波乱の晩餐会 4
「すまぬ。エドワード。お前が良くやってくれていることはわかっている」
珍しく激高したエドワードに対し、侯爵は申し訳なさそうに言葉をかけた。
「またそれですか。先ごろの暴動の際にも『この程度のことを察することすらできんのか』と叱責した直後に同じことを仰いましたよね。そうそう『平時であれば理想的な領主』とも仰ってましたが、領主に真の平時などあるわけがないでしょう。貴族家同士は常に牽制し合い、国同士は国益のために水面下で争うものです。暴動の件も、もっと早くにさまざまな情報を私に報せてくれていれば、未然に防げたかもしれません。理解しておられないのは父上の方です」
エドワードは侯爵に叫んだ。基本的に両親の言うことには忠実だった彼にしてみれば、これは非常に珍しいことだと言えるだろう。いや、おそらく彼は初めて父親に反抗したのだ。
だが、その空気をぶち壊すように、サラはエドワードの足下に歩み寄って声を掛けた。
「伯父様、抱っこ!」
実に唐突なリクエストなのだが、三人の子供の父親だけあって、ほぼ反射的にサラを抱き上げた。
「お父様よりも抱っこ上手ですね」
「息子も娘もいるからな」
「攻撃されたり拘束されたりしたのに、よく私を抱き上げますね」
「一応、治療はしてくれただろ? 痛かったけど」
「まぁ痛くしないでも治療はできたんですけどね」
「酷いヤツだな」
「いい性格してるとは思っています。でも、ごめんなさい。そんなに伯父様が追い詰められているとは思ってなかったです」
「自分でもここまでとは思ってなかったよ。いい歳してるのに余裕ないな」
エドワードはふっと笑った。
「そうやって笑うと、亡くなった父さんに似てます。やっぱり兄弟なんですね」
「アーサーは顔も頭も良かったが、僕はどっちもそこそこだったな」
「でも、父さんは一番上の兄さんは努力家だって言ってましたよ。すぐ上の兄さんは要領が良いから勉強からすぐ逃げるって」
「ぶはっ。それはあってるな」
「それと『初恋の人と結婚できた運のいい男』って言ってました。多分、父さんの初恋は母さんじゃないってことでしょうね」
「そりゃそうだ。アーサーの初恋の相手はリズだからな」
「ええっ。知らなかった。父さんは年上好きだったんだ。じゃぁウッカリしてたら、伯母様は私のお母様だったってことですね!」
「ウッカリしなくて良かったよ」
「私が平民の娘で良かったですね」
「……すまない。あんな心無いことを言うべきじゃなかった」
「私も痛くしてごめんなさい」
サラがエドワードにキュっと抱きつくと、エドワードは自然とサラの背中を軽くぽんぽんと叩いた。
「ありがとう。サラ落ち着いたよ」
「どういたしまして」
その様子を羨ましそうにロバートが見つめていることに気付いたエドワードは、ニヤッと笑いながらサラに言った。
「やっぱり私の養女になるか? ロブより抱っこ上手いぞ」
「お父様がそろそろ泣きそうなのでやめておきます。それにクロエが羨ましそうに睨んでます」
するとクロエが憤慨したように叫んだ!
「全然羨ましくなんかないわよ。私はもう12歳なのよ!」
「そうなのか?」
エドワードがちょっとしょんぼりする。
「え、その…ちょっとは羨ましかったかも…?」
サラはエドワードの肩をポンっと叩いて下ろしてもらうと、クロエを手招きした。エドワードは心得たようにクロエを抱え上げる。
「うん。重くなったな」
「お父様! それは淑女に言ってはならない言葉です」
『まったくだよ。どうしてグランチェスター男子は余計な一言を言わずにいられないの?』
内心サラもクロエに同情していると、いきなり背後からロバートがサラを抱え上げた。
「酷いなサラ。なんでエドの方が抱っこ上手とかいうかな」
「事実ですから。やっぱり子育て経験の差じゃないですか?
「じゃぁ僕も毎日サラを抱っこする!」
「馬鹿なこと言ってないで、とっととお母様と子供作ってください」
「あ、うん。レヴィが協力してくれれば」
何を考えているのかロバートは口許が緩んでいる。ムッツリである。エドワードもニヤニヤ笑っている。多分こっちもムッツリだと思われる。実によく似た兄弟だと言うべきだろう。
だが、サラのお陰で和らいだ雰囲気の中で、侯爵は頭を抱えるように落ち込んでいた。
「本当に私は今まで何をやってきたんだろうな…。先代の志を見抜けず、ノーラが大事に育てた後継ぎを追い込み、末の息子を死地に追いやった。横領も見抜けず、暴動の意図にも気づけず……なんと私は足りない男なのだろう」
「すみません。父上、僕が言い過ぎました」
『あ、思考が負の連鎖にハマってるわ』
「祖父様、そうやって一人で考えに耽るのって、思慮深いというより陰気です」
侯爵は顔を上げてサラを見た。
「サラ…お前に指摘されて気付いたよ。育児放棄をしたのは私なんだな」
「ええ。明らかに伯父様は被害者ですもの」
「そうだな」
「サラ、そこまで父上を責めないでくれ。私が父上の意図を察せないのが悪いんだ」
エドワードは落ち込む侯爵を守ろうと間に立った。
「祖父様は伯父様のことを『貴族至上主義』と仰いました。多分間違っていません。その通りだと思います。子供たちまで中途半端に真似して、とってもゲスゲスしいイヤな家族になってるって気付いてます?」
「それは…」
傷ついたような顔でエドワードが俯いた。
「でも、それは貴族としての矜持を持つという事の裏の面でもあります。伯父様は祖父様と祖母様の息子であることを誇りに思い、グランチェスターの血を継ぐものとしての自覚があるからこそ、理不尽だと思うことにも耐えていらしたのです。私は愚かにも、伯父様が心の内を吐露するまで、その事実に気付くことができませんでした」
「サラ…」
何故かエドワードが横で目をウルウルさせており、腕の中にいたクロエがハンカチで父親の目元を拭っていた。
「あー、ごめん。僕もエドはタダのいけ好かない下種野郎だと思ってた」
ロバートが告白すると、その隣でレベッカもやや恥ずかし気に顔を赤らめていた。どうやらこちらも同じであるらしい。
「酷いですわ! ロブ! エドは自分ができることは社交しかないからって、それはそれは頑張っているのです」
エリザベスが夫を健気にフォローする。
「えーっと、伯母様。それ、そろそろ疲れません? 腹黒さを隠しきれてないです。淑女教育をもうちょっと頑張ったほうが良かったかもしれません。今の伯母様はお母様、いえレベッカ先生から赤点付けられそうなレベルです」
「なんですって!」
「ぶはっ」
すぐそばでレベッカが堪えきれずに噴き出した。
「お母様。ガヴァネスとして高く評価した直後に噴かないでください。台無しではありませんか」
「ご、ごめんなさい。あまりにも的確過ぎて堪えられなかったのよ」
レベッカは淑女の仮面を被りきれず、ケタケタと笑いが止まらなくなっている。
「まぁ、私も男性陣の前で暴露するのはルール違反だとは思ってるんですけど、ブチ切れちゃったしいいかなぁって」
「いいわけないでしょ!」
「でも伯母様だって色々限界でしょ? っていうかですね、グランチェスター男子ってヘタレばっかりですけど、気持ち悪いくらい女性のこと観察してるからバレてると思いますよ。とっくに」
『そうなんだよ。無駄にグランチェスター男子って女性を観察してるんだよねぇ。なのになんであんなにヘタレなんだろう?』
「気持ち悪いとはなんだ!」
「まぁバレてるのは確かだね。確かに腹黒い」
「お前なぁ。リズはちょっと腹黒いから可愛いんだ!」
「アレはちょっととかいうレベルじゃないだろ」
兄弟の言い争いに、当のエリザベスは身の置き所がないといった風情になっている。完全に淑女の仮面は外れているようだ。さすがにエリザベスが気の毒になってきたので、サラは話題を変えることにした。
「どうやら長くなりそうです。一旦座りませんか?」
8歳のサラはともかく、12歳のクロエを抱えたままではエドワードも辛いだろう。だが、椅子に座るタイミングで娘を下ろすだろうと思った父親たちは、何故か娘を抱えたまま椅子に座った。
『あらま、抱っこセラピーの効果は絶大なのね』
「祖父様、なぜちゃんと伯父様を見ようとなさらないのですか?」
「エドワードは、あまりにも昔の自分に似ているのだよ。兄二人が相次いで亡くなったせいで突然小侯爵となり、右も左もわからず義務に押しつぶされそうになっていた頃の私にな。親族たちは私の能力を疑問視し、社交界ではアカデミーを出たばかりの若造と侮られた。まぁどちらも事実だから否定はできんな。だが、私はひたすらにグランチェスター直系の血を誇り、親族たちにも驕った態度を取ってしまった」
侯爵は自嘲し、そのまま沈黙してしまった。
「伯父様が祖父様に似ていらっしゃるのであれば、将来は安泰ではありませんか?」
「私にはノーラが居たから」
「伯父様にだって伯母様がいらっしゃいます! 先程、伯母様が仰っていたではありませんか『エレオノーラ様が私をエドの嫁にと言ってくださった』と。祖母様が選んでくださった方ではありませんか」
「ノーラと私は約束をしていたんだ。子供たちには政略結婚ではなく、子供たちが好いた相手と結婚させると」
この発言にエリザベスが反応した。
「お待ちください。私は父母に言われるままにエドに嫁いでおります。義母上様に選ばれたのだと伺いました」
「あー、その。僕がリズを好きだったんだ。それで母上が縁談を纏めてくれたみたいで」
「はぁ? そんなこと一言も仰らなかったではありませんか! 政略結婚だとばかり思ってました。結婚したあとも、一度も私のことを好きだと仰ってませんよね?」
『あ、ダメだ。伯父様もグランチェスター男子だ』
「で、では、私は次期侯爵夫人には足らぬ人間と言うことでしょうか?」
「それは違う。ノーラはエリザベスのことを『将来の侯爵夫人なら、少々腹黒い方が良いと思うの。でも放置すると増長しそうだから注意して見ていてね』と言っていた。だが私はそんなノーラとの約束すら果たさず、ただ喪われた悲しみにだけ沈んでいたんだ」
「腹黒い…、でございますか…」
『ヤバい、祖母様の遺した一言が伯母様にトドメ刺した!』
完全にエリザベスの顔は引き攣っている。レベッカが肩を震わせて爆笑を堪えているのが見えた。
「そうだ。だが、私が悲しみにようやく向き合えるようになった時には、すでにお前たちは私の知る二人ではなかった。その貴族至上主義が鼻につき、昔のイヤな自分を思いだして遠ざけるようになってしまって…」
サラはズキズキと蟀谷に痛みを感じていた。
『くだらない…心底くだらない…』
「祖父様! いい加減くだらない言い訳を並べるのはお止めください。祖母様が儚くなられたせいでこの事態を招いたかのように聞こえて不愉快です!」
「父上は本当に悲しまれていたんだ」
「だからといって義務を放り出しても良い理由にはなりません。それくらいなら責任ある領主という地位を別の方に譲るべきです。家族をなくして悲しむのは祖父様だけだとでも言うつもりですか? 領主がまともに仕事をしなければ、今度は領民が家族を失うことになるのがわかりませんか?」
両親をなくしているサラは、侯爵の言葉もエドワードの言葉もくだらない言い訳にしか聞こえてこない。少なくとも彼女の母親であるアデリアは、夫を亡くしても娘のサラを守るために必死に働いていた。
「伯父様もです。小侯爵になりたくないと仰るなら、とっとと自分で辞めれば良かったはずです。そうしなかったのは本心では辞めたくないからでしょう? 大体、社交の場でグランチェスター小侯爵の肩書を振りかざして、夫婦でゲスゲスしい態度取ってるのは知ってますからね」
「本当にお前は、失礼なヤツだなぁ」
「だって、まだ爵位も継いでいないのに『次期侯爵に無礼だ』とか言って、派閥の対立煽ってたじゃないですか。でもそれ、まだ伯父様の力じゃないですからね? 相手は内心鼻で嗤ってると思いますよ? あれです子供がよく言う『お父様に言いつけてやる~』ってのと同じです」
「だから、お前その情報を…まぁいい。下手なことを言えば物理的に禿げにされそうだ」
『あらやだ、気付かれてたわ!』
「伯父様、そろそろ自分の実力をお持ちください。領主が領の経営に口を挟ませないのであれば、独自に動けば良いのです。本当に領民を心配しているのなら、どうして自分で決断して領地にもどったり、文官たちを頼ったりしないのですか? 社交では情報を駆使しているはずなのに。そろそろ父親の影から抜け出したらいかがですか?」
「い、いやその…」
「正直、こんな心底くだらないすれ違い親子なんて放っておきたいです。でも、運が悪いことにお二人は領主と次期領主なんですよ。このままだと迷惑する人がどれくらいいるか理解されてますか?」
「……」