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見えてきた数字

今期分の仕分けがひと段落したところで、いよいよ今期の帳簿付けである。

しかし、サラはとても気が重かった。これまでの仕分け作業で薄々気づいてはいたのだが、この世界には『複式帳簿』が無かったのである。


グランチェスター領は膨大な地領であり、取り扱い品目は幅広く取引先も多い。当然のことながら、固定資産、流動資産、純資産、負債、収益、売上原価、各種経費など管理しなければならない科目(しかもこれらは、さらに細かい科目で管理される)は膨大にある。にも関わらず、帳簿が単式なのだ。


『単式帳簿が悪いわけじゃないけど、情報量が少なすぎて経営状態がわかりづらい。これは専門家じゃないと無理って言われるわけだわ』


領民から納められる税は、現金だけでなく小麦などの収穫物、鉱石や魔石などの鉱物、木綿布や毛織物などの加工物とさまざまな形で納付される。この時に必要になるのが、納税義務のある領民の名簿、納税額を算出するための収支記録、そして納税したことを証明する記録だ。


このあたりの手続きは、それぞれの業種を管轄しているギルドが取りまとめるため、文官たちはギルドから記録を受け取り、納税された現金や農産物などの動産はギルドの倉庫に一時的に保管される。

これらの動産は、備蓄に回されるもの以外は商家に売却されて現金化されるが、その多くはギルドの倉庫から直接運び出される。


この世界に銀行のシステムはまだ存在していないが、商家との取引には手形を用いることが多い。領の文官たちは売買の記録と手形を受け取って処理するだけなので、実際に納税された動産を目にすることは稀である。どうやら、この中間層で先代の代官と会計官がやらかしたようだ。おそらくギルド側にも協力者がいたのだろう。


単式帳簿の問題点は、「用途」「収入」「支出」しかわからないことにある。


たとえば「〇年〇月〇日 ××商会に小麦売却 1,000ダル」と記載されていたとしても、それが手形なのか現金なのか、この帳簿だけでは理解できない。わかるのは、「いつ、何が、どこに、いくらで売れたのか」だけだ。


別の帳簿では手形の受け取りが記録されており、こちらを参照すれば「いつ、どの商会から、いくらの手形を受け取ったか」を確認することはできるが、現金取引だった場合には別の現金の帳簿を確認する必要がある。


こうした記録が管理科目ごとに作成されており、一覧性に乏しく、複雑怪奇な会計処理が行われているのである。この状態で過去の不正を明らかにするのは、それはそれは大変な作業となるだろう。


『あー、会計ソフトとは言わないけど、せめてエク〇ルが使えればなぁ…』


更紗時代、いかに楽をしていたのかを痛感しつつ、サラは山ほどある帳簿を並べて見比べることには1日でうんざりした。そして耐えられなくなり、せめて複式帳簿だけでも導入することにした。


その日は宿題もなかったので、寝る前に簡単な簿記のテキストを作成し、翌日からロバート、文官たち、そして執務室メイドたち向けに複式帳簿の付け方をレクチャーした。優秀な頭脳をもった文官たちは、すぐに複式帳簿のメリットを理解した。最初のうちはサラに使い方を聞きに来ていたが、3日程で使いこなせるようになった。メイドたちも文官の指示に従って業務をこなすうちに、自然と学習していったようである。


そして1週間後、複式帳簿をマスターした執務室のメンバーは、とてつもなく恐ろしいことに気付いてしまったのである。それはサラの爆弾発言からはじまった。


「えーっと、いまグランチェスター領が発行している手形の総額は……150,000ダラス!?ま、まって。手元にある手形は……やだ、80,000ダラスしかない」


この国の貨幣は1ダルが銅貨1枚で、物価のバランスが前世とはかなり違うのであまり正確とは言えないが、価値はおよそ1円だ。10,000ダルは1ダラス(金貨1枚)となる。つまり、現在グランチェスター領は15億円ほどの手形を発行しているということだ。


グランチェスター領が発行した手形は、商業ギルドを通じてグランチェスター領に支払いの請求がくる。手形は請求されてから3日以内に支払わなければ、ペナルティとして2年間は手形が発行できなくなってしまう。また、現金化できなかったことは商業ギルドを通じて国中に公表されるため、信用回復にはそれ以上の時間が必要になる。貴族家であれば、取り返しのつかないほどの不名誉だ。


サラの発言にジェームズも反応する。


「領の現金は50,000ダラスを少し超えたくらいしかありません。いま、一気に手形を現金化されたら、大惨事です」


手形の支払は、現金や手形以外にも、小麦や鉱石など動産でも可能である。ただし、足元を見られて売却レートを安く見積もられてしまうため、可能な限りは避けることが一般的である。


さらに、実際に備蓄倉庫に赴いて正確な備蓄量を把握してきたベンも参戦する。


「手形の支払を滞らせないためには、急いで現金か手形を用意しなければなりません。しかし、備蓄されている小麦、鉄鉱石、魔石、木綿布、毛織物の量は、通常時の半分を切っています。特に小麦が深刻で、飢饉が発生すれば冬を越すのは難しいかと」


横領で既に備蓄が少なくなっている現状では、売却すれば解決するかは甚だしく疑問である。そもそもどれだけ売却すれば足りるのかもわからない上に、売却すれば領民が飢えてしまうかもしれない危険があるのだ。また、国は領内の備蓄に対しては税金をかけていないのだが、備蓄されている動産を売却した際には、収入として納税の義務も発生する。


どう考えても、今のグランチェスターは債務過多に陥っている。ロバートは頭を抱えるしかなかった。


「なんということだ。ひとまず、父上に早馬を出そう。おそらくグランチェスター家の財宝をいくつか売却することになるだろう。いや、父上は不名誉だと突っぱねるかもしれない。いっそのこと手形の現金化を控えるよう商家に依頼するか」

「伯父様、それは絶対におやめください。領の財政が悪化したことを悟られて逆効果になるでしょう」


ここでサラは疑問を口にする。


「手形の現金化はすべて商業ギルドで行われるのでしょうか?」

「グランチェスター領の役所には現金化の窓口がないから、必然的に商業ギルド経由になるね」

「商家や個人の取引では、商業ギルドを使わないこともあるのですか?」

「商業ギルドを経由すると手数料がかかるからね。発行した相手に直接持ち込むこともあるよ」

「手数料ってどのくらいなんですか?」

「受取額の1割だね」

「はぁ?? それ、高すぎませんか?」

「まぁ商業ギルドにしてみれば、その手形を代わりに引き受けて発行者に請求するわけだから、回収できないリスクも込みってことかな」


『え、ちょっとまってよ。それって、1億円なら手数料だけで商業ギルドに1,000万円支払わなきゃいけないわけ? 要するに手形の買取ってことでしょ? 一律で1割とか暴利過ぎだわ。グランチェスター領が不渡りだすわけないじゃない!』


「さきほど受取額の1割とおっしゃいましたが、手形を相殺したりすることはあるのでしょうか?」

「お互いが相手の手形を持っていれば相殺することもあるね。大手商家との取引であれば、相殺して発行する手形の金額を変えることもあるよ」

「相殺して、実際に受け取る金額が下がれば、手数料も下がるのですか?」

「下がるけど、相殺する際の手数料は別途かかるかな。こっちは取引毎に一律で10ダラスだ」


『手数料高いっ!』


「なるほど理解できました。ひとまず、すべての手形が一気に現金化されると決まったわけではありません。危機的状況であることを悟られないよう、通常通りに振舞っておくしかないですね」

「そうだね」

「ところで伯父様。先ほど財宝を手放すというお話をされていらっしゃいましたが、私はグランチェスター家の財宝目録をこの執務室では確認しておりません」

「グランチェスター家の私有財産だからね。これは代々のグランチェスター当主が管理する決まりなんだ」

「そちらの財宝は前任者に横領されていないのですか?」

「それは大丈夫。宝物庫全体に魔法がかけられていて、当主自身か、当主の許可を得た代理人しか中には入れないんだ。ちなみに、不測の事態で当主がこの権利を行使できなくなってしまった場合には、王家が次の当主を指名して継承させることができる」

「なるほど。そういう仕組みなのですね。理解しました」

「まぁ、手紙を読んだら近々父上自身がやってきて、財宝をいくつか売る許可をもらえるんじゃないかな」


『何が入ってるのか皆目見当つかないけど、この場をしのぐためにも少しくらい売ってくれればいいなぁ』

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