おチビちゃん頑張る
『ちょっと! 私、断ったじゃない!!』
サラは内心ムッとしたが、目立たぬようひたすら大人しくしていた。王族相手にブチキレてはいけないと、繰り返し自分に言い聞かせる。
「ゲルハルト王太子殿下、それは承服いたしかねます。孫のサラは、まだ8歳の幼子でございます」
「アンドリュー殿下、この者を私の国に連れ帰りたい。許可を頂けるだろうか」
ゲルハルト王太子はアンドリュー王子にも詰め寄った。
「ゲルハルト王太子殿下、サラ嬢はグランチェスター侯爵の言う通り8歳の幼子です。本人も保護者も従えぬと申しております。どうか諦めてください」
「ですがこのままグランチェスターに留まれば、サラ嬢の才能を世に知らしめることが出来ないではありませんか」
「本人と保護者が望んでいないのですから仕方ありません」
「王命を出してでも従わせるべきです。アヴァロン王にもお力添えを賜りたい!」
「傍系とはいえ、サラ嬢は侯爵家の一員です。彼女の将来を左右する王命など、国王陛下が出すわけがありません」
「サラ嬢の将来が不安と言うのであれば、私の妃として迎えても構いません」
「お戯れはそのあたりでおやめください!」
突然ロバートが口を挟んだ。
「サラの身分は平民です。私の婚姻後、私ども夫婦の養女に迎える予定となってはおりますが、それでも平民であったことは覆せない事実です。ゲルハルト王太子殿下がそうした生まれの娘を妃に迎えるのであれば、側室として迎えるしかありません。私は娘をそのような立場に置くつもりはございません。お断りいたします」
ロバートは激しく怒っていた。ゲルハルト王太子がレベッカに『プロポーズしようと思っていた』などと言った時点でかなり気分を害していたが、それでも相手は他国の王族であるため我慢していた。だが、サラに対する強引な態度が、すでに限界ギリギリだった彼の堪忍袋の緒を完全にぶった切った。
「それはグランチェスター侯爵も同じ考えであるか?」
ゲルハルト王太子はロバートではなく、侯爵に尋ねた。
「はい。このように幼い孫娘を他国に、しかも側室になど考えられるものではございません」
「私の側室の地位を侮るというのか!」
「侮ったりなどはいたしません。ただ、私どもはサラ自身が望む生き方をさせたいと願っているだけにございます」
レベッカはするりとゲルハルト王太子の前に立ち、ドレスの後ろにサラを隠してゲルハルト王太子を一喝した。
「ロイセンは10年前と同じことを繰り返すおつもりなのですか?」
「無礼な。私を下劣なアドルフと同じと申すのか!? 私はなにも幼子を手籠めにしようとしているわけではない。事実、亡き王太子妃とも白い結婚のままであった」
「それが何だというのです。本人が嫌だと申し上げているにもかかわらず、強引に側室になれという仰りようは、アドルフ王子殿下とまったく同じです。望まぬ地位と、望まぬ労働を強いるのがロイセンのやり方ですか? 10年前の謝罪は一体何だったのでしょう」
ビリビリと声が響き、レベッカは意識的に魔力を放出してゲルハルト王太子を威圧しはじめた。だが同時にゲルハルト王太子からも魔力が漏れ始めており、互いに睨みあうように相手を威圧し始めている。
「お二人ともおやめください。国王陛下は決してそのような命令を出すことはありません。ゲルハルト王太子殿下、あなたの言い分はアヴァロンでは通りません。8歳の幼子を保護者から引き離し、自分のために働かせるなど正気ですか?」
アンドリュー王子の指摘に、ゲルハルト王太子も冷静さを取り戻した。
「8歳の幼子だからこそ、自分の才能を正しく理解していないのではありませんか? 保護者に言いくるめられ、演奏家になりたくないと思い込んでいるだけかもしれません。自分が演奏家としてどれほど人から望まれるかを理解すれば、きっとサラ嬢も演奏家の道を歩むことでしょう」
『ぐぬぬ、思い込みで勝手なコト言いやがって! お前は好きな時に演奏聞きたいだけだろうが!!』
そろそろサラもブチキレそうだった。しかし、相手は隣国の王太子である。下手に逆らえば外交問題に発展する可能性もある。領民や国民を巻き込んだ戦争に発展したら目も当てられない。だからこそサラは『演奏は上手だけど大人しい普通の子供』という役を必死に演じようと努力し続けているのだ。
そこでサラは、あざとい攻撃に出ることにした。後でクロエやクリストファーが腹を抱えて大爆笑する可能性は高いが、背に腹は代えられない。
『ちゃんと挨拶できるおチビちゃんだと思われてるうちに倒そう!』
「ゲルハルト王太子殿下、私はヴァイオリンやピアノを演奏することも好きですが、他にもいっぱい好きな物があります。本当に演奏は趣味だけで十分なんです」
「だけど、君の才能がもったいないと思わないかい?」
「全然思わないです。だけど遠くに連れていかれたら、私は悲しくて毎日泣いてしまうと思います。グランチェスターが恋しくて、きっと演奏なんか全然できないくらい大泣きするに決まってます。そうしているうちに、ゲルハルト王太子殿下のことも嫌いになっちゃうかもしれません」
「それはイヤだなぁ」
「ゲルハルト王太子殿下が遊びにきてくれるなら、ヴァイオリンでもピアノでも演奏して差し上げます。だけど、遠くに連れて行くのはやめてください。もうすぐ私には新しいお父様とお母様ができるんです!」
サラは胸の前で手を組み合わせ、ウルウルとした目でゲルハルト王太子を見上げた。彼は深いため息を吐いてサラを抱き上げた。
『だからどうして皆私を抱き上げるのよ!』
「わかったわかった。おチビちゃん、どうか私のことを嫌いにならないでくれ。ただ、君の演奏を聴きたいだけなんだ。次は君のピアノを聴かせてくれるかな。ヴァイオリンの演奏しか聴いてないけど、どうやらピアノもいけそうだし」
「あ!」
やはりサラは迂闊者であった。ピアノも弾けることを自分でバラしていた。
「今すぐには無理です。子供用の補助ペダルがないので」
「あぁなるほど。それじゃぁ今夜、晩餐の後にでも聴かせてくれるかな?」
「私は8歳なので、夜は早くベッドに入らないと怒られちゃうのですが…」
「じゃぁ夕食も早めに済ませるから、ちょっとだけ頼むよ」
「もうロイセンに連れて行くって言いません?」
「うーん。将来はわからないけど今回は引き下がるよ。どうやら私は今日だけで二人の女性にフラれたらしい」
「大丈夫です。ゲルハルト王太子殿下は素敵なので、きっと狩猟大会でたくさんのご令嬢がお嫁さんになりたいって思うはずです!」
『くぅぅぅぅ、自分で言ってて恥ずかしいよぉ。っていうかクロエが笑いを堪えてるのが見えるよ。ちくしょー』
「ロバート卿にも謝罪させてください。興奮して大変失礼なことを申しました。ですが、私は心の底からロバート卿が羨ましいです。最高の妻と娘を同時に手にされるのですね」
「恐縮でございます」
ロバートもゲルハルト王太子に深く頭を下げた。
『なんかスッキリしない終わりだけど、これ以上踏み込んでも良いことはなさそう』
そしてこの後、ゲルハルト王太子はサラを見るたびに演奏をせがむようになる。彼はいつサラに会っても大丈夫なように、狩猟大会の期間中は常に子供用のヴァイオリンを侍従に持たせるほどの徹底ぶりであった。