狩猟大会直前
狩猟大会の5日前になると、主家が滞在する場所を事前に整えるための使用人たちが訪れるようになり、警備、厩舎の割り当てなど細かい調整が使用人たちの間で交わされるようになる。
グランチェスター家の使用人たちにしてみれば毎年のことなので、家令のジョセフを筆頭に粛々と対応が行われていた。侯爵やエドワードに上がってくる報告はかなり少ない。
ソフィア商会の商品も次々とグランチェスター城に運び込まれた。ブレイズとノアールの協力によって追加されたシードルは、開会式の会場で大勢に飲んでもらうため、マグナムボトルほどの大瓶で二次発酵させた。結果、今年ハーラン農園が出荷するエルマ酒の8割をソフィア商会が買い上げることになった。なお、残りの2割は事前に予約していた固定客だけが入手できる幻の酒となってしまった。
トニアはハーラン農園を拡大することを決めた。一刻も早くエルマの収穫量を上げて欲しいサラと利害が一致したことから、今後10年間ソフィア商会の契約畑にする条件で、土地の開墾といきなり来年から実を収穫可能なエルマの木を植えた。つまり、ここから収穫されたエルマはすべてソフィア商会に納品されるエルマ酒となるのだ。
エルマ酒の需要拡大を受け、トニアは酒造を専門に行う部門を新設し、長男の嫁を責任者に据えた。また、トニアの次男のフランはせっせと大型の蒸留釜を作っており、もうじき5機目の蒸留釜がソフィア商会の蒸留所に設置される予定となっている。
このようにソフィア商会としては、可能な限りシードルやエルマブランデーの確保に努めていた。しかし、それでもエドワードが納得する量は確保できていなかった。シードルに至ってはガラス瓶すら足りないという課題も解決しなければならない。
そこでサラは、侯爵、エドワード、ロバートに対し、狩猟大会後に正確な需要が量れるまでシードルとエルマブランデーを飲むことを禁止した。ところが、ちょいちょい納品した酒類が減るという事態が発生した。これにブチ切れたサラは、グランチェスター城内にある倉庫に小型のゴーレムをこっそり配置した。
その結果、侯爵の侍従であるリチャードとヘンリーが捕縛され、ゴーレムたちは縄で縛られた彼らを取り囲んで愉快にダンスを踊っていた。翌朝に二人は助け出されたが、ショックから立ち直るのに3日程かかった。つまり、クソ忙しい時期に侯爵の側近2名が使い物にならない状態になったわけである。無論、盗みを指示した人物は明らかなので、サラは侯爵にたっぷりと嫌味を言った上で、リチャードとヘンリーの身柄を引き渡す身代金を請求した。なお、この身代金は新しい教育施設の運営資金の一部になった。
同じように盗み飲みを考えていたエドワードとロバートは、サラの容赦ない仕打ちに震えあがり、大人しくワインなどを飲むことにしたらしい。見せしめは実に有効である。
なお、この間も子供たちはせっせと勉強に励んでいた。クリストファーはスコットやブレイズと一緒に乙女の塔で授業を受け、クロエも乙女の塔でジェインから淑女教育を受けつつも、会計の基礎といった授業を男子たちと一緒に受けることになった。
驚くことに、あれからアダムはコーデリアの住む集落まで毎日欠かさず馬で通学していた。コーデリアや一緒に学習する平民の子供たちが心配になったので、サラはセドリックの眷属を一人アダムの見張りに付けたのだが、アダムは真面目に勉強に励んでいた。学友たちからは裕福な家の子供とは思われており、貴族であることはまだバレていなかった。
『ふーん。すぐに偉そうな態度をとってバレるか、弱音を吐くと思ったのに意外だなぁ』
サラはアダムの豹変に正直驚いたが、どうやらコーデリアが上手くコントロールしているようである。
アダムが平民の女性から教育を受け、しかもグランチェスター領に残ると聞かされたエリザベスは難色を示した。だが、アダムが自分から『勉強したい』と言いだしたことに驚き、半年だけという条件で許可することにしたそうだ。もちろんレベッカからの説得も影響しているだろう。
もっとも、エリザベスもあまりアダムに構っている時間は無かった。グランチェスター侯爵夫人が居ない以上、女主人はエリザベスなのだ。やるべきことは山積みである。無論レベッカもエリザベスをサポートしている。
エリザベスとレベッカは、それぞれのお茶会に招待する客を選別して席次を決め、贈り物をどうするかも含めて最終的な決定を下していく。また、非常に細かいことではあるが、レベッカとエリザベス、あるいはサラとクロエのドレスが被らないよう着用するドレスの予定も取り決めてある。
ジェフリー、エドワード、ウォルト男爵は、騎士団と共に連日狩猟大会の会場を見回り、騎士団の配置などを決めていく。グランチェスターの狩猟大会に王族が参加することは珍しいことではない。だが今回は他国の王太子が参加するため、グランチェスター領の騎士団だけでなく近衛騎士団や王国騎士団、そしてゲルハルト王太子の護衛であるロイセンの近衛騎士とも連携が必要となる。グランチェスター騎士団の本部には、臨時に騎士たちの宿営地も設けられている。
狩猟大会は3日間に渡って開催されるが、前日には開会式と舞踏会が予定されており、大会最終日に表彰式と閉会式があり、その翌日には王家主催の晩餐会と舞踏会が開催される。つまり公式行事は5日間に渡って行われ、終了後も数日間はゆっくりとグランチェスター領に滞在する貴族家が多い。
実際、アンドリュー王子とゲルハルト王太子も、開会式の前日にグランチェスター領に入り、晩餐会の2日後に王都に戻るスケジュールとなっている。
狩猟大会が近づくにつれ、貴族たちが次々とグランチェスター領を訪れるようになった。新たな貴族家が到着するたび、グランチェスター家の誰かが挨拶に立った。侯爵自らが足を運ぶのは上級貴族に限られるが、エドワード、ロバート、エリザベスはとにかく忙しかった。
そしていよいよアンドリュー王子とゲルハルト王太子がグランチェスター城に到着する日がやってきた。