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爪を研ぐ商人令嬢

ソフィア商会の本店に到着すると、受付を任せている男性店員が慌ててソフィアに駆け寄ってきた。ロイセン王室の使用人がソフィアの到着を待っているのだという。


「それで、ロイセンのお客様はいつ頃いらしたの?」

「つい先ほどでございます。事前にお約束がなかったので、ひとまず二階の一番広い応接間でお待ちいただき、ソフィア様に伝令を出そうとしていたところでございました」

「わかったわ。私が直接参ります。ロバート卿、申し訳ないのですが、暫しお待ちいただいてもよろしいでしょうか?」

「いや、僕も同席するよ。グランチェスター領のお客様だからね」

「承知いたしました、ご案内いたします」


ロイセンからの客と聞いて、ロバートも心配気味の顔をしている。


『お父様は心配性ね』


「お待たせいたしました。会長のソフィアでございます」


応接室ではゲルハルト王太子の侍従と思しき男性が待っていた。ソフィアをじろじろと不躾に眺め、やや口許を緩ませた。


「私はロイセンのゲルハルト王太子殿下の侍従を務めるジルバフックスと申す。其方がこちらの会長か。随分と若いな。しかも、その容姿は…グランチェスター家のサラ嬢とよく似ているようだ。血縁者か?」

「ソフィア、そのような無礼な質問には答えずとも構わぬ」


ドアの後ろからロバートも入室してきた。


「こ、これはロバート卿もご一緒でしたか」


慌ててジルバフックスは席を立ち、ロバートに会釈した。


「ジルバフックス男爵、我が領内の者に、しかもうら若い女性に対し、みだりに身分や血統を問いただすことは慎んでいただきたい」

「こ、これは大変失礼いたしました」


この世界では相手に血統などの出自を問いただすことは無礼なこととされている。貴族籍の名簿は図書館や役所でも普通に閲覧可能なので、貴族が名前を名乗った時点で相手を知らないということは、相手のことを『取るに足らない家門』と見下す行為である。仮に覚えていなかったとしても、知っているような顔をするのがマナーである。


なお、貴族籍に名前がない相手の場合、貴族の隠された婚外子である可能性が高い。こちらも詮索することは無礼とされているため、そうした人物が自分の出自を明かすことは、相手への信頼を意味する。


こうしたマナーが転じ、女性に対して身分の高い男性が出自を尋ねる行為は『自分を信頼して身を任せろ』という意味になり、『愛人になれ』という露骨なお誘いになる。初対面の女性にかける言葉としてはあり得ない程無礼であるが、おそらく相手が平民の商人であると侮っているのだろう。


「ロバート卿、どうかそのあたりでおやめください。他国からお越しのお客様です。アヴァロンのマナーには不慣れでいらっしゃるのでしょう」


実際にはロイセンでもマナー違反なのだが、ここは流しておくべきだとサラは判断した。


当然のことながら、ロイセンからの主要な貴族家は、ホストであるグランチェスター家にとっては必須の知識であり、ロバートだけでなくサラもジルバフックス男爵のことは認識していた。ジルバフックス男爵家はオーデル王国の頃から続く由緒正しい家柄である。爵位こそ男爵と低いものの、先代の頃に領地に潤沢な埋蔵量を誇る金山が発見され、ロイセン国内でも有数の富貴な貴族家として知られている。


「なるほどそういうことなら仕方ない。たまたま商談でソフィア商会に立ち寄ったが、ロイセンからの客人と聞いて顔を出したのだ。何かご入用のものがあるようでしたら、グランチェスター家から贈らせていただきたい」

「実はゲルハルト王太子殿下が、こちらの音の出る箱を大変気に入りまして、全曲分を購入するよう仰せなのです」

「なるほど。承知した。ソフィアよ、購入は可能だろうか?」

「はい。在庫はございます」


サラが即答する。狩猟大会の終わりに貴族向けに販売しようと計画していたため、たくさん用意してあるのだ。


「そうだな手土産にもできそうな品物でもあることだし、全種類を3箱ずつグランチェスター城まで届けて欲しい」

「承知いたしました。では音の出る箱と、その箱が奏でる曲の楽譜もお付けしてお届けいたします。ところでロイセンのお客様、音の出る箱はまだ正式な販売前の商品ですので、商品名がございません。ゲルハルト王太子殿下がお気に召されたということでしたら、是非とも殿下に商品名を付けていただけるようお願いしていただけませんでしょうか?」

「構わんが、殿下が承知するかどうかはわからぬ」

「その時は潔く諦めますわ。厚かましいお願いであることは承知しておりますので」

「相分かった」


『しかし、3箱ずつねぇ。見栄っ張りなところは、お父様も伯父様のことは言えないわ。さすが兄弟といったところかしら。全部でいくらなのか理解してるのかしら。それなりに数があるから、全部で9,000ダラスくらいするんだけどなぁ』


音の出る箱の原価の大部分は魔石である。外側の箱がどれだけ装飾的であろうが、魔石の価格に比べれば誤差のようなものである。サラのチートで魔石をコストダウンしているため、実際の原価は大幅に低いのだが、魔石を使った魔道具をあまりにも安く提供してしまうと、市場を混乱させてしまいかねないので、敢えて高い値段で販売しているのだ。


「ところでジルバフックス男爵、ソフィア商会への用向きは済んだのだろうか?」

「できれば商品を暫し見て回りたいのだが…」


どうやらジルバフックス男爵は、ソフィアに店内を案内して欲しいらしい。だが、その誘いに乗る気にはまったくなれない。


「では店の者に案内させましょう。どうか存分にご覧くださいませ。私はこれにて失礼いたします」

「あ、ああ」


こうして颯爽とサラはロバートと共に去っていった。


ソフィアの執務室に一番近い応接室に移動した二人は、商業ギルドの息がかかった店員に見せつけるように、小麦の買い付けに関する書類を取り交わした。ソフィア商会が買い付けた小麦は、グランチェスター領で収穫された小麦全体の70%である。グランチェスター領が備蓄として残している分と、既に他の商会や商家が買い付けた小麦を除いたすべての小麦をソフィア商会が買ったのだ。


また、小麦の量が膨大であるため、ソフィア商会はグランチェスター領が保有する倉庫を借り受ける契約も交わしている。不思議なことにソフィア商会が借り受ける倉庫は、なぜかグランチェスター領の備蓄倉庫に近い。きっと偶然だろう。


この契約を近くで見ていた店員は、生唾を飲み込んだ。なにせ手形に書き込まれる金額がとてつもなく大きいのだ。この情報を商業ギルドにいるコジモに話せば、おそらく商業ギルド内は蜂の巣をつついたような騒ぎになるだろう。なにせグランチェスター領において新参のソフィア商会が、その底知れない資金力によって、グランチェスター領における小麦購入量のトップに躍り出たのだから。


グランチェスター領における小麦の売買は、グランチェスター領が価格を提示する方法で行われている。収穫直後にグランチェスター領は最初の価格を提示すると、それぞれの商家や商会は、提示された価格で購入する量を申請する。


最初の買い付けが終わった時点で小麦が残ると、領は小麦の価格を下げて提示する。こうして領が売りたいと思う小麦をすべて販売するまで、値引きが続いていくのだ。なるべく安く購入したい商家や商会は、最初から大量に小麦を買い付けたりはせず、価格が下がるのを待って購入するのだが、欲張って待ちすぎると他に買われてしまい、必要量が確保できなくなってしまうこともある。


どの価格でどれくらい購入するかが商人の腕の見せ所なのだが、ソフィア商会はそんな商人たちの暗黙の了解をあっさり無視し、2回目の価格提示前に残っている小麦をすべて買い取ってしまったのである。


これまでグランチェスター領の小麦は、多くの商家や商会が互いの顔色を窺いながら買い付けを行ってきた。だが、ソフィア商会の登場は、この構図を大きく変化させてしまったのだ。おそらく多くの商家や商会が必要な小麦の量を確保できておらず、ソフィア商会から小麦を買い取ることになるだろう。無論、ソフィア商会の言い値で。


小麦の買取そのものは、商会を設立する前から決めていたことでもあった。だが、ここまで大胆に小麦の市場を操作することにしたのは、ここ数年、商業ギルドが仲介する形でいくつかの商会や商家が談合し、意図的に小麦の価格を下げていたことが原因だ。


セドリックからこの情報を得たサラは、侯爵に報告した。侯爵は商業ギルドの関係者を逮捕して罪に問うべきだと考えたが、サラは談合の事実を立証することが難しいと侯爵を諫めている。そして、グランチェスター領の言い値で残った小麦をすべて買い付けることにしたのである。


そもそもソフィア商会の小麦買い付けは、備蓄用の小麦を密かに確保することが目的である。つまり、この小麦はすぐに売れなくても問題ない。ソフィア商会が発行した手形をグランチェスター領が現金化することもないので、好きな金額を手形に書いてもまったく問題ないというのも素晴らしい。


『本来なら、ちゃんと小麦の取引市場を作るべきだと思うんだけどねぇ』


と思ったりもするが、備蓄がまともな状態になるのに3年程かかる見込みであることから、真剣に考えるのはその後になるだろう。


また、狩猟大会で忙しい時期にどうしても急ぎで買い付けの書類を作成しなければならない理由は、狩猟大会に合わせて王都や他領の商家や商人もグランチェスター領を訪れていることにあった。実はこの時期に商業ギルドにおいて談合が行われる予定なのだ。どうしても彼らに先んじておく必要があった。


かくしてサラは、ソフィアとして予定した通り大量に敵を作り、お金の力で無双する第一歩を踏み出したのである。

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― 新着の感想 ―
ついにタイトル回収の商人令嬢がお金の力で無双しましたね。 貴族令嬢サラとしてもう一回スタートがあるかな?
「ロバート卿、どうかそのあたりでおやめください。他国からお越しのお客様です。アヴァロンのマナーには不慣れでいらっしゃるのでしょう」 このお客、あんたは馬鹿だねと言われていることを自覚しているのかな?
[気になる点] ますます大変なことに ソフィア商会:商会名 ソフィア: 外から見たときのソフィアに変身中のサラ名称 ソフィアしか知らないひとたちのサラへの呼称 サラ: 物語がサラについて語ったと…
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