どうやら戦になっているらしい
「なんということだ…」
ゲルハルト王太子は頭を抱え込んで項垂れた。
「おそらく沿岸連合の強硬なやり方は、我が国の首脳陣の想定を超えたのでしょう」
「つまり、ロイセンは再び沿岸連合に頭を下げ、あの者どもの言い値で小麦を買い付けねばならないということなのか?」
「この話は私の想像の域を超えておりません。まだ思い悩む段階ではございません」
そこにグランチェスター侯爵が割り込んだ。
「ソフィアよ、もしかするとこれは戦なのか?」
「私はその可能性が高いと考えます。おそらく沿岸連合はロイセンとアヴァロンに戦を仕掛けてきています。しかも、かなり懐近くまで潜り込まれてしまったようですね」
ゲルハルト王太子はがばっと顔を上げ、ソフィアに問う。
「待て、ロイセンへの宣戦布告というなら理解するが、何故アヴァロンまで?」
「おそらく何年も前から計画されていたのでしょう。数十年前から少しずつ土地が痩せてきていることから考えて、今後も小麦の需要は高まると考えたはずです」
「まぁ想像に難くないな」
「ですがロイセンの隣国であるアヴァロンは、グランチェスターをはじめとした穀倉地帯を持っています。小麦を高値で売りたい沿岸連合にとっては邪魔な存在です」
「ふむ」
「そこで彼らはグランチェスターの官僚たちに近づき、横領事件を起こしました。グランチェスター領からは備蓄を含む大量の小麦が消失しています。おそらく沿岸連合のいずれかの国がグランチェスターの小麦を売り捌いたはずです。ロイセンに輸出された小麦がグランチェスターの小麦だった可能性もあります」
「なっ! 盗んだ小麦を我が国に高値で売りつけたというのか?」
「あくまでも仮定の話です。検証してみなければわかりません」
グランチェスター侯爵も苦い顔をして話を聞いている。
「そしてグランチェスター領では、ロイセンを騙る輩による暴動が発生しました。あの暴動にはいくつかの目的があったように思います。一つ目は現グランチェスター侯爵閣下の排除です。狩猟大会という大きなイベントを控えたグランチェスター領において、狩猟場での暴動は放置できる問題ではありません。また、元騎士であるグランチェスター侯爵閣下自身が現場に来ることも想定していたでしょう」
「なんだと!」
エドワードが叫ぶと、横に居たロバートも怒りを示した。
「お二方とも冷静になってください。実際、暴徒の数を上回る数の傭兵が潜伏していたことから考えても、その可能性は高いように思います。殺害に至らないまでも、怪我をさせることで引退に追い込むことができれば良いくらいに考えていたのではないでしょうか。おそらくグランチェスター領において領主の代替わりをさせたかったのではないでしょうか」
「なぜ父上を害してまで、私をグランチェスター侯爵にしたかったのだ?」
エドワードが声を上げた。
「それを申し上げて良いのか少し悩むのですが…」
「構わん。申せ」
「おそらく小侯爵閣下が債務超過に陥っていたからかと」
「なっ! なぜそれを!」
「サラお嬢様を通じて現金を融通したのはソフィア商会ですので」
「そ、そうか」
ロバートがエドワードの肩をポンっと叩いた。
「リズや子供たちの買い物も、敵に仕組まれて誘導されていたかもしれない。だとすればかなり巧妙なやり口だ」
「その可能性はありますね。小侯爵閣下の手形はひとつの商会に集まり過ぎています」
「シルト商会、か。確かあの商会の本拠地はロンバルだ」
「はい。ロンバルを本拠地とした大商会です。確かロイセンの第三王子殿下、いえ今は臣籍降下したグリューネヴァルト公爵閣下の亡くなられた奥様はロンバルのご出身ですよね?」
「そうだ。だが彼は自身で王位を放棄したのだ」
ゲルハルト王太子は絞り出すように答えた。
「私もそのように耳にしております。ですが、その娘である公爵令嬢をゲルハルト王太子の妻に推す声は多いはずです」
「確かにそうだが、国のために他国から妃を迎えるべきだと私が退けた」
「ですがグリューネヴァルト公爵閣下とご令嬢を支持する派閥の大半は、沿岸連合の息が掛かった貴族や商人です。違う角度から見れば、沿岸連合の姫を娶るのも同然です。祖母である王妃殿下もロンバルの出身ではありませんか」
ゲルハルト王太子は雷に打たれたような顔をしてソフィアを見つめた。
「よもや王妃殿下やグリューネヴァルト公爵を疑っているのか?」
「そうは申しておりません。ですがまったく無関係と断じることもできません。ご本人でなくとも支持派閥が勝手に動くこともあるでしょう。すべては推論に過ぎません」
「うーむ」
目に怒りをたたえながらも、冷静な声でロバートはソフィアに問う。
「ところでソフィア、暴動にはほかにも目的があると言ってたよね?」
「はい。二つ目はわかりやすいと思いますが、グランチェスター領の麦を焼き払うことにあります。この戦は小麦をどれだけ保持しているかで戦況が大きく変化します。事実、暴動と連動するように500人規模の工作員がグランチェスター各地に入り込んでいました。幸いにも火を放たれる前に全員を拘束できたので実被害はありませんでしたが、成功していたらアヴァロンでも小麦が高騰したことは間違いありません」
「グランチェスター領の情報網と騎士団の機動力には驚きを隠せないな」
ジルバフックス男爵は感心しきりであった。
「そして三つ目の目的ですが、これら一連の凶行を『ロイセンの犯行』と思わせることにあるのではないでしょうか。アヴァロンとロイセンの関係悪化を狙っているのかと」
「それは暴動が起きた直後に、グランチェスター侯爵から直接聞いたよ」
これにはグランチェスター侯爵が苦笑気味に応える。
「そういえば王都にてゲルハルト王太子殿下にもお目にかかりましたな。ここまでの大事の一端であるとは想定しておりませんでしたが」
その様子を見ていたソフィアは疑問を口にした。
「ですがゲルハルト王太子殿下、なぜこのようなことを一介の商人に過ぎない私にお尋ねになるのでしょう? グランチェスター家が立会人となることは想定されていなかったようですし、私どもが勝手に小麦を売ることができないこともご承知のはず。殿下は私に何をお望みでいらっしゃるのですか?」
「それは…その…フローレンス商会との繋ぎを付けて欲しかったのだ」
『あぁなるほど。サラの血筋を頼りたかったのか』
「彼らも沿岸連合に加盟する国を本拠地とする商会です。沿岸連合と行動を共にしているとは考えないのですか?」
「沿岸連合は一枚岩ではないし、フローレンスとロンバルは対立関係にある。それにジェノアは議会でも常に中立だ」
ソフィアは深くため息をついた。
「残念ながら、私には殿下が期待されているような伝手はございません。私の容姿から推測されていることは理解いたしますが、私はアヴァロン国民なのです」
グランチェスター侯爵がソフィアの発言をフォローした。
「ソフィアの申すことは事実でございます。ソフィアはアヴァロンで生まれて育ち、ここに来る前には王都におりました」
「そう、か」
明らかにゲルハルト王太子はガックリと項垂れていた。
「お役に立てず申し訳ございません。ですがひとつだけ情報をお渡しします。シルト商会のマイアーは今夜の晩餐会に参加しておりました。まだ帰っていなければ舞踏会にも参加しているかもしれません」
「なんだと! どんな男だ!?」
「見た目は40歳前後、身長はロバート卿程でしょうか。細身ではありますが、筋肉はしっかりついていそうでした。髪は赤みがかったブラウン、瞳は鳶色です。ネイビーブルーのコート、クラバットにサファイアの飾りを付けていました」
ゲルハルト王太子は傍に控えていた使用人にマイアーを探し、見つけ次第連れてくるよう指示を出した。
『おそらく姿を消しているでしょうね。もう、セドリックも先に教えてくれてたら違う対処できたのにぃ』
そこまで妖精に要求する方が無茶だと思うのだが、便利が過ぎると要求も高くなるものらしい。
「しかし、よく観察しているな」
「同じテーブルで食事をいただきましたので」
「其方に名乗ったのか?」
「いえ、別名で王都にある商会の主のフリをして参加していらっしゃいました」
「なぜわかった?」
「事前に聞いていた容姿の方が、私を探るように小麦を買い占めた事を尋ねてきたのです。私が『さすがにマイアー様程の大商人ともなると、お耳も早いのですね』とお返ししたところ、驚いた様子ではございましたが、否定はしませんでした」
「ふむ」
「その後、小麦を売って欲しいと言われましたので、別日に条件をすり合わせることにいたしました」
ゲルハルト王太子はテーブルに手をついて身を乗り出し、ソフィアに詰め寄った。
「頼む。シルト商会には小麦を売らないでくれ!」