チェスとゴーレム
授業を終えて教室の外に出ると、アリシアとアメリアも顔を出した。どうやら二人で資料室に籠っていたらしい。
「あ、アリシアさん。先程は祖父様をゴーレムから助けていただいたそうですね。ご迷惑をおかけいたしました」
「また父かと思ったら侯爵閣下で驚きました」
「あはは。テオフラストスさんは相変わらずね」
アリシアは少し困った顔をしながらも楽しそうに笑った。
「紹介するわね。こちらのアリシアさんは錬金術師で、例の音の出る箱の製作者よ。それと、クロエに渡した治癒魔法を発動する魔法陣を描いてくれたのも彼女だから、クロエは感謝したほうがいいかもね。もうひとりのアメリアさんは薬師で、ハーブティのブレンドは彼女のレシピなの。他にもいろいろな薬を作れるけど、ハンドクリームや化粧品も彼女が開発者よ。他にも鍛冶師のテレサさんもいるのだけど…」
「テレサなら後で来ますよ。やっとお嬢様からの依頼品が完成したそうですから」
「それは楽しみね」
サラは次に従兄妹たちを紹介した。
「こちらが私の従兄妹たちよ。上からアダム、クロエ、クリストファー。グランチェスター小侯爵の子供たちだから、私と違って正真正銘グランチェスター本家の令息と令嬢ね。狩猟大会が終わってもアダムはここに残る予定よ」
サラの発言にクロエとクリストファーが反応した。
「えー、なんかアダムだけズルい」
「僕も残ろうかな」
『この子たちは何を言っているのかしら』
「クロエは王都の流行を教えてくれる約束でしょ。頻繁に遊びに来るのはいいけど、王都から離れるのは契約違反じゃない?」
「あ、そうだった」
「クリスはなんでここに残りたいのよ」
「サラと遊びたい!」
「私は忙しいから却下」
『遊びたいで思いだした。クリスはブレイズよりも成績良かったんだからチェス出さないといけないな。あれ、でも相手どうしようかな』
「そういえばチェスセット出すけど、対戦相手いないわね。アダムはブレイズに負けたもの」
「うっ…」
「狩猟大会終了後にもう一度総合テストをやってみて、300点超えたら解禁してあげるわ」
「う、仕方ない。わかった」
アダムは顔を引き攣らせつつも納得した。
「スコットってチェスできる?」
「できるけど下手なんだよな」
「ブレイズは?」
「駒の動かし方もよくわかんない」
『うーん。どうしようかな』
「サラお嬢様、私はチェスがとても好きですわ」
コーデリアが名乗りを上げた。
「えっと魔道具のチェスセットを使うのですが、コーデリア先生って魔力多い方ですか?」
「貴族としては少ない方ですね。男爵家出身ですから」
「え、コーデリア先生って貴族だったんですか? 先程平民と名乗っていらっしゃいましたが」
アダムが驚いてコーデリアに尋ねた。
「ええ、生まれたのは男爵家なのですが結婚して貴族籍を離れました。今は独り身となりましたが、実家に戻らなかったのです」
「そうだったのですね」
『あ、いいこと思いついた』
「じゃぁアダムはコーデリア先生の魔力になれば良いわ。自分で遊ぶのは禁止だけど、コーデリア先生の手足になるなら許可してあげる。コーデリア先生の指示に従って駒を動かしてね」
「わかった」
アダムは神妙な顔をして頷いた。
「二人とも魔力が枯渇しそうになったらちゃんと言うのよ?」
「さすがに昨日と同じ失敗はしないよ」
「本当かなぁ」
若干疑わしいと思いつつも、サラはテーブルの上に昨夜作ったチェスセットを置いた。
「これらの駒は『整列』と言えば勝手に初期位置につきます」
「まぁ面白そう!」
その様子を周囲は興味津々で見つめている。
「サラお嬢様、この駒は小さなゴーレムなのですね?」
「ええ、さすがにアリシアさんにはすぐに見抜かれてしまうわね」
「面白い発想ですが、これはまだ使い捨てなのですか?」
「ええ試作品だから使い捨てよ。でもチェスボードに流す魔力を流用して駒の魔石に魔力を補充できないかって考えてるの」
「できると思いますよ。ちょっと魔法陣描いてみますね」
「実は、このチェスで遊び過ぎて、アダムとクリスは魔力枯渇で昏倒しちゃったのよ」
「ありそうですね」
「だからリミッター付けたいのだけど、できるかしら?」
「挑戦し甲斐のあるテーマですが、すぐにできるようなモノではないです。それって個人が持つ魔力を把握する仕組みを作らないといけないってことですから」
「そうか…難しいんだ。じゃぁ注意書きを付けておかないと。これ、王族に献上する物も作らないといけないのよ。王族を昏倒させる魔道具を献上したら謀反を疑われかねないし」
「それは冗談抜きで怖いですね」
対戦している二人はアンパッサンやキャスリングなど特殊な動きを指示したが、駒は危なげなく動作している。スコットやブレイズはその様子を興味深げに見ているものの、盤上の攻防が高度であるため、勝負の内容はよくわかっていないらしい。
「それにしてもこのチェスセット、恐ろしく高価な魔道具ですよね」
「すべての駒が純度の高い魔石を使ったゴーレムだもの。仮にこのゴーレムを作れる魔法使いがいたとしても、魔力を補充できるくらいの純度を持った天然の魔石を用意するだけで5,000ダラス近い原価がかかるわ。普通の商家や商会じゃ気軽に作れるような魔道具ではないでしょうね」
「そもそも魔力補充可能な魔石の論文は提出したばかりですから、すぐさま商品化できるところなんてほぼありませんね」
「当分の間はソフィア商会の独占になるだろうけど、値段どうしようかな。一つ一つ私が手作りしないといけないから、領の特産品にもならないしなぁ」
「サラお嬢様の貴重な時間を割くのですから、通常版でも8,000ダラスを切る値段では出さないでくださいね」
「そうね。下手に安い価格に設定すると、作ってくれって依頼がどんどん舞い込みそうで怖いものね」
『ぼったくり価格に設定しないとダメね』
「それでも分解して研究する勇気のある錬金術師がいると思うのよ。正確に言えば商家や商会からの依頼でしょうけど」
「そうですね。財力を持った錬金術師は少ないですから、依頼が無いと無理でしょうね」
「あら、錬金術師は儲かるのかと思ってたわ」
「収入があっても、すぐに研究費に消えてしまうのが錬金術師の哀しさですね」
「それは想像に難くないわ」
「パラケルスス師は先代のグランチェスター侯爵というパトロンがいて幸せだったでしょうね」
そこに領都外れの集落に住む女性たちが、商会でポプリと一緒に販売するサシェのサンプルを持ってきた。メイドたちがいそいそと動き出し、広めのテーブルにサンプルを並べ始めた。
「うわぁ、可愛いっ!」
クロエがパタパタと駆け寄ると、後ろからジェインが「クロエお嬢様、そのように駆けてはなりません。優雅さを忘れないでくださいませ」と注意した。
「ふふっ。お転婆ジェインも随分変わったものね」
「えっ?」
コーデリアがチェス盤から目を離すことなく、ジェインに話しかけた。
「あなたはジェイン・ブロンテでしょう? 私のこと忘れてしまった?」
「今は、ジェイン・ロチェスターよ。もしかしてコーデリア・バーンズなの?」
「そうよ。気付いてくれなくて寂しかったわ」
意外なところに意外なつながりがあった。二人は王都で知り合いだったらしい。歳の近い男爵令嬢同士で、どちらの家も裕福とは程遠く、ドレスやアクセサリーを貸し借りし合う仲だったそうだ。
「離婚したって話は聞いていたけど、まさかグランチェスター領にいるなんて」
「ニアがここでエルマ農園を経営しているから、私もこちらに来たの」
「え、ニアって、トニア・ハーラン? 全然知らなかったわ。私だけ仲間外れみたい」
「私たちと違ってあなたは貴族のご令嬢だもの。いまも貴族でしょう?」
「一応ね。持参金が用意できなくて30歳を過ぎてから結婚したわ。夫は3年前に亡くなって、家督は義理の息子が継いでいるの」
「もしかして折り合いが悪い?」
「極めて良好だけど、貧乏子爵家だから自分の食い扶持は稼いでるわ」
「逞しいわねぇ」
「リアとニア程じゃないわよ」
サラとクロエは、ぽかーんと二人を見比べた。
「お二人は知り合いだったのですね」
「ええ。子供の頃に王都でよく一緒にいたわ。まさか二人とも教師になっているとはね」
「私はリアほど上手に教える自信はないわ」
ジェインが自信なさげに答えると、クロエが真っ向から否定した。
「そんなことありませんわ。ジェイン先生の教えてくださった所作や会話術のお陰で、私はお茶会でも堂々と振舞えていますもの」
「確かにジェイン先生の所作は美しいですね」
王妃から直々に淑女教育を受けたレベッカでさえ、ジェインの所作には文句の付け所が無い。
「私は長く王宮で侍女務めをしておりました。そのおかげでクロエお嬢様のガヴァネスにも推薦していただいたのです」
「そうだったのですね」
そのような雑談をしていても、コーデリアのチェスの腕前はクリストファーよりも上だったらしい。あっさりとチェックメイトになってしまった。恐ろしく決着が速い。
「負けたぁぁぁぁ」
「ふふふ、ここでナイトを動かしたのが敗因ですわ」
「え、それじゃぁポーンをここで動かすと?」
「それだったら、こうしますね…」
クリストファーとコーデリアはポストモーテムを始めた。それを見ていたサラは、チェスのスコアを覚えさせて再現する機能もあったほうが良いかと考え始めた。
『え、待って。チェスをマギに学習させるのは良さそうかも? 賢くなったら一人でも遊べるチェスセットができる?』
ぐるぐると思考していたサラにクロエが話しかけた。
「サラはまた難しいことを考えてそう」
「チェスセットの商品化のことを考えていたの」
「これ売るの?」
「そうしたいけど普通に買える値段にはなりそうにないわ。全部の駒に純度の高い魔石が必要だし、全部私の手作りだもの」
「だったら徹底して装飾的にしないと貴族は納得しないでしょうね。今の駒は地味過ぎるわ。それに魔力を流さないと使えないのは致命的じゃない?」
「魔力で駒を動かしてるから仕方ないよね」
「音の出る箱みたいに、誰にでも売れる商品にはならないわけね」
「あ! それだ!」
クロエの指摘にサラの思考が重なった。
「アリシアさん、チェスの動力を魔石で補えないかな? 魔力補充ができる少し大きめの魔石で」
「音の出る箱みたいに、交換式にするってことですか?」
「そう! プレイヤーが命令するだけで動くようにするの」
「プレイヤーの声を認識する仕掛けも必要ですし、すぐには難しそうです。できないことはないと思いますが…もっと高価な魔道具になりますよ?」
「とことんまで追求した超高性能チェスセットを作ってみたいの。それとチェスをマギに学習させたい!」
「サラお嬢様…とんでもないことを考えますね。そのうち、商会のゴーレムたちが街のおじさんとチェスの対戦始めそうで怖いですよ」
「それはそれで人気者になりそうじゃない?」
「チェスに勝ったら勝利のダンスを踊りかねませんけどね」
「ゴーレムと対戦したくてグランチェスター領に来る人が出そう!」
興奮気味のサラを、レベッカが止めた。既にサラの予定はパンパンである。これ以上余計な作業は絶対に入れるべきではないとレベッカは判断したのだ。
「サラさん、ひとまず狩猟大会終わった後にゆっくり考えましょうね」
「…はい」
もちろんサラもレベッカの意図を即座に理解し、ひとまずアイデアを書き留めるだけで引き下がった。
が、この発言をクリストファーはバッチリ聞いてしまった。
『ふーん。狩猟大会の後ならサラとも遊べそうだな。ゴーレムとの対戦…絶対面白いに違いない!』