波乱の晩餐会 3
『あ、お父様が本気で怒ってる』
グランチェスター領の代官として、ロバートは次期侯爵であるエドワードに対して猛烈な怒りを見せた。
「この領で何が起きたのか、お前は正確に把握してるか? 横領がなぜ起きたのか、どれくらい横領されたのか、そもそもこの前の暴動の原因や、どうやって対処したのかちゃんと理解してるか?」
「ちゃんと報告は聞いたし理解してる。弟とはいえ臣下に過ぎない身でありながら、次期領主である僕を繰り返し下種呼ばわりするとは!」
「僕は父上の臣下ではあるけど、お前の臣下になったことはない。お前のような下種野郎が侯爵になったら、代官職はクリスに譲るさ」
「お前たち、よさんか!」
エドワードとロバートの兄弟が睨みあいを続けていると、侯爵が上座から彼らを一喝した。
「まずエドワード、お前はまだわかっていないのだな。領主一族として、領をどのように支えるべきなのか真剣に考えろと言ったであろう。貴族は血統によってのみ貴族なわけではない!!」
「しかし、父上も母上も常々『グランチェスターの血を持つ者として、恥ずかしくない生き方をしなさい』と仰っていたではありませんか。私はグランチェスターを継ぐ者として、誰よりも貴族らしくあらねばなりません」
「お前の言う『貴族らしさ』とは、社交界で影響力を持つことだけなのか!」
「領地の民を守ることが領主の義務なのは理解しています。ですが、それは領主である父上の仕事であり、代官であるロブの役目ではありませんか! ですから私は王都において他家との繋がりをつくり、王家とも親しくしております。すべてはグランチェスター家の発言力を高めるためではありませんか。無論、私が侯爵位を継げば、父上と同じように領地を治めるつもりでおります」
「今のお前が領地を治められるわけがなかろう。お前が領の何を知っているというのだ!」
次の瞬間、サラは再び氷の矢を落とした。今度は3人の皿の肉にグッサリと突き刺さっている。
「お父様、私には口がありますから文句は自分で言います。兄弟喧嘩したいだけなら、後にしてください。祖父様は感情的になり過ぎです」
唐突にサラは小侯爵一家の拘束を解いた。
「エドワード伯父様。私は伯父様がグランチェスター領を知らないとは思っていません」
「ふん、わかっておるではないか」
「領の特産品がなにかわかりますか?」
「小麦であろう」
「今年は豊作ですか? 凶作ですか?」
「豊作だったと聞いている」
「収穫量はどれくらいですか? どれほどの量が備蓄にまわっていますか?」
「う、うるさい。そもそもお前はそれを把握しているのか?」
「当然ではありませんか!」
サラはにっこりと笑った。
「エド、サラの言うことは正しいよ。彼女なら答えられる。それは父上もご存じだ」
「もちろんだ」
ロバートと侯爵はサラの発言を肯定した。
「まぁ細かい数字は報告書を見た方が正確ですし、数字を諳んじろという方が無茶かもしれませんね。では小麦以外の特産品は何がありますか?」
「定期的に伐採する木材も需要はあるな。アクラ山脈からは鉱石や魔石も採掘できるが、小麦程の産業とは言えないな」
「確かにそうですね。ところでグランチェスターで採掘できる魔石の属性には何があるかご存じですか?」
「火属性だろう」
「それだけですか?」
エドワードは答えに窮する。
「次期領主がその程度ではガッカリですね」
「うるさい!」
「都合が悪くなったら怒鳴るのはどうかと思いますよ? でも、それで構いません。こんなことは文官から報告される数字に過ぎないのですから」
サラはくるりとロバートの方に振り向き、今度はロバートに質問を投げかけた。
「お父様。狩猟大会にお越しになる王室の方がどなたかご存じですか?」
「い、いや。まだこちらに王室からの書状は届いていない」
「王太子殿下の長男でいらっしゃるアンドリュー王子です。ロイセンのゲルハルト王太子と一緒に領に入られるそうですので、貴賓室は2部屋以上必要です。ところで、この貴賓室は同じ建屋で問題ないと思いますか? それとも別の建屋に用意すべきですか? お二方のうち、どちらに一番質の高い部屋を用意すればいいかわかりますか?」
「い、いや…」
「伯父様はご存じでしたか?」
「無論だ。お二方がそれぞれ従えていらっしゃる側近や騎士の人数まで把握済みだ」
「それはこの内容であってますか?」
サラは空中から紙を一枚取り出した。中にはセドリックの眷属たちから聞いた情報がきっちり入っている。
「ぬ…アンドリュー王子の一行の中に三人知らぬ者がいるな」
「どなたですか?」
「この者たちだ」
「あぁ、それはアカデミーの教授です。先日、グランチェスター領にいる者がアカデミーに論文を出したのですが、その内容にいたく興味を示されたらしく急遽決まりました」
「ほう。論文の概要だけでも確認できるか?」
「後程写しをお持ちしますが、画期的な発見です。おそらく今後は問い合わせが増えるはずです」
アリシアの論文にさっそく喰いついたアカデミーの教授が三名、王子にくっついてくることは把握済みであった。
「そうか…だが、サラ。お前はこの情報をどのように手に入れたのだ。それと、お前は今空中から資料を取り出さなかったか?」
「細かいことを気にすると禿げますよ?」
「グランチェスター男子に薄毛はいない」
「そういえば肖像画でもみなさんフサフサでしたねぇ。国王陛下が悔しがりそうです」
「お前、不敬だな。というかだな、陛下の鬘はトップシークレットなんだが」
『いや、みんな薄々気づいてると思うなぁ。薄毛だけに!』
やはりサラの脳内は少々残念である。
「お父様、確かに伯父様は領内のことを詳細に把握されてはいません。ですがその分だけ王都での王室や他家の動きには敏感です。貴族に取って社交が重要であることはお父様もご存じのはずです。伯父様の仕事を軽んじるようなことを口にすべきではありません」
「確かにそうだね」
ロバートは頷いた。
「ですが領主というのは、領の経営と社交のいずれも必要とする過酷な仕事です。だから領主を支えるため、領地には文官や騎士団がおり、侯爵夫人が王都での社交面を補うのです」
「……だが今、母上はいらっしゃらない」
「だからこそ伯母様が可愛い子供たちを置いてでも、グランチェスターのためにやらなければと気負っていらっしゃるのです。少々やり過ぎだとは思いますが」
そしてサラは侯爵に向き直った。
「そろそろ祖父様はご自分の問題を悟られたのではありませんか? 祖父様、実際のところ将来の領主の教育をどのようにお考えなのです? まさか何の引継ぎもなく領主が務まるなどと思ってはいらっしゃいませんよね?」
「いや。その…」
「まぁ、『お前ごとき』などと本音を漏らしつつも、空々しく伯母様が繰り返し謝罪を口にするのは、伯父様が祖父様に疎まれて、小侯爵の地位を追われるかもしれないと危機感をお持ちだからです」
「それはわかっておる」
「では何故、このような事態になるまで放置したのですか! すべては家長である祖父様に起因していると気づいていらっしゃらないのですか?」
「………すまぬ」
侯爵はしょんぼりと項垂れた。
「ノーラが私を置いて永い眠りに就いたとき、私は自分の悲しみに溺れて周囲が見えなくなくなっていた。それでも季節は廻り、社交シーズンがあり、領主の仕事は押し寄せてくる。私は淡々と仕事だけに没頭し、息子たちの様子を気遣うこともできていなかった」
侯爵の言葉を受けて、二人の息子は父親のもとに歩み寄った。
「父上の悲しみは存じております。仕方なかったのです」
「だが、私が再び周囲を見渡せるようになった頃、状況は私が知るグランチェスターではなくなっていたのだよ。エドワードは血統を重んじるばかりに貴族至上主義に染まっており、社交ばかりで領地を顧みない男になっていた」
ぴくりと肩を震わせ、エドワードは侯爵から一歩下がった。
「エドワードよ、お前には気の毒なことをしたかもしれぬ。ノーラはアーサーを産んでから身体が弱くなり、領地で過ごす時間の方が長くなっていたからな。長男であるが故に王都邸で教育を受けねばならないお前と過ごす時間は短かっただろう。もっと、私やノーラと過ごせるよう、時間を作る努力をすべきであった」
「少々寂しかったのは確かですが、それでも私はお二人を恨んだことはありません。お二人の息子として恥じない自分でいたいと願い、努力はしたつもりです」
「わかっておる」
だが、エドワードは侯爵に対して憤りを示した。
「いいえ父上、あなたは私のことなど何一つわかってはおられない。『領地を顧みない』と仰いますが、そもそも私が領地経営のことに口を出すことを厭われるのは父上ではありませんか。積むべき経験を積んでいない私に何を望まれるのですか? いっそ私のことになど興味はないと仰ってくださればこれほど苦悩することもなかったでしょう。あるいは小侯爵の地位をロバートに譲ってしまえば良かったのです! 私だって望んで小侯爵の地位にいるわけではありません」