シルト商会のマイアー
晩餐会は身分によって着座する場所が決められる。
グランチェスター侯爵、王族、上位貴族の当主夫妻は正餐室に用意されたテーブルに着き、その他の招待客たちは別室の大部屋に案内される。もちろん別室においても明確に身分でテーブルが別けられており、平民のソフィアは必然的に同じく平民である商人たちと近い場所で食事を取ることになる。
ちなみにコジモは本日の閉会式には不参加であった。持病の痛風が悪化し、激痛で立ち上がることもできない状態なのであるという。
『コジモさん…花を愛でるお茶よりも、尿酸値下げるような薬を飲むべきなんじゃ?』
ソフィアは前世で痛風を患っていた上司のことを思い出し、ちょっと気の毒に思った。だが、痛風の症状悪化は激しいストレスが原因になることも多いので、よくよく考えればソフィアが原因の可能性も高い。原因はともかく、コジモに投薬治療や生活改善が必要なことは間違いないだろう。
普段幅を利かせているコジモの目が届かないのを良いことに、多くの商人たちが積極的にソフィアに声を掛けてきた。
「ソフィア商会の商品には驚かされますな」
「あの酒はいつから用意されていたのですか。熟成期間中、ずっと私たちから隠しておけるとは思えません。製造拠点はかなり離れているのですよねぇ?」
「次の魔道具のアイデアはあるのですか?」
などなどウンザリするほどの質問をうけたが、ソフィアは完璧な作り笑いで当たり障りのない答えを返していく。
そこにズバリと切り込んできた商人がいた。
「ところでグランチェスター領の小麦を買い占めたというのは事実ですか?」
ソフィアは、食事の手を止めて相手を見据える。年齢は40歳前後に見えるが、エネルギッシュな大商人は若く見える傾向があるため、実際にはもう少し上かもしれない。
セドリックがソフィアの耳元で、相手がシルト商会の会長を務めるマイアーであることを告げた。
『ははん。この人がエドワード伯父様に大金を貸し付けたロンバルの商人なのね』
ソフィアは、極上の微笑みを浮かべてマイアーに対峙した。
マイアーはコジモによる談合の集会でも、ひときわ高い資金力と影響力を持っていた大商人であり、フローレンス商会の情報を提示したのもこの男であった。
「さすがにマイアー様程の大商人ともなると、お耳も早いのですね」
「おや、私をご存じでしたか」
「駆け出しの未熟者ではございますが、私も商人でございます。幾多の国々で成功されていらっしゃるシルト商会を知らないはずもございません」
『嘘です。今知りました』
「ははは。私はあまり表に出ないようにしていたつもりだったのですが、これは驚きだ」
実は近くにいた商人たちも驚いていた。シルト商会のマイアーは、直接人と顔を合わせることの少ない人物として知られていた。また、この晩餐会でもシルト商会のマイアーではなく、別の商会の代表として参加していたことから、ソフィアの発言は驚くほど周囲の視線を集める結果となった。
『ちょっと、セドリック! 正体隠してるってことも一緒に教えてよぉぉ』
内心の焦りを表情に表すことなくソフィアは優雅に微笑み、優雅な仕草で食事を再開した。一方のマイアーも人の良さそうな笑顔を浮かべ、グラスからワインを一口飲んだ。
「私はそれなりにグランチェスターの手形を持っていてね、今回はその手形で小麦を買い付けるつもりでこちらに来たんだ。だが、既にソフィア商会が買い付けた後だと知ってガッカリしたよ。もっと早く来るべきだったと後悔しているところさ」
これはマイアーの嘘である。彼は狩猟大会の始まる5日前にはグランチェスター領を訪れており、コジモをはじめとする商業ギルド関係者や商人たちと話し合いの場を持っている。
「そうだったのですか。さすがにシルト商会の荷馬車を空で帰すのも申し訳ないですわね。よろしければ、小麦をお譲りいたしましょうか?」
「少しばかり融通してくれると助かるね」
「では必要量と希望される取引条件などを書面にてソフィア商会までお送りくださいませ。そちらを見てから条件面を擦り合わせることにいたしましょう」
「承知した」
マイアーはニコリと笑ってソフィアに向かって軽くグラスを掲げたため、ソフィアも同じくグラスを掲げた。
「おや、ソフィアさんはワインを飲んではいないようだね」
「実は少々お酒を控えているのでございます」
「あれほど新しい酒で社交界を賑わしているのに?」
「試飲し過ぎてしまいましたの。お陰で従業員からは、『売る分がなくなるから控えろ』と怒られてしまいましたわ」
「はは。それは手厳しい従業員ですね。だが商人としては正しい。売れる商品を金にするのが商人というものですから。それでも本当に美味い酒でしたから、ついつい試飲にハマる気持ちは理解できますよ」
「お褒め頂き光栄ですわ」
実際に試飲というか盗み飲みで怒られたのはグランチェスター侯爵なのだが、ひとまず飲酒を断る言い訳には便利である。なお、ソフィアが飲酒していないのは、サラが実際に成人年齢に達するまで飲酒を禁止されているせいであった。
『くぅ。飲みたいよぉ。でもお母様が本当に成人するまでダメって言うしなぁ…』
だが、ソフィアを囲む多くの商人たちは、『ソフィアは飲酒による商談の失敗を警戒しているのだろう』と判断し、『若い女性らしい一面があるのだな』と勝手に勘違いしていた。
「本来なら酒の取引も持ち掛けたいところではあるのだが、数年先まで予約で一杯だと聞いているので、そっちは諦めているよ」
「申し訳ありません。なかなか製造が追いつかなくて。仕込んでいる樽はございますので、来年、再来年、と少しずつ出荷量も増やせるはずですわ」
「それは楽しみですね。必ずお取引をお願いしに伺いますよ」
「それまでには王都にもソフィア商会の拠点を設けておかねばなりませんね」
「是非とも王都でお会いしたいものです」
「ふふっ、光栄ですわね。ですが、おそらく私自身の活動の中心はグランチェスター領だと思いますわ。ここが商会の『始まりの地』ですから」
「ほう…意外ですな。ソフィアさんの始まりの地は、もっと沿岸に近い…そうジェノアあたりかと思っておりました」
『おっと、探られているわね。まぁ仕方ないか』
「ふふっ。やはり海上貿易で賑わう沿岸連合の国々は魅力的ですね。商人として憧れる地域ですもの、いつかは行ってみたいものですわ」
「でしたら是非ともロンバルにもお立ち寄りださい。シルト商会が全力でソフィアさんを歓迎いたします」
「嬉しいお言葉です。いつか機会がありましたら是非」
「ただ我らはもともと海賊のようなものですから、歓迎も少々荒っぽいかもしれません」
「それは退屈しなさそうですね」
ソフィアとマイアーはにこやかに握手を交わしたが、同時に互いを値踏みする目線が絡み合った。
『なかなかのイケオジだけど、目つきが猛禽類っぽいわ。それにしても引き締まったいい身体ね。握手した感じだと剣を使うのかな。そこらの盗賊くらいじゃ、この男に傷ひとつ付けられないかもしれない』
ふっとマイアーが小さく笑うと、少しだけ子供っぽい顔が覗いた。
『あらやだ笑うと可愛いわね』
「いずれにしましても、近々ソフィア商会にはお邪魔させていただきます。さすがに一粒の小麦も手に入れられないようなことにでもなれば、商会が傾いてしまいますので」
「マイアー様は大袈裟ですわね。グランチェスターの小麦が無くとも、他の穀倉地帯といくらでも交渉可能でしょうに」
「いやいや、グランチェスターの小麦の品質は他の追随を許しませんからね」
こうしてソフィアはシルト商会のマイアーと最初の対面を果たしたのである。