王子と王太子
その日は、晩秋とは思えないくらい暖かかった。クロエはドレスの上からお気に入りのケープを纏うのを諦め、代わりに可愛らしいコサージュを胸元にあしらうことで満足することにした。
サラは前日まで忙しくしていたため寝不足で、早朝からマリアをはじめとする使用人たちの言われるままに入浴し、部屋で軽食を済ませ、ボーっとした状態でドレスを着せられて髪を結われた。複雑な編み込みを施したハーフアップで、毛先の部分だけコテを使って緩い縦ロールになっていた。
鏡で自分の姿を見たサラは、『縦ロールとかどこの悪役令嬢だよっ!』」と思ったが、今日はクロエが渾身のサラサラストレートに仕上げると主張していたので、対比としては悪くないはずである。ちなみに、ヘアケア製品はすべてアメリアの新作だ。
今日は午前中にアンドリュー王子とゲルハルト王太子が入城する予定となっており、侯爵と小侯爵夫妻、そしてロバートが昼食を一緒に取ることになっている。
成人していない子供たちと、まだ正式にロバートの妻になっていないレベッカは、到着の挨拶には同席するものの、昼食は別々になる。
『本邸でランチ食べたら商会に顔を出さないとな』
などとこの時のサラは暢気に考えていた。
やがて王族たちを乗せた馬車がグランチェスター城の門に入ったとの連絡が入り、レベッカとサラを含むグランチェスター家は本城の正面玄関で一行を出迎えた。
グランチェスターの本城は、普段サラたちが生活している本邸とは異なる建物で、公式の催しがあるときにしか使われない。3階まで吹き抜けになった大広間、200人は収容できる正餐室などを備えた本城は、生活の拠点としてはあまりにも不向きであった。
この本城から回廊でつながった先には、今回アンドリュー王子とゲルハルト王太子が滞在する旧館がある。元々はグランチェスター家が生活の場にしていた建物であるが、現在は身分が高い客を迎える迎賓館としての役割を担っている。
本城の車寄せに馬車が到着すると、侯爵は前に進みでてボウアンドスクレイプの姿勢を取った。もちろん背後に控えるエドワードとロバートも同様の姿勢であり、女性陣は全員深いカーテシーである。
「ようこそお越しくださいました」
「グランチェスター侯爵、出迎えてくれてありがとう。どうか顔を上げてください」
「はっ」
若い青年の声を合図に全員が顔を上げた。
『なるほど赤銅色の髪の軍神、ね』
サラはアンドリュー王子の容姿を見て、クロエが誰を想って詩作したのかを理解した。赤銅色の髪に金色の瞳を持つ青年は、すらりと背が高く均整の取れた美しい体躯を誇っていた。まだ17歳という年齢から完全に肉体は完成されているわけではないだろうが、それなりに鍛えた筋肉を持っていそうだ。
『細マッチョって感じね。まだちょっと少年っぽさが残ってるのも女の子ウケしそう』
だが、その背後から現れたゲルハルト王太子は、”精悍”という言葉がぴったりくる容姿をしていた。黒髪にヘーゼルの瞳を持つゲルハルト王太子は、笑顔を浮かべていても目つきが鋭く、どこか軍人めいた雰囲気を漂わせている。
『この人、王太子になる前は騎士団にでもいたのかしら…。私から言わせれば、こっちの方がよっぽど軍神だわ』
このサラの予想は正しかった。200年程前にオーデル王国を統合するように成立したロイセンは、軍事力によって今の地位を築いた軍事国家である。王族は女性であっても剣術、槍術、弓術などを習い、王族の多くは騎士団の役職を務める。ゲルハルト王太子も、立太子するまでは王国騎士団に所属しており、将来は騎士団総帥になるべく研鑽を積んでいた。
「やぁグランチェスター侯爵。王都で会って以来だね。私にグランチェスター家の皆を紹介してはくれないだろうか」
「承知いたしました。長男のエドワードとその子供たち、次男のロバートと婚約者のレベッカ・オルソン子爵令嬢、そして三男の忘れ形見の娘でございます」
ゲルハルト王太子の問いかけにより、侯爵は家族を紹介していく。どうやら孫の代は名前まで紹介しないらしい。それぞれ自分たちが紹介されたときに小さく頭を下げる。
するとアンドリュー王子が侯爵に尋ねた。
「三男っていうと、アーサー卿のお嬢さんなのですか?」
「然様でございます。アンドリュー殿下は末の息子をご存じでいらしたのですね」
「実際にお会いしたことはありません。ただ、ヴィクトリア叔母上はアーサー卿のファンだったそうです。叔父上と結婚してから随分経つのですが、未だにアーサー卿を婿にしたかったと愚痴をこぼすのです」
「もったいないお言葉でございます。アールバラ公爵夫人にそのように思いだしていただけるとは」
侯爵が恐縮して頭を下げると、アンドリュー王子はサラに声を掛けた。
アンドリュー王子の母である王太子妃は、アールバラ公爵家の長女であった。ヴィクトリアは王太子妃の妹で、姉が王家に嫁いだため分家から婿を迎えてアールバラ公爵家を継いでいる。御年25歳で、既に2人の子供の母親のはずだ。今回の狩猟大会にも夫婦で参加しており、昨日到着したアールバラ公爵夫妻に侯爵自身が挨拶に伺っている。
「ところで君の名前は何て言うんだい?」
「サラと申します」
「ははは。おチビちゃんは名前も可愛いね」
「恐縮でございます」
「うん、小さいのにちゃんと挨拶できて偉いね」
アンドリュー王子はサラの頭を軽く撫でた。彼としては、サラが少し前まで平民として育てられていたことを知っていたため、貴族としてきちんと挨拶できたことを褒めたつもりであった。だが、サラを子供扱いする人を久しぶりに見たため、グランチェスターの一族と使用人たちは必死で笑いを堪えていた。
「ここで立ち話もなんですので、ご案内いたします。こちらの本城は、開会式や舞踏会などの会場となります。この先の回廊を抜けると迎賓館がございます。そちらに今回アンドリュー殿下とゲルハルト王太子殿下にお使いいただく部屋をご用意いたしました」
侯爵の先導によって一行は本城の中へと入り、回廊の入り口で侯爵以外の家族は頭を下げて王族を見送った。ここから先は案内をする侯爵以外、王族に招かれていない者は立ち入ることができない。グランチェスター城内でありながら、一時的に王宮と同じ扱いとなるのだ。
サラたちが足を止め、見送るように頭を下げると、ゲルハルト王太子が侯爵に声をかけた。
「今日の昼餉はグランチェスター侯爵のご家族と共に取る予定だと聞いていますが、レベッカ嬢やお子様たちもご一緒しますか?」
サラは内心『あ、ヤバい。面倒臭いことになりそう』と思ったが、態度に表わすことなく頭を下げ続けた。他国の王族の希望を無下に断るわけにはいかない。
「オルソン子爵令嬢はまだ婚約も正式に発表しておらず、子供たちも成人には達しておりません。それでも宜しいのでしょうか?」
「無論です。公式のテーブルではありませんから、お子様方の元気が有り余っていても気にしないとお約束いたします」
ゲルハルト王太子がぐいぐいと攻めてくるため、仕方なく侯爵は全員で昼食のテーブルを囲むことを約束した。
この決定を聞くなり、使用人たちは大急ぎで動き出し、アンドリュー王子とゲルハルト王太子が着替えて身支度を整える間、追加分の昼食の支度を進めていった。もともと料理は多めに用意してあったが、揃いの食器の数が足りなかったため、急遽使用する食器を変更した。
幸いにも昼食の席には耐えられる服装をしていたため、レベッカや子供たちは改めて身支度を整える必要はなかった。だが、成人していない子供たちにしてみれば、いきなり自国と他国の王族が同席する場での食事である。いくらゲルハルト王太子が『気にしない』と言ったところで、無礼な行動を取るわけにはいかない。
サラにとっても青天の霹靂であった。なにせ最初の社交の場にもかかわらず、いきなり王族の前で食事をしなければならないのだ。普通は小さなお茶会などで少しずつ社交の感覚を身に付けていくのだが、そんな余裕はどこにもなかった。
「お母様、どうしましょう!?」
「今から慌てても仕方ありません。食事のマナーには問題ありませんから、会話にだけ気を付けましょう。質問されたことにだけ答えればいいわ。あなたはアーサーの娘なんだから、巨大な猫を被るのも得意なはずよ」
サラは無言でこくこく頷いた。
ふと隣を見るとクロエも青ざめた顔をしていた。いきなり憧れの王子様が同席する場所で食事をすることになったのだ、緊張するなと言う方が無理だろう。それに比べて、アダムとクリストファーは暢気な雰囲気であった。
「ゲルハルト王太子殿下の剣カッコよかったよなぁ。アレって抜いたらどんな感じなのかな」
「アンドリュー王子殿下のレイピアも優美だったよ。かなりの実力者らしいよ」
『男子と女子でこれほど温度差があるものなのね。まったくイヤになるわ』
「アダムとクリストファーは暢気でいいわね。私は緊張で口から心臓出ちゃいそうよ」
サラが呟くと、クロエも反応した。
「そんなことサラも考えるのね。緊張してるのは私だけかと思った」
「悪いけど私はこれが最初の社交の場なのよ? それなのにいきなり王族との昼食ってどういうこと?」
「確かにそうよね」
サラが動揺していたため、クロエは逆に落ち着いてきた。
「それでもサラはいいなぁ。アンドリュー王子に直接お声を掛けていただいたじゃない?」
「おチビちゃんって?」
「ぶっ…。知らないってすごいよね」
周囲が一斉に肩を震わせて笑い始めた。見れば使用人たちもつられて肩を震わせて俯いている。サラも笑ったことで緊張が少しだけ緩んだ気がした。