危険な舞踏会
晩餐会が終わると、大ホールでの舞踏会が行われる。これが閉会式の最後のイベントであり、明け方近くまでホールは開放されているのだという。
さすがにソフィアの立場で即抜けは厳しいということで、今日はレベッカから居残りの許可を貰っている。ちなみにレベッカたちが引き上げる23時までには、こちらも会場を後にする予定である。
音楽が始まると、護衛兼パートナーのダニエルがダンスに誘ってくれた。
「ダニエルは剣術だけじゃなくダンスも凄く上手ね」
「騎士団で一通り習うんです。身体を動かすのは苦手ではありませんでしたから」
もちろんソフィアも身体を動かすのは得意なので、ダンスもそこそこの腕前である。
「ソフィア様もお上手ですね」
「ありがとう。きっとゴーレムのソフィアでも上手なんだろうなぁ」
「もしゴーレムでもそれなりに執務をこなせそうなら、ある程度はそちらに任せた方が良いんじゃありませんか?」
「私の護衛がイヤになった?」
「それはまったくありませんが、サラお嬢様は子供時代をもっと大事にした方がいい」
「大人が言いそうなことね」
「まぁこの歳になっても大人になった自覚は全然ないんですけどね。人の親になったこともありませんし」
「説得力無いわねぇ。でも、言いたいことはわかる。ありがとう」
『商談以外の部分は確かにゴーレムでもいいかも。商会の執務室に毎日いる姿を見せたくもあるし。でも何かあったらすぐに連絡取れるようにしたいんだよね。でも妖精は気まぐれだから確実性に欠ける気もするなぁ…』
「ソフィア様、変な提案した私が悪いとは思うんですが、踊っている時くらいこっちを見てくれませんか?」
「ごめんなさい。考え事してたわ」
「ステップを間違わないのは凄いって褒めるべきなんでしょうが」
「こんな私に呆れずに付き合ってくれるダニエルって本当にいい人よね」
「はは。それ一番言われたくないヤツですよ。男としては」
「よく聞くけど女性の方は本気で言ってるわよ?」
「だから余計に質が悪い」
ダニエルはソフィアの細いウェストを引き寄せ、視線を合わせてニヤリと笑った。
「言葉はいらないので、今だけは私だけを見てください」
『ぎゃー、ギブギブ! ダニエルいきなり距離詰めんなよぉ。誰よ、この男に酒飲ませたのは!!』
酒を飲ませたのは晩餐に連れてきたソフィアであるが、ダニエルは食事と一緒に出てくるくらいの酒で酔うような男ではない。ザルやウワバミなどと呼ばれるタイプである。
だがダニエルは明らかに酔っていた。他でもなくソフィアという底の知れない沼に足の先から頭のてっぺんまでどっぷりと沈んでいた。
夜空のような色のドレスはいつもよりも胸元が開いており、月の光を紡いだような髪はシンプルに結われている。そして、顕になった白く華奢な首筋からは花の香りが漂い、小さな魔石を沢山縫い留めたリボンをチョーカーのように結んでいた。
いつもとは雰囲気が違うダニエルに戸惑ったソフィアは、ステップを間違えてダニエルの足を踏んでしまった。
「あ、ごめんなさい」
「いえ、あなたにそんな表情をさせるくらい動揺させたかと思うと嬉しいですね」
「今日のダニエルは意地悪です」
「あなたが腕の中にいる間くらいは夢を見させてください」
この後もダニエルはソフィアを離さず、3曲続けて踊り続けた。3曲目が終わったタイミングでジェフリーが近づいてきてダニエルに声を掛けた。
「邪魔して悪いんだが、ロブが凄い形相でお前のこと睨んでるぞ。婚約したばかりで、他の女のパートナー睨むとか外聞悪いからひとまずダンスはここまでにしてくれ」
「おっと夢の時間は終わりか。短かったなぁ」
「しかし、ソフィア、お前さんはなんつー顔してるんだよ。ダニエルになんかされたか?」
「そんな変な顔してますか?」
「うーん。野郎どもが前屈みになって部屋を立ち去るような顔? つーか踊っててダニエルのが当たらなかったか?」
「まぁ、ちょいちょい」
「気付いてたんですか!」
「まぁ、踊ってたら当たるものなのかなと思って」
「なんで慣れてるんですか!」
「だってスコットとダンスのレッスンしてるもの」
ジェフリーは息子の成長(性徴?)を聞いて心底愉快そうな顔をしたが、ダニエルは黙ってなかった。
「言葉攻めには弱い癖に、なんで物理的な接触に慣れてるんですか。ってか団長、息子さんの教育はどうなってるんです?」
「おい、ダニエル。お前、自分が13歳の頃を思いだせよ」
「……サルでした」
「ほらみろ」
横にいたソフィアは深いため息をついた。
「あの、そういう話は殿方だけの場でやっていただけません? こちらは気づいても知らないフリをするのがマナーだって習うんですよ」
「え、そんなこと習うの?」
「習いますよ。知らないんですか?」
「淑女教育怖え。っていうか8歳で習っちゃダメだろ」
「ソフィアとして行動する以上は知らないわけにいかないじゃないですか。お陰で王妃様直伝の教育カリキュラムをぎゅうぎゅうに詰め込まれてますよ。でもアレってよく考えたら側室用ですよねぇ?」
そこにロバートとレベッカが連れ立ってやってきた。
「いいえ、いつ何があるかわからないから、正妃としても問題なくやっていけるようにと教わったわよ。だから正妃教育の方が近いと思うわ」
「私、かなりヤバ目の教育を受けてる気がします」
「優秀な成績だからいいんじゃない? そろそろ卒業できるわよ」
「レヴィ、どれだけ詰め込んだんだよ!」
「基本的な所作と常識を詰め込んだだけよ。外交なんかは私より彼女の方がずっと上手だし、外国語は私より流暢に三カ国語くらい話すんですけど?」
「じゃぁ、ソフィアに足りないのはなんなんだよ」
「貴族家の知識と歴史や文学なんかの基礎的な教養ね。このあたりは付け焼刃じゃ無理だから」
「最近は妖精のお陰でかなりズルしてます。貴族家同士の絡む歴史とかは特に」
「あぁ、確かに便利ね」
ダンスホールの方から、踊り終えた男性がソフィアに向かって歩いてくるのが見えた。
「こんばんは。ご歓談中のところ申し訳ありません。ソフィア嬢をダンスにお誘いしてもよろしいでしょうか?」
「メディス商会のジュリオ様ですわね。おじい様のお加減はいかがかしら?」
声を掛けてきたのはコジモの孫であるジュリオだ。もちろん、セドリックがそっと耳打ちをして名前を知らせてくれている。
「僕をご存じなのですね。祖父は年齢もあり大事を取っておりますが、それほどひどくはありません。ご心配いただきありがとうございます」
『さすがに痛風の事は話さないか。まぁ商人が健康状態を隠すのは不思議なことではないわ』
「まぁ『美しきジュリオ様』を知らない女性がいるはずがないではありませんか。私でよろしければ喜んで」
ジュリオはとても美しい男であった。トマスは仕事のできるエリート官僚的な雰囲気を漂わせた美青年だが、ジュリオは退廃的な芸術家のような男であった。長身だが線は細く、長い巻き毛の黒髪を後ろで束ねている。
『正直このタイプのイケメンは苦手なんだよなぁ』
だが一部の女性たちからは熱狂的に支持されており、密かに絵姿も出回るほどであるという。
ソフィアの雰囲気が商会長のモードに変わったことに気付いたグランチェスターの関係者たちは、それぞれ適切な距離を取った。
『身内の人たちは察しが良くて助かるわ』
「ふむ。君はコジモ氏の孫なのか。ということはメディス商会の次期当主なのかい?」
「僕は次男です。メディス商会は長男のローレンが継ぐはずです」
コジモの孫と知り、小麦の談合を調査していたロバートは警戒を強めた。無論、ロバートも貴族なので笑顔を崩したりはしないが、尋問のように相手に質問をせずにはいられなかった。
ソフィアはジュリオに手を取られ、ゆっくりとダンスホールへと向かった。
「このようにお美しい方と踊れるとは、なんと僕は幸運なのでしょう」
「まぁジュリオ様はお世辞もお上手でいらっしゃいますね」
「月の女神のような方を前にして、世辞などいうはずもございません。ソフィア様がグランチェスター領に来てくださったことを神に感謝しなければ」
『この男は女神だの神だの大仰だな。聖職者にでもなればいいのに』
ダニエルと踊ったときのようなドキドキはまったく感じることなく、踊ったことで相手がとても不健康そうであることが心配になった。
「僕はあなたと仲良くなりたいです」
「こうして踊っているのですから仲良くなったと言えるのではありませんか?」
「美しい人、僕はあなたの特別な友人になりたい」
『うげー。なんかキモいこと言ってる。ってかこの人ちょっとナルシスト入ってない?』
「特別な友人というのは?」
「そうですね。夜が明け行く時刻、並んで空の色の変化を一緒に見たいです」
「私もそれなりに早起きな方ではありますが、さすがにそのような時刻に空を見るために外出できるほどではございませんわ。ジュリオ様は早起きでいらっしゃるのですね」
「あ、いや。そういうことではないのですが…」
「美容のために早寝を心がけてはいるのですが、今日はかなり夜更かしすることになりそうですわね。そういえば、私は朝食前に邸の庭を走っているのですが、特別なお友達になったことですし、ジュリオ様もご一緒しますか? いい汗をかけば仕事も捗りますわ!」
「いや僕はあまりそういうことは…」
「まぁ残念ですわね」
正直ソフィアはジュリオにウンザリしていたが、ジュリオの手が腰のあたりをもそもそと撫でるように動いたため、さりげなく身体を離して位置を変えた。
『うーん。これはコジモが仕掛けたハニートラップ? それにしちゃお粗末だよね。やっぱり、こんな顔してると、不慣れな令嬢はコロっといっちゃうってことなのかなぁ』
ソフィアは踊りながら冷静に考えていた。前世ではお一人様のままだったが、だからと言って男性とお付き合いしたことのない喪女というわけでもない。女性が社会人をそれなりにやっていれば、セクハラにもパワハラにも耐性はつく。そもそもワインの産地を巡っていれば、女性を口説くのが礼儀だと思ってる男たちにも山ほど遭遇した。
だが執拗に身体を密着させてくるジュリオには辟易していたので、ダンスが終わったら早々にダニエルの元に戻った。
「ダニエル、あの勘違い男はマジでキモい。腰と背中のあたりをさわさわしてくるし、明け方の空を一緒に見たいとか言ってきた!」
「処しますか?」
ダニエルが一気に剣呑な雰囲気を纏った。
「いやいや、処したら駄目でしょ。あれでも商会の息子で、商業ギルドのギルド長の孫なんだよ!?」
「じゃぁ、夜陰に紛れて物盗りのように見せかけますか?」
「暗殺の指示出してるわけじゃないってば! ただ、二人っきりにしないで欲しいの」
「承知しました。それと、別の厄介なのが近づいてきてますが、どうされますか?」
ダニエルの鋭い視線の方向に目を遣ると、ジルバフックス男爵がソフィアに向かってきていた。
「ダニエル、あの人は商談相手よ」
「明らかにソフィア様に下心をお持ちですが?」
「そういう人を端から処してたら、ダニエルは殺人鬼の仲間入りよ」
「ちゃんとご自分の魅力は理解していらっしゃるのですね」
「サラの部屋にもソフィアの執務室にも大きな姿見はあるわ」
「ソフィア様、危険なのは外見に惑わされた男よりも、あなたの内面を知っても傍に居たいと願う男の方です」
「それじゃぁダニエルが一番危ないじゃないの」
「ご理解いただいているようで何よりです。とはいえ、あなたは私の剣の主ですからね。私があなたに無理強いすることは決してありません。たとえ他の男を選んだとしても、剣を返してもらおうとも思わないでしょう」
「かなり拗らせてない?」
「自覚はあります」
などと話しているうちに、ジルバフックス男爵がソフィアの背後から声を掛けた。
「ソフィア、私とも一曲踊ってくれないか? ただ、その前に私の主に会って欲しい」
「あなた様の主と言うと…」
「そうだ。ロイセンのゲルハルト王太子殿下だ」