憧れの貴婦人 - SIDE エリザベス -
エリザベスは人払いをした部屋に引き籠った。ドレスがシワになるのも気にせずベッドに飛び込み、大声で泣き始めた。駆け引きにおいて効果的だと思えば人前で涙を流すことにも躊躇が無いエリザベスではあるが、彼女は本当に泣きたいときには部屋に籠って一人になる。
『どうしてクロエまで私にあんなに酷いことを言うの? 私はずっと努力してきたわ。エレオノーラ様の役目を果たそうと、ずっと頑張ってきたのに』
グランチェスター侯爵夫人であったエレオノーラは、エリザベスにとって幼い頃から憧れた理想の貴婦人であった。エリザベスの視線の先には、いつも優雅にドレスを着こなし、洗練された所作で社交界に君臨するエレオノーラがいた。
身体が弱く社交の場に出ることの少ないエレオノーラであったが、それでも彼女が参加すれば、たちまち彼女は人々の中心となっていた。参加するだけでも主催者の誉になるほど、エレオノーラは社交界に絶大な影響力をもった女性であった。
そしてエレオノーラと共にいることの多いグランチェスター家の三公子も、当時の貴族令嬢たちの胸をときめかせる存在であった。
グランチェスター侯爵に似た凛々しい顔立ちのエドワード、エレオノーラの柔らかい美貌を受け継いだロバート、そして両親の良い部分だけを集めたような端正な美貌を持つアーサーとそれぞれに特徴があった。
正式なデビュー前から、同世代の子供たちを交えた夫人同士のお茶会で三公子たちとは頻繁に顔を合わせていた。だが、当時のエリザベスは彼らに気軽に近づける立場ではなかった。エリザベスはロッシュ伯爵の孫娘ではあるが、父は次男で騎士爵に過ぎなかったからである。
ある日、エリザベスは自分と似たデザインのドレスを着た侯爵令嬢に呼び出され、酷く嫌味を言われた後に、紅茶をドレスの上に零されるというイヤガラセをうけた。人目を惹く金褐色の髪と若草色の瞳を持つエリザベスは美しい少女であり、同世代の貴族令嬢たちから妬まれることも多かった。
エリザベスはお茶会に着ていけるドレスを3着しか持っておらず、このドレスは祖父に何度もお願いしてやっと買ってもらった新品であった。ドレスに大きな染みができてしまったことでお茶会に戻ることもできず、母と一緒に来た以上は先に一人で帰るわけにもいかない。エリザベスは、人のいない庭園で泣きながらお茶会が終わるのを待っていた。
するとそこに見覚えのある少年が、木剣を振り回しながら飛び込んできた。
「あ、姫! こんなところにいらしたのですね。姫よ、どうか泣かないでください。私が悪者を退治いたします」
「アーサー様、何を仰っているのですか?」
「ダメダメ、君は姫だから僕のことはアーサー卿って呼ばなきゃ!」
どうやらアーサーは騎士ごっこをしているらしく、そのままエリザベスの前に跪いた。ここはノって差し上げるべきだろうとエリザベスも判断した。
「はい。アーサー卿。よろしくお願いいたします」
エリザベスはアーサーに驚いて涙も引っ込んでしまったため、そのまま涙を拭いていたハンカチをアーサーに手渡した。
「おーい、アーサーどこだー?」
やや間の抜けた声で別の少年の声が聞こえてきた。
「やや、どうやら悪者が追い付いたらしい!」
『え、あの声はアーサー様のお兄様のどちらかなのでは?』
とエリザベスは思ったが、アーサーがノリノリであったため、水を差すのも可哀そうだと声に出したりはしなかった。
が、数分後にエリザベスはその判断を大きく後悔することになった。
ガサガサと落ちた葉を踏みしめる音が聞こえたかと思うと、アーサーが勢いよく木剣を振りかぶって相手に飛び掛かったのだ。
「この悪者め。このアーサー・グランチェスターが成敗してくれる!」
「ぐあっ」
アーサーの木剣で頭をボカっと殴られたのはエドワードであった。脳震盪をおこしたのか、そのまま白目を剥いてバッタリと倒れてしまった。
「あ、やべ」
「きゃーーっ。エドワード様! どうしましょう!!」
エリザベスは慌ててエドワードに駆け寄った。どうやら頭頂部から出血しているらしく、地面に血が流れていた。エリザベスは先程アーサーに渡したのとは違うハンカチを取り出し、慌てて出血部位を押さえた。
「アーサー卿、急いで大人の方を呼んできてくださいまし!」
「ぬ、承知した」
こんな時までアーサーは騎士のままだったが、この時のエリザベスには面白がる余裕は無かった。
「エドワード様、ご無事ですか?」
エリザベスが声を掛けると、エドワードは呻き声を上げた。ぼんやりとだが意識が戻りつつあるらしい。
「う…、僕はどうしたんだろう?」
「頭にアーサー様の木剣が当たったのでございます」
「君は誰だい?」
「エリザベス・ロッシュと申します」
「そっか。初対面なのに恥ずかしい姿でごめん」
「私の方は以前からエドワード様の凛々しいお姿を存じております。問題ございません」
「それは不幸中の幸いと言うヤツだな」
エドワードは身体を起こそうとしたが、エリザベスは慌ててそれを止めた。
「なりません。頭に衝撃を受けた場合には、すぐに動かしてはいけないと聞いたことがございます。以前、兄が木から落ちた時に侍医が申しておりました」
「そうなのか。じゃぁこのまま待つよ」
しばらくすると、アーサーがエレオノーラやロバート、そして大勢の使用人やギャラリーを連れて戻ってきた。
「エド!」
エレオノーラはエドワードの元に駆け寄ってきた。
「母上、僕は大丈夫です。頭は割れそうに痛いけど」
「エドワード様。先程からかなり出血しております。割れているのは確かでございます」
「あなたは確かロッシュ家の…」
「エリザベスと申します。たまたまこの場に居合わせまして、エドワード様の出血部位を押さえております。どなたか代わっていただいても構いませんでしょうか?」
「まぁ大変!」
程なくして治癒魔法が使える人間が呼ばれ、エドワードの傷はすぐに癒えた。だが、エリザベスのドレスは、先程の紅茶の染みとは比較にならないくらい血だらけになってしまっていた。
「うちの息子たちのせいで、こんな目に合わせてしまってごめんなさいね。ドレスはこちらで弁償するわ」
「いえ、もともと汚れておりましたので、どうかお気になさらないでください」
「そういうわけにはいかないわ。女の子の武装ですもの!」
数日後、エレオノーラからはダメになったドレスの代わりとなる新品のドレスを3着と、それに合わせた小物がどっさりと送られてきた。また、エドワードからは新品の白いハンカチが20枚も送られてきたので、エリザベスはその半分にグランチェスター家の紋章とエドワードの名前を丁寧に刺繍して送り返した。
アーサーからは花とラブレターのような手紙(丁寧に赤いリボンが結ばれていた)が届いていた。もちろん6歳のアーサー相手に10歳のエリザベスがときめくようなことはなく、可愛い弟ができたような気持ちになった。
こうしてエリザベスはエレオノーラとその息子である三公子と顔見知りとなり、お茶会で顔を合わせるたびに向こうから声を掛けてもらえるようになった。しかし、この頃のエリザベスは騎士爵の娘でしかなく、三公子に憧れる令嬢たちから妬まれてイヤガラセをうけることも多かった。
だがエリザベスは黙ってイジメられているような可愛い性格の娘ではなかった。自分にイヤガラセをしてきた相手の弱みを探って黙らせることもあった。一人になることを避け、どうにもイヤガラセを避けられそうにないと感じた時には、こっそり三公子やその友人たちを近くに呼び寄せた。なお、令息たちの誘導係はアーサーが率先してやってくれたので、エリザベスはアーサーを大いに利用した。
誘導された令息たちは近くで何やら騒ぎが起きていることに気付き近づいてみると、令嬢たちが寄ってたかってエリザベスをイジメてる瞬間を目撃することになる。普段楚々とした雰囲気の令嬢たちが眉を吊り上げて一人のか弱い(?)令嬢をイジメる姿は、男性陣の騎士道精神を大いに刺激した。「あなたがそのような女性だったとは知りませんでした!」と婚約寸前だった令息から呆れられる令嬢まで出てくる始末であった。
そんなエリザベスの行動も、エレオノーラにはお見通しであった。だがエレオノーラはエリザベスに呆れることもなく、ただ『痛快ね』と笑い飛ばした。無論片棒を担いでいるアーサーは、エリザベスにベッタリである。
エリザベスが腹黒く立ち回った結果、13歳になる頃には彼女をイジメる令嬢は皆無となった。そして彼女が14歳の時に王都で疫病が流行し、伯父がこの世を去った。ロッシュ家の領地にいた祖父は無事であったが、後継ぎの早世を知るとすっかり気落ちしてしまい、エリザベスの父にロッシュ家の家督と伯爵位を継承させた。つまり騎士爵の娘が伯爵令嬢へとランクアップしたのだ。
こうしてエリザベスは堂々と伯爵令嬢として、社交界へのデビューを果たした。もう彼女を「似非貴族」などと蔑む者はおらず、彼女に嫌味を言った子爵令嬢や男爵令嬢は彼女に頭を下げる立場となった。
だが、そうしたエリザベスの振る舞いを見たエレオノーラは、エリザベスに対して苦言を呈した。
「リズ、伯爵令嬢としての品性を持ちなさい。かつての自分を忘れてはだめよ。あなたは賢い子だからわかるわよね?」
「はい。グランチェスター侯爵夫人。ご忠告を肝に銘じます」
それからのエリザベスはエレオノーラが行っていた慈善事業を手伝い、同時に伯爵令嬢として淑女教育にも全力で取り組んだ。やはり騎士爵の娘と伯爵令嬢では求められるレベルが違うことを、エリザベスはこの時期にイヤと言うほど思い知ることになる。
また、アカデミーの卒業が近づいたエドワードは、頻繁にエレオノーラが開催するチャリティイベントにも顔を出すようになった。当然エレオノーラを手伝うエリザベスとも会話をする機会が増えたが、エドワードは子供の頃のように気さくに話しかけることはなく、どこか距離を感じるようになっていた。
『小侯爵として他家の令嬢とはあまり親しくできないってことよね。ちょっと寂しいな』
エリザベスは胸にチクりとした痛みを感じた。エドワードを好きだという気持ちは自覚していたが、同時に自分では無理だということも分かっていた。エレオノーラはエイムズベリー侯爵家の令嬢であり、現グランチェスター侯爵の母は王室から降嫁した姫である。伯爵家といっても大した領地を持たないロッシュ家の娘では、名門のグランチェスター侯爵家に嫁ぐことはできない。
だが、そんなエリザベスの予想を覆し、エレオノーラはエリザベスをエドワードの嫁にしたいと彼女の両親に申し出た。ずっと憧れつづけたエレオノーラが直接ロッシュ家を訪問し、子供の頃から大好きだったエドワードの妻にと望んでくれたのだ。
『私はいろいろと足りない妻かもしれない。だけどグランチェスター侯爵夫人が、いえ義母様が選んでくださったのだから、私はエドワード様を全力でお支えしよう』
エリザベスは固く決意した。
二人はエドワードがアカデミーを卒業すると同時に結婚し、エリザベスはグランチェスター小侯爵夫人となった。
だが、以前から身体の弱かったエレオノーラは、二人の結婚を見届けてすぐにこの世を去った。亡くなる寸前にエレオノーラは、エリザベスを呼んでこう告げた。
「リズ、貴族婦人の品位を大切にして、美しい生き方をして頂戴。エドワードをよろしくね」
それから15年の月日が流れた。エリザベスはエレオノーラのように夫を支えつつ社交界に大きな影響を与える存在として、美しく上品に着飾って立ち続けている。もちろん小侯爵夫人として継嗣を産み育ててもいる。エレオノーラの遺した言葉の通りに。
だが、エリザベスは一度たりとも、その言葉の真意を再考したことは無かった…。
リズにもちゃんと可愛い時期はありました。
当然ですが地味にエドワードはヘタレです。