言い訳をしても笑えない
「ところで、本店の方に来て欲しいって伝言を受け取ったけど、向こうに行かないとまずいのかな?」
「ソフィア商会が小麦を買い入れる書類を急いで作成する必要があるんです」
「急ぐのかい?」
「グランチェスター家に酒類をはじめとする商品を大量に納品したせいで、商業ギルドに目を付けられたみたいです。さすがにゴーレムがいるので敷地に入ってきたりはしませんが、見張られています」
「ふむ」
カポカポと馬の足音を聞きながら、3人はジェフリー邸を目指した。
「これまで他の商家や商会、それに商業ギルドの息がかかった従業員を排除してきたんですが、実は今回ギルド長に近い筋にいる男性を新たに雇用しました」
「それは、わざと?」
「ええ。露骨に排除し過ぎたせいで、かえって不信感を煽ってしまったみたいです」
ソフィア商会の従業員の大多数は、商業ギルドからの紹介で採用を決めている。セドリックのお陰で、他の商家や商会の息がかかっていない人材を選んできた。
最初は徹底してクリーンな人材だけを雇用していたのだが、それが商業ギルドの、というよりギルド長のコジモの不信感を煽っているとセドリックから報告があったのだ。
「秘密主義過ぎるってことか」
「得体の知れない商会って警戒されちゃって」
「確かにソフィアは得体が知れないね」
「なので、あまり重要な機密に触れない仕事に、就いてもらうことにしたんです。ロバート卿と本店で打合せして、小麦を大量に買い付ける契約を結んだことを見せつけたくて」
「なるほど。わざと報告させたいんだね?」
「はい」
ロバートは少し考えこんだ。今年の麦は事前の予想通り豊作であった。例年通り備蓄に回す分を除いた残りのうち、どのくらいをソフィア商会に売ればいいのか判断に迷ったのだ。
「ソフィア商会で密談に向いた部屋はあるかい?」
「勿論です。売却量の相談でしょう?」
「さすがサラだね」
「横領の後始末を一緒にやった仲ですから」
サラはにんまりとロバートに微笑んだ。
「ただ、ソフィアの正体を知りたがっているのはギルド長だけじゃなさそうです。ジェフリー邸に居候しているという噂もあるので…その…」
「くそっ、ジェフの愛人だと思われてるのかっ」
「ジェフリー卿は独身なんですから、せめて恋人って言ってくださいよ!」
「どっちにしても気に入らない!」
ロバートは馬上にもかかわらず大声で怒鳴った。馬の耳がぴくりと迷惑そうに動く。グランチェスター一族の乗馬は軍馬としての訓練を受けているため、少々の大声で驚いたりはしない。だがうるさいものはうるさいのだ。
『サラ、お前の父ちゃんうるせーぞ』
デュランダルもサラに文句を言った。
「お父様、馬たちが迷惑だから怒鳴るなって言ってます」
「あ、ごめんよ」
ロバートは愛馬の首元を軽く叩いた。
「団長との噂ですが、私も原因の一端になってるかもしれません」
「どういうこと?」
「私が騎士団にいた頃、団長には側近のように扱って頂いておりました。その私がソフィア様の護衛についたということで…」
「あぁ信頼する側近に守らせるくらい特別扱いしてると思われたってことか」
ダニエルが申し訳なさそうな顔をすると、ロバートは機嫌の悪さを隠すことなく吐き捨てるように言った。
「私は全然イヤじゃないですけどね。さっきも凄いカッコよかったぁ。スラリと抜剣した姿に、思わずキュンってしちゃいました」
相変わらずサラの推しはジェフリーである。
「えー、そこは最初に来た僕でよくない?」
「お父様は別枠でしょう?」
発言こそしなかったが、ダニエルも残念に思っていた。だが彼自身もジェフリーのことを格好良い男だと思っていたため、もはやあきらめの境地である。
「そうなるとスコット様は将来有望ですね」
ダニエルが寂しさを堪えつつ冗談のように言葉を紡ぐと、サラはくるりと振り向いてダニエルの意見を否定した。
「ダニエルはわかってないなぁ。ジェフリー卿がカッコいいのは見た目だけじゃないです。経験や実力に裏付けられた自信、他者を思いやる心、そしてちょっぴり切なくもありますが亡くなった奥様を一途に想っていらっしゃることまで含めてすべてが素晴らしいのです。お仕事されている時の礼儀正しいジェフリー卿も素敵ですが、言葉を崩した素のジェフリー卿も最高です!」
捲くし立てるように話すサラを見たダニエルは、『これはスコット様やブレイズ様には聞かせられないなぁ』と思った。だが、ふと見れば、ロバートもガックリと項垂れている。
「でも、いつまでもソフィアとサラの入れ替えに、ジェフの家を使うわけにはいかないと思うんだ。早めにソフィアの邸宅を購入するなり新築するなりしないと」
「乙女の塔の近くに家を建てて、隠し通路で繋げたりできるかしら…」
「あぁ、それが良いかもしれないね。万が一の脱出用にも使えるだろうし」
「乙女の塔はグランチェスター城の敷地の端にありますから、隣接した土地を購入しましょう。間に森があるお陰で作りやすいかもしれません」
ジェフリー邸ではスコットとブレイズが心配そうな表情でサラを待っていた。
「遅かったね。何かあった?」
最近急速に背が伸びているスコットはサラを抱えるように下馬を手伝い、ブレイズはデュランダルの手綱を取った。
「ちょっと、ね。ロイセンの王太子絡みで面倒なことになっちゃった」
サラはランチの席での出来事と、先程の騎士たちとの衝突について説明した。
「それなら、しばらくソフィアとしてウチで過ごす? 商会に用があるならここから行けばいいし」
「うーん。サラとしてやらなきゃいけないことはあるんだけど…。それ以外の時間をここかソフィア商会で過ごすのは悪くないかも」
狩猟大会そのものに子供は参加できない。馬上から弓を射る競技であることを考えれば当然の配慮であり、グランチェスター領に限らずどこの領地でも狩猟大会のルールとなっている。
女性も参加は可能であるが、よほど腕に自信が無ければ参加はしない。18歳からグランチェスターの狩猟大会に参加してきたレベッカは、毎回見事な獲物を仕留めることでも知られていた。当然今回も参加する。
社交は小侯爵一家に任せても問題ない。なにせ毎年やっているのだから、少々のトラブルは自分たちで解決できる。商品の宣伝も打合せ済みなので、サラが本邸に残っているよりも、ソフィア商会で待機している方が何かあったときに対処しやすいだろう。
「お父様はどう思いますか?」
「そうだね。狩猟大会中は僕たちもバタバタ動いているから、サラから離れる時間はどうしても多くなる。実は大会期間中はダニエルにサラの時も護衛をお願いしようと思ったんだよ」
ダニエルが姿勢を正した。
「確かにサラお嬢様を一人にするのは大変危険です。私がお守りいたします」
ロバートは内心で『大変危険なのは相手の頭髪だよな』と思ったが、騎士の使命感に水を差すことは控えた。
『護衛というより、サラがやり過ぎないよう先に敵を制圧できる人が必要なんだよな』
ダニエルは知らないが、サラは100名を超える暴徒を一人で昏倒させ、見せしめのためにリーダー格の男の手足を魔法で切り落としたのだ。しかも、切り落とした手足を元通りに治療した後に、嫣然と微笑みながら『まだやるか』と聞くような苛烈な性格をしている。
始末しても問題ないような相手であれば、サラが少々やり過ぎたところでどうにでも対処できる。だが、相手が王侯貴族ともなればそうもいかない。
「無用なトラブルを避けるため、ここに避難は前向きかもしれないね。サラならジェフも嫌がらないだろう。特に王太子と顔を合わせるのを避けたい」
スコットとブレイズは顔を見合わせて喜んだ。
「父なら大丈夫です。常日頃からうちの息子の嫁にしたいって言ってますから」
「どっちにもサラはあげないよ?」
スコットの発言を、ロバートはバッサリ斬った。
「お父様、スコットたちで遊ばないでください」
「いや、結構本気なんだけど?」
「はいはい。そういうことは数年後に言ってくださいね。ひとまずソフィア商会行きますよ」
サラはロバートの発言をあっさりと流して、ソフィアに姿を変えた。
サラを変身させるために姿を現したミケは、ロバートの様子を見て相変わらずだと呆れたが、先程のゲルハルト王太子の様子も見ていたらしく心配気味にサラを見つめた。
「サラは大丈夫なの?」
「大丈夫。ちょっとガッカリしてるだけだから。王族ってもっと国のことちゃんと考えてる人だって思ってたの」
ミケはソフィア姿のサラの肩で、香箱を組んで落ち着いた。
「そうじゃなかったのね?」
「グランチェスター領までわざわざ来たのは国のためだと思うから、王太子としての義務みたいなものは持ってると思う。だけど、自分の要求を強引に押し通そうとするのにはうんざりした。平民の小娘に親切にしてやってるんだって言わんばかりの傲慢な態度が鼻につく感じね。10年前のお母様もこんな気分だったのかな」
衝立の裏からソフィアの姿で歩いてきたサラを、ロバートがエスコートする。
「うーん。レヴィの時のロイセンは今よりもずっと力を持ってたし、アドルフ王子はもっと強引だったよ」
「じゃぁ今日のゲルハルト王太子はマシな方ってことですね」
「比較するのも変だけど、そうだね」
だが、サラを強引に連れ去ろうとした話を聞いて、スコットとブレイズは激怒していた。
「マシとか言ってる場合じゃないよ! 本当にロイセンに連れていかれちゃうかもしれないだろ!?」
「そうだよ。サラは暢気すぎる」
サラは兄弟に向かってくすっと笑った。
「だんだんスコットとブレイズは似てきたね。ちゃんと兄弟なんだね」
「サラ、話をそらさないで!」
「そんなイヤなヤツがいる国なんて滅ぼしちゃえよ!」
ブレイズが『国を滅ぼす』という発言をしたことに、サラはチクリと胸を痛めた。
『ロイセンは…いえ、オーデルはあなたの祖国なのに』
「正直ね、黙らせるのは簡単だなって思った。でも、そのせいで国同士が争いになるのはイヤだわ」
「戦争になったらってこと?」
「うん」
「相手の国を滅ぼしちゃうくらい、サラなら簡単だろう?」
ブレイズは怒りに任せて、不穏な発言をした。本人は知らないが、ブレイズの祖父母や親戚の王族たちはロイセンの王族により滅ぼされている。言ってみればロイセンの王族はブレイズの仇敵である。
「そうだね。多分、簡単にできる。でも、それって誰かを傷つけるってことなのよ」
「自分や家族を守るためなら許されるんじゃない?」
これにはスコットが応えた。騎士を目指すスコットにとって、自分や自分の大切な人たちを守るために武器を取ることは正当な行為である。
「たぶん言い訳はいっぱい並べられると思う。もしかしたら、私を英雄みたいに讃える人も出てくるかもしれない。だけどロイセンに住んでる沢山の人を傷つけたあと、私自身がそれまでと同じように笑って暮らせるとは思えない」