全力でわからせる
ふっとブレイズは微笑んだ。
「サラは優しいんだね。オレは傭兵団で育ったから、気に入らないことは暴力で解決するもんだって思ってたよ」
「ふふっ。私を優しいなんて言うのはブレイズくらいかもしれないわ」
サラがブレイズに微笑みかけると、ブレイズは顔を真っ赤にした。
「サラ、その姿で微笑まないで。心臓がばくばくしちゃうから」
「そういうもの?」
「ソフィア様は自分の魔力暴走で焼死しかけたオレを癒して、名前と生きる場所をくれた人だからね。オレにとっちゃ女神同然だよ」
「ごめんね、なんか中身が残念な女神で」
「ううん。中身がサラだってわかったとき、すごく嬉しかったよ。尊敬してる人と大好きな女の子が同一人物だったんだからね」
『だ、大好きだとっ!』
ロバートがびくりと肩を震わせたが、ここで横槍を入れるのはさすがに大人気ないと黙っていることにした。
「オレはサラの隣に並んで、サラに頼られるような存在になりたい。そう考えたら、いろんなことをいっぱい頑張れる気がするんだ」
「そっか、ブレイズありがとう。すごく嬉しい!」
思わずサラはブレイズをぎゅーっと抱きしめた。だが、10歳のブレイズの身長はソフィアの首元くらいまでしかなく、しかもソフィアの胸がそこそこ大きいため、完全にブレイズの顔は谷間にぽふっと埋もれてしまう形になった。
「もががが…」
ブレイズは慌ててサラから離れた。
「だから、そういうこと気軽にしたらダメ!」
「えー」
「せめてオレがもうちょっと大きくなるまで待って!」
すると、ノアールがするりと姿を現した。
「ブレイズも大きくなりたいなら、やってみるか?」
おもむろにノアールはブレイズを成長させ始めた。
「ちょっとノアール、ここでやっちゃダメ!」
「スコット、ジェフリー卿の服を一式持ってきてっ」
ブレイズは慌てて、さきほどサラが変身していた衝立の向こうに移動して服を脱ぎ始めた。完全に変身が終わったところで、スコットがもってきたジェフリーの服に着替えて衝立の後ろから姿を現した。
「ブレイズ…とっても背が高くなるのね」
「どうやらそうみたいだ」
そこには気怠げな雰囲気の美青年がいた。スラリと背が高く、細身だが鍛えた筋肉を持っているように見える。少し長めの黒髪を無造作に後ろで束ね、鮮やかな紅玉の瞳がサラを捉えていた。声も低く、驚くほどのイケボであった。
「この姿なら抱きついてもいいよ?」
「ごめん、その姿だと私の方がダメだわ。ブレイズって凄くカッコよくなるのね」
サラはまじまじとブレイズを見つめた。
「でもさ、これ凄い魔力持ってかれるんだけど、よくサラは平気だね」
「慣れだと思う。何度か魔力枯渇させたらブレイズも楽に変身できるんじゃないかな」
「とりあえず元の姿に戻るための魔力が無いからハーブティ飲んどく」
「それが良いと思う」
二人のやり取りを黙って見ていたスコットは、突然憤慨してブレイズに詰め寄った。
「おいブレイズ! それは完全に抜け駆けだろう!」
「そういうつもりはなかったんだけど、ノアールが遊んじゃって」
「っていうかお前、父上よりでかくなるとか想定外過ぎる。兄よりデカイ弟など!」
『待てスコット、その台詞はとっても雑魚な兄っぽくなるからダメだ』
サラは心の中でこっそりツッコんだ。
「ノアールもなにしてんだよ。急にこんな美青年に変身させなくてもいいじゃんか」
「いや成長させただけで、顔は本来のものだ」
13歳のスコットは完全に拗ねている。
「大丈夫よスコット。あなただってジェフリー卿にそっくりなんだから、絶対美青年になるって。背だって最近急に伸び始めたじゃない?」
「それでも、まだソフィア姿のサラと同じくらいしかないよ!」
見ればブレイズはソフィアよりも20cmは高い。
「むぅ…。じゃぁサラ、僕にも抱き着いてよ! ブレイズだけズルい!」
「え、いいけど?」
サラはスコットにもぎゅーっと抱き着いた。
暫くしてスコットから離れると、スコットは顔を真っ赤にしながら固まっていた。
「ブレイズがダメって言った理由が分かった。これは本当に色々ヤバい…。サラ、絶対に他の奴に抱きついたらダメだ」
思春期の少年にとって、ソフィアの感触や香りは刺激が強すぎたらしい。
そしてロバートとダニエルは、『自分たちは何を見せられているんだろう』という不思議な感想を持った。
いつものロバートであれば、『娘はやらん』などと憤慨していてもおかしくないのだが、ソフィアの姿に戸惑う少年たちの気持ちは理解できるので、今回だけは大目にみてやることにしたらしい。
なお、ダニエルの感想は『うらやまけしからん』である。
「だけどサラ、またロイセンが強硬な態度を取ってきたらどうする?」
「たかが演奏家のことで外交問題を起こす王太子は居ないと信じたいですね。さっきのは側近の暴走でしょうし」
「国王陛下からロイセンに抗議してもらう手もあるけど」
「あまり波風は立てたくないというのが本音です。悪目立ちしてしまうと、グランチェスターにも良いことは無いでしょう。なにより、商会の仕事に影響が出るかもしれないのがイヤですね。ひとまずゲルハルト王太子が暴走した部下にどういう対応するかを見てから、次の行動を決めたいです」
顎に手を当ててロバートは暫し考え込んだ。
「サラのロイセン行きは断固拒否、可能な限りサラを王侯貴族の前に出さない、ゲルハルト王太子がこのまま大人しくしてるならさっきの行動は不問にするってことだよね?」
「そうなりますね」
「大人しくしてない場合は?」
「臨機応変にとしか言えないですが、武力的解決は最後の手段ですね」
「一応、武力的解決も視野には入れてるんだ」
「相手に右の頬を殴られたのであれば、黙って左の頬を差し出したりはしません。その場で殴った相手の腕を切り落として、その腕で相手をぶん殴るくらいはします」
「うちの娘は相変わらず物騒だね」
ロバートは顔を引き攣らせた。
「ですが、今の私は商会を経営する商人ですからね。武器はお金です」
「あぁエドがやられたような攻撃か。でも相手は隣国の王太子だよ?」
「ふふっ。国力が落ちてる上に、お家騒動の火種を抱えてますからねぇ。ロイセンが本気で私に喧嘩を売るんだったら、商人に喧嘩を売るってことがどういうことなのかを全力でわからせてやります。あの国の商業がボロボロなのは調査済みですから」
サラはソフィアの姿で嫣然と微笑んだ。
『ヤバい。うちの娘が怖い。魔法で脅されるよりもずっと怖いってどういうことだろう…』
「ふふっ。結果的にはロイセンの国民は幸せになるかもしれませんよ? 王家や貴族はどうか知りませんが」
『なんだろう、ゲルハルト王太子に早く逃げるよう忠告したい!』
「と、ところでサラ、今のところ参加が必須な行事はなにがあるんだい?」
ロバートは恐怖のあまり、話題を変えることにした。
「えーっと、狩猟大会の2日目に、待機している女性たちと吟遊詩人を招いて音楽鑑賞会を開催するのですが、前座としてピアノを弾くことになっています」
「いきなりヤバいじゃないか!」
「音楽鑑賞会って大抵前座で子供になにかさせるらしいんです。まぁ、お遊びですね」
「そういえば僕も昔、母上にやらされたよ。アーサーもかな」
「なので別に期待されるような催しじゃないです。さすがに、この日程ならゲルハルト王太子は狩りに参加してますよ。あと、ピアノの演目は比較的簡単な曲を選んでます」
「それだ。今後、ゲルハルト王太子に披露する曲は、初心者でも弾けそうな簡単なヤツにした方が良いって言おうと思ってたんだ」
「最初からそのつもりで、何曲か用意してありますよ。子供のための練習曲を集めた楽譜もソフィア商会で販売しているので、その宣伝も兼ねています」
「なるほどね」
ロバートが心配せずとも、既にサラはそのあたりまで対処済みであった。
「ただ、問題は歌なんですよね」
「サラの歌って僕も聞いたことないんだけど」
「あんまり歌いませんからね」
「なのに今回は歌うの?」
「私くらいの子供って、楽器は微妙な子が多いじゃないですか。だから、歌で誤魔化しちゃおうみたいな習慣があるらしいんですよ」
「なるほど」
「なんですけど、正直アヴァロンの歌唱曲って、あまり歌う気にならないというか、興味が湧かないんですよね。おかげで感情が乗らないというか…」
「そこはノリノリになっちゃダメなところなんじゃ? 悪目立ちしたくないって言ったのサラだよね?」
「まぁそうなんですけどね。なぜか音楽のことになると、妥協できないというかなんというか…」
「サラ、それがゲルハルト王太子の琴線に触れた原因だと思うよ? 本気の歌は家族の前だけに取っておいて、音楽鑑賞会では適当に済ませておいてよ」
前世でそれほど音楽にハマっていた記憶はないのだが、転生してから何故か音楽への執着心が高くなっていることにサラは自分でも気づいていた。
確かに前世の子供時代にはピアノ、ヴァイオリン、声楽、バレエなどを習っていた。更紗の母親は音大出身で、しかも宝塚が大好きだった。そのせいで、更紗には幼少期から英才教育を施したのだ。
だが、コンクールで上位入賞するほどの腕前もなく、趣味で楽しむ程度のレベルにしかならなかった。習い事のほとんどは中学の頃にやめており、間違ってもサラのようにチート的な才能は持っていなかった。
『なんで私ってこんなに音楽にこだわってるんだろう? 音楽は好きだけど、執着を覚える程じゃなかったのに……うーん? なんか思いだしかけてる気がする…』
何故かサラは違和感を覚えたが、不思議なことに疑問はすぐに霧消してしまった。まるで誰かが思いだすのを邪魔しているかのように…。