どうやら歌もダメらしい
「音楽鑑賞会ってメインの演目は、吟遊詩人なんだろ? サラの演奏で霞んだりしないのかな?」
「あちらは商売ですから、引き出しも豊富だと思いますよ。彼は王都でも人気の吟遊詩人らしいので、音の出る箱用に公開録音することが決まってるんです。売上の一部をその吟遊詩人に支払う契約を締結済みです」
「なるほど。音楽鑑賞会を丸ごとソフィア商会の宣伝に使うってことか」
「そうなるように仕込んでますね」
サラは楽譜の購買層を若い母親世代と想定していた。前座とはいえ、自分の子供も歌や演奏を披露するともなれば、親は音楽教育に熱を入れるはずである。そのため、サラは演奏で少々目立ったとしても『ソフィア商会で売ってる楽譜を練習したら上手になる』と母親たちに思わせたいのだ。
そして金銭的に余裕がある貴族家には、教材用として音の出る箱を購入してもらうのも悪くないと考えていた。現段階で商品化されている音の出る箱は難易度の高い曲が多いのだが、今後は楽譜を販売している曲を録音したものを廉価版としてリリースする予定でいる。
「その後の予定としては、大会3日目に開催されるお母様のお茶会に参加します。この席で『もうすぐ養女になります』って紹介される予定です。お二人の婚約は明日の晩餐会で発表するんですよね?」
「うん、その予定だよ」
明日の夜は前夜祭を兼ねた晩餐会と舞踏会が開催される。そこでロバートとレベッカは婚約を発表し、王の名代としてアンドリュー王子がロバートに子爵位が与えられることを伝えることになっているのだ。
「なので、私はお母様の主催するお茶会で、主要な貴族家のご婦人方に挨拶することになってるんです。自己紹介のついでに、ヴァイオリンもちょっとだけ弾きます。こちらも、難易度低めの曲ですけどね」
「そこでもまた音楽か」
「ゲルハルト王太子があそこまで演奏に執着すると思ってなかったんですよ。演奏していればご婦人方に話しかけられる機会を減らせますし、話しかけられても音楽の話だけしていればいいのでボロが出にくいんじゃないかとお母様と決めたんです」
「つまりレヴィとサラにとっては大きな誤算ってことか」
「その通りです…」
そこにハスキーボイスのブレイズが割り込んできた。
「その調子だと、歌の方もだいぶヤバいんじゃないの? オレも聴いたことないけど」
『うわ、この声は心臓に悪いわ』
「どうなんでしょう。自分だとよくわかんないんですよね」
「試しに歌ってみてよ」
「うーん。今はソフィアだから声はだいぶ違うと思うけど」
「ソフィアの声に合うような曲で構わないよ」
「聞いたことのない言葉の曲でもいい?」
「うん? いいけど」
サラは前世でお気に入りだったミュージカルの中の曲を歌い始めた。他の女性を愛している男性をひたすら愛して、最後は彼を庇って死んでしまう女の子の歌だ。
歌い終わると、何故か周りの男性陣が固まっており、ダニエルは固まったまま滂沱の涙を流すという不思議な状態になっている。
「え、何? やっぱり変だった?」
「言葉の意味がわからないのに切ないとか、どういうことだろうね。多分、その歌は絶対にゲルハルト王太子の前で歌ったらダメだ」
ロバートが絞り出すような声で応えた。
「そんなに?」
「うん。音楽に全然造詣が深くない僕でもダメだから、あの王太子は絶対ハマると思う」
「この声はソフィアじゃないと出ないから、サラなら心配ないと思う」
「……信用ならない。感情が乗らない曲だけ歌うべきだね。それでも不安だよ」
「そこまでですか?」
「そこまでじゃないなら、なんであそこで黙って泣いてる男がいると思うんだよ」
ダニエルはまだ泣いていた。デカい強面の男が泣いているという状況は、あまりにも怖い。
「ダニエル大丈夫?」
「だ、大丈夫です。すみません感極まってしまって。ところでその歌の内容を聞いても良いですか? 意味はわからないのに胸が締め付けられるようなのです」
「欲しいなら後でアヴァロン語に訳した歌詞をあげるけど、他の女性を愛してる男性を想った歌よ。私は独りで、彼の世界は私がいなくても回ってるみたいな」
なぜかその説明だけで、再びダニエルが号泣し始めた。
『え、ダニエルってこういうタイプ?』
「ソフィア様にはそのような哀しい歌は似合いません。ですが、とても聴きたいです」
『あー、理解した。ゲルハルト王太子がこんな風に感激しちゃうと、またロイセンに連れて行くとか言い出すんだ』
「お父様、人前で歌っちゃダメな理由がわかってきました」
「理解してもらえて良かったよ」
「だけどどうしようかな…」
サラは少し考えこんだ。
「どうしたんだい?」
「自分で思ってるよりも私は目立ってしまうと思うのです。グランチェスターの新しい子供って程度で済むと思ってましたが、ゲルハルト王太子とその周辺には認知されていますし、きっと音楽のことで他にも目を付ける方が居そうです」
「確かにそうだね」
「そうなると、護衛も目立つはずです」
「……そうだね」
ロバートはダニエルを見て納得した。上背のある騎士として鍛え抜かれた身体、何物も寄せ付けないような厳つい顔、纏っている雰囲気も剣呑である。この護衛がサラの隣に居れば安心だが、一目見れば忘れられない人物であることは間違いない。
「今はソフィアなのでダニエルに護衛してもらっても問題ないのですが、8歳の娘に専任で騎士をつけるのはどうなんでしょう? 本家のクロエにだって専任の護衛は付いていないんですよ?」
「そうなんだけど、サラを一人にはできないだろう?」
「問題なのは、ダニエルがソフィアの護衛として認知されてることだと思うんですよ。ソフィアとサラを両方見ている人は、容姿の共通点には気付いてるはずです。おそらくサラと血縁関係にあると思われているはずですが、護衛も同じとなると…」
「なるほど」
ダニエルは自分が目立つことを知っており、この体格や強面が抑止力としても有効であることを理解していた。だが、そのために護衛に向かない状況があるとは考えたこともなかった。
「申し訳ありません。悪目立ちする護衛で…」
「ダニエルが悪いわけじゃないわ。二重生活をしている私が問題なだけよ」
サラはダニエルをフォローしつつ、今後のことを検討してみた。
『ソフィアの護衛としてダニエルには今後も頑張ってもらう必要がある。だけど狩猟大会の期間中は護衛が必要……』
「護衛が必要なのは狩猟大会の期間中だけですよね?」
「いや、終わっても誘拐なんかのリスクはあるんじゃないかな」
「正直、普通の“賊”が襲ってくる分には問題ないと思うんですよ。問題なのはロイセンの騎士のように公式な身分を持った人たちの暴走なので」
「うん?」
「勝手に“処分”すると後で問題になる人たちの対処ができれば良いんです。大会期間中だけ、常にサラの近くに騎士団の誰かがいれば抑止力になると思います。身分を笠に着る人たちもいそうなので、騎士も貴族家出身者の方が良いかもしれません。公的な身分をお持ちの方々は、人前で下手な行動はとれないはずなので」
「確かに、普通の賊に襲われたところでサラが負けるわけないか」
だがこのサラの発言にダニエルが落ち込んだ。
「つまり私など居なくても、サラお嬢様は誰にも負けないってことですよね」
「ダニエル、あなたが側にいてくれるだけで安心できるってわかってるでしょう? サラは誘拐される心配はあっても殺される心配は少ないわ。でもソフィアは違う。商売敵から疎まれれば、いきなりバッサリと殺されてしまうかもしれないわ。妖精の恵みを受けていても、不死になるわけじゃないわ。治癒魔法を使う前に殺されてしまうかもしれない。だからこそ、ダニエルに守ってもらわなければならないのよ」
ソフィアが殺されることを想像したダニエルは、それだけで酷いショックを受けた。
「勝手に感傷に浸り、つまらないことを申しました。これからも全力でソフィア様を守らせていただきます」
「ありがとうダニエル。大会期間中は、可能な限りソフィアの姿でいるつもりよ。サラに戻るのは必要最低限になるから、いつもより長い時間護衛してもらうことになりそう。大丈夫かしら?」
「まったく問題ありません。全力でお守りいたします」
姿勢を正し、厳つい雰囲気を取り戻したダニエルは、いつも以上に穏やかならざる雰囲気を漂わせている。
「さて、お父様遅くなってしまったわ。商会の本店に向かわないと」
「ああそうだったね」
ロバートを急き立てるようにサラは席を立った。
「スコット、ソフィアとしての用事が終わったらここに戻ってくるわ。今夜はゲルハルト王太子にピアノを演奏する予定があるから、一旦はサラに戻らないといけないの。でも、その後はこちらに滞在させて欲しいとジェフリー卿にお願いしておいてもらえるかしら」
「わかった。こちらで手配しておくよ」
「よろしくね。それとブレイズ、元の姿に戻れる魔力が回復したなら、ノアールに魔力を使ってもらって昏倒したほうが魔力増えるかも」
「あぁそうかもしれないね」
そこにノアールも顔を出し、「承知した」と返事をした。
こうして慌ただしく、サラ、ロバート、ダニエルはジェフリー邸を後にした。
残されたスコットとブレイズは顔を見合わせた。
「ブレイズ、前から思ってたけど、お前って相当な美形だな」
「けど、サラの好みのタイプは父上だろう? スコットの方が絶対有利だよ。それに顔だけで言うなら、トマス先生には勝てない」
今日も乙女の塔にある図書館に出かけたトマスの顔を思い描き、スコットは苦い顔をした。
「あの顔は反則だよなぁ」
「頭の中身も反則だと思うよ。サラと仕事の話とかしてるの見ると、明らかにオレたちとはレベルが違ってるもん」
二人は同時にため息をついた。
「頭の方は追い付けるか微妙だけど、僕は騎士としてサラを守れるようにならないとな」
「オレはどうしようかな。剣の腕も磨きたいけど、魔法をもっと使えるようになっておくのも重要な気がしてる。そもそも魔法使いだから、オレはスコットの弟になれたんだし」
「父上はブレイズが魔法使いだから養子にしたわけじゃないと思うぞ」
「うん。それはわかってる。きっとオレが魔法使いじゃなくてもサラはオレを助けたと思うし、父上もオレを息子にしてくれたと思う。でも、そういう人たちだからこそ、オレは凄い魔法使いになって恩を返したい。サラを守れる男になりたいし、グランチェスター領の役にも立ちたいんだ」
「それならもっと勉強が必要だな。アカデミーの魔法科は厳しいらしいぞ」
「騎士科もヤバいって聞いたよ?」
スコットとブレイズは同時にニヤリと笑った。
「お互い頑張るしかないな。でもサラは渡さないぞ」
「それはオレも絶対譲らない」
「どっちが選ばれても恨みっこなしな」
「どっちも選ばれない可能性はあるけどね」
「そうなったら一緒に飲むしかないな。その頃には僕たちも成人してるはずだし」
「エルマブランデー飲んだら怒られるかな?」
「失恋した時くらいは許されるだろ」
兄弟は互いの拳を合わせて男同士の誓いを交わした。
「これ以上ライバルが増えないといいな」
「無理でしょ。あのサラだもん」
二人は顔を見合わせてケタケタと笑い出した。