詩作するグランチェスターの子供たち
「折角ですし、このあとは詩作でもしましょうか」
お茶を終えて教室に戻ったコーデリアが子供たちに提案した。
「ですがコーデリア先生、詩作はアカデミーの受験科目にはありませんが?」
スコットが不思議な顔をして質問する。
「たまには息抜きのお勉強があっても良いと思いません? それに私は皆さんのことをもう少し知りたいのです。では私から自己紹介の代わりに軽く書いてみますね」
この世界の貴族や富裕層の平民にとって、詩作は一般教養である。内容の良し悪しはともかく、それっぽい文章をその場で作れないことは恥となる。恋文に詩を添えるのは基本中の基本で、まともに詩を書けない貴族は告白もできないのだという。
コーデリアは黒板にさらさらと即興で詩を書いていく。
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私はコーデリア
心を意味する名前を持つ者
飛び立つ前の小鳥を見守る者
私はコーデリア
旅立つ勇者を見送る者
追憶の彼方に在り続ける郷愁
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「コーデリア先生は文字も見やすく美しいですね」
「お褒め頂いて光栄です。文字は情報を伝える重要な手段ですから、読みやすい方が有利ですもの。それに恋文の文字が汚いのはガッカリでしょう?」
サラがコーデリアの文字を褒めると、クロエは身を乗り出した。
「まったくですわ! 私、初めて頂いた恋文の文字があまりにも汚くて、憧れていた方への想いが一気に冷めてしまったことがありますもの」
「え、そうなのか!?」
流れ弾がイイ感じにアダムに直撃した。
「そりゃそうだろう。自分だって綺麗な文字の恋文をもらいたいと思うだろう?」
「僕らは毎日、小説や詩集の書き取りをして文字を練習してるんだ」
スコットとブレイズは自分たちの石板をアダムに見せた。確かに流麗な文字である。
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夜の静寂 蒼い湖に映る銀の月の儚さを想う
その冷たき水面に手を差し入れても掬い取ること能わず
漣とともに我の心も揺れ動き乱れる
光に心奪われ去ることもできず ただ立ち尽くすのみ
スコット・グランチェスター
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其は劫火に焼かれた獣を救う輝かしき癒しの光
其は渇く旅人の前に現れたる命の泉
其は名も無き者に在り様を知らしめる慈愛
哀しきは未来に降り立つ女神を希う我
ブレイズ・グランチェスター
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「お前らの詩は、完全に恋文だな。それにしてもブレイズは、2か月でこんなに綺麗な文字が書けるようになったのか?」
「毎日たくさん書いてるんだから上達しなきゃ嘘だろ。まだまだトマス先生みたいな綺麗な文字は書けないけどさ」
ブレイズの発言を聞いて、サラは以前にトマスから貰った恋文もどきの手紙を思いだし、少しだけ顔を赤らめた。
「ちょっと、サラったら何赤くなってるの? もしかして誰かから恋文もらったの?」
「そ、そんなわけないじゃない!」
「その慌てぶりはアヤシイ」
クロエはニヤニヤ笑いながらサラを揶揄った。
「真っ赤なリボンとか結んであったんじゃない?」
「へ? リボンってなんか関係あるの?」
「まだレベッカ先生から教えて貰ってない?」
「うん」
「そっか。さすがにサラにはまだ早いもんね。赤いリボンは情熱を表すのだけど、深みがある赤、鮮やかな赤とかでちょっとずつ意味は違うかも。淡い赤なら初恋とか憧れみたいな感じ」
「そんな意味があるんだ」
「うん。色の違うリボンを組み合わせて封蝋が押されていたら、本気ってことになるわ。求婚に近い正式なものだから、浮ついた気持ちで送る軽い恋文じゃないってことになるの。そんな手紙を送って心変わりしたら、結婚詐欺扱いされても文句は言えないのよ」
『え……』
やや心当たりのあるサラは、そっとトマスを振り返った。当然、トマスは美麗にサラに微笑んでいる。
「スコットさんとブレイズさんは、実際に誰かを想って書いたようね」
スコットとブレイズはほんのり顔を赤らめた。
『あら可愛い』
サラは思わず親戚のおばちゃんのような気持ちになった。だが、そもそも自分宛であることを、サラはもう少し自覚すべきだろう。トマスとの差が激し過ぎる。
「クリストファー様もお見せいただけますか?」
「僕は秋の情景を詩作してみました」
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吹き下ろす風に黄金の波がうねり 渡り鳥は飛び立つ
遥かなるアクラから流れる水と豊かなる実り
暖かき炎は巡り来る冬を超えて春を待つ希望
人々は静かなる夜に憩い 輝かしき明日を迎える
クリストファー・グランチェスター
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「まぁ、領民の生活を思う領主一族らしい詩ですね。グランチェスターの誇る小麦の穂は、まさに黄金の波ですわね。文字も美しいですね」
『本当だ、やっぱりクリスって領主向きなんじゃ?』
「ではアダム様の詩も見てみましょうか」
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尊き者 人は僕をそう呼ぶ
偉大なる者 いつかそうなる
今日は涙に濡れても 明日はちがう朝が来る
これで終わりじゃない これで終わらせない
アダム・グランチェスター
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『……演歌?』
これにコーデリアは満面の微笑みを浮かべた。
「アダム様のことが良くわかりましたわ。とても強い気持ちをお持ちなのですね。私はアダム様を心から応援したく存じます。確かにまだ終わりではございません」
と、褒めつつも、コーデリアはアダムの詩のスペルミスを細かく指摘して修正し、表現の工夫も提案していく。
『そっか詩作は遊びじゃなくてアヴァロン語の授業なのね。単語のスペルを覚えるだけじゃなく、文法の仕組みやテクニック、隠喩や直喩、韻の踏み方を教えてるんだわ』
添削後、アダムの詩は次のようになった。
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尊く偉大な者を目指し我はひたすらに歩む
今日は疲れ果てても明日はまた立ち上がる
我の歩む道に終わりはない
アダム・グランチェスター
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『おーい。一気に方向性が変わったぞー』
コーデリアからマインドコントロールの気配をちょっぴり感じないこともないが、サラは深く気にしないことにした。
「アダムにしては悪くない詩なんじゃないかな…」
クロエも若干引き攣った顔をしながらも一応褒めた。
「っていうかお前たちの詩も見せろよな!」
「確かに女の子たちの詩は見て見たいよね」
アダムとクリストファーが発言すると、男の子たちは一斉にサラとクロエを見た。
「ではクロエお嬢様からいきましょうか」
「はい。コーデリア先生」
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赤銅色の髪を持つ勇ましき軍神よ
高き塔に閉じ込められた私を救いだしてください
黄金の瞳を持つ美しき歌神よ
微睡む私に優しい声を聞かせてください
力強き腕で抱きしめ、耳元で愛を囁き、私を攫って欲しいのです
クロエ・グランチェスター
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『お、乙女だ。間違いなくクロエは乙女だぁぁぁ』
丸みを帯びた文字も含め、乙女チックモード全開のクロエに対し、サラは自分の詩を取り出すことを躊躇った。
「クロエお嬢様は夢見がちな少女といった風情ですね。大変可愛らしいですよ。どうやらお目当ての素敵な殿方がいらっしゃるようですね」
「赤銅色の髪に黄金の瞳って…王族の色だよね?」
「クロエのヤツ変な夢見てないか?」
コーデリアの指摘に、クリストファーとアダムがぼしょぼしょと小声で話し始めたが、大声でクロエに意見する勇気はないらしい。
「最後はサラお嬢様ですね。披露してくださいますか?」
「あまり自信は無いのですが…」
「詩には決まりはありません。思ったことを思ったままに綴れば良いのです」
「はい。コーデリア先生」
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我は来し 我は去る
見知らぬ地に降り立ち 知己を得て また失う
あてどもなく歩み 立ち寄り そして去る
出会い 愛し 諍い 許し そして去る
それは止まることなく 戻ることもない
振り返れば ただ足跡だけが胸の痛みを呼び起こす
サラ・グランチェスター
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この詩を見た瞬間、トマス、スコット、ブレイズの三人は、言葉にすることのできない漠然とした不安感で胸がざわりとした。それはまるでサラが手の届かないところに行ってしまうような感覚であり、深淵を覗き込んだような感覚でもある。
「これはなんとも…」
コーデリアが一瞬言葉を詰まらせた。
「私よりもずっと長い年月を過ごされた方のような詩に見えますね。サラお嬢様の胸に痛みを残す存在に多く出会えますよう祈っておりますわ」
「ありがとうございます」
サラがお礼を言うと、コーデリアは少しだけ困った顔をしながら微笑んだ。
こうしてコーデリアの特別授業が終わると、アダムはすくっと立ち上がった。
「コーデリア先生。僕はコーデリア先生に師事したいです」
「私は貴族ではありませんし、女性ですからアカデミーにも通っておりません。とてもグランチェスター家の継嗣の家庭教師は務まりません。それに、今は平民の子供に勉強を教えておりますので…」
「僕が平民の子供たちと机を並べればコーデリア先生に師事できますか?」
アダムは真剣な眼差しでコーデリアを見つめていた。
「ちょっとアダム、どうしちゃったの? コーデリア先生はグランチェスターに沢山の生徒さんをお持ちなのよ。どうしてもコーデリア先生の授業を受けたいなら、アダムはグランチェスター領に滞在することになるわよ?」
慌ててサラはアダムを止めた。領主一族から命令されればコーデリアに断ることはできない。だが、サラはコーデリアにそのような無理強いをしたくなかった。
「それでも構わない! どうせ半年後に廃嫡されるんだ。そうなれば王都の社交界に顔を出すこともなくなるだろう。だったら僕はここでコーデリア先生に師事し、領主じゃない別の道を模索する方を選びたい! サラ、お前からも頼んでくれ。僕は本当に生まれて初めて勉強を楽しいと思えたんだよ」
『うーん。まさかこうなるとは。今までの家庭教師って一体何してたんだろう?』
「でしたら新しい教育施設でアダムを受け入れましょう。初等教育はコーデリア先生が引き受けてくださることになっていますもの」
レベッカが申し出た。
「レベッカ先生、本当でしょうか?」
アダムが嬉しそうに尋ねた。
「ただし、他の生徒の前でグランチェスターと名乗るのを一切禁止します。貴族であることも明かしてはなりません。あなたは私の親戚の平民として皆に紹介します。守れなければすぐにでも王都に送り返します。それでも構いませんか?」
「はい。構いません」
「ではエドとリズの説得は私がしておくわ。それと…申し訳ないのですが、コーデリア先生、アダムを引き受けてもらえますか?」
コーデリアはニコッと微笑んだ。
「畏れ多いことではございますが、アダム様は私の弟によく似ているのです。ですから他人事とは思えなくて。私の弟も勉強嫌いでしたが、ちゃんとアカデミーに通ったんです」
「僕にもできるでしょうか?」
「それはアダム様次第です。私にはお手伝いしかできません。ですが私と一緒に半年間、必死になってみるのは悪くない気もしませんか? アカデミーの合否はわかりませんが、きっと得るものはたくさんあると思うのです」
「ありがとうございます。僕のことはアダムと呼んでください。生徒の僕は貴族ではありませんから」
アダムはコーデリアに深々と頭を下げた。
「ふふっ。アダム、ではさっそくですが、こちらの本をお渡ししておきますね。出来上がったばかりの教科書です。お支払いはソフィア商会にお願いします。読み書きと計算の1章を読んで練習問題を終わらせておいてください」
ドサッとアダムに教科書を手渡したコーデリアは、次いで100ページ程の冒険小説をその上に載せる。
「こちらの本はお近づきのしるしにお貸しいたします。なかなか面白いですよ。こちらを10冊分写本しておいてください。紙も必要ですか?」
「いえ、紙とインクはこちらで用意します」
「そうですか。間違ったらやり直してくださいね。綴じて子供たちにプレゼントしたいので、なるべく綺麗な文字でお願いいたします」
こうしてコーデリアは、笑顔のまま大量の課題を、ニコニコ微笑みながらアダムの上に積み上げた。しかし、アダムは一言の文句も言わずに黙って頷いた。
そしてアダムの人生の中で最もハードで最も充実した半年が幕を開けた。
200話目だったのでグランチェスターの子供たち全員に詩作してもらいました。
アダムとクロエのを作るのに時間かかった…w