隣に立つ者
その日、サラは寝坊した。正確に言えば、スコットとブレイズも一緒に寝坊し、三人で暢気にブランチをとる羽目になった。
「寝過ごしたわ…。今日はソフィア商会でいろいろ片付けしたかったのに」
「仕方ないよ。夜更かししちゃったからね」
「オレ、ベッドに入った記憶ないや」
「お前は階段を上がったところで寝落ちしたから、父上が運んだんだ」
「うん。ブレイズは途中でバッタリだったわね。転げ落ちなくて良かった。無理に起きて待ってなくても良かったのに」
「だって王族に呼び出されたからさ…もしかしたら連れて行かれちゃうんじゃないかって心配になって」
「そっか。心配かけてごめん」
三人は談笑しながらも、もぎゅもぎゅと忙しく食事を済ませていく。
「んじゃ、これからソフィアになって出掛けるのかな?」
「今日は午後から面会予定がたっぷり入っているのよ。まぁ宣伝したんだから当然だけどね」
「貴族が来るの?」
「正確には、貴族の使用人かな。貴族が直接来ることは少ないわ。下級貴族だと気軽にショッピングで店に来る人もいるらしいけどね」
「ふーん。偉くなると気軽に買い物もできなくなるんだな。オレ貴族じゃなくていいや」
「その気持ちはよくわかる。おまけに偉くなると警備とかも大変だしね」
スコットが真剣な顔をしてサラを見た。
「僕たちは直接狩猟大会には出ないし、お茶会とかにも参加しないけどさ…」
「え、スコットも参加したかった?」
「そういうことじゃなくて、僕たちが見てないところで多分サラは凄く目立ってると思う」
「…否定はしない」
「同じくらいソフィアも目立ってるはず」
「そうだね。そっちの方が悪目立ちかも」
「サラって凄く美少女だよね」
「いきなりね。自覚が無いわけじゃないわよ。父さんと母さんには感謝してるわ。だけどスコットもブレイズも人のことは言えないレベルの美少年でしょうに」
「こっちも自覚がないとは言わない。インパクトで言えばトマス先生には敵わないけどね。それはともかく、これからサラには婚約の打診がいっぱい来ると思う」
「そうなっちゃうだろうね。今の私はグランチェスター侯爵の孫で、子爵令嬢になることが内定してるんだもん」
「それに、ソフィア商会との繋がりは、両方の顔を見た人ならすぐにわかるよね」
そこにブレイズも割り込む。
「子爵令嬢とか抜きにしても、サラを見たら好きになっちゃう男の子は多いと思う!」
「それは僕もそう思う。貴族のお坊ちゃんたちに目を付けられてそう」
「断る気満々だけどね」
「それってさ、断れない相手だったらどうするの? 王子とかオレたちがどうやっても敵わない相手だったら?」
見れば、スコットとブレイズの瞳は揺れていた。どうやら昨夜の王族から呼び出しは、彼らを相当動揺させてしまったらしい。
「そうなったら、私はここを離れるわ」
「ここって、グランチェスター領?」
「もし無理なことを言う相手がこの国の王室ならアヴァロンでしょうね」
「そんな! 僕たちを置いてどこかに行くつもりなの? サラにとって僕たちはどうでもいい存在なの?」
スコットはテーブルをダンっと叩いて立ち上がった。
「そうじゃないスコット。サラはオレたちのために離れるって言ってるんだよ」
「なんでだよ!」
「オレたちが弱くて力が無いからに決まってるだろ! オレは傭兵団に居たからわかるよ。傭兵団は騎士団と違って『卑怯な手段』も平気で使うんだ。生き残る方が名誉なんかよりずっと大事だから、敵の家族を人質にすることだって平気だし、敵をおびき出すためなら関係ない村だって平気で焼くんだよ」
「なっ!」
「もし王室がサラに強引な手段を取ったら、きっとグランチェスター家に不利な要求をいっぱいすると思う。それがイヤならサラを差し出せっていうんじゃないかな。サラがグランチェスターで守られ続けるなら有効な方法だよね」
「そんな。名誉を重んじるアヴァロン王室がそのようなこと…」
「しないって言い切れる?」
「……言えない」
スコットは苦い物を飲んだように顔を顰めた。
「だけど、サラがここを離れてしまえば『ここに居ないサラを差し出すことはできない』って言い訳できるんだよ」
「だけどおびき出す手段になるかもしれないよ?」
サラがその後を引き継いだ。
「ええ、そうなる可能性はあるでしょうね。だけど、それこそ『名誉を重んじる王室』という顔を、彼らはたかが小娘のために捨てることは出来ないはずよ」
「どういうこと?」
「私を差し出させるため、グランチェスターに不当な圧力をかけることだって、王室としてはギリギリのラインだと思うわ。長期間に渡ってそんなことをすれば、他の貴族からの反発を買ってしまう。それに、穀倉地帯であるグランチェスターはアヴァロンの食物蔵よ。下手に圧力をかけ続けるのは、自身の首を絞めるようなものだわ」
「だったらサラがアヴァロンから出ていく必要ないじゃないか!」
スコットは怒ったように大きな声で怒鳴った。
「多分、彼らは婚姻で私を王室に入れたいと思うはずよね?」
「うん」
「でも結婚には『適齢期』があるのよ。若い女性じゃないとダメ。あとは乙女じゃないとダメとかね」
男子二人はさっと顔を赤らめた。
『あらま、この子たちは意味を理解してるのね。まぁ不思議じゃないか。スコットは思春期だし、ブレイズは傭兵団出身だものね』
「今の私は8歳で、まぁ来月には9歳になっちゃうけど、それでも結婚できるようになるにはもうちょっとかかるよね。成人前でも親の許可があれば婚姻は可能だけど、お父様が許可するわけないから7年以上はかかる。その間、ずっと王室がグランチェスターに圧力なんてかけるわけにはいかないはずよ。婚約を打診してきたとしても、数年はのらりくらりと躱せばいい」
「成人年齢に近くなって圧力をかけてきたら?」
「そしたらここを離れることになる。当然周囲には『王室からの結婚の圧力に耐えきれずに出奔した』って大々的に喧伝するわ」
「王室の顔に泥を塗ってない?」
「ベッタリ塗りたくることになるでしょうね。なにせ王子様と結婚がイヤって言ってるんだから。まぁどの王子なのかしらないけど。アンドリュー王子じゃないことを祈るわ」
「なんで?」
「一応顔を合わせちゃったし、そんなに悪い人でもなさそうだから」
「サラ、もしかしてアンドリュー王子のこと好きになっちゃった!?」
「やめてよ! キレて魔力暴走する迷惑な王子よ?」
サラは咄嗟に否定の言葉を口にしたが、結果として男子たちはガックリ項垂れた。
「ごめんなさい」
「オレ山火事おこした…」
『しまったー、どっちも魔力暴走経験者だったー』
「あ、ごめん。でも二人は魔力制御の訓練がんばってるじゃない? でもあの王子は成人してるのに制御できてないとか問題でしょ。防御魔法を二重に展開しないといけなくて大変だったんだから」
「サラ…多分だけどさ、王族の魔力暴走を抑え込めるって時点で、絶対目を付けられてると思うんだ」
「オレもそう思う」
「だって、放っておいたら建物全壊よ? 下手したらゲルハルト王太子も巻き込んで、国際問題に発展してたと思うし」
「仕方ないってことはわかるんだ。けど、言い逃れできないトコまできてるよね」
「それさぁ、国の危機を救ったって言えなくもないんじゃ?」
「うっ」
『スコットとブレイズのツッコミが的確過ぎて泣ける』
「出奔してもグランチェスターに圧力かけられて、出頭させられるんじゃない?」
「どこに出奔したのかわからなければ、他国にも知られるくらい大々的に『グランチェスターに危害を加えられたくなければ、戻ってきて結婚しろ』って宣言しないと伝わらないと思うんだけど、そこまで王室が不名誉を被れると思う?」
「うーん。厳しいね。国内の貴族だけじゃなく他国にも知られるってことだもんね」
「でしょ。だから適齢期が過ぎた頃に、ひょっこり戻ってくればいいかなぁって。ついでに私が乙女じゃなかったりすれば完璧でしょ」
「え、ちょっと待って、それって!」
「相手誰だよ!」
「たとえばの話でしょ。なんでそこに反応するのよ。とにかく、別にグランチェスターを見捨てたりするわけじゃない。一時的に避難するだけよ。それにソフィア商会は、グランチェスター領だけじゃなく、他領でも商売するつもりなの。私は他の貴族たちも味方につけておくつもり」
サラはにんまりと笑った。
「そうやっていろいろなヤツに目を付けられそうなことをするなよ。僕たちが守れなくなるじゃないか」
「別にスコットが私を守らなくても良くない?」
「え? だってサラは女の子だし、守られるべきでしょ?」
「スコット、まだそこで性別を持ちだすの? 騎士の中で育てばそうなるのが普通だから仕方ないのかもしれないけど…」
サラが困ったように言葉を探していると、ブレイズがニカッと笑った。
「サラはオレなんかより強いからね。黙って守られる女の子じゃないよね。だから、オレはサラの横に立って一緒に戦える男を目指すよ。かなり高い目標だから、すげー頑張らないといけないけど、サラが出奔しなきゃいけなくなった時には、オレも一緒に行けるよう、アカデミーも速攻で卒業してくる!」
「おい、ブレイズ酷いぞ。抜け駆けか?」
「そうじゃないよ。だけど、スコットはもっとサラを知るべきだ。サラがどんな生き方をしたいかわかるだろう?」
「生き方…?」
「だって考えてもみろよ。サラが普通の貴族令嬢みたいに、誰かの嫁になるだけの女の子になれるわけないだろ?」
「……そうだな」
「だから、サラの近くにいたいなら、サラに選ばれたいなら、サラに負けないくらいの力を持たないといけない。それが頭の良さなのか、剣の強さなのか、魔法の腕なのかはわからないけど、今のオレじゃ全部サラに負けてるからね。これから死ぬほど頑張るよ」
このとき、初めてスコットはブレイズに『負けた』と感じた。ブレイズは自分よりもサラを理解していることに気付いたのだ。おそらく貴族に近い立場で育ったスコットは、どうしても女性の生き方を貴族寄りの目線で捉えてしまうのだ。
だが、ブレイズにはそうした思い込みがまったく無い。しかも傭兵団の中で極めて醜悪な成人男性と、彼らの言いなりにならざるを得なかった女性たちを知っていた。彼女たちは強い男に守られるのではなく、弱い女性であるが故に虐げられていた。
スコットは猛烈に『このまま負けたくない』という強い気持ちが湧きあがった。
「そっか。じゃぁ僕も頑張らないとな。勉強も剣も魔法も。サラ、僕にも魔力を枯渇させる魔道具を融通してもらえないか? 高そうだから支払は出世払いにしてもらえると助かる。魔力を増やして、友人の妖精に名づけしたいんだ」
「うん。分かったわ。スコットとブレイズの分も用意しておくね。その代わり取り出した魔力の水を貰ってもいい? アレを使ってアメリアが凄い薬つくるのよ」
「うん。いいよ」
「だったら魔力の水と引き換えにタダでいいわ。あなたたちなら凄く沢山魔力取れそう」
『なんか献血みたい。あれ、献血……? 街中に魔力を買い取るような仕組みを作る?』
買い取るのであれば、それは献血ではなく売血だと思うが、サラの脳裏には前世の献血カーや献血ルームが過っていた。
『子供たちを相手に魔力枯渇を体験させれば魔力量が増えるけど、昏倒しちゃうのは問題だよねぇ…』
「おーい、サラ、話聞いてる?」
「ごめん。うっかり考えごとにのめり込んでた」
「ダニエルさんが待ってるから、そろそろソフィアになってきた方がいいよ」
「わかったわ。ありがとう」
サラはナプキンで口許を拭い、立ち上がって部屋に戻った。
その後ろ姿を見つめながら、スコットとブレイズは図らずも同じことを考えていた。
『サラがグランチェスターを離れるときには、自分も一緒に行こう』