ることは無いのだろうか…。私が子供時代を過ごしたナイトハルト領は、グランチェスターにも負けない程の穀倉地帯だったんだ。どうしてこんなことになってしまったのだろう」