まさか暴走?
サラは深い深いため息をついて、マッケラン教授を見つめた。
「いくつか誤解があるようですのでお伝えしておきますが、パラケルススの資料を引き継いでいるのはアリシアではなく私です」
「は?」
「乙女の塔は、もともとパラケルススの実験室があった場所なのです。先代のグランチェスター侯爵がこの地にパラケルススを招聘し、私財であの塔に実験室を作って自由に研究開発をさせました。ですからパラケルススの功績はグランチェスター家に帰属しており、現グランチェスター侯爵が私に引き継がせたのです」
「なんだ、その非常識な遺産相続は!」
『確かに少々ズルい手は使った自覚はあるけど、他のグランチェスター関係者が引き継いでも活用できなかったと思うなぁ』
「それにパラケルスス自身はアカデミーに通ったことは無く、王都の錬金術師ギルドにも登録を断られたと彼の日記に書かれていました。つまりパラケルスス自身は”自称”錬金術師に過ぎず、彼が何度か書き送った資料がアカデミーに残っているかどうかは疑問だそうです。今回アリシアが参照した資料は、かつてパラケルススの手によってアカデミーにも送られています」
「!?」
「パラケルススはアリシアの高祖父にあたる人物です。アリシアの論文で引用されたパラケルススの基礎研究は、100年以上前にまだパラケルススが王都に居を構えていた頃に纏められた資料に記載されています。ですが、彼自身は魔力の補充可能な魔石を作り出すことなく、この研究をやめてしまいました」
「それは何故?」
「研究費が足りなかったからです。魔石は安い素材ではありませんから」
「なるほど」
「そのためパラケルススは論文をアカデミーに送り、魔石の共同研究をしたいと申し出たのです」
「それでどうなったの?」
サラはマッケラン教授をちらりと見遣ってから、アンドリュー王子に微笑んだ。
「どうやらアカデミーの権威主義は、今も昔もあまり変わりがないようですね。パラケルススの日記には悪口がたっぷり書いてありました」
「はははは。伝説の錬金術師も随分と人間らしい一面を持っていたんだね」
『人間らしいというか…なんというか…むにゃむにゃ』
「そういう意味ではパラケルススの一族は、繰り返し権威主義的なアカデミーから心無い仕打ちを受けております。なのにどうしてアリシアが、彼らに配慮しなければならないのでしょう?」
「なるほど。状況は理解したよ」
アンドリュー王子はアカデミーの関係者に向き直り宣言した。
「どう考えても君たちの主張に正当性は無さそうだ。諦めて大人しく王都に帰るべきだと思う。僕に同行してきたのだから、僕が王都に出立するまではグランチェスター領に滞在しても構わないけど、乙女の塔周辺には近づかないように。次に捕縛されても、僕は助けないからそのつもりで」
「ですが殿下、我々とて謝罪するつもりではいるのです」
「その結果が盗賊紛いの行為かい? それを信じろと言われても無理があるだろうね。王の名代としてグランチェスター領を訪問している僕の顔にこれ以上泥を塗る気なら、それ相応の処罰が下されると考えてもらって構わないよ」
「しかし、モノは魔力の補充可能な魔石です。夢の技術だと殿下自身も仰せだったではございませんか。将来、国王となられるのですから、まずは国益をお考え下さい。どうしてこのような簡単なことがお分かりいただけないのですか!?」
ふとアンドリュー王子の纏う空気が変わったことにサラは気づいた。周囲を見回すとグランチェスター侯爵とジェフリーも気付いたようだ。
「まったくだよ。君たちの無礼極まりない愚かな振る舞いのお陰で、差し出された貴重な技術をアヴァロンが受け取り損ねたことにまだ気づいていないのかな? いい加減にしろよ、このクソジジィどもが!」
サラはアンドリュー王子の魔力が揺らいでいることに気付き、咄嗟にアカデミーの関係者の周囲に風属性の防御魔法を展開した。
「殿下! なりません。魔力が暴走しかけております」
と、サラが発言した次の瞬間、とんでもない勢いの風属性の魔法が勝手に発動した。サラは老人たちの防御魔法とは別に、王子の発動した魔法を覆うドーム状の防御魔法を展開し、魔法が収まるのを待つことしかできなかった。
『この魔法は下手に相殺する方が危ないわ』
「ジェフリー卿、念のため防御魔法の外側にいる方々を避難させてください。それと誰か乙女の塔に馬を飛ばして、アメリアさんから魔力回復薬を受け取ってきて」
「承知した。だが、サラは大丈夫か?」
「私の魔力が先に枯渇することはありません。いいから急いで!」
ジェフリーは近くにいる使用人たちを避難させつつ、部下に乙女の塔に向かうよう指示した。
「お母様、おそらく殿下は自身の魔法で怪我を負われています。防御魔法を透過して治癒魔法の展開は可能でしょうか?」
「やってみるわ」
レベッカは光属性の治癒魔法を展開し、アンドリュー王子の治療を試みた。しかし、サラの防御魔法を突破できずにいるようだ。
「お父様、風属性の魔法を展開して、私の防御魔法の一部に干渉して相殺してください。お母様はそこから治癒魔法を送ってみてください」
ロバートとレベッカは黙って頷いて魔法を展開し始めた。
「エドワード伯父様、このことが外に漏れることがないよう関係各所に根回しを。殿下の魔力暴走など表沙汰にはできません」
「承知した」
エドワードも外に向かってパタパタと駆け出して行く。
「祖父様、この魔力では同じ建屋にいらっしゃるゲルハルト王太子も気付いていらっしゃるはずです。急いでそちらへのフォローをお願いします」
「わかった。すまんが後は頼んだぞ」
「お任せください」
アンドリュー王子は、赤銅色の長い髪をくしゃくしゃにしながら吹き荒れる暴風の中に立っていた。金色の目は炯炯とした輝きを放ち、美しい獣のように見える。
『まったく…とんでもないわね。この世界でも若者はキレやすいのかしら?』
人のことはまったく言えないサラだが、他人がキレると妙に冷静になるらしい。
「殿下、私の声が聞こえますか? どうかお心を鎮めてください。殿下自身も魔法で傷ついていらっしゃいます。どうか魔法を制御してくださいませ。どうか私の声に耳を傾け、ゆっくりと魔法の発動を抑えてまいりましょう」
サラは無意識に歌いだした。それは更紗の記憶を取り戻す前、サラがアデリアから聴いた子守歌であった。だが、その声には微かに魔力が含まれており、アンドリュー王子の耳に届いた。
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眠れ眠れ 可愛い我が子
ゆりかごはあなたのために揺れるよ
ふんわりふとんは暖かいよ
眠れ眠れ 可愛い我が子
お月さまがあなたに微笑みかけるよ
お星さまもキラキラ瞬くよ
眠れ眠れ 可愛い我が子
小鳥たちがお休みの歌を歌うよ
ネズミたちが夢を紡ぐよ
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子守歌をサラが歌い終わる頃、アンドリュー王子の魔法は緩やかになり、そして静かに収まった。
「殿下、私の声が聞こえますか?」
「聞こえてるよ。本当に申し訳ない。まさか暴走するとは思わなかった」
「もう防御魔法を解いても大丈夫でしょうか?」
「うん、魔力もほとんど残って無いから大丈夫だと思う」
サラは発動していた二つの魔法を解いた。中心にいたアカデミーの関係者は全員気絶していた。おそらく威圧されてしまったのだろう。
「殿下、お怪我はありませんか?」
「ずっと治癒魔法を貰ってたお陰で、傷ひとつないよ。服はズタボロだけど」
「殿下の侍従が着替えをお持ちするはずです」
「彼は無事なのかい?」
「大丈夫です。防御魔法の外側におりました」
「そうか。良かった」
「殿下は魔力暴走を起こしやすいのですか?」
「僕の魔力量は国王陛下や父上よりも多いんだ。だけど制御が苦手で、疲れていたり感情が揺らいだりすると、暴走してしまうことがあるんだ。最近はあまりなかったんだけど、疲れてるところに、ムカつくジジィの話を聞かされたもんだから…」
「なるほど。ですが魔力制御はもう少し訓練した方が良さそうですね」
「うん。そのせいで僕は禁呪を詠唱できないんだよ」
「それは大問題ですね」
レベッカはアカデミーの関係者たちの様子を確認している。
「お母様、アカデミーの方々はご無事ですか?」
「気絶しているだけのようよ。幸いご老人方の心臓も動いているわ。ただ…」
「ただ?」
「一気にストレスを感じたせいか、御髪の具合が優れない方がいらっしゃるのだけど…」
「は?」
「先程まで茶色かった髪が白くなっている方と、はらはらと抜け落ちてしまっている方がいらっしゃるみたい」
「そ、それはなんともお気の毒です」
『よっぽど怖かったんだろうなぁ』
「新しいお召し物が必要そうな方は?」
「それは大丈夫みたい。皆さん、こちらに来るまでにお手洗いを済ませていたようで何よりだわ」
「不幸中の幸いですね。室内では掃除も大変ですから」
「そうね」
床にへたり込むように座ったアンドリュー王子は、暢気な会話をするレベッカとサラを見つめた。
「それにしても、君たち仲いいね。まだ養女になる前だろ?」
「以前から私のガヴァネスを務めてくださっているのです」
「レベッカ嬢は祖母様が直々に教育してたからね。サラ嬢の優雅さも納得だ」
「お褒めにあずかり光栄に存じます」
「だけど王族の魔力暴走をこれほどあっさり封じ込めるとはね。サラ嬢はどれくらい僕を驚かせれば気が済むのかな」
「それほど驚いていらっしゃるようにも見えないのですが」
「あまり感情を表に出さないように教育されるからね。最初はヴァイオリンの演奏で驚いたけど、乙女の塔の代表者として話をする君の聡明さにも驚いた。まぁ一番驚いたのは僕の魔力を軽く凌駕してしまう魔力量と、とんでもない制御能力かな。歌いながらだったよねぇ?」
「あー、歌っちゃいましたね」
「歌も素晴らしかったけど、驚き具合でいけばオマケみたいなもんだね。ゲルハルト王太子にバレないことを祈るよ」
そこに声が掛かった。
「残念ながらバッチリ聞いてしまったよ」
そこにはラフな部屋着姿のゲルハルト王太子が立っており、その後ろにはグランチェスター侯爵が頭を抱えていた。