手を下すまでもなく自壊
その日、高級娼館「花の隠れ家」はいつにない喧騒に包まれていた。
「おい、コジモ! 話が違うではないか。アレではソフィア商会もグランチェスター家も現金が尽きるはずが無い!」
「例のロイセン貴族がソフィア商会から小麦を買い付けるという話も出ている」
「なんということだ。このままでは一粒の小麦も手に入らないかもしれん」
狩猟大会の会場で披露されたソフィア商会の新たな酒は、あっという間に貴族たちの話題の中心となった。
それだけではない。女性たちを虜にする基礎化粧品、楽団がいなくても部屋で音楽を聴けるシュピールアなどすぐにでも現金化できそうな商品がソフィア商会には山積みになっていた。とても庶民には買えない価格の大型シュピールアにも売約済みの札がしっかりと下がっていた。
「あの大型シュピールアを購入したのは、アールバラ公爵家だそうだ。しかも、ご令嬢の教材用にと曲の異なる小さなシュピールアを10台も購入し、それぞれの曲の楽譜まで購入したそうだ」
「おい、それはどれくらいの値段がするのだ?」
「一番小さい箱で5ダラス、一番大型の箱は王都でちょっとした邸が買えるくらいの値段だ」
「なんだ、その価格差は」
「箱の大きさは問題じゃない。中に入っている魔石がとにかくデカい。なんなら外側の箱は別のデザインで注文することもできるらしい」
「魔道具か…利益がどの程度なのかわからん」
「いくつか購入して錬金術師に分解させているのだが、魔法陣が暗号化されているらしくてな…」
「似たような商品は簡単に作れないということか」
商人たちは渋い顔をしながら、手元にあるワインを呷った。
「だが、あのシードルは確かに美味かった」
「エルマブランデーも素晴らしかったぞ」
「製造方法をグランチェスター家から公開してもらえる可能性はないだろうか?」
「いや、それも製造方法もソフィア商会の独占だ。グランチェスター侯爵自身が、ソフィア商会から言い値で購入していると公言している」
「領主としてソフィア商会に開示を命じればよいではないか」
「無理をいえばソフィア商会がグランチェスター領から離れてしまうのだそうだ」
「では、ソフィア商会はグランチェスター家の子飼いではないということか!?」
「そのようだな」
コジモはワインの入った金属製のゴブレットを、テーブルに叩きつけるように置いた。大きな音を立ててワインが零れ、コジモの袖口に赤黒い染みを作った。
「くっ!! あの女は商業ギルドに登録する際、『ハーブティ』と『エルマ酒』を売ると言っていたのだ。あとは細々とした女性向けの商品だと」
コジモのイラついた様子は相手にも伝わったようだ。
「まぁ嘘はついておらん。シードルとエルマブランデーは、どちらもエルマ酒から造られるらしい」
「ほう。そうなのか」
「開会式の会場でソフィア自身から聞いたから間違いない」
「あの女と知己を得たのか?」
「いや、ハリントン伯爵と話をしているのを横で聞いていただけだ。あの会場では、貴族たちが先を競うようにソフィアを取り囲んでおったせいで、我らのような商人では近づくことすらできなかった」
するとコジモは自分が調査できた内容を話し始めた。
「実際、ソフィア商会は、ハーラン農園のエルマ酒をすべて買い占めておる。まぁ既存の顧客の分は残しておるらしいが、残りは根こそぎといった感じだ。既にエルマ農園は拡張を始めておる。しかも、あの忌々しいソフィア商会のゴーレムが、農園の拡張作業を手伝っておったわ!」
「あぁ、あの噂のゴーレムか。是非ともアレを売って欲しい。最近は流暢に言葉を話すようになったらしいではないか」
「警備用とは異なる小型のゴーレムもあるぞ。まぁそれでも成人男性くらいのサイズだそうだが。荷物運びだけでなく、書類整理なども手伝うそうだ」
「そのゴーレムはいいな。疲れず、病気にならず、不平や不満を言わず、裏切ることもなく給料が要らない従業員とはなんと魅力的な!」
「だが中にはとんでもなく高価な魔石が埋まってるそうだ。おそらくとんでもない値段になると思うぞ。噂を聞きつけた盗賊たちが、ゴーレムをバラして中身を取り出そうと躍起になったらしい。だが、悉く返り討ちにあった。正確には捕まって全員が騎士団に突き出された。お陰で最近の領都はえらく治安がいいらしい」
「良いことではないか」
「盗賊を騎士団に突き出した帰り道、大きな荷物を抱えた老婆を抱えて家まで送り届けたり、迷子になった子供を抱え上げて親を探したりもするらしいぞ」
「親切だな」
「中には駄賃を払うヤツもいるのだが、ゴーレムは駄賃を受け取るそうだ」
「そこは断れ!」
「ゴーレムの駄賃は毎週末にスラム近くの炊き出しの資金の一部になるそうだ。あ、炊き出しの作業も小型のゴーレムたちがやっておる。いつ誰からいくら受け取ったかをゴーレムたちは把握していてな、炊き出しの時に発表するそうだ。まぁそれでもほとんどはソフィア商会の持ち出しだろうがな」
「…まぁそれなら。というか、ソフィア商会の人気高そうだな」
「子供たちはすっかりゴーレムに懐いておる。行く先々で子供が付いて回るそうだ」
商人たちは一斉に頭を抱えた。
「おい、コジモ。ソフィアとは何者だ? 天使か聖女の類か? グランチェスター家の血縁ではないのか?」
「明らかに商人だろう。そうでなければ小麦の買い占めなどせん。炊き出しもどうせ人気取りだろうさ。新参の商会が名前を売るためにやりそうなことではないか」
「正体か……」
コジモは商業ギルドで見たソフィアのことを思い出していた。
「ソフィアの顔には見覚えがあるとずっと思っていたのだが、グランチェスター家の茶会に参加した貴族の話をきいてやっと腑に落ちた。あれは、あの顔は亡くなったアーサー卿と駆け落ちしたアデリアにそっくりだ」
「アーサー卿といえば、グランチェスター侯爵の三男か?」
「そうだ。10年以上前だが、ジェノアの商人がグランチェスター領にも出入りしていてな、その娘とアーサー卿が恋仲となったんだ」
「ソフィアの本名はアデリアということか?」
「いや、アーサー卿とアデリアは既に亡くなっている。二人の間には娘が生まれたのだが、両親が亡くなったために祖父であるグランチェスター侯爵が引き取ったそうだ」
「ほう」
「この娘はもうじき伯父にあたるロバート卿の養女となるそうだ。ロバート卿はオルソン子爵の令嬢と結婚するらしい」
「あぁその話は聞いている。ようやくといったところだな。二人の結婚で我らにも特需があれば良いのだが」
「その娘…名前はサラと言うのだが、サラとソフィアは年齢こそ違うが髪の色や目の色までそっくりだそうだ」
「では、そのサラ嬢の母方の血縁ということか」
「おそらくそうだ」
そこに王都でも一二を争う規模の商会の会長である男が口を挟んだ。
「もしや、その娘は銀の髪をしていないか?」
「確かに白金のような髪に深い蒼の瞳をしている」
「それはおそらくフローレンス商会の一族だ」
「ジェノアの大商会か?」
「そうだ。フローレンス商会は、その名前の通り沿岸連合の一国であるフローレンスの元王族だ。だが、革命によってフローレンスは共和国となり、王族たちは国を追われてジェノアで商売を始めた。サラ嬢の母親が『アデリア』と名乗ったのであれば、おそらく先代の末娘のアデリア・エレイン・フロレンティアである可能性が高い。フローレンスから落ち延びる前の身分は王太子夫妻の三女だ。まぁ当時は赤ん坊だったから本人に記憶はないだろう」
「亡国の姫君と侯爵令息の駆け落ちか…。恋愛小説のような話だが、何故駆け落ちせねばならんのだ?」
「フローレンスの王族には妙な掟があるのだ」
「掟?」
「成人したら男女問わず武者修行に出る。その間、身分を明かすことは許されないんだ」
「なんだ、その訳のわからん掟は」
商人たちは一斉に呆れ返った。
「まぁ武者修行といっても別に武力だけの話ではない。男子であれば数年冒険者などを経験して戻ってくるが、女子の場合は商売を経験することが多いな。アデリアの姉二人はそれぞれ服飾品店と菓子店を開店し、経営を軌道に乗せてから家に戻った。フローレンス商会の傘下に入ったのは、どちらも家に戻ってからだそうだ。家からの援助は一切受け取らないのがルールだ」
「そういえば、アデリアは父親と一緒に穀物を売りに来ていたはずだ」
「おそらく本当の父親ではないだろう」
「それにしても、駆け落ちして子供まで作ったのだろう? 武者修行などやめて身分を明かせば良いではないか」
「武者修行に出る際、彼らは身分を明かさないことを魔法で誓約するんだ。フローレンスの王族はそうやって武者修行から帰ってきた者だけを正式な王族として認めるんだ。無論、途中で亡くなる者もいるし、病気や怪我で苦しむ者もいる。だが、本人が『武者修行を完遂した』と宣言するまで助けを出すこともできない」
「それも魔法の誓約なのか?」
「そうらしい」
「武者修行を嫌がる王族はおらんのか?」
「目標は本人が自由に立てられるんだ。中には『3日だけ冒険する』といってキャンプに出て終わる者もいる」
「つまり、アデリアが無謀な修行にでたことが問題なのか」
「不思議なことに直系の王族は大抵無茶なことに挑戦するんだ。だが、その無謀さが彼らの力の要因でもある。王太子の子供たちが武者修行から戻るたび、商会は大きく成長していった。いまや祖国フローレンスを経済的に牛耳るまでになっているよ」
フローレンスの王族の話をした商人は、軽く咳払いをした。
「ともかく、ソフィアはフローレンスの一族の可能性が高い。最初の資金はそれなりの金額を持って出ることを許されるそうだが、ソフィアが魔石を破格で入手するルートを持っていることだけは確かだろうな」
「そんなルートを開拓したなら、それだけで武者修行は完遂できてると思うがな」
「いや、そのルートが家から持ち出した資金なのかもしれないぞ」
「まったく忌々しい。沿岸地域でちまちまと商売していればよいものを」
コジモは吐き捨てるように言った。
「ま、そんなわけだから、悪いが私は抜けさせてもらう。資金力がある相手に買い占められたら、手も足も出ないからな。今年だけならともかく、この先ずっとグランチェスターの小麦が手に入らないなどと言うことにでもなれば、商会の経営が立ち行かなくなる」
「なっ!」
「私もそうさせてもらうよ。ソフィア商会と提携する道を探りたい」
「私もだ。出入りしている貴族家から、ソフィア商会に繋ぎを付けて欲しいと圧力がかかっているのでな」
王都の大商人が会を抜けると言いだせば、次々と他の商人たちも脱会を宣言する。もはやコジモの力では崩壊を止めることはできなかった。
こうして、グランチェスター領で密かに行われていた談合の会は、サラが手を下すまでもなく勝手に瓦解して自壊した。
セドリックは会合の一部始終を確認すると、ロイセンに送っていたセドをジェノアにあるフローレンス商会に向かわせた。新たな眷属を作るには魔力が足りなかったのだ。
「まぁサラお嬢様は先程までくだらぬ老人たちのせいで仕事をされてましたから、仕方がありません。後で魔力を貰って新しい眷属をつくるとしましょう。しかし、先程の王子の魔力に惹かれる妖精が随分と多い…彼自身がそれに気づいたらどうなるでしょうかねぇ」
ふと、セドリックはコジモがワインを下げさせてから飲んだハーブティに目を遣った。
「あれほどソフィア商会の悪口を言っておきながら、ハーブティはご愛飲ですか。しかし、あのようなご老人でもなんとかしてしまうとは、アメリア様は優秀過ぎませんかね。まぁ継嗣を作ることを最優先する貴族家にとっては願ってもない商品でしょうが、相続で揉め事が起きる家も増えそうな予感もしますね」
閨ではいろいろなことが囁かれるため、セドリックはそちらを覗き見ることも少なくはないのだが、さすがにコジモが入っていった部屋を覗く気にはなれなかった。どうせソフィアの悪口を並べ立て、今日のお相手に不満をぶつけるくらいのことしかしないだろう。
セドリックは草臥れた顔を浮かべ、ジェフリー邸で眠るサラの元にふらふらと戻っていった。