気付いてしまう小侯爵夫妻
「ソフィアとやら」
背後から中年の貴族男性に声を掛けられた。即座にセドリックが名前を耳打ちする。
「はい。ランズフィールド侯爵閣下」
ソフィアは深々と身を屈めた。
「そこまで畏まらずともよい。だが実に美しい所作だな」
「光栄に存じます」
「ソフィアよ、どうか今後はエルマブランデーの仕込み量を増やしていただきたい。どうやら当分の間は幻の酒のようだ。昨日ウィリアムに頼んでみたが、あいつでさえ『狩猟大会前に盗み飲みしたら家族に怒られた』と言いだす始末だ」
「ふふっ。それは事実のようですわ。本当に量が少ないのです」
「なんとも罪な酒だ。これほどの美酒でありながら、なかなか味わえぬとは。王都の娼館に住まう姫君のようではないか」
『おい、ジジィ下ネタかよ!』
王都にある高級娼館では、店の売れっ子の娼婦たちを芸能人のように宣伝する。そして彼女たちの似顔絵を販売している店では、その売れ行きでランキングを付けており、半年ごとに集計した結果を掲載した雑誌を販売している。ここで1位になった娼婦は次の雑誌の発売まで「姫君」の称号で呼ばれるのだ。当然予約は殺到し、花代も跳ね上がる。
おそらくこの男性は、そうしたきわどい会話をしたときのソフィアの反応を見たがっているのだ。周囲にはニヤニヤとした笑いを浮かべた男性もいる。
『これは動揺した方が負けってことね』
ソフィアは満面の作り笑顔を浮かべ、ランズフィールド侯爵に対峙した。
「素敵なたとえですね。花の館の最奥に住まう姫君たちは、『選ばれた方々』のみが愛でることを許される希少な花だと耳にしたことがございます。ランズフィールド侯爵閣下ほどのお方であれば、幾度も近くで愛でていらっしゃるのでしょうね。どうかエルマブランデーも、花の姫君のように愛し、味わい尽くしてくださいませ。近々オークションにも出品いたしますので、お楽しみになっていただければ幸いでございます」
要するに『金があるならオークションで落札して飲め』という意味なのだが、嫣然と微笑みながら『花の姫君のように愛し、味わい尽くしてください』などと発言するソフィアを至近距離で見てしまった男性陣は、逆上せ上ったように顔を真っ赤にして固まってしまった。中にはもじもじと前屈みになっている者までいる。
「そ、そうか。ではオークションに参加するとしよう」
「ではオークション会場で再会ができるかもしれませんわね」
そう言い残し、ソフィアは会釈してその場を離れた。
『この程度で動揺する訳ないじゃない。前世のセクハラオヤジどもに比べりゃ、紳士のフリしてるだけ可愛いもんよ』
丁度そこに遅れてきたアールバラ公爵夫人が到着した。主催者の夫人であるエリザベスと簡単に挨拶を交わすと、会場を見回してソフィアの方に歩み寄る。
「こんばんは。いい夜ね」
「ヴィクトリア様にご挨拶申し上げます」
「もっと気軽にしてくれていいわ。ところで、あれはなに?」
ヴィクトリアが扇で示した先には、クロエとクリストファーがチェスセットのデモンストレーションをしていた。
「あれは魔力で動くチェスセットでございます。小侯爵夫妻のお子様方にデモンストレーションしていただいているのです」
どうやら盤面は明らかにクリストファーに有利な状況であった。クロエが先にクリストファーにチェックをかけたが、明らかにその手はクリストファーの罠である。その後、数手であっさりとクリストファーが勝利し、二人は立ち上がって観戦者に揃って挨拶をした。
「これは面白い」
「子供の玩具には過ぎたモノだな。大人でも楽しめそうだ」
「いや、駒など手で動かす方が早いのでは?」
などと囁く声が聞こえてくる。
ソフィアはチェスセットに近づき、手を置いて「ポストモーテム。10手前から再現」と命令した。すると、駒たちはソフィアの命令に従って、時間を巻き戻すように10手前の状態へと戻った。
「ほぉぉ」
「なるほど、こうした機能もあるのか」
駒たちは、そのままチェックメイトの状態まで自動的に進んで動きを止めた。
「このチェスセットは、今のところ試作品しかございません。今回は開発中の商品をお見せしたくてお持ちいたしました。魔力を使って動かすため、それなりの魔力量がないと動かせない上に、うっかりすると魔力枯渇で昏倒してしまうのです。そのせいで、販売できるかどうかは微妙かなという気はしています」
「だが子供でもできる程度の魔力量なのだろう?」
「実はこちらにいるクリストファー様は、最初にこのチェスセットで遊ばれた際、魔力枯渇で倒れてしまわれたのです」
「恥ずかしながら…」
クリストファーは少し顔を赤らめた。
「待って頂戴。魔力を枯渇させたということは、その後、魔力量が増えたのではなくて?」
「はい。魔力枯渇の反動で、僕の魔力量はとても増えたと感じています。今はこのチェスセットに魔力を流しても、まったく減っている感じがしません。きちんと測定してはおりませんが、おそらく倍以上にはなっているかと」
「なんですって!」
ヴィクトリアが驚いて声を上げた。幼い子供を持つ貴族からしてみれば、子供の魔力増大は重要な関心事である。それはヴィクトリアも例外ではない。
魔法が発現していれば魔力を枯渇させることもできるが、スムーズに魔法を発動できない子供の場合、枯渇するまで魔法を発動するのは『倒れるまでランニングしろ』と言われるのに等しい苦行である。
魔道具に魔力を流しても魔力を消費できるが、同時に動力部の魔石も消費してしまうため、こちらはとてもコストが高いやり方である。だが魔法を発現していない場合には、このような魔道具でしか魔力を使うことはできないのだ。
「この魔道具には、魔石をつかっていませんの?」
「いえ、チェスボードと駒の両方に魔石を使っております」
「では消耗品ということなのかしら?」
「実は先ごろ、魔石に関する技術革新がございました。先程アカデミーにも論文が提出されておりますが、『魔力を補充できる魔石』のメカニズムが解明されたのです。その論文を書いたのはグランチェスター領にいる若い錬金術師であり、現在王都からアカデミーの教授陣もグランチェスターを訪れております」
周囲の貴族たちがざわざわと騒ぎ出し、そのうち一人の男性がソフィアに詰め寄った。
「アンドリュー王子と同行したアカデミーの教授がいたと聞き及んでいるが、その魔石の調査にきたのか?」
「然様でございます。そして、このチェスセットこそ魔力を補充できる魔石という最先端の技術を駆使して作られた魔道具であり、ボードに流した魔力は駒とボードに搭載された魔石の魔力となります」
「しかし、魔力の属性は!?」
ソフィアは、発言した男性に向き直った。
「皆様は魔道具をお使いになるとき、どんな属性の魔力を流しても動くことを変だと思ったことはございませんか?」
「言われてみれば魔石の属性に関係なく、最初のスイッチはどの属性でも反応するな」
男性が頷いた。
「あれは、どのような属性の魔力がながされても、その先の魔石に魔力を放出するように描かれた魔法陣が道具の内部に仕込まれているから動くのです。そのため、手を放しても魔石の魔力を消費して魔道具は動作し続けます」
「なるほどな」
「私どもはその仕組みの応用として、どの属性の魔力が流されても必要な属性の魔力に変換する技術を発明して実用化いたしました。こちらの技術は非公開で、ソフィア商会の独占でございます。この技術に先程の魔力が補充できる魔石を組み合わせることによって、このような魔道具ができたのでございます」
ヴィクトリアは驚いた表情を浮かべてソフィアを見つめ、そして静かに言葉を発した。
「そのチェスセットを購入させていただけるかしら?」
「まだ開発中の製品であるため、魔力枯渇で昏倒してしまう可能性がございます。この問題が解決できなければお蔵入りしてしまうかもしれません」
「子供の魔力量を増やすことが目的だから、それは気にしなくていいわ」
「では、魔力枯渇によってなんらかの不利益が生じても、ソフィア商会にその責を問わないというお約束を書面で取り交わすことができるのであれば、チェスセットを納品させていただきます。駒のデザインなどにご要望があるようでしたら、早めに仰ってください」
ふと貴族女性の一人が、先程受け取ったリップクリームを取り出した。
「ソフィア。もしかして、これに使われている光属性の魔石も、魔力が補充できる魔石だったりしないわよね?」
この瞬間、ソフィアはしてやったりと内心にんまりした。
「どうか使い切ってしまった際には、ソフィア商会にお声がけくださいませ。有料にはなりますが、光属性の魔力を補充してからお返しいたします。もちろん、中身のリップクリームも同様ですので、お気軽にお問い合わせください」
「でも、ソフィア商会はグランチェスターにしかないのよね?」
「近いうちに王都にも店舗を構える予定でおります」
「他領への出店計画はあるかしら?」
「いまのところ考えてはおりませんが、領主様からの招致があれば前向きに検討したいと存じます。とはいえ、領地ごとに税制も違いますでしょうから、すぐにと言うわけにはいかないかと」
この発言に所領を持つ貴族当主たちの目の色が変わった。風変わりだが確実に利益を生み出す新商品を抱える商会が、自領に支店を構えてくれれば、新たな特産品を生み出してくれるかもしれない。そうでなくても、確実に税収は上向きになるだろう。
しかし、このソフィアの発言を聞いた瞬間、エドワードとエリザベスの心臓がドクリと跳ねた。二人は気付いてしまったのだ。ソフィア商会はグランチェスターでなくても、さらに言えばアヴァロンでなくても商売できるという事実に。
グランチェスター小侯爵夫妻のサロンそのものは成功であった。招待された貴族たちは大いに満足し、グランチェスター小侯爵夫妻の評判も上々である。だが、エドワードもエリザベスもイヤと言うほど理解していた。このサロンの勝者は自分たちではなくソフィア商会であり、結局はサラの一人勝ちなのだ。特にエリザベスは今日の自らを省み、少しでも自分が社交界の中心のように思い上がっていたことを恥じた。
『結局私はサラの代わりに踊る人形に過ぎないのだわ』
改めて自分たちの姪が、とんでもなく恐ろしい存在であることに気づき、二人は背筋を凍らせた。




