薬師、錬金術師、冒険者
翌日、サラとレベッカがメイドに案内されて会議室に入ると、既に他のメンバーは全員着席していた。大きな会議机の片側にロバート、ジェームズ、ベンジャミン、ポルックス、カストルが並んで着席しているが、もう片側にはサラの知らない3名が座っている。おそらく薬師、錬金術師、冒険者の各ギルド代表者であろう。
部屋の隅にはメイドたちも控えており、1名は書記として小さな机に向かっている。既に他のメンバーにはお茶が用意されていたが、サラとレベッカがロバートの脇に座ると、すかさずメイドがハーブティを用意する。
なお、ギルド関係者の正面に位置する席には誰も座っていないところを見ると、ここがサラとレベッカの席ということらしい。
「お待たせして申し訳ございません」
ギルド代表たちはレベッカとサラが着席したことに驚きを隠せない。
「あの…こちらの方々は?」
白いローブ姿で線の細い男性が声を上げる。
「君は薬師のアレクサンダーだっけ?」
「はい。薬師ギルドの副長を務めております」
「僕の隣にいるのは、弟の忘れ形見である姪のサラだ。その隣はサラのガヴァネスでオルソン子爵令嬢であるレベッカ嬢だ」
「さ、然様でございますか」
すると、その隣でフード付きローブを着た背の高い男性が質問する。
「錬金術師ギルドのテオフラストスと申します。本日は急ぎのご用向きをお伺いしておりましたが、サラお嬢様のお勉強に会議の見学をご希望ということなのでしょうか?」
「いや君たちを呼んだのはサラだ。どちらかといえば見学は僕たちの方だね」
「「「は?」」」
これには3名が同時に驚く。
これには今まで黙っていた体格の良い男性も声を上げる。
「失礼ながら我々も暇なわけではございません。貴族とはいえ、お嬢様の遊びに付き合えというのはあまりにも…」
「君は冒険者ギルドのジャンだっけか」
「然様にございます」
「僕は君たちを子供の遊びに付き合わせるつもりはないよ。こちらの話を聞く前からその態度は如何なものかと思うよ」
驚いたことに、ロバートは苛立ちをあらわにする。身体からは威圧のようなものさえ感じる。
「ちょっとロブ。魔力が漏れているわ。サラさんが驚いてしまうじゃない」
レベッカは慌ててロバートを窘めた。
「これは失礼。魔力がうまくコントロールできなかったようだ。ごめんよサラ。大丈夫だったかい?」
「私は大丈夫ですが、皆さんは大丈夫ですか?」
魔力による威圧を正面から受けたジャンは、少々顔色は悪くしているものの姿勢を崩すほどではない。しかし、両隣にいたアレクサンダーとテオフラストスは、真っ青な顔で脂汗を滲ませている。とはいえ3名ともギルドを代表している自負心から、弱音を吐くことはなかった。
ちなみに魔力の多い人間が魔力を魔法に変換せずに体外に放出すると、このような威圧になってしまう。このように指向性を与えられない魔力は、周囲の魔素にランダムな影響を与え、様々な現象が発生する。魔力属性や反応する魔素によって起きる現象が異なるため、特定の効果を起こすことは難しいのだが、ロバートのように魔力の多い貴族や騎士などは意図的に威圧を起こすことができる。ロバートはサラのために怒ってくれたようだ。
『これが威圧か。初めてみたわ。おそらく伯父様はわざとやったよね』
「も、申し訳ございません」
ジャンが慌てて頭を下げた。グランチェスター城で当主の孫娘を侮る発言をしたことを咎められたのだから、慌てるのも当然ではある。
「この見た目ですから、ギルド関係者の皆様が驚くのも無理はありません。ですが皆様のお時間を無駄に拝借するつもりもございませんので早速始めましょう」
相手の態度など意に介さずに、サラは地図を広げて魔石鉱山の場所を指し示した。
「冒険者ギルドに依頼したいのは、魔石鉱山周辺の魔物駆除です。この周辺です」
「魔物討伐ですか」
「はい。まずは、どのような魔物が生息しているかを調査する必要があるでしょうか?」
「いえ、この周辺に出没する魔物でしたら、おおよそ把握しております」
「それは冒険者ギルドで資料になっていますか?」
「資料というほどではありませんが、冒険者が魔物を倒した際は、魔物の種類と場所を報告させています。また、目撃情報なども随時受け付けており、その情報をもとに魔物を駆除した際には、情報料を支払っています」
「その情報が冒険者たちに共有されているのですね?」
するとジャンが眉間にしわを寄せて厳しい顔をした。
「共有…と言っていいのか。報告をギルド職員が書き取ったメモは残していますが、そもそも文字を読める冒険者が少なく、基本は自分たちが慣れた場所で決まった獲物を倒していますね。職員や他の冒険者同士とのやりとりで、新しい狩場を探すこともありますが、ガセも多いんでうまくいけば儲けものくらいに思ってるんじゃないかと」
「それはもったいないですね。正確な情報を共有できれば、多くの冒険者の方々にとって有益でしょうに。討伐依頼などを出すことはありますか?」
「そうですね、小麦畑の近くにマッドボアなどの害獣が出没すると、討伐依頼がでますね。必要に応じて討伐隊を組織することもあります」
「ところで討伐した魔物は、その後どうなるのでしょうか」
「それは魔物によって異なります。解体して素材を買い取ることもあれば、その場で焼却処分にするものもあります。たとえばマッドボアは肉は食用に、皮や牙などは武具の素材として買い取ります。しかし、沼などに生息するポイズンフロッグは肉にも毒があって食用にはなりませんので焼却します。しかし、討伐したことを証明しないと報酬を支払えないため、後ろ足を持ち帰らせています」
すると横にいた薬師のアレクサンダーが大きな声を上げた。
「なにっ、ポイズンフロッグを焼却してるだと!!」
「お、おう」
「馬鹿野郎。あれの心臓は貴重な薬の素材なんだぞ。なんてもったいない」
「そうなのか?」
「そうだ。他にも抽出した毒から解毒剤も作られる」
これにはテオフラストスも同意する。
「ポイズンフロッグは錬金術の素材にもなる。粘液や指の間の被膜はよく使われる」
「なんで早く言わないんだよ」
「そもそもグランチェスター領にポイズンフロッグが生息していることを知らなかった」
『これは組織を縦割りにしてる弊害ね。情報が共有されてないから連携できてないわ』
ギルド関係者たちは声を荒げて揉め始めた。このまま放置すると、収拾がつかなくなりそうだ。サラはパンッと手を打って彼らを止めた。
「はい。皆様、いったんはそこまでにいたしましょう。どうやら、皆様は"情報"の価値を正しく認識されていないようですね」
「情報の価値ですか?」
ジャンが不思議そうな表情を浮かべる。
「はい、その通りです。まず、冒険者ギルドは、グランチェスター領のどのあたりに、どのような魔物が生息しているのかという情報をお持ちです。しかし、それらの魔物がどのような価値を持っているのかを正しく知らないため、冒険者たちが本来受け取るべき報酬ごと焼却してしまっているのです」
「報酬ごと焼却…」
「そして、これらの魔物にどのような価値があるのかの情報を持っているのは薬師ギルドと錬金術師ギルドです。もしかしたら、職人ギルドにとっても有用な素材があるかもしれません。つまり、冒険者ギルドは一刻も早く領内に生息する魔物の情報を公開し、冒険者たちの収入を増やす努力をすべきなのです」
「な、なるほど」
「より情報を増やすためには、冒険者に対しても情報提供料を支払うべきでしょう。とはいえ闇雲に報酬を支払っていると、正確ではない情報を報告してくる人も出るかもしれません。具体的な証拠がない目撃情報については、支払方法や金額の検討が必要かもしれませんね」
「それはこちらで検討いたします」
ジャンは深々と頭を下げる。
「これは薬師ギルドや錬金術師ギルドも同様です。どういった素材が必要なのか、情報を積極的に発信していますか?」
これにはテオフラストスが答えた。
「錬金術はさまざまな素材を扱うため、これらの素材の扱いになれた商家から錬金術師ギルドがまとめて購入しています。まとめて買うことで割引もありますので、ギルドに加盟している錬金術師であれば、ギルドショップから格安で購入可能です。在庫状況から不足しがちな素材は早めに注文するようにしています」
「それは、何が必要なのかという情報を積極的に発信することなく、商家の勧めるままに購入していることと同義ですね。既存の取引がある商家は『錬金術師が必要とする素材の傾向』という価値ある情報を持っているということです。要するに既得権益です」
「そういうものなのでしょうか?」
「今、テオフラストスさんが仰ったではありませんか。"素材の扱いに慣れた商家から購入する"と。つまり、錬金素材に関連する情報と、それらの情報に基づいた素材入手経路を持たない商家にとって見れば、新規参入が困難であるということに他なりません」
「な、なるほど」
サラはレベッカ直伝の貴族的な微笑を浮かべつつ、「皆様はお話し合いが足りていないようにお見受けいたします」と述べ、ゆっくりと吐息を吐き出した。
「専門の商家が活躍することは悪いことではありませんが、特定の商家にばかり集中するのは避けるべきです」
ロバートや文官たちはこの問題点に気付いているような顔をしている。レベッカはサラと同じように貴族的に微笑んでいるが、おそらく気付いているだろう。
しかし、ギルド関係者はよくわかっていないようで、お互いに顔を見合わせている。
「その理由をお伺いできますでしょうか?」とテオフラストスが尋ねると、他のギルド関係者も身を乗り出すようにサラの答えを待った。
「競争原理が働かないからです。他に競争相手がいなければ、素材の価格は商家が好きに決められてしまうではありませんか。他では買えないのですから、必要なら売り手側の言い値で買うしかありません」
「なるほど」
「これは素材を売りたい冒険者や狩人などにとっても他人事ではありません。特定の商家でしかその素材を扱わないのであれば、買ってくれる商家に言い値で売るしかありません。足元を見られてしまうとは思いませんか?」
「仰る通りですね。事実、そのような事案はいくつもあります」
ジャンもショックを受けたような顔をする。
「市場は競争によって健全に保たれるべきです。そして情報は、その競争で優位性を保つ武器になるものなのです。
たとえば、ある素材を扱っている商家は1軒しかなく、その素材を10ダルで冒険者から買ったとしましょう。その素材が錬金術師ギルドで必要不可欠な素材であることを知っている商家は、1,000ダルの値段で売るかもしれません。
もし10ダルで素材を売った冒険者が錬金術師ギルドに直接売ることができれば、100ダルで取引できたかもしれません。これって冒険者にとっても、錬金術師ギルドにとってもお得ですよね。それを実現するためには、錬金術師ギルドがどんな素材を必要としているかの情報を冒険者に共有する必要があるのです」
『この場に商業ギルド関係者呼ばなくて正解だったかも。私、絶対嫌われるよね』
そこにアレクサンダーが発言した。
「商家からの購入については薬師ギルドも同様なのですが、使用頻度の高い薬草については、冒険者や領民からも積極的に購入しています。流行り病や大規模な災害があれば、一気に素材が不足するため、冒険者ギルドに採集依頼も出すこともございます」
どうやら緊急度の高い分野においては、情報共有も行われているようだ。
「それは素晴らしいですね。不勉強で申し訳ないのですが、薬師ギルドはお薬を作ることを目的としたギルドなのでしょうか?」
「病気や怪我の治療に用いる薬品の調合、および実際に治療行為に従事する者を総称して薬師と呼びます。実は薬品を調合する者たちの多くは、錬金術師ギルドにも加入しています」
「治療を行うのは聖職者かと思っておりました」
「仰る通りですが、光属性の魔法が使える聖職者は非常に少なく、治療にかかる費用も安くはありません。そのため平民の多くは、薬師が処方する薬を利用します。もちろん患者の症状を確認して、適切な薬を処方することが重要であることは承知しています」
『あー、要するに前世でいうところの、薬剤師と医師がまざったような職業ってことか』
アレクサンダーの説明にテオフラストスも答える。
「もともと薬師は錬金術師からわかれた職業であるため、錬金術師を兼ねている者も多いのです。使用する素材にも共通のものがありますし、錬金術師が開発した新しい薬の有効性が確認されれば、そのレシピが薬師ギルドに公開されることもあります」
「そのあたりは情報の共有や連携ができているのですね」
これにはアレクサンダーが反論する。
「いえ、レシピの多くは秘匿されます。よほど簡単なレシピか、影響が大きいために王家から圧力がかからない限り、新薬のレシピは公開されません」
「それは、薬師ギルドでも同じではないか! 去年話題になった解熱剤のレシピは未公開だぞ」
「そもそも錬金術ギルドが、解熱剤を何に使うんだよ」
「それをもとに別の薬ができるかもしれないじゃないか」
思ったほど円滑に連携できているわけではないらしい。
「そういったお話はのちほど、関係者だけでお願いしますね」
アレクサンダーとテオフラストスが振り向くと、サラが微笑みを浮かべて自分たちを見つめていた。しかし、目は全く笑っておらず、威圧がでていないことが不思議なほど妙な迫力がある。
「「も、申し訳ございません」」
この時のジャンは、思った。
『やべぇ、ロバート様より、サラ様の方がこえぇ』
魔物との戦いで常に相手の力量をはかりながら戦う冒険者にとって、こうした感覚は馬鹿にできないのだ。なお、ジャンが一番怖いのは、同じ冒険者でもある妻である。
私は個人的に、恐妻家とは愛妻家だと思っています