貴族令嬢サラ
狩猟大会2日目、今日はサラとしての予定が詰まりまくっている。
だが、ソフィアへの問い合わせは殺到しており、ソフィア商会の従業員たちは悲鳴を上げている状態だ。そのためすべての貴族や富裕層の方々に「ソフィアの個別対応は出来かねる」とお断りするしかなく、理由を問われた際には「多くの貴族家からお声を掛けていただいており、いずれかの家を選ぶことはできない」と説明している。
この説明に上位貴族の一部が不満を漏らしたが、さりげなく王族たちから声が掛かっていることを匂わせると、そうした貴族家たちも引き下がった。実際にはアンドリュー王子とゲルハルト王太子は大人しく狩りに興じており、話題の酒や新商品が献上されることを聞いているため、無茶な要求はしていなかった。
商談相手がソフィアでなくでも構わないという貴族家には、年嵩の従業員を向かわせた。決して安価ではないシュピールアも、小型のものが予想以上に売れており、既に在庫はギリギリという状態であった。そろそろ受注生産に切り換えるしかない。
予想した通り、シードルとエルマブランデーへの問い合わせが非常に多い。シードルとエルマブランデーは、今後王都に出店するソフィア商会で扱うことを約束し、毎年数量限定で予約販売すると宣言している。
アメリアが開発している化粧品は女性から広く受け入れられたらしく、在庫はすべて売りつくし、今は注文を受け付けているような状態であった。なお、ハーブティもいくつかのブレンドが飛ぶように売れている。とんでもない勢いで売れたのが「美肌効果」のブレンドで、大きな木箱を10箱分買った女性までいた。
『さすがにその量は転売だろうなぁ。お友達と分け合うというより、グランチェスター領にこれなかったお友達に高値で売りそう』
帳簿に書かれた量を確認しながら、この世界にも転売ヤーがいることをサラは理解した。王都や他領に支店をオープンするまでには、こうしたことも頻繁に起きうるだろうが、質の悪いモノをソフィア商会の商品と偽って売られた時のことを想定しておく必要がありそうだ。
他にも「疲労回復」「女性向け妊活」「男性向け妊活(?)」といったブレンドが売れていたが、男性向けのブレンドは花街から大変な不評を買ってしまった。娼館の花々が萎れてしまうほど負担をかけているらしい。さすがに申し訳ないと感じたサラは、送り主を明かさず疲労回復と美肌効果のハーブティを主要な娼館に送りつけた。
『奇しくもアメリアさんの優秀さが証明されたってことよね』
まったく8歳らしくないことを考えつつ、サラは帳簿の確認を終えた。マリアを呼んで今日の音楽会向けに髪型を整えてもらうと、ふんわりとした水色のドレスを着せてもらう。ハーフアップにした髪には、ドレスよりも少しだけ色の濃い水属性の魔石を使ったスティックバレッタを留めた。
『令嬢としての初デビューか。まだ身分は平民だから、なんか言ってくる人はいるかもしれないなぁ…』
だが、サラの不安は杞憂に終わった。というより、あまりにもソフィアに酷似(当たり前)していたため、多くの貴族女性はソフィアとの繋がりを深めようとサラに対して過剰に親切だった。
午前中から開催されたレベッカのお茶会では、レベッカから『もうすぐ養女になるサラ』として紹介され、ついでにヴァイオリンもちょっとだけ披露した。「頑張り過ぎるな」という周囲からの警告を守り、更紗が子供の頃に発表会で弾いたバッハの「メヌエット 3番」を無難に弾いておいた。もちろん伴奏はジュリエットだ。
このお茶会には王都で人気の吟遊詩人も参加しており、流行りのバラッドなどを披露した。実は彼の演奏はシュピールアの音源とする契約となっており、ソフィア商会の従業員が魔石の入った箱を使って収録していった。
ソフィア商会の従業員の一人はサラを見てぎょっとした顔をしたが、さすがに仕方ないと言えるだろう。とはいえ顔に出してしまうのは問題なので、従業員教育をもっと徹底する必要はあるだろう。
その後、貴族女性やその子供たちが詩歌を披露することになった。最近はテーマを決めて即興で詩作するのが流行らしい。テーマは『秋』だそうだ。サラにも順番が回ってきたので、立ち上がって即興詩を朗読した
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赤い赤いエルマの実
指先で触れればその冷たさに戸惑う
赤い赤い夕日
眩しさに目をとじれば懐かしき人たちが浮かぶ
父を呼び 母の声を聞く 遠い記憶の日々
蒼い蒼い夜の帳が迫り 夕日は沈み行く
目を開いて振り返れば 優しき人たちが私を呼ぶ
私は駆け出す 心安らぐ声のする方へ 暖かき家へ
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サラとしては、「新しい父母ができて嬉しいな」くらいのつもりで気楽に詩作したのだが、何故かしんみりとした雰囲気になってしまった。
『あれ、マズい外した? まぁ、秋だしおセンチな気分ってことでいいでしょ』
すると突然、同席していた吟遊詩人がサラの詩に曲を付けて歌い始めた。
『ぎゃー、なにそれ。なんか晒されてる気分だよ。最後リフレインまでしてるし! グランチェスター家からお金もらっているからって、ヨイショし過ぎだよ』
サラは羞恥心で顔が真っ赤であった。だが、よく見ればソフィア商会の従業員たちは、即興の歌もきっちり録音していた。
『無駄なことに魔石を消費しちゃったわ』
だが貴族女性たちはしみじみと聴き入っており、この曲の入ったシュピールアは人気となるのだが、今のサラはひたすら恥ずかしいだけだった。
なお、即興で詩作できない子供たちは歌を披露することも多い。吟遊詩人の伴奏に合わせて可愛らしく歌う姿は大変微笑ましい。本来はサラも歌って終わりにするはずだったが、ロバートが断固として人前で歌うべきではないと主張した結果が、さっきの詩作であった。
『やっぱり詩作でも失敗だった気がするよ。無駄に目立った!』
お茶会では腹持ちの良い軽食も振舞われるため、なし崩し的にランチタイムとなった。そして、そのまま午後は音楽鑑賞会である。勝手にサラの詩に曲を付けて歌った吟遊詩人と開会式で演奏した楽団は、いそいそと楽器をセッティングしている。
サラが前座としてピアノでモーツァルトの「トルコ行進曲」を弾けば、周囲から盛大な拍手が巻き起こり、皆口々にサラの演奏や所作の美しさを褒めたたえた。
『なんだろう。居心地が悪い…』
親切にしてくれるのはありがたいのだが、微妙に下心が透けて見えるのだ。
吟遊詩人や楽団の人たちは、シュピールアの音源が録音されることを知っている。なぜなら音源提供者とシュピールアの収入を分け合うからだ。しかも、それとは別に彼らには契約金を前払いしているため、彼らの機嫌はすこぶる良い。演奏もノリノリである。
特に吟遊詩人の弾き語りは、前世でさまざまな音楽を聴いていたサラが聞いても素晴らしかった。うたかたの恋をテーマにしており、更紗時代にスペイン辺りで聴いた音楽に似ていると思った。
『恋愛モノの曲は貴族女性にもウケそう。歌の音源が入った初めてのシュピールアとして人気が出そう』
近くにはソフィア商会が販売している楽譜の即売所も設けてあった。前世の知識で偉大な音楽家の曲を丸パクリしているため、好き嫌いはあるかもしれないが大ハズレは無いというのが素晴らしい。
狩猟大会の準備中、オーケストラの総譜もパート譜も書けることに気付いてしまったのだが、交響曲を楽譜に起こしていくのはかなりの労力なので当分やらないだろう。音楽チートを顧みるたび、『私を転生させたのは音楽の神様なんじゃ?』と疑ってみるが、少なくとも芸術神ではないことは確信できる。
『芸術の神様なら、私の絵心をあのまま放置するはずがない!』
年頃の近い令息や令嬢をもつ親は、インターバルの間、急き立てられるように子供たちをサラと仲良くさせようとした。だが、子供にも自我というものがあり、子供同士だからといっていきなり仲良くなれるわけではない。
サラは自分がホスト側の人間であるという自覚があるので、子供に声を掛けられれば愛想よく振る舞った。菓子などを勧めつつ「得意な楽器はなんですか?」などと尋ねてみた。しかし、参加している子供たちのほとんどは午前中のお茶会にも参加しているため、サラのヴァイオリンとピアノを聴いていた。どう考えても自分よりも演奏が上手な相手に、得意な楽器など自慢できるはずもなかった。
こうして会話の糸口を見つけられないまま時間は過ぎ、予定通りの時間に音楽鑑賞会も終了した。貴族令嬢としてのお披露目はできたが、同世代の友人を作るのには失敗したので、貴族の社交としてはあまり成功ではないのかもしれない。
実際のところ、サラは社交を頑張るつもりもなければ、そもそも貴族令嬢を頑張るつもりもないので、あまり気にしてはいなかった。レベッカのお茶会と音楽鑑賞会が無事に終われば良いだけなのだ。
だが、多くの貴族女性たちが「サラを我が家の嫁に迎えれば、ソフィア商会とも縁がつながるかもしれない」と野心を燃やし始めたことを考えれば、この社交はおそらく大成功だったと言えるだろう。サラ本人はまったく気づいていないが。