男の誓い
本店からジェフリー邸に戻る道すがら、ダニエルが話しかけてきた。
「ジェフリー邸に戻られた後、ピアノを演奏するために本城に向かわれるというのは、本当でしょうか?」
「ええ約束してしまったので仕方ありません」
「ですが…」
ダニエルの言いたいことはサラにもわかっていた。サラとしてゲルハルト王太子と騎士たちに絡まれ、ソフィアとしてジルバフックス男爵に口説かれたのだ。
「ロイセンの方々と行き違いがあったことは事実ですが、禍根を残したくないのです。グランチェスターのもてなしに不備があり、国益を損なうようなことにでもなれば目も当てられません。やるとすればあちら側の責を問う形にせねばなりません」
「そのためにソフィア様に要らぬ負担を強いることを、グランチェスター家の方々が望まれるとは思いません」
「だとしても、です。これは私の矜持の問題かもしれません。先日、祖父様やエドワード伯父様に領主一族の在り様を説教した手前、私が原因でグランチェスターに不利益をもたらすことはできないのです」
「面倒なものですね。領主一族というのは」
「本来なら、こんなものに責任を感じたくはないのですけど、グランチェスター家で養育されている以上は仕方ありません」
「他の貴族連中に聞かせてやりたいですね」
「あら、ダニエルは貴族が嫌い?」
「好きか嫌いかで言えば、嫌いでしょうな。騎士団を辞めた後、下級貴族の護衛の仕事なども請け負いましたが、いい思い出がありません。これから貴族になる方に言うのもなんですが、貴族を辞めたくなったら言ってください。いつでも攫って差し上げますよ」
「ジェフリー卿が怖い顔で追っかけてくるかもしれませんよ?」
「あぁ、それは怖いですね。グランチェスター家の軍馬は足が速すぎます」
「この子も速いわよ」
「見ればわかりますよ。おまけに賢そうです」
『賢いけど、飲み屋のオッサンみたいな下ネタ言うんだよね…』
と、サラは思ったが、敢えて口には出さなかった。
ジェフリー邸の敷地に入ったサラとダニエルは、厩舎近くにある小さなアトリエに立ち寄った。サラが鍵を使ってアトリエの扉を開けると、ダニエルは不審者がいないことを確かめてから玄関に戻り、建物の外で待機する。サラはアトリエの中でソフィアとサラの姿を入れ替え、ちょっとだけ絵を眺めてから外にいるダニエルと合流するのがお決まりのパターンだ。
なお、このアトリエは亡くなったジェフリーの妻のために建てられたのだという。彼女は絵を描くのがとても好きだったそうで、このアトリエでさまざまな絵を描いていたそうだ。実際に置かれていた絵を見てみると、玩具の剣を持ってジェフリーと対峙する幼いスコットの姿、峻厳なアクラ山脈、そして若い頃のジェフリーなどが描かれていた。
サラが変身と着替えを終えてジェフリー邸の本館に戻ると、既にマリアがサラの着替えや身の回りの品を持って到着していた。てっきり客間を使うのかと思っていたが、ブレイズやスコットたちの部屋に近い場所にある可愛らしい子供部屋に案内された。
「ここは?」
「僕の妹か弟の部屋になるはずだったんだ」
「え?」
「両親は結婚するとき、子供は最低でも三人は欲しいって話してたんだって。だからこの邸を祖父から譲られたとき、子供部屋を三つ用意したんだ。母上は僕が小さい頃に亡くなってしまったけど、今はブレイズもいるしね」
「そうだったんだ」
「ブレイズの部屋は僕の隣で、サラの部屋はその隣だよ。僕たちの部屋はベランダで繋がっているんだ!」
するとマリアが歩み出て、スコットとブレイズに話しかけた。
「ですがお坊ちゃま方、就寝時刻を過ぎたらサラお嬢様のお部屋を訪問してはなりません。わかりますよね?」
「「はい」」
まだ13歳のマリアがあまり歳の違わないスコットたちに大人ぶった態度を取っている様子を、ジェフリー邸の使用人たちは微笑ましく見ていた。ジェフリー邸にはあまり年若い使用人がいない。一番年齢が近いフットマンでも、20代の前半なので、彼らの目にはパタパタと動き回るマリアの様子が大変可愛らしく映っていた。
「ブレイズはまだ元の大きさに戻っていないのね」
「うん。まだ戻れるくらい魔力が戻っていないんだ」
「寝ないと戻りにくいのかなぁ?」
「どうなんだろう。一応ハーブティは飲んだんだけどね」
「私も魔力量が爆発的に増えたのは魔力枯渇で意識昏倒した後だから、ブレイズも一度昏倒したほうがいいのかもね。まぁ私はそのまま3日寝込んだけど」
「3日かぁ。それはちょっと考えちゃうなぁ」
「多分、私はもともと魔力量が多かったから目覚めが遅かったんだと思う。ブレイズならもうちょっと早いんじゃないかな。それに私の時はハーブティ飲んでないしね」
ふと、ブレイズがサラを見つめてニヤリと笑った。
「でもさ、このサイズで今のサラを見ると、侯爵閣下やロバート卿がサラを抱っこしたくなる気持ちが理解できるね」
「!?」
ブレイズはサラの両脇に手を差し入れ、あっさりと抱え上げた。
「うん、サラはめちゃくちゃ可愛い」
「なんだろう、ブレイズに抱えられるのって、何とも言えない屈辱感があるわ」
「酷いなぁ」
その様子を見ていたスコットも、ニヤニヤ笑っている。
「ブレイズ、次は僕にも抱っこさせろよ」
「えー、ヤダ」
「独り占めはズルいぞ」
ブレイズが渋々サラを下に下ろすと、すかさずスコットが同じようにサラを抱え上げた。サラにしてみればいい迷惑である。
「あなたたち、いい加減にしなさいよね。子供の身体だと思って!」
「いや、ソフィア姿のサラをお姫様抱っこってのも悪くないぞ?」
「そのまま攫っちゃうとかロマンだよね」
「訳の分からないロマンを持たないでくれない? 凄い迷惑だから。とにかく下ろして!」
スコットも諦めてサラを下ろした。
「ちぇ、女の子だって憧れるシチュエーションってきいてたのにな」
「それってカッコいい男性にお姫様抱っこされるからいいの!」
「今のオレじゃダメ? 一応身体は大人なんだけど」
言われてみれば確かにブレイズはイケメンである。そういう意味では、第二次性徴を迎えているスコットも、大人と子供の境界にあるいい感じの美少年ではある。
「うーん。憧れはジェフリー卿の逞しい腕かなぁ」
「ほう、それは光栄だな。それは是非ともお姫様抱っこしなければならんな」
唐突に背後からジェフリーの声が聞こえてきた。
「父上、お戻りだったのですね」
「うむ。サラがこちらに滞在すると聞いてな。それに、今夜はピアノを弾かねばならんのだろう? オレが護衛に立つぞ」
「ジェフリー卿が直々にですか?」
「不満か?」
「そんなことあるわけないじゃないですか! でも祖父様の護衛はよろしいのですか?」
「侯爵閣下は、そこらの騎士よりも強いから大丈夫だ」
「そうなんですか。どうして息子たちは誰も祖父様に似てないんでしょうね?」
「うーん。アーサーはそこそこ剣を使えたぞ。ロブにしても、女の尻ばかり追いかけていないで、もう少し真面目に稽古していればもっと上達したはずなんだけどな。エドは全然駄目だが」
サラはいたずらっ子のような表情を浮かべてジェフリーに問いただす。
「ジェフリー卿は女性を追いかけなかったのですか?」
「追いかけたに決まってるだろ!」
「グランチェスター男子は一途だって言うのは嘘だったんですね」
「嘘じゃぁないが、一途に想う相手との関係性によっちゃ、いろいろあるさ。特に若いうちはな」
「ジェフリー卿がそんなこと言うなんてガッカリです」
「憧れじゃなくなったか?」
「ちょっとオッサンっぽいです」
「ははは。間違いなくオッサンだよ。オレは」
「でも間違いなくカッコいいオッサンなので、相変わらず憧れますけどね」
「サラは魔性の女だねぇ。オレもちょっとばかりクラっといきそうだよ」
ジェフリーはサラを左手で軽々と抱え上げた。
「これってお姫様抱っこっていうより、父親と娘って感じですよね」
「ロブがみたら大騒ぎだな」
「じゃぁお父様がいない隙を狙わなければ駄目ですね」
「うん? 隙を狙う?」
と、ジェフリーが問いただす暇もなく、サラはジェフリーの頬にキスをした。
「うーん。今度は息子たちから殺されそうな目で見られてるんだが」
「諦めてください。今日はいっぱいイヤなことがあって、しかもこれから気の重いことがあるんです。ちょっとくらい幸せな気分に浸らせてください」
「こんなことでサラの気が晴れるならいくらでも構わないけどな」
今度はジェフリーがサラの頬に小さくキスを返した。
「間違いなく幸せなので、このままいい気分で演奏してきます」
「いや、適当に手を抜いとけ。本当に攫われるぞ」
「知識としては理解していましたけど、本当にロイセンの男性って鼻につくくらい差別的ですよね。平民の小娘に恩恵を与えてやってるくらいの意識なんですよ。『ここまでしてやるんだ。ありがたく思え』とか言われそう」
「ありそうな話だ」
父親がサラにキスしたことを咎めようとした息子たちは、サラの瞳に不安の色が宿っていることに気づいて言葉を飲み込んだ。どれだけ剣の腕が立ち、ドラゴンのような威力の魔法を使えたとしても、不安を感じないわけではないことに彼らは気づいた。
そして、こんな子供に威圧的な態度を取った王太子、そして複数人で取り囲んだ騎士たちに怒りを覚えた。
「父上、サラをよろしくお願いします」
「絶対に守ってください!」
その場に同席が許されない息子たちの懇願は、ジェフリーの想いと同じであった。
「当然だ。オレはオレの全部でサラを守る。これは騎士として、いや男としての誓いだ」