もしかすると、アレがないかもしれない
『別の収入源を開発して、小麦への依存度をもう少し下げなければ。できればすぐに現金収入を得られる手段はないものかしら』
まだグランチェスター領に来て日も浅く、この土地の特徴をそれほど知っているわけではないサラは、ロバートや文官たちに尋ねてみることにした。
「備蓄対象になっていないグランチェスターの特産品はありますか?」
するとポルックスは、すかさず答えを返す。
「エルマですかね。毎年、最上級品質の果実を厳選し王家にも献上しております。晩秋から冬場に人気の果物として王都でも人気がありますが、果実ですので備蓄対象にはなっておりません。ちなみに、色や形が悪いものはジャムとして加工したり、搾り汁を瓶に詰めて販売しています」
するとロバートが口を挟んだ。
「搾り汁からは、エルマ酒もできるんだ」
「エルマってお酒になるんですか?」
「うん。搾り汁を発酵させて作るんだけど、素朴で美味しいよ」
「それは王都でも販売しているのですか?」
「いや、どちらかというと庶民の酒だから、領内でしか飲まれていないんじゃないかな」
「どうしてですか? もったいない」
これにはポルックスが答えた。
「過去にも王都でエルマ酒を販売したらどうかという話もあったのですが、エルマ酒を入れた瓶が破裂してしまう事故が多発して断念しました」
「もしかして、エルマ酒は発泡しているのでしょうか?」
「そうですね。泡立つものと、泡立たないものがあります」
「うっかりすると酢になっちゃうやつもあるしな」
『あぁなるほど。シードルみたいなものね。酢ってことはアップルビネガーってことか。それはそれで上手くすれば特産品になるかも』
フランス語でリンゴ酒を意味するシードルは、サイダーの語源でもある。発泡性と非発泡性のものがあるが、日本では発泡性の方が一般的だ。密封した状態で発酵させると、その過程で発生した炭酸ガスで樽内の内圧が増し、シードル内に溶け込んでいくことから発泡酒となる。
しかし、金属のタンクでもない限り、それほど強炭酸のシードルにはならない。一般家庭で作られているのなら、無炭酸か弱炭酸であろうことは予想できる。とはいえ、保存状態があまり良くない場所で保管すれば、瓶が割れる事故は避けられないだろう。更紗のいた世界ですら、ビールなどが爆発する事故が時折ニュースとなっていた。
『ん? シャンパンみたいに、二次発酵を瓶でやるってのはどうかな』
更紗はかなりの酒好きだったことに加え、会社の業務としてワインをはじめとする酒類の輸入なども手掛けていた。
「たぶん瓶の強度や色に問題があったか、保存状態が良くなかったことで爆発したんじゃないでしょうか。製造、流通、販売の過程で品質管理を徹底したらいけるんじゃないかと」
「瓶の強度ですか…。質の良い瓶を使うことが前提となると、その分値段が上がってしまいます。エルマ酒は庶民の酒ですので…」
「庶民のお酒と思っているのはグランチェスター領の人だけですよね。他領であまり嗜まれていないのであれば、希少価値は感じていただけると思います。瓶についても、販売した瓶を買い取る制度を作ってみてはいかがでしょう? その分、次回の購入の値段を下げれば、再販率も上がると思います」
「なるほど」
「とはいえ、それを引き受けてくれる商家がいるでしょうか…」
「前回販売を検討してくださった商家に、まずは話を持ち込んでみてはいかがでしょうか?」
そこまで話したところで、更紗の記憶がサラの脳内を刺激した。
「ところでエルマ酒は蒸留はしないのですか?」
「蒸留とは、あの錬金術師たちが薬を作るときにやるアレでしょうか?」
どうやら、この世界での蒸留は、錬金術師の専売特許らしい。
『ん? ってことはこの世界に蒸留酒はないってこと?』
サラはちょっぴりお酒の匂い、もといお金の匂いをかぎつけた。どうやら前世の商社マンの血が騒ぎだしたようである。
「領内の錬金術師ともお会いしたいです。手配をお願いできますか?」
「ま、まてサラ。なんで錬金術師なんだい?」
「思いついたばかりですので、実際に形になるかどうかはわかりませんが、エルマ酒を蒸留して新しいお酒を造ろうかと思います」
「酒を蒸留だと?」
ロバートやポルックスは、驚いて目を見開く。
「せっかくのエルマ酒ですから、これで収入を得たいではありませんか。しかし、現状では輸送や保存に課題があり限定的にしか商品化できません。私はこの問題を解決したいのです」
「蒸留すれば解決するのかい?」
「それはやってみなければわかりませんが、やってみる価値はあると思います」
『リンゴといえばカルヴァドス! 飲みたい! 超飲みたい!』
更紗はカルヴァドスも大好物であった。正式にカルヴァドスを名乗れるのは、フランスのノルマンディー地方で作られたものだけなので、本来ならはアップルブランデーもといエルマブランデーと呼ぶべきではあるのだが、サラの脳内ではすっかりカルヴァドスだった。
仮にうまくいったとしても、あと数年は口にすることすら許されないだろうが、熟成期間を考えれば、悪くはない。
『ひゃっふー。酒飲みの血が騒ぐぜ!』
どうしよう、主人公のおっさん化が止まらない…。