まさかこんなことになるとは
「今回、アヴァロンには私の結婚相手を探しに来たんです。本当はレベッカ嬢にプロポーズしようと思っていたのに、既に婚約しているとは残念です」
昼食の席で、ゲルハルト王太子がいきなり爆弾を投下した。
「まぁゲルハルト王太子殿下、そのようなお戯れを…」
レベッカは笑いながら冗談として流そうとしたが、意外にもゲルハルト王太子は食い下がった。
「さすがにプロポーズは言い過ぎですね。ですが、レベッカ嬢にお会いしたかったのは事実です。以前お会いした際、私は立太子を終えたばかりで王太子としての自覚に欠ける10代の未熟者でした。最初の外交が国を代表しての謝罪ということで、とても胃が痛かったことを憶えています」
「確かに18歳でいきなりそれはお気の毒ですね」
「ですがアヴァロン王もレベッカ嬢も、私には寛容な姿勢で居てくださった」
「アドルフ王子の行動を止めなかった当時のロイセンを恨みに思ったことはございましたが、ゲルハルト王太子殿下に罪があるわけではございませんので」
レベッカはニッコリと微笑んだ。完璧な作り笑いである。この話題をそろそろ終わりにしたいのだろうと、サラはレベッカの気持ちに気付いた。
「今思えば、あの時の私はレベッカ嬢に淡い恋心を抱いたのでしょう。10年経っても変わらず美しいレベッカ嬢を目の当たりにしてしまうと、心のざわつきがおさまりません」
隣に婚約者がいるにもかかわらず、ゲルハルト王太子は非常に大胆であった。ロバートは笑顔を取り繕うのに失敗して、引き攣った顔をしていた。
「それにしても、レベッカ嬢が婚約されたことが明らかになれば、悲嘆にくれる男性がたくさんいそうですね。いや、お相手がロバート卿なら枕を涙で濡らす令嬢もいそうです。まさに美男美女の組み合わせですね」
空気の読めるアンドリュー王子は、ロバートとレベッカの婚約の話に言及しつつも、レベッカやロバートが多くの人から慕われていることに焦点を当て、執着しているのはゲルハルト王太子だけではないことを強調した。
さすがにゲルハルト王太子もこれ以上続けるべきではないと判断し、クロエとサラに視線を移し微笑みながら話しかけた。
「それにしても、グランチェスター家のご令嬢方は美しいですね」
「確かに数年もすればクロエ嬢もサラ嬢も美しい貴婦人となりそうです。長い目でお待ちになるという手もありますよ?」
アンドリュー王子もゲルハルト王太子の意見に賛成した。
「グランチェスターのご令嬢はいずれも大変魅力的ですが、私には少々若過ぎるようです。私の最初の妻は12歳で私に嫁ぎ、15歳で亡くなりました。私は今でも幼い令嬢を親元から引き離したことを後悔しているのです。それに、私のようなおじさんに求婚されても彼女たちが困ってしまうでしょう。私の目にはアンドリュー王子こそ、彼女たちに相応しいお相手に見えますね」
「それは光栄ですね」
アンドリュー王子がクロエに向かってウィンクすると、クロエは真っ赤になって顔を伏せた。よく見ると耳まで真っ赤である。
『うん。クロエ、めっちゃ可愛いわ。その恋応援したくなるっ』
しかし次の瞬間、サラは冷静になった。アンドリュー王子は王太子の長男である。つまり、クロエの恋が実るということは、クロエが将来王太子妃となり、やがて王妃になるということを意味する。
『クロエが王妃?? さすがに無理があるでしょ』
変わりつつあるとはいえ、クロエに国母の資質があるようにはまったく見えない。ここは社交辞令として普通に受け流すのが吉だろう。
昼食後、侯爵はアンドリュー王子とゲルハルト王太子に小さなプレゼントを手渡した。それは、一番小さなサイズの音の出る箱であった。中にはポプリの入った小さなサシェが入れてあり、ふわりと香りが漂うとともに音が流れ出すようになっていた。
「こちらはグランチェスター領にある商会で発売予定の製品なのです。まだ商品名はついておりませんが、殿下方に是非お試しいただきたく存じます」
ゲルハルト王太子が興味深げに蓋を開けると、ヴァイオリンの曲が流れ出した。曲はパガニーニのカプリース24番で、楽譜もソフィア商会から販売されている。インパクトがある方が宣伝に向いているかもしれないと選曲した。
「これは魔道具ですか?」
「然様でございます。魔石を使い切ると音は出なくなりますが、交換用の魔石も販売されています」
「実に素晴らしいですね」
「これは、人が演奏したものを魔道具が再現しているのですか?」
「仰る通りです」
「演奏家の方の技量も素晴らしいですね。ぜひお会いしたい! できれば本来の音を目の前で聞いてみたいです!」
ゲルハルト王太子は興奮気味に身を乗り出している。
「グランチェスター侯爵、ゲルハルト王太子は音楽に造詣が深い方なのです。今も大勢の音楽家を支援していらっしゃるのです」
「然様でございますか」
「これほどの演奏テクニック、聞いたことのない曲…すべてが素晴らしいです。もし支援者が居ないのであれば、私がロイセンに連れ帰って全面的に支援しましょう! 是非ともご紹介ください」
『マズいどうしよう!』
サラは助けを求めるようにレベッカを見つめ、次に侯爵を見つめた。
「ゲルハルト王太子は花嫁よりも演奏家の方を熱心にお探しのようですね」
「私にはどちらも重要です。もしこの演奏家が生活に困窮し、この商品のために商会に酷使されているようであれば、何としても止めさせるべきでしょう!」
『どうしよう、ゲルハルト王太子が大きく勘違いしてる』
侯爵は深いため息を吐いた。どうやら隠すことを諦めたらしい。
「ゲルハルト王太子殿下、その曲を演奏しているのは私の身内でして、生活には困窮しておりません。その箱をグランチェスター領の特産品とするため、音源となる曲の演奏に協力してくれたに過ぎないのです」
「なんと! 演奏や作曲を生業としている者ではないというのですか?」
「然様でございます」
「これほどの腕前を持ちながらその存在を隠しているというのですか…」
「まだ子供なのです。広く知られれば将来にかかわります」
「決して正体を明かさないとお約束します。どうかその方に会わせてください」
「ですが…」
侯爵はチラリとアンドリュー王子の方を窺った。
「無論私も秘密にいたします。父や祖父に問われても黙っていることをお約束いたします」
他国の王族からの無茶振りをやんわり止めて欲しかった侯爵は、アンドリュー王子に少しだけ失望した。彼も「秘密を守る」と言った時点で、侯爵の立場では演奏者を隠せないのだ。これは事実上の命令である。
「演奏しているのは、そちらに座っている孫のサラでございます」
「えっ!?」
「そんな、まさか本気で仰っているのですか?」
「はい。そのような嘘になんの意味があるでしょうか。サラ、ホールでヴァイオリン演奏の準備を始めなさい」
「はい。祖父様」
侯爵は使用人に、子供用のヴァイオリンを持ってくるように命じ、ジュリエットを本城のホールに呼び出した。サラは静かに立ち上がり、王族たちに会釈してから演奏の準備のためにホールへと移動した。
『面倒なことになったわ。目立ちたくないのに』
ジュリエットがサラのヴァイオリンを手にやってくると、ジュリエットに舞踏会用の演奏用に用意されているピアノのセッティングを任せ、サラは黙々とヴァイオリンの準備を始めた。
『なんだか見世物にされてる気がしてイヤな感じ。王族に言われれば是非もないけど』
使用人たちがピアノの近くに椅子を並べると、ぞろぞろと正餐室から王族たちとグランチェスターの一族が移動してきた。
観客が全員椅子に座ったことを確認すると、サラはゲルハルト王太子に尋ねた。
「ゲルハルト王太子殿下、先程の箱と同じ曲で宜しいのでしょうか?」
「うん。先程の曲を生で聞かせて欲しい。だけど、折角伴奏のピアニストを呼んだようだし、別の曲も聞きたいな」
薄笑いを浮かべているところを見ると、どうやらゲルハルト王太子はサラが先程の曲を演奏したことを信じていないらしい。いまなら『あの演奏は自分ではない』と申し立てて有耶無耶にすることもできるだろうが、そうなれば実在しない演奏家を探すよう王命が下る可能性もある。後から名乗り出れば王族を謀った罪に問われる可能性すらある。
『どう考えても詰んでるわ。それにしても、自国でもないのに強引な王太子ね。王族ってみんなこんなものなのかしら』
ぐるぐると考えを巡らせつつも、サラは演奏を開始した。最初はリクエスト通りカプリースの24番。ちょっぴり心がささくれているため、音の出る箱に録音した時よりも激しい演奏になったかもしれない。
「なんということだ! 本当に君が演奏していたんだね。なんと素晴らしい腕前だ!」
「本当に素晴らしいよ。どうしてずっと埋もれていられたんだ」
王族の二人は絶賛しているが、商品を宣伝するため商品知識を詰め込まれ、繰り返し演奏を聴いていたグランチェスター家のメンバーは、小侯爵一家や使用人たちも含めてすっかり慣れてしまっていた。
「お褒めにあずかり光栄でございます。では次の曲を演奏いたします」
サラはジュリエットに指示を出し、サラサーテのカルメン幻想曲とサンサーンスのロンドカプリチオーソを奏でた。実はアンドリュー王子に渡した箱の方には、カルメン幻想曲が収録されているのだ。
「ほう…それぞれに素晴らしい曲ですね」
「これらの曲については、楽譜も販売しております。必要であればソフィア商会から届けさせます」
サラがヴァイオリンを片付けようとすると、ジュリエットがピアノから立ち上がってサラからヴァイオリンを取り上げて収納し始めた。どうやら楽器管理の仕事を奪ってはいけないらしい。
「ところでサラ嬢、君はいくつだったかな?」
「8歳でございます」
「その年でそこまでヴァイオリンを弾きこなすとは。誰に師事しているんだい?」
「私の演奏は独学でございます。ゲルハルト王太子殿下は他国の方なのでご存じないかもしれませんが、私の父は平民と駆け落ちしたのです。そのため私は平民として生まれ、平民として育ち、今もなお身分は平民のままです。誰かに師事して楽器の演奏を習う余裕などございませんでした。他の演奏家と違って聞こえたのだとすれば、おそらくそうしたことが原因だと思われます」
確かにこの世界で誰かに師事したことは無いので、独学というのは間違っていない。しかし王族を前に堂々と『自分は平民』と言いきれるのはサラの強さでもある。
「確かにこれほどの演奏家を育てられる人物に心当たりはないなぁ。ところで君はいつまでそうして隠れているつもりなのかな。音楽の世界には時折神童が生まれることがある。君もそうした一人なら、デビューが早くても問題ないんじゃないかな?」
ゲルハルト王太子は、サラに詰め寄るように問いかけた。
「ゲルハルト王太子殿下、私は演奏家ではございません。これは私の趣味に過ぎないのでございます」
「それほどの才能を持ちながら、演奏家にならないというのですか!?」
「はい。なりたいと思っている職業ではございません」
「なんともったいない…」
「どうか先程のお約束通り、私のことを誰にも語らず捨て置きくださいませ」
サラはゲルハルト王太子に深いカーテシーの姿勢を取り、退室の許可を求めた。
「退室することは許さぬ」
だが、唐突にゲルハルト王太子はそれまでの柔らかい口調から、王族としての強い命令口調に切り換えた。
「それほどの才能を持ちながら、趣味だけで終わるなどあり得ぬ。グランチェスター侯爵よ、サラ嬢を私付きの演奏家として召し抱える!」