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初版教科書の校了

トマスが計算の教科書の再編纂を終えたのは第一回の教科書策定会議の翌日で、その翌日には読み書きの教科書についても編纂を終えていた。


驚異的な速度ではあるが、トマスはソフィアのというよりサラの…いや、空飛ぶ豚の言葉に従って徹夜はしていない。ちょっと夜更かしはしたかもしれないが。


読み書きの教科書については、計算の教科書よりも初等教育向けの底本が揃っていたことが大きい。また、自分たちも勉強になるからと、本来は授業の時間であるにもかかわらず、スコットとブレイズも底本からの書き起こしを手伝った。


実はこの二人、周囲が呆れるほど書き取りを練習していた。原因はジェフリーの邸で働くメイドの一言だった。


「サラお嬢様の文字は驚くほど美麗ですね。将来、サラお嬢様に恋文を書かれる方は大変でしょうね。これほどの文字に釣り合うように書かねばならないのですから」


以降、スコットとブレイズは、寝る前に本を筆写して書き取りの練習をするのが日課になった。こうした努力の甲斐もあり、スコットとブレイズの文字は大人顔負けの美しいものとなっている。


ちなみにトマスの文字は、本人の容姿に似合う華やかさを持ちつつも、元文官らしく読みやすいものである。これも二人の競争心に火をつけた原因であることは間違いない。なにせ授業中には必ず目にする文字である以上、サラが目にする機会も多いのだ。


最初はサラのためにトマスを手伝うだけのつもりだったブレイズだが、読み書きの教科書を最初の方から筆写していると、それまで曖昧だった部分が明確になっていくことに気付いた。


トマスやスコットに質問しながら作業を進めていくうちに、少しずつ、だが確実にブレイズの中で読み書きの土台が出来上がっていく。それがとても嬉しくて、ブレイズは驚くほどの集中力を発揮して作業にのめり込んでいった。


同じく計算の教科書を担当したスコットも、この作業を楽しんでいた。もともとスコットは数学が得意だった。だが、授業内容が難しくなっていくにつれて、覚えなければならない公式や法則などが出てくる。


スコットはあまり暗記が好きではなかった。そのせいで、公式や法則に対して苦手意識を持っていた。しかし、計算の教科書を筆写していくうちに、何故そのような公式ができたのか、この法則はどうやって発見されたのかなどを改めて知ることになった。


トマスは比較的こうした背景を飛ばして結論を教えてしまうような教師だったせいで、スコットはこれらに興味を持てずにいたのだ。トマスは自分があっさりと憶えてしまう子供だったせいで、スコットがどうして苦手にするのかがわかっていなかった。


ブレイズと同じようにスコットの質問に答えているうちに、トマスは自分の教育に何が足りなかったのかを実感することになる。


こうして二回目の教科書策定会議には、5冊に分冊された計算の教科書の草案と、2冊に分冊された読み書きの教科書の草案が提出された。


子供たちの視点が入ったことが功を奏したのか、この内容であればアメリアも理解できると太鼓判を押し、数回の校正を経て正式に教科書として発行されたのである。


なお、教え子たちが底本を筆写している横で、トマスはサラの書いた複式簿記の教本に対する提案書を作成していた。もともと会計官だったトマスは、複式簿記の有用性を実感しつつも、仕訳科目などが国や領の会計に沿っていない部分があると感じていた。そこで、よりアヴァロンの王府で必要となる科目に近づけるべきだと考え、サラに宛てた提案書を作成することにしたのだ。


提案書には、国外との貿易がある領の会計で用いる場合、領地ではなく貴族家の会計で用いる場合、商家や商会で用いる場合など用途に応じて異なる部分に対しても、積極的に意見を記述してある。


また、不正を防止するための監査項目などについても言及しているあたり、昔取った杵柄といったところだろう。この世界に杵があるかは微妙なので、その柄まであるかはわからないが。


書き上げた提案書は結構な枚数となった。トマスは自室に引き上げてから提案書を紐で綴じ、送付用の木箱に詰めた。そこでふと思い立ったトマスは、美しい透かしの入った紙を用意し、次のような内容を(したた)めた。


-----

教本を拝読いたしました。

改めてあなたの素晴らしさを実感しております。

そして、少しでもあなたのお役に立ちたいと願う私の想いを記してお送りします。


あなたは世界そのものを変えてしまう力をお持ちです。

ですが、どうか広い世界に飛び立っていかないでください。

その背に隠された翼をはばたかせないでください。

気付けばあなたの姿を探してしまう私を憐れんでください。

どうか私に微笑み、いつの日にか私に触れ、私の隣で翼を休めてください。

愚かな身の程知らずは、いつまでもあなたを求め続けることでしょう。


愛を込めて


トマス・タイラー


追伸:

私はアカデミーで経済を専攻し、王府において会計官をしておりました。

必要であれば私の名前を使ってください。著者を疑われることは無いでしょう。

-----


この紙をくるりと巻いて赤いリボンと茶のリボンを二重に掛けてから封蝋を垂らすと、久しぶりに印を押し当てた。この封蝋印はトマスが文官として働き始めた祝いとして、祖父のタイラー子爵が特別に作らせた物である。タイラー家の家紋に近いが、トマスの専用印である。


「これは抜け駆けですね。教え子たちに恨まれそうです」


と独り言を呟いてから箱を閉じ、グランチェスター城の本邸にいるサラに送るようジェフリー邸の使用人に依頼した。




その日、夕食後にトマスからの箱を受け取ったサラは、自室のソファに座って手紙を開いた。


「どぇぇぇぇぇぇ!」


サラは思わず淑女らしからぬ声を上げ、驚きのあまり手紙を取り落とした。


『ま、待って。もしかしてこれって、転生して初めてもらったラブレター?』


しかし、木箱の底にある資料に軽く目を通すと、サラが書いた複式簿記の教本に対する提案書であることに気付いた。


『なんだ、ただの提案書か。そっか、この手紙は追伸に書いてあることが主題なんだわ。この教本の著者にトマス先生の名前を使っても良いってことね。要するに複式簿記の本で目立つと、王都に行く羽目になっちゃうよって警告ね。まぁ乙女の塔が大好きなトマス先生が私のそばに居たいのは理解できるわ。微笑んで欲しいってのは、家庭教師以外の仕事を紹介しろってことだろうし、翼を休めろってのは忙しすぎる私を心配している?? こんな風に曖昧な書き方なのは、他の人の目に触れても大丈夫なように配慮してるんだろうけど、うっかりラブレターと勘違いしちゃったじゃない!』


勘違いではない。色の異なる2本のリボンをかけて封蝋印を押した私信は、本気の求愛を意味する行為である。特に赤系の暖色を使ったリボンほど、相手に対する熱が高いことを表す。


が、まだサラはレベッカからそこまで学習していなかった。レベッカも『このあたりの作法は10代になってからでいいかな』と暢気に考えており、サラが普通の8歳であればそれは正しいカリキュラムである。


なにせ詰め込まなければならない社交の知識が、うんざりするほどあるのに、サラもレベッカも多忙を極めているのだ。後で良いと判断されたものは、どんどん後回しになっている。


結果としてトマスが人生で初めて書いたラブレターは、そのまま木箱に仕舞われてしまい、提案書だけがサラの手元で吟味されることになった。おかげでトマスがスコットとブレイズに恨まれることもなかった。


『そっかトマス先生は会計官だったのか。しかも王宮の文官なら超エリートだよね。つくづく容姿で損してるなぁ。お気の毒に』


サラは提案書を抱えてベッドに横になり、紐で綴じられた資料を順番に読んでいく。少しだけ目を通すつもりだったのだが、読み始めると止まらなくなった。


『やっぱり実務を知ってる王宮の文官は全然違うわ。これはトマス先生と直接話をしないとダメね』


こうして複式簿記の教本はトマスとサラの間でブラッシュアップされた後に教科書策定会議にかけられ、商家の嫁だったコーデリアの意見も反映しつつ校了して発行された。


レベッカは執務メイドの教育もできるようにしたいと考えていたが、さすがに狩猟大会前の多忙な時期には無理だと判断し、イライザにメイドや侍女の教育内容をまとめておいて欲しいと依頼するに留めた。

鈍感属性は無いはずなのですが、サラの場合自分はまだ8歳という強い思いがあります。

トマスとはサラの姿で接することの方が多いですからね。

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― 新着の感想 ―
転生モノで前世いい年してて優秀なのに恋愛にだけ鈍感属性ってあざとく感じられて苦手なのですが、この場合は現代日本人の感覚が色濃く残ってるサラが、19歳(それかまだ20代ぐらいと思ってるままでしたっけ?)…
恋愛になると急に知能が下がる系主人公だ…!
[良い点] 話がとても面白いので皆さんにおすすめできます。 今後がとても楽しみです。 [気になる点] 時系列がぐちゃぐちゃで作者さんは一度ちゃんとカレンダーを一から作り直して見直ししてみてください。 …
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