商会長は今日も大忙し
ソフィア商会の本店は、驚くほど大勢の人で賑わっていた。
もっとも、これは予想されていたことでもあった。ソフィア商会の本店の敷地には大きな庭もあるため、ここをガーデンパーティーのように設えてあり、常に飲み物や食べ物がビュッフェ形式で提供されている。
門の前には来店した客の用向きを尋ねる従業員がおり、店内を見て回りたい客、特定の商品を求める客、そしてソフィアとの面会を予定しているか希望している客と手際よく捌いている。
こうすることで冷やかし客の大半は排除できる。中には厚かましくビュッフェで飲食だけして帰る客もいるが、それは大した問題ではなかった。どちらかといえば『わざわざ訪ねてきたのに放置された』と感じさせてしまう方が、新参のソフィア商会にとっては痛手である。
ソフィアは裏門から本店に入り、執務室へと向かった。すかさず書類を抱えた28号が近づいてくる。すっかり秘書のようになってしまっている。
「ごめんね、もっと早い時間に来る予定だったのに」
「面会はすべて午後に予定しておりますので問題ありません。ビュッフェはいつも通りではありますが、シードルやエルマブランデーをリクエストされるお客様が多いそうです」
「アレをビュッフェで出すのは無理だわ。少なくとも今の段階では」
「承知いたしました」
「うーん。エルマ酒の供給にも限界があることだし、ここはワインがだぶついてるハリントン領に買い付けにいくかなぁ」
「そのハリントン伯爵ですが、個別に面会できないかと打診が来ております」
「あら、そうなのね。ハリントン伯爵の宿泊先はどこかしら?」
「狩猟場近くのコテージですが、明日以降であれば伯爵自ら本店に足を運んでも構わないとの仰せだそうです」
「伯爵家相手にそれは申し訳ないわ」
「お言葉を返すようで申し訳ございませんが、ハリントン伯爵は独身ですので、ソフィア様がコテージを訪問されるのは少々外聞が悪いかと」
「あの方、独身なのね」
「ハリントン伯爵は現在32歳ですが結婚歴はありません」
「貴族にしては珍しいわね」
「理由はマギも把握しておりません」
『それにしても外聞を気にするゴーレムねぇ。ほんとこの子たちの成長怖いわ』
「理由はどうでもいいわ。それより明日以降でいいなら、シードルとエルマブランデーの製造現場に興味が無いか聞いておいてくれない?」
「ハリントン伯爵に製造の秘密を明かすのですか?」
「そう長いこと秘密にできるようなことじゃないわ。それに見ただけですぐに作れるようになるわけでもないし」
「では、そのように手紙を書いていただけますか? 馬に乗れる従業員に持たせて先方の返事を貰ってまいります」
「わかったわ」
ソフィアは手紙をさらさらと認め、28号に渡した。
「うーん。やっぱりブランデーはワインから作らなきゃね。それにシードルよりも、スパークリングワイン飲みたい気分だしなぁ。エールやウィスキーにも手を出したくはあるけど、グランチェスターは圧倒的に小麦なんだよね。小麦でも作ってるとこはあった気がするけど、やっぱりアレは大麦麦芽だと思うのよ。ちょっと方向性を変えればトウモロコシもアリだけど…うーん」
「今の内容はマギに学習させますか?」
「もうちょっとまとまったら話すから、今はしなくていいわ」
「承知しました」
そこに従業員の一人が駆け込んできた。
「ソフィア様、大変です。輸送車が盗賊に襲われたそうです」
「盗賊?」
「はい。ただ、積んでいたのは大量の教科書だったため、盗賊たちは御者の持っていた現金と馬だけを盗んで去っていったそうです」
「御者や従業員は無事なの?」
「斬りつけられたようですが、あまり抵抗はしなかったそうで軽傷です」
「それは良かったわ。ところで、盗賊たちは教科書を放置していったの?」
「どうやら、ソフィア商会の荷車と知って、高価な商品があると思ったようです」
「当てが外れたってことね。その教科書ってことは印刷所から学園に納入してる途中だったのかしら?」
「はい。領都とはいえ、あまり治安のよくない場所も通りますから」
「なるほどね。今後の輸送には護衛を付けるしかないか…」
「ソフィア様、できれば屈強なゴーレムを付けてください。大型のシュピールア搬送中に何かあったらと思うと、胃が痛くて…」
『あら、この子も胃腸が弱そうね。後でアメリアの薬を貰ってあげようかしら』
「他領にゴーレムを入れても問題ないか交渉しないといけない気がするわ。人間の護衛の方が良いのではなくて?」
「信頼できる護衛がすぐに見つかるでしょうか? 金額を考えただけで胃が…」
「仮に商品が盗まれても、あなたに『弁償しろ』なんて言わないから安心しなさい」
『人に擬態したゴーレムも造れるけど、できれば乱造は避けたいなぁ』
「街道の整備についても、グランチェスター侯爵とお話した方が良いかもしれないわ。治安の悪い地域を通らないと荷物が運べないのであれば、別の道を整備するか、あるいはその地域の治安を改善するかのどちらかの対策が必要だわ。今回は軽傷で済んだけど、次もそうだとは限らないもの」
「しかし、領主様が対応してくださるでしょうか?」
「地場産業の流通経路に問題があると知って放置しておくような領主には、無能者の烙印を押すべきでしょうね。少なくともグランチェスター侯爵閣下は、そのような領主ではないと思うわ。長い目で見れば領のためになるし、自分たちの安定した収入にも繋がるのだから」
「なるほど」
「とにかく怪我をした従業員には見舞金を送って、有給休暇を与えて頂戴。治療費は全額ソフィア商会で負担すること。今回だけじゃなく勤務中や通勤中の怪我や病気は全部よ。それと、怪我が治ったらちゃんと復職できる環境を整えてね」
「そこまでされる必要があるのですか?」
「当然でしょ? ウチで働いてもらってるときに負った怪我なんだから」
「ですが休暇中まで給料を出すのはやり過ぎではありませんか?」
「突然怪我で働けなくなったら、生活に困るじゃないの。怪我してるのに無理して働きに来て悪化したらどうするのよ」
「はぁ…然様でございますか」
更紗の常識では普通のことなのだが、何故かこの世界では非常識だったらしい。まぁ前世のような社会制度が確立しているわけではないので、すべてソフィア商会の負担になるのだが、従業員への福利厚生は商会に対する忠誠心にも比例するので手を抜くべきではないと判断している。
「うーん。これを知ったらソフィア商会で働きたい者が押し寄せてきそうですね」
「商会を大きくするつもりだから歓迎すべきことだと思うけど?」
「皆が味方とは限りません。貴重な製造方法などが盗まれたらどうするんですか!?」
「私の目を盗んで犯罪?」
ソフィアはニッコリと微笑み、明るいトーンの声でポツリと呟いた。
「それが判明したら、生きてることを後悔したくなるような目に合うんじゃないかな?」
その瞬間。従業員の背筋にゾっと冷たいものが走り抜けた。
だが、従業員の恐怖などお構いなしに、ソフィアは淡々と午後の面会予定を片付け、合間に売り場やビュッフェ会場に足を運んで客と会話した。こうした顔見せの効果によって、既にシュピールアは追加製造が必要な程売れており、シードルやエルマブランデーは4年先まで買い手が決まった。
意外なことにロバートの恋愛小説が”女性たちに”沢山売れていた。夫や息子が狩猟大会に出ている間に暇を持て余した女性たちの間で、”ちょっと過激”な描写がウケているらしい。お茶会で密かに噂になったらしく、代理で買いに来る使用人がとても多い。
なお、ロバートの本は貴族向けの豪華な装丁のものとは別に、ペーパーバック版も出版している。こちらは平民でも頑張れば買えるくらいの価格設定であるため、主人のお使いのついでに、自分たち用にも買っていく使用人が多い。
『お父様の本が、あれほど女性ウケするとは思ってなかったわ。私もそのうち読んでみようかしら』
おそらくレベッカに反対されると思うので、読むときはこっそり読もうとソフィア姿のサラは決意した。