飴と鞭あるいは馬に人参
あくる朝、サラは激しいノックの音で目が覚めた。カーテンの隙間から差し込む光の具合から、おそらくまだ早朝とも言うべき時間だろう。
ドアの向こうでアダムとクリストファーの声が聞こえる。そして、彼らを制止するマリアの声も聞こえてきた。
「マリア、私も起きたから彼らを入れて良いわ」
部屋の外に向かって声を掛ける。別に扉に鍵をかけているわけではないのだが、さすがに勝手に入室してこないだけの分別はあるらしい。だが、もう少し弁えていれば、そもそも早朝に少女とはいえ女性の部屋へ押しかけるなどという非常識な行為はしなかっただろう。
「おはよう、アダム、クリストファー」
「サラ! あのチェスどこやったんだ?」
「早く遊びたい!」
風属性の魔法で彼らの毛先を一房ほど切り落としたサラは、いい笑顔で答えた。
「まず挨拶!」
「はい。おはようございます」
「おはようございます?」
少しだけ髪が短くなった二人は、大人しくサラに挨拶を返した。
「だいたい、こんな朝早くから女性の部屋に来るなんて、あなたたちはマナーを学んでいないの?」
「家族なんだからいいだろ?」
「黙れ変態。ムッツリスケベな従兄を部屋に入れたことが知れたら、お父様が慌てて飛んできそうだわ」
「いや、さすがに僕でも8歳は…」
「詳しい性癖の説明はいらん」
「あ、はい」
サラは朝だというのに深いため息を吐いた。
「そもそもあなたたち、魔力は少ないしコントロールもなってないから、あれで遊んだら昨日みたいに倒れるのがオチよ?」
「だ、大丈夫だ。今回は1回でやめるから!」
アダムはサラに食い下がる。見ればクリストファーも横で頷いていた。
「そんなにアレが気に入ったんだったら、大人が見ているところで訓練しながらやろうか」
「「うん」」
「だけど今日の勉強のスケジュール終わらせて、先生から合格点貰わない限り遊ばせないわよ?」
「うへぇ」
途端にアダムががっかりした顔をした。
「アダム…頭が残念なままだと将来困るわよ? っていうか今回あなたたちの家庭教師は同行してないの?」
「ここにくる直前クビにした」
「どうして?」
「僕が計算を間違っただけで鞭を振るうからだ!」
『ふむ…。この世界では家庭教師も体罰するのかぁ』
「私も体罰は良くないと思うけど、そんなに間違ったの?」
「10問中6問しか間違ってない!」
「半分以上じゃないの! お馬鹿!」
「クビにしたってことは、あなたたちここにいる間は勉強しないつもり?」
「狩猟大会の時くらい遊んだっていいだろう?」
「あなたたちは王都でも勉強サボってばっかりだったじゃないの! とりあえず、あなたたちはスコットとブレイズと一緒に勉強してもらいます。あちらの家庭教師のトマス先生にはこちらからお願いしておきます」
「えー、ヤだよ」
「じゃぁチェスも無し!」
「う、わかった…」
アダムはガックリと肩を落としつつも、渋々納得した。
「クリストファーもそれでいい?」
「サラ、僕のことはクリスでいいよ。それと、僕はそんなに勉強嫌いじゃないよ?」
「じゃぁクリスね。勉強が嫌いじゃないのは良いことだと思う。朝食の時に伯母様たちに報告しましょう。まずは部屋に戻ってくれるかしら?」
アダムとクリストファーが部屋を後にすると、マリアと別のメイド2名が朝の身支度の手伝いを始めた。サラはドレスを着せてもらいながら考えた。
『あの子たち先に倒れちゃったから知らないだろうけど、ゴーレムバトルのリングだしたら喰いつくだろうなぁ…。大人たちの方が夢中になってたくらいだしなぁ』
想像するだけで今から頭が痛くなりそうだった。が、同時にとてもお金の匂いもかぎつけていた。大変に香ばしい香りである。
『その先のことを考えなければだけど、ね』
ポチのお陰でリラックスして睡眠をとったサラは、昨夜よりも自分が悲観的になっていないことに気付いた。まだ起きていないことを心配しても仕方がないと開き直ったとも言える。
『誰かが私や私の周辺に圧力をかけるなら、私は全力でぶん殴ればいいのよ。金の詰まった袋で!』
サラは自分でチートだと解っていながら、それでも無自覚でいることがある。おそらく彼女は『金袋』を使わなくても、魔法だけで国を亡ぼすことができる。なにせドラゴン級の魔力を扱えるのだから。
晩餐会で肉を温めなおした魔法にしても、それを人に向けたらどうなるかといったことに思考が結びついていない。そこにすぐに至れる思考回路であれば、ゴーレムを作った時点で軍事利用のことを考えただろう。
ソフィア商会にいるゴーレムたちのバックエンドシステムにしても、ゴーレム操作だけで使うにはオーバースペック過ぎる。マギシステムにさまざまなことを学習させれば、そのうち恐ろしいほど精度の高い予測を立てられるようになるかもしれない。
サラもマギシステムの可能性に気付いていないわけではない。だが『軍事方面に応用したらどうなるだろうか』というところまでは考えが及んでいないのだ。これはサラの性格の問題でしかないのだが、誰かがサラやその周辺に攻撃を加えた途端に大きく様相が変わってしまうことは十分に考えられる。
要するにサラを怒らせることは、ドラゴンの尻尾を踏みに行くようなものなのだ。妖精たちはそれに気づいているため、サラにストレスが溜まることを心配はしても、彼女の身の危険を感じることは無い。
「サラお嬢様、お支度が整いました」
マリアに声を掛けられて鏡に映った自分を見たサラは、ちょっとだけ驚いた。
「このドレスって女性の集落で作られた普段着のはずよねぇ?」
「そうですね」
「普段着なのに、サテンの上にオーガンジーとチュール重ねてあるんだけど?」
「そのドレスをデザインした子が、絵本で見たお姫様のドレスを子供服風にアレンジしたそうです。そのデザインを見た織物職人と染織職人の姉妹は、このドレスに合う生地を新しく用意したそうです」
「あぁ例の男の子ね? もうさ、その子はデザインを勉強させた方が良いと思うの。それと、さすがにこれは着替えるわ」
「天使のようですよ?」
「朝食のテーブルに天使降臨させてどうするのよ」
メイドたちが一斉にガッカリした顔をした。
「え、そんなにガッカリしなくても」
「だってクロエお嬢様に負けて欲しくないんですもの!」
『えー。そんな理由??』
「じゃぁ仕方ないから朝食はこれで行くけど、戻ったら着替えさせてね。乙女の塔に行かないといけないし、多分秘密の花園にも入るはず。乗馬服でなくてもいいけど、シンプルなコットンのドレスにしてくれる?」
「ではギンガムチェックのエプロンドレスを用意しますね! これも同じ子がデザインしたんです。すごく可愛いんです」
サラも可愛い服や綺麗な服は嫌いではないが、もうちょっとオンとオフはあるべきだろうと思っている。が、何故か最近のサラのクローゼットには、やたらと可愛らしいデザインの服ばかりが揃えられるようになっているのだ。
『はて? クロエのメイドたちにライバル意識でもあるのかしら?』
サラは不思議に思いながらも、朝食が用意されているコンサバトリーへと向かった。