ふたりはリアとニア
「リア、あなたの長年の夢が叶いそうって聞いたわよ!」
「突然やってきてビックリするじゃない。ニアは相変わらずねぇ」
コーデリアの元に息せき切って駆けこんできたトニアに、コーデリアはそっと水の入ったグラスを差し出した。
「フランから聞いたわよ! 最近じゃ、あなたまで乙女の塔に出入りしてるそうじゃない」
「そうなのよ。新しい教育施設で使う教科書を作っているところなの。オルソン令嬢は私と同じ気持ちを抱いていらっしゃったみたい。驚くほど熱心なのよ」
「あの方は相変わらずお綺麗でいらした?」
「相変わらずどころか、ますます麗しくおなりになってたわ」
「きっとご婚約されたからでしょうね」
「ロバート卿でしたら、きっとあの方も幸せに暮らせるでしょうね」
ロバートとレベッカの婚約は、領内の噂として領民たちにもあっという間に広がったため、グランチェスター領は祝賀ムードいっぱいである。
子供の頃からグランチェスター領で生活しているロバートは、領民からしてみれば親しみ深いグランチェスター家のお坊ちゃんである。そのヘタレな性格でさえ、ある意味領民からは愛すべき性質と捉えられている。
「あのお二人とアーサー卿が転げまわって遊んでいたのは、つい昨日のように思えるわ」
「小公子レヴィ様、ね」
「そうそう、グランチェスター家の男子を振り回してたわよね」
「あはは。そういえば昔、ロバート卿たちが、うちのエルマを勝手に食べてたのを見つけたことがあったんだけど、木に登って枝を揺すっていたのは小公子だったわ」
「それでどうしたの?」
「貴族相手に叱るわけにはいかないから、こっそり侯爵夫人に『ロバート様、アーサー様、レベッカ様が私どものエルマをお召し上がりになっておられました。もしかすると食べすぎでお腹を壊すかもしれません。ご注意ください』って手紙を書いたわ」
「それでどうなったの?」
「翌日、侯爵夫人が直々にお越しになって、『本来なら本人たちに謝罪させるべきなのですが、あの子たちは揃ってお尻が腫れあがっているので代わりに謝罪します』って仰って、代金を支払っていかれたわ。侯爵夫人は男女問わず、悪い子のお尻を叩くようね」
「他家のご令嬢なのに?」
「他家のご令嬢でもよ。まぁオルソン子爵夫人とは幼馴染でいらしたことだし、自分の娘同然だったのでしょうね」
実は、この時点では、まだロバートとレベッカは、ハーラン農園がかつて自分たちが盗み食いをしたエルマ農園であることには気づいていない。
「そのうちロバート卿やオルソン令嬢とは再会することになるんじゃない?」
「あははは。もう20年も前のことよ。あの方々は覚えていらっしゃるかしら」
「覚えてたとしたら、最高に面白そう。その時は私も近くで見ていたいわ」
二人は見つめ合って、ニヤニヤと笑い始めた。
このように仲の良い二人だが、実は両名ともグランチェスター領の出身ではない。元々王都に住んでいた二人は、家が近所であったため子供の頃から親友同士だったのだ。
コーデリアは商家に嫁入りし、その1年後にはトニアがグランチェスター領に移り住んだことで、一時的に彼女たちの交流は途絶えた。しかし、コーデリアが夫と離婚した際、トニアはコーデリアに対して「どうせ再出発するなら、新しい場所で始めた方が良いと思うわ。実家や婚家の関係者がいない方が楽でしょ?」とグランチェスター領に彼女を誘ったのだ。
元々トニアは、コーデリアにエルマ農園を一緒に運営してもらうつもりでいた。ところがグランチェスター領にやってきたコーデリアは、トニアの家に長く滞在することなく、女性たちの集落に家を借りて沢山の子供たちに勉強を教え始めた。
話を聞いてみると、「子供が勉強したいと思う気持ちは男女関係ないわ。女の子だって勉強はできた方が将来良い仕事に就けるでしょう? もっと私に実力があれば、高等教育だって受けさせてあげられたのに…」と、子供たちの教育についてコーデリアは熱心に語りだした。
子供たちの教育がコーデリアの生き甲斐なのだと気付いたトニアは、それ以来ずっとコーデリアを応援している。彼女の授業料は無料ではない。だが、貧しい家の子供からは授業料を取らないこともあるため、トニアは農園の従業員の子供たちをコーデリアの私塾に通わせ、授業料を農園で負担してきた。
結果的にコーデリアに教育された子供たちが農園の新たな担い手となり、農園経営に非常に役に立っている。トニアとしてはボランティア、あるいは従業員家族への福利厚生のつもりでいたが、思いがけず先行投資になっていた。
「私塾はやめてしまうの?」
「オルソン令嬢にもお願いしたのだけど、私はいまの教え子たちを一緒に新しい教育施設に連れて行くつもりよ。そのうち、みんなそっちに通うようになるはず」
コーデリアは興奮を抑えられないと言った風情で、嬉しそうな笑顔を浮かべている。
「とうとうリアが望んでた教育施設ができあがるのね」
「まだまだこれからよ。まずはできることから小さく始めて、少しずつ対応領域を拡大していくつもりなのですって。なんでも侯爵は領で運営する公立校にするのはどうかとまで言ったらしいのだけど、サラお嬢様がいきなりは無理とお断りになったそうよ」
「それは残念ね」
「あらニア、それは違うわ。いきなり領が公立校を作ることになったら、下準備だけで何年もかかってしまうのよ。失敗すればグランチェスター家の面目も潰れてしまうでしょ?」
「確かにそうね」
「サラお嬢様はとても現実的な施策を打ち出しているのよ。商会が運営するから小回りが利いてすぐに始められるし、将来公立校を作ることになっても、私たちの教育施設を参考にできるでしょ?」
「なるほどねぇ。やっぱりあのお嬢様は、とんでもない方だわ」
トニアはしみじみと、シードルをあっさり作って去っていったサラの姿を思いだしていた。あれほど見た目と言動が一致しない人物は滅多にいない。
「あぁ私も早くサラお嬢様にお会いしたいわ。まだ8歳だと聞いたけど本当なのかしら? とても信じられないような事ばかり聞かされたわ」
「リアが信じられないのも無理はないわ。私もこの前お会いした時に驚いたもの」
「そういえば、ニアはお会いしているんだったわね。どんな方だった?」
「すごく美少女ね。美形ぞろいのグランチェスター家の中でも、彼女が一番でしょうね。オルソン令嬢が子供の頃よりも……ダメだわ参考にならない。どうしても少年のような姿しか思いだせないのよ」
「確かにそうねぇ」
再び二人はくすくすと笑い始めた。
「でも中身は……変な言い方をするけど、私たちと同世代くらいの感じがするわ」
「え、私たちはもう40代の半ばよ?」
「オルソン令嬢と同じように妖精の恵みを受けてるそうだから、外見と中身は一致しなくても不思議ではないのだけど、アーサー卿のお子さんってことを考えれば8歳で間違いないはずなのよね」
「それは、とても謎ね。神秘的と言うことなのかしら?」
「あ、いや…それもちょっと違うかも。平民としてお育ちだったせいか、とても庶民的な方よ。ただ、そのちょっと……」
「なぁに? ニアにしては歯切れが悪いわねぇ」
「なんというかね、うちの旦那と一緒にお酒飲んで笑ってても違和感ないような雰囲気というか」
「おじさんっぽいってこと?」
「そう、それよ!」
「美少女なのよね?」
「ええとびっきりの」
「なのに中年のおじさんっぽいわけ?」
「そうなのよ」
「ちょっと意味がわからないわ」
こうしてコーデリアは、さらに混迷を深めることになったのである。