波乱の晩餐会 2
「私は育児放棄などしていないわ。家庭教師もガヴァネスもつけているし、欲しい物もできるだけ買い与えているもの」
サラは頭を抱えた。
「私がどうして王都邸からグランチェスター領に来ることになったのか、すでに聞いたのですよね?」
「ええ、聞いたわ。アダムたちがあなたを池に突き落としたのでしょう? その件については本当に申し訳ないと思っているわ」
エリザベスが力なく答える。ちらりと子供たちに目をやると、アダムは俯いており、クロエはサラを睨みつけ、クリストファーは目が泳いでいる。
「伯母様、アダムたちを見てください。彼らが今、どのようなことを考えているか、伯母様にはわかりますか?」
「みんな申し訳ないと思っているはずよ」
「いいえ、伯母様。彼らは伯母様が代わりに罰を受けると聞いても、誰一人として私に謝罪を口にしていません」
アダムが口を開いた。
「お前がこんな風に僕たちを縛りつけなければ、きちんと謝罪するつもりでいたさ。それにアレは事故だったことくらいお前もわかってるだろ!」
「ええ、確かにあれは事故だったと思います。でも、それならどうしてすぐに助けを呼んでくださらなかったのですか?」
「それは…」
するとサラを睨んでいたクロエが叫んだ。
「怒られるのが怖かったのよ!お父様やお母様に知られてガッカリされたら、どうしようって思ったんだもん」
「それって、私をイジメてたことを知られるのが怖かったってことよね?」
「当たり前でしょ。いい子じゃないと、嫌われちゃうもの」
「だったら、イジメたりしないでいい子にしてればいいじゃない」
「あなたが生意気だからいけないのよ! 私のお下がりのドレスにも感謝しないし、平民の癖に侯爵令嬢の私を敬わないし。ご機嫌伺いくらいしたらどうなのよ!」
「えーっと…クロエは構って欲しかったの?」
「あんたのそういうところが生意気なのよ! 王都にいた頃よりもひどくなってない?」
『まぁ、前世の記憶戻ったしねぇ』
「こっちでのびのびしてるのは確かかなぁ」
「きーーーーーっ。ムカつく。こっちは、あんたがきたとき、妹分くるって思って楽しみにしてたのに、本ばっかり読んでるし、無視するし」
「あ、やっぱり構われたかったんだ」
「そういうんじゃないわよ!! ただ、お母様は社交でいつも忙しいし、アダムとクリスは男だからドレスの話も聞いてくれないんだもん」
『あれ、クロエってツンデレ?』
「一応、クリストファーにも聞いておくけど、本当に私に謝る気あった?」
「う、うん。アダムとクロエが謝るしかないって言ってたから、僕もしないとダメかなぁって思って」
「聞き方変えるね。クリストファーは私のこと嫌いだからイジメてた?」
「平民で生意気だってアダムとクロエが言ってるから、そうなのかなって思ってる」
「いま、私と話しててどう思う?」
「無茶苦茶コワイ」
「まぁ、それはそうだよね」
サラはクリストファーの拘束を解いた。
「あなたには危害は加えないわ。だから教えて。私のことどう思ってる?」
「平民で生意気?」
「あなたがそう思ってるの?」
「よくわかんない。みんながそう言うから、そうなんだなって思う。あ、でもサラが凄く綺麗だってことはわかるよ」
「あら、ありがとう」
サラがにっこり笑うと、クリストファーもぎこちなくサラに笑顔を向けた。
「伯母様、わかりますか? 誰一人本心で謝罪したい子供はいないんです。『大人に言われたから謝らないといけない』って思ってる子たちから、中身の伴わない謝罪などされても迷惑なだけです」
「ごめんなさい。私の教育が悪かったわ」
サラはエリザベスに向き直った。
「ええ、間違いなくイジメは伯母様をはじめとする周りの大人の責任です。伯父様や伯母様が繰り返し私を『平民』と罵ったから、彼らは私に危害を加えることに罪悪感を持っていません。『平民は貴族よりも下の存在だから何をしても構わない』とでも思っているのかもしれません。貴族至上主義が行き過ぎるとこうなるということでしょうか」
「それは…」
何かを言いたそうな態度のエドワードではあったが、怯んだように言葉の続きを紡ぐことができなかった。
「わかりますか? 彼らは『人を思いやる』『相手の立場に立って考える』『命を大切にする』など人として基本的な部分の教育に問題があるんです。これらは沢山の人と接して学んでいくものではありますが、最初に教えてくれるのは一緒に暮らす家族です。そういう大切な時間を放棄するほど社交は優先しなければならないものなのですか?」
すると、それまで黙っていた侯爵も口を開いた。
「すまんなサラ。それを言うのであれば、祖父である私にも責任がある」
「もちろん祖父様にも責任はあります。最近の祖父様は私を頻繁に抱き上げられますが、彼らを最後に抱き上げたのがいつだったか思いだせますか?」
「……赤ん坊の頃だったかもしれないな」
「伯父様や伯母様も同じです。彼らを抱きしめたのがいつだったか憶えていますか? 彼らが面白いと思ったこと、彼らが悔しいと思ったこと、彼らが悲しいと思ったことをゆっくり聞いたのはいつですか? 少なくとも王都邸で過ごす間、そうした時間を持っているところを私は見たことがありません」
小侯爵夫妻はいつも社交に忙しく、頻繁に外出している。家でも子供たちに構う暇はなく、せいぜい夜会の無い日に夕食で顔を合わせた時に会話をする程度であった。その会話ですら子供たちを思いやったやりとりはしていなかったように思う。基本的に子供たちは、乳母、侍従や侍女、家庭教師やガヴァネスに任せっきりになっていた。
最近になってアダムやクロエがお茶会に参加できるようになると、一緒に外出したり、邸に訪問してきた商家から一緒に買い物したりといった機会は増えているが、用事が済めばそれぞれの自室に引き上げてしまう。ゆっくりとした一家団欒などは存在しない。
実はこうした子育てをする貴族家は多いのだが、サラは貴族的に育っていないのでまったく理解していなかった。
「少しだけ希望があるとすれば、彼らがイジメを『大人に知られたくない』と思ったことでしょう。少なくとも悪いことをしている自覚はあるということですから。それに、悪い子だと思われることを怖がっていますよね。それって伯父様や伯母様に呆れられたり、嫌われたりするのが怖いってことでしょう?」
「そうね。私たちはこの子たちに愛されているのね」
確かに一見すれば、子供たちは両親や家族を愛しているように見える。だが、それは自分を庇護してくれる対象に対する本能的な感情や行動かもしれないとサラは思ったが、敢えて口にはしなかった。
「そもそも欲しい物を何でも買ってやるって、馬鹿ですか?」
「子供に不自由させたいと思う親はいないでしょう?」
「何事にも限度と言うものがあります。すっかり我慢のできない子供になっているではありませんか。人の欲望には際限がありません。一つ願いが叶えば次の願いができるものなのに、いつまで与え続けるつもりですか? 社交で忙しくしていることを埋め合わせるように物を買い与えているのなら、すぐにやめるべきです。社会性のある人間には『忍耐』は不可欠です。それを教えないなど育児放棄以外の何物でもありません。育児放棄は子供に対する虐待の一つだってご存じですか?」
するとクロエがサラに向かって叫んだ。
「ちょっと! 私のお母様に失礼なこと言わないで! お母様はドレスも宝石も何でも買ってくださる優しい方よ。勉強でちょっと失敗したって、大丈夫だって撫でてくださるもの!」
サラは深いため息を吐いた。
「その結果、欲しいものを我慢できず我儘放題になり、この年齢で本来できなければならない勉強も身についていない。欲しい物を手に入れるために努力をすることを知らないから、達成感も持たない」
そこでサラは一呼吸おいてアダムを見つめ、鼻先で嗤った。
「あぁごめんなさい。アダムは欲しい物を手に入れるために努力していらっしゃいましたね。見事な下着コレクションでしたから」
「な! お、お前か。クローゼットの奥から箱を持ち出してベッドの下に置いたのは!」
「欲しい物のために努力を怠らず、きちんと実行に移す行動力はさすがです。コレクションが増えるたびに達成感はあったでしょうね。…変態だけど」
正餐室に重い沈黙が訪れた。アダムは顔を真っ赤にして俯き、小侯爵夫妻は居た堪れないといった表情を浮かべている。
「まぁアダムの盗癖と性癖はともかく、このままいけばクロエは婚家で苦労するでしょうね。なにせ散財することに躊躇がないのですから。それに、アダムはこのままだとアカデミーに入学できないくらい勉強ができないそうではありませんか。伯母様が私の従兄妹たちを不幸にしているのです」
「お、お前何で知ってるんだよ!」
だが、これを聞いて驚いたのは侯爵だ。
「なんだと!? お前は将来のグランチェスター侯爵になるという自覚はあるのか? エドワード、エリザベス、どういうことなのだ!!」
「それが、その…数学などがあまり得意ではないようで…」
「そういう問題ではない! 家庭教師を増やしてでも何とかしろ!」
サラはにっこり笑った。
「伯母様、どうですか? 今のところ、祖父様はエドワード伯父様を廃嫡するつもりはないようですし、アダムのことを諦める気もないみたいですよ。最近は事情があってグランチェスター領に滞在することが多く、私のことばかりを気にかけているように見えるかもしれません。でも、祖父様はちゃんと全員の孫を愛していらっしゃいます」
「サラ、当たり前のことを言うな。孫が可愛くないわけがないだろう!」
「ですが相手に伝わらなきゃ意味がないでしょう?」
「……まったくだな。この歳になって孫から教えられるとは。サラよ、お前はノーラにそっくりだな」
侯爵がため息交じりに自嘲する。
「え、祖母様も、魔法で相手を脅したんですか?」
「そこじゃない。ただ、相手を叱りつけるときのノーラにそっくりでな」
突然、エリザベスが再びボロボロと涙を流し始めた。
「私はずっと怖かったのです。私が義父上様に好まれていないことには気づいていました。義母上様が…エレオノーラ様が私をエドの嫁にと言ってくださったのに、私のせいでエドが義父上様から疎まれてしまうのではないかと」
「あ、いや…私は別にエリザベスを疎んでなどいないのだが」
侯爵が泣き出したエリザベスを見て焦り始めた。その様子を見たロバートが侯爵にツッコミを入れた。
「父上、リズが誤解しても仕方ないと思いますよ」
「む、何故だ」
「リズ、父上が疎んじているのはリズじゃなくて、エドなんだよ。正確にはエドが鼻もちならない貴族至上主義の下種野郎だからなんだけどね」
「おい、ロブ! お前は僕に喧嘩を売ってるのか!?」
「当たり前だ。お前は僕の嫁と娘、それに弟とその嫁をまとめて侮辱したんだぞ」
「本当のことを言っただけだろうが」
「お前が貴族であることをそれほど誇りに思うなら、次期領主としての義務を果たせよ!」