狩猟大会の開会式 2
会場にゲルハルト王太子とアンドリュー王子が入場したことが告げられ、いよいよ開会式が始まった。
会場では最初の乾杯用に、シードルの入った細いグラスが配られている。シードル専用のグラスを製作する時間は無いかと思っていたのだが、偶然にも食前酒用のグラスに近い形の物があったため既製品を大量購入した。
飲酒が苦手と言う人を除いた全員の手にシードルのグラスが渡ったことを確認し、侯爵は話し始めた。
「今年も我が領において狩猟大会が開催できたことを大変うれしく思っております。今年は王室からアンドリュー王子殿下も参加され、またアヴァロンを訪問されているロイセンのゲルハルト王太子殿下もお越しくださいました。両殿下は王都にて友情を深められたとのことで、共にグランチェスターにて狩猟を楽しまれると伺っております」
侯爵からの紹介を受け、アンドリュー王子とゲルハルト王太子も前に進み出た。17歳の美少年王子と精悍な28歳の王太子が並ぶと、若いご令嬢たちは一斉に頬を赤く染め、うっとりとした表情を浮かべた。当然その中にはクロエも含まれている。
「私もようやく狩猟大会に参加できる年齢となった。幼い時分に両親である王太子殿下と妃殿下に連れられてグランチェスターに来たときは、狩猟大会に出るのだと駄々を捏ねて周囲を困らせたことを懐かしく思いだしたよ。不慣れな故に皆を困惑させてしまうかもしれないが、どうか少しばかり目こぼしを頼む」
アンドリュー王子は茶目っ気たっぷりにユーモアを交えて挨拶した。会場からはくすくすと令嬢たちの可愛らしい笑い声も聞こえる。
「ロイセンのゲルハルトだ。ロイセンでも有名なグランチェスター領の狩猟大会に参加できるとは、とても幸運なことだと思っている。誘ってくれたアンドリュー王子や、快く招いてくれたグランチェスター侯爵に感謝を表明したい。また、アヴァロンの多くの貴族家と知り合う機会でもある。国の垣根を越え、親しくしてくれるとありがたい」
ゲルハルト王太子が政略結婚の相手を探していることは、既に社交界で知らない者はいない。故にゲルハルト王太子の『貴族家と知り合う機会』というのは、自信があるなら『積極的にアピールしろ』という意味である。
むろん王太子妃となるため令嬢にもある程度の家格が求められる。公爵家、侯爵家、辺境伯家、そして一部の有力な伯爵家の令嬢が候補となる。年頃の令嬢をもつ有力な貴族たちはギラリと目を輝かせている。
『うーん。猛禽類の前に投げ出された生肉にしか見えないわ。ゲルハルト王太子も大変ねぇ』
そしてグラスを掲げたグランチェスター侯爵が再び前に進み出た。
「あまり年寄りの話が長いのは嫌われてしまいそうですので、そろそろ乾杯したいと思いますが、その前に今宵の酒について少々説明いたします」
『いよいよだ! くぅぅぅ超ドキドキする』
「このグラスに注がれているのは『シードル』という新たな酒です。発泡酒ですので、シュワシュワとした刺激があります。まだまだ試行錯誤を繰り返している段階であるため、それほど量があるわけではありませんが、皆様に一度お試しいただきたくご用意いたしました。叶いますれば、味などの感想を伝えていただければ幸いでございます。もちろんワインなど他の飲み物も用意しておりますので、乾杯後はお好きなものをお飲みください」
そして侯爵の合図と共に、参加者は一斉にグラスを呷った。
少なくない人が咽て咳込んだが、それでも飲むのを止める人はおらず、中にはおかわりを所望する人も多い。
「これは美味い!」
「冷えているのも良いですね」
「最初は驚きましたが、この喉越しは素晴らしい」
「量が少ないと聞きましたが、このシードルを購入するにはどうしたらいいのでしょう」
口々にシードルを褒める声が聞こえてきて、ソフィアは安堵に胸を撫で下ろした。
そこにレベッカが貴族女性たちを引き連れてやってきた。年齢的にはレベッカと同じくらいなのであろうが、さすがに妖精の恵みを受けているレベッカと並ぶと、年上の奥様方だということがよくわかる。
「ソフィア、どうやらシードルのお披露目は成功したようね」
「オルソン令嬢のお力添えのお陰でございます」
「皆様、こちらが先程のシードルを販売しているソフィア商会の商会長であるソフィアよ」
「まぁ女性の商会長とは珍しいですね」
「とても若い女性のように見えますが、もしかしてレベッカさんと同じような方かしら?」
女性たちは口々にソフィアに声を掛けた。
「お初にお目にかかります。ソフィア商会のソフィアと申します。まだまだ駆け出しの商人ではございますが、ご贔屓を賜れば幸いでございます。それに、私のような者がオルソン令嬢と同じなどと申し上げるのは大変烏滸がましい事でございます」
「でも貴方の肌はとても瑞々しいわ」
「実は当商会ではお肌を整える『スキンケア』商品と、髪を美しく保つ『ヘアケア』製品などの販売を予定しております。その効果かもしれません」
「予定ということは、まだ売ってないということかしら?」
「然様でございます。人の肌につける繊細な商品でございますので、問題が起らぬよう細心の注意を払って研究開発しております」
「で、でも将来的には販売するのよね?」
「もちろんでございます」
『あー、ここにもイーグルアイの持ち主たちがいたわ』
「先に少しだけ販売する予定はないのかしら?」
「お得意様に少量だけお試しいただくことは検討しておりますが……」
一斉にギラリとした目線がソフィアに注がれた。
『怖いっ。マジで怖い』
「レベッカさんのお友達ってことで、是非譲って頂戴!」
「私もお願い」
「こちらにも!」
『えーっと、もしかしてこれは会員制にしたほうがいいのかな? どちらにしても肌質に合わせて複数の製品ラインアップを揃える必要あるわけだし、会員の肌質を登録しておくのが良さそうだな』
化粧品の販売について、改めて検討を始める必要がありそうだ。
「皆様、今回は私もお茶会を主催する予定なのはご存じですよね?」
「ええもちろんよ。グランチェスターの狩猟大会でお茶会を開催するって報せを受けた時は、とうとうロバート卿が頑張ったのねって思ったもの!」
そう、グランチェスター家の狩猟大会において、グランチェスター家以外の人間がお茶会を主催することはない。つまり、レベッカがお茶会への招待状を送った時点で『私はグランチェスター家の一員です』と宣言しているのと同義であり、状況的にロバートと婚約したのだろうと推測したのである。
「実はお茶会で皆様にお渡しするお土産には、ソフィア商会のハンドクリームが入っているの。手がとても潤うのよ!」
「それは素敵!」
「では、皆様がお帰りになられる前に、当商会の商品を説明に伺わせていただきます」
「折角だし、あなたのお店も見てみたいわ!」
「光栄でございます。従業員一同で歓迎いたします」
貴族女性たちとの会話が終了すると、そこに先程別れたジルバフックス男爵が近づいてきた。
「ソフィアよ、其方の言う通り新しい酒は素晴らしいものであった」
「ありがとうございます。ですが、新しいお酒は2種類用意してありますわ。もう片方についても、そろそろ侯爵から紹介があるかと」
「其方は驚くべき女性だな」
「それは、都合よく褒め言葉と受け取らせていただきますね」
ソフィアはジルバフックス男爵に微笑み、悠然と立ち去った。残されたジルバフックス男爵は、『其方は後ろ姿さえ美しいのだな…』と想うことしかできなかった。
ソフィアは侯爵の元へと歩み寄った。侯爵は多くの貴族たちに囲まれて忙しそうにしていたが、ソフィアの姿を認めて声を掛けた。
「ソフィアよ、丁度良かった。シードルについて尋ねられて困っていたのだ」
「然様でございますか。私でお役に立てますでしょうか?」
「皆様、こちらがシードルを製造し販売しているソフィア商会の商会長であるソフィアだ」
ソフィアは深々と頭を下げた。
「このように柔らかな物腰の佳人が、あのように画期的な商品を扱っているのですか?」
「どうか顔を上げてくれ。是非シードルについて詳しく聞きたい」
声を掛けられたため、ソフィアは優雅に顔を上げて嫣然と微笑んだ。すると、先程まで熱心に話しかけていた男性陣がピタリと黙り込み、ソフィアを見つめながら頬を上気させていた。
「ふっ…ソフィア、どうやらお前に見とれているようだ」
「閣下、お戯れはおやめくださいませ。ご挨拶が遅れました。ソフィア商会のソフィアと申します。以後、お引き立て賜りますようお願い申し上げます」
「あ、ああ…グランチェスター侯爵の言うことは正しい。誠に美しいな」
「ありがとうございます。それで皆様はシードルの何をお知りになりたいのでしょうか?」
すると先程ソフィアを褒めた別の男性が声を上げた。
「シードルというあの酒だが、原料はなんなのだろうか? どこかで味わったことがあるような気もするのだが、思い浮かばずモヤモヤとしているのだ」
姿を消しているセドリックの眷属が耳元で彼の名前を囁いた。
『あの方はハリントン伯爵です。ハリントン領はワインで有名ですので、シードルが気になっているのでしょう』
「ハリントン伯爵にそのように仰っていただけるとは、光栄の極みに存じます。シードルはグランチェスター産のエルマから造られておりますので、おそらくエルマ酒の味わいを思い出していらっしゃるのではないでしょうか?」
「そうか! エルマ酒か! 喉のつかえがとれたようにすっきりした気持ちだ。確かにこの風味はエルマ酒だな。だが、エルマ酒といえば濁った酒のイメージがある。微発泡する物も確かにあったが、このように強い発泡性を持ったものもなかった。いったいどのような魔法を使ったのやら」
『確かにこれは妖精の魔法で造られた酒だが、数年後には人の手だけで作られたシードルが並ぶだろう』
「酒造りは人の叡知の極みでございます。ハリントン領で造られるワインとは比べ物にならないかとは存じますが、これもグランチェスターのエルマ農家と酒造家たちの努力の結晶でございます」
『半分くらい嘘です。もちろんトニアさんのエルマやエルマ酒が凄いのは確かだけど、その先をゴーレムと妖精が担当してるとは言いにくい…』
「ほほう。其方は我がハリントンがワインの産地であることまで知っておるのか」
「もちろんでございます。酒にかかわる商売をしている商人として、ハリントン伯爵やハリントン領のワインを知らぬなどあり得ぬことでございます」
『嘘です。ついさっき知りました』
「シードルはエルマ酒から造られますが、シードルになるまでには最低でも3年は掛かります。しかも、ただ熟成させていればできるわけではなく、こまめな手入れが必要になる繊細なお酒なのです」
「なるほどな。是非とも製造の秘密を知りたいところではあるが、さすがにグランチェスター侯爵に怒られそうだ」
「いやいやハリントン伯爵。実は製造方法などはすべてソフィア商会が保有する情報なのだよ。我が家でもソフィア商会から言い値で買うしかないのだ」
「そう、なのですか…」
ハリントン伯爵が口ごもった理由は、『製造方法を明かすよう命令すれば良い』と考える貴族が多いためである。この世界には知的財産を保護する法律がなく、製法を真似されて類似品が売られてもソフィア商会には1ダルも入らない。だが、製品開発に必要な職人の努力や商人の投資などを無視した貴族たちの横暴な振る舞いは、この国では普通に罷り通ってしまう。
「ハリントン伯爵が何を言いたいのかは理解できる。だが、折角グランチェスターで羽根を休めている女神に無茶を言えば、あっという間に女神は飛び去ってしまうのだ。我らにできることは、女神が心地よく過ごせる環境を提供し続けるのみだ」
侯爵は無茶な要求をすればソフィアがグランチェスターから立ち去ってしまうと言っているわけだが、裏を返せばこの発言はソフィアがグランチェスターの子飼いの商人ではないということを明確に示してもいる。つまり、ソフィア商会との取引にグランチェスター家を通す必要はないと言うことだ。
これには周りに居た貴族や、開会式に招待されるだけの財産を持つ富貴な商人たちが聞き耳を立てた。
「で、ではソフィア。シードルを買い付けたいと申せば、私にも売ってくれるのか?」
ハリントン伯爵はソフィアに詰め寄った。
「量と納期のご相談が必要ではございますが、仰る通りでございます。我が商会が販売する商品でございますので。ただ…」
「ただ?」
「量がとても少ないのでございます。現在仕込んでいる分も、大半はグランチェスター家に売約済みですので、早くとも3年後になってしまうかと」
「なんと! それほどに希少な酒であったのか」
周りも一斉にため息をついた。
「グランチェスター家のお許しがあれば、お譲りすることも可能かと存じますので、そのあたりはグランチェスター侯爵閣下とご相談いただければと存じます」
この発言は、他家との交渉に有利なカードをグランチェスター家が持っていることを周囲に強く印象付けた。
『ふふっ。でも、まだまだ終わりじゃないわよ』
ソフィアは薄っすらと微笑みを浮かべてこの後の展開を見守ることにした。