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第一回教科書策定会議

「なんだか私、とんでもないことを聞かされている気がするのですが…」

「コーデリア先生、サラさんについては、皆さん一様に驚きますので気にしないでくださいませ」

「はぁ…」


どうやら『驚く』という感情は、慣れてしまうものらしい。皆、最初はサラの非常識さに衝撃を受けるのだが、気が付けば『そういうもの』とあっさり受け入れてしまっている。おそらくコーデリアもすぐに慣れるだろう。


「まぁサラさんの話は置いておくとして、教科書の話をすすめましょう」


かなりチートなはずの主人公だが、レベッカにあっさり置いておかれてしまった。まぁそれくらいレベッカが野望に燃えているとも言えるだろう。


「私の専門分野は経済ですので、比較的得意な計算の教科書から編纂してみました。元になった本は今でもアカデミーで使用される教本ですが、初心者にはやや不親切なので解説を入れていたら、量が多くなってしまって」


照れながらトマスが取り出した原稿は、膨大な量であった。


「家庭教師をされながら、この量をお一人で編纂されたのですか?」


原稿を眺めたコーデリアは驚きを隠せない。


「楽しいことには、つい没頭してしまうんですよ」


トマスが苦笑いしながら答えると、コーデリアは少しだけ厳しい顔になってトマスに注意した。


「トマス先生、ソフィアさんは私どもの集落で『睡眠不足はいい仕事の敵』って仰ってましたわ。質の良い教科書を作るなら、無理は禁物です」

「そうですか、ソフィアさんが…。確かに仰る通りですね」


頷いたトマスを見て、コーデリアは話をつづけた。


「この教科書は難易度に応じて分冊しましょう。初等教育では教えない部分が多すぎます。正直申し上げて、後半になると私にも理解できません」


トマスが作成した計算の教科書は、小学校1年レベルから中学卒業くらいまでの内容がギッチリ詰め込まれていた。実は元になった計算の本は、小学校高学年くらいからの内容から始まっていたのだが、トマスがスコットを教える際に使った自作テキストの内容を最初の方に組み込んだため、膨大なページ数の大作になっているのだ。


「そうですね。これを一冊にしたら、とんでもなく高価な教科書になってしまいそうです。ソフィアさんも分冊化には反対しないと思いますが、念のため連絡しておきますわね」


レベッカが分冊の意見を出すと、かなり初期教育分の原稿を手に取ったアリシアが意見を述べた。


「分冊するのであれば、最初の方は文字数を大きく減らして、数式だけでなく絵も描いたらどうでしょう? たとえばエルマを5つ買って、2つ食べたら残りはいくつかといった問題にして、実際にエルマの絵を描くなどすれば、数字に慣れていない子供でも分かりやすいと思います」


アリシアの意見にコーデリアも賛成する。


「私も教室では、実際に石を並べたりして教えることが多いのです。人は生活の中で驚くほど何回も計算しています。普段何気なくやっている計算を、数式に置き換えるという技術を習得するだけで、計算力が大きく伸びる子が多いんですよ」


だがアメリアが少々浮かない顔をした。


「ただ、絵を入れるとなると、印刷のコストも高くなってしまいます。絵はかなりの紙面を使いますので。分冊するにしても数が多くなりそうです」


かつてアレクサンダーが執筆した植物に関する書籍のイラストを担当した経験から、アメリアが答えた。


「図を入れるのは最初の方だけですし、後半の本はページ数を増やせば対応はできると思います。それでも4、5冊くらいにはなっちゃいそうですね。これってアカデミーで学習する範囲も含まれていますよね? その部分は別の本として出版された方が良いのではありませんか? まずは入学試験に合格できるレベルまでで良いと思います」


途中を飛ばして後半に目を通したアリシアが意見を述べると、トマスは愉快そうに目を細める。


「さすがアリスト師のご意見は違いますね」

「トマス先生、それはおやめください。とても恥ずかしいです」


コーデリアは驚いた顔をした。


「あら、アリスト師ってことは、アリシアさんはテオフラストスさんのお嬢さんですか?」

「は、はい。あれ、何故ご存じなのですか?」

「私の教え子の中にはアカデミーに入った子もいるのです。その子たちから男の子の振りをしてアカデミーに入学しようとした子がいると聞いたのです。しかもグランチェスターの女の子だと。私の教え子の女の子たちにとって、アリシアさんは憧れの的なんですよ」

「えええええっ!」


実はコーデリアの教え子には圧倒的に女の子が多い。というより、女の子でも通える私塾はコーデリアのところしかないのだ。おかげで遠方から時間をかけてでも通ってくる女の子も絶えない。また、女性たちの集落の中にあるため、ある程度成長した男子は通えないという事情もある。


「機会があればうちの私塾に来てお話ししてくださいませんか?」

「え、そんな私なんて」

「いやぁアリスト師は凄かったですよ。あの討論会は忘れられません」

「ふふっ。私の教え子も、そんな風に興奮してましたよ」

「大変お恥ずかしい…」


この後、アリシアに憧れて乙女の塔で働きたいと勉強を頑張る女の子が急増するのだが、アリシア本人は変わらずアカデミーでの出来事に触れると恥ずかしそうにするため、なかなか本人から具体的な話を聞くことはできなかった。


しかし、アリシアの話をすると執務メイドや商会で働く女性たちからウケると知ったアカデミー出身者たちが、アリシアの提出した論文の内容や討論会での出来事などを詳細に語ったため、逆に伝説のように祭り上げられていくことになる。


「アリシアさんのいう通り、アカデミーの教科書でカバーできる範囲は、そちらに任せてしまいましょう。資金は無限ではありませんので、まずは初等教育を中心とした教科書を編纂し、落ち着いてからより高度な内容の物を作る方が良さそうです」


レベッカが言い切ると、トマスがパラパラと原稿をめくり始めた。


「では、このあたりまでですね。ただ、半分近くは私がスコット君に書いたテキストの記述になってしまいますが」

「まぁ、それじゃトマス先生のオリジナルなのですね」

「スコット君に数学を教えるにあたって、最初は私がアカデミーに入る前に使っていた予備校のテキストを参考にした内容を書きました。ですが、なかなか理解していただけなかったので、とても簡単なところから説明していったのです。まさか他の方にも役に立つ日が来るとは思いませんでしたが」

「トマス先生、それだと僕が凄く頭が悪い子みたいじゃないですか!」


近くのテーブルで自習していたスコットが憤慨して答えた。ブレイズは腹を抱えて爆笑している。


「い、いえ決してそういうわけではないのです。それまで私は家庭教師をしたことがなく、スコット君は初めての生徒だったんです。ですから普通のお子さんがどのくらいのレベルなのかきちんと把握しておらず…」


トマスは普通の子供ではなかった。いわゆる神童と呼ばれるタイプの子供であり、アカデミーに入学したのも10歳であったことから、本気でスコットの知識レベルがわかっていなかったのだ。そもそも予備校にも半年しか通っておらず、彼からしてみれば『判り切ったことを教える場所』でしかなかった。


もちろんトマスの発言に隠された意味をコーデリアは正しく認識した。


「ではトマス先生にとっても、スコットさんやブレイズさんを教える経験は貴重ですわね」

「そうですね。人を教える側に立ったことで、より視野が広くなったように感じます」

「私は今でも教え子たちから教わることが多いです。そのように人は生涯に渡って学んでいく生き物なのでしょうね」


だが、コーデリアとトマスがしみじみとしている横で、アメリアはため息を隠せなかった。


「やはり皆様は私と違って、きちんと教育を受けた方ばかりなのですね。正直申し上げますと、私には原稿の半分も理解できてません。私の家は貧しく、子供の頃は薬草取りばかりしておりました。幸いにもアレクサンダー様からさまざまなことを教わりましたが、正式に学習したわけではないので、こうした基礎教育の教本を見ると自分には不足が多いことを思い知らされます」

「でも、アメリアさんは薬師としての経験と知識をお持ちですわ。それはこうした基礎教育よりも得難い知識ではないでしょうか?」


レベッカの発言にアメリアも頷く。


「はい。私は自分自身を卑下しているわけではありません。必要最低限の知識は身についておりますし、私を否定することはアレクサンダー様にも失礼にあたります。ですがトマス先生の授業を横で見る機会があると、ついつい覗いてしまうようになってしまいました。私も子供の頃にもっと勉強していたかったなって思うんです。実は読み書きもそれほど得意なわけではありませんので、トマス先生のようにスラスラとテキストを作ることもできないのです。本当は早く秘密の花園にある植物で図鑑を作りたいのですけど…」

「そうだったのですね。それなら是非とも私の授業を聴講してください。代わりに私や私の教え子たちに自然科学について教えてください。時間があればテキスト作成のお手伝いもいたしますよ」


トマスの提案にアメリアはにっこり微笑んだ。


「それはとても嬉しい提案ですね。よろしくお願いします」

「サラさんも羨ましがりそうね。狩猟大会が終わったら、きっと喜んで参加するでしょう」


だがレベッカの発言に対し、アメリアは困ったような表情を浮かべた。


「サラお嬢様もご一緒いただけたら、とても楽しそうです。ですがレベッカ様は、私と同じ喜びを多くの子供たちに与えるために教育機関を立ち上げられるのではないですか?」

「ええ、そのつもりよ」

「厚かましいお願いとは存じますが、どうか多くの貧しい子供たちにも、学習する機会を与えていただくことはできないでしょうか?」


するとコーデリアはアメリアの右手をそっと取って軽く握りしめた。


「アメリアさんも、私と同じことを仰るのね。実はソフィアさんから『簡単な読み書きを教える初等教育は無料』というご提案を頂いているの。それに『成績が優秀であれば、高等教育の授業料を免除する制度を設けてもいい』とまで仰られているわ。私は私塾の教え子をそのまま新しい教育施設に連れてくるつもりなの」


レベッカも嬉しそうな表情を浮かべる。


「ふふっ。それに昼食も無料で提供する予定よ。これはグランチェスター城の料理人見習いの育成も兼ねるつもり。うーん、教科書もなるべく配布できるようにしたほうが良さそうだけど、ソフィアさんと相談になるわね」


これを聞いたアメリアはコーデリアに握られている右手を持ち上げつつ、左手を合わせて逆にコーデリアの手を包み込むように握りしめた。


「それは…なんというか…言葉では言い表せないくらい嬉しいです。でも、ほんの少しだけその子たちが羨ましいのかもしれません。………いえ、やっぱり違いますね。私の師匠は素晴らしい方ですもの!」


レベッカ、トマス、コーデリアという『人を教える側』の三人は、アメリアの表情を見た瞬間、彼女をここまで導いた師であるアレクサンダーに見せてやりたいと思った。それほどにアメリアの表情は誇らしげで、美しかった。


「あらあら。アメリアさんの表情を見ていると、師と言うより、憧れの男性について語っているかのようね」


コーデリアが揶揄うと、アメリアは顔を真っ赤にした。


「そ、そんなことは!」

「あるわよねー」

「揶揄わないで下さい~」


アリシアもニヤニヤとした笑いを浮かべて、アメリアを指先でつんつんとつついた。どうやらすっかり仲良くなったらしい。


「ふふふ。微笑ましくて素敵だけど、あまり時間もないことですし、そろそろ今日の会議を纏めてしまいましょう。私もサラさんやソフィアさんに伝えることを纏めないと」


レベッカの発言に全員が顔を引き締めた。今回の会議ではコーデリアが書記を務めており、メモを見ながら確認していく。


「えっと、計算の本は4、5冊程度に分冊化するべきではないか、最初の方には図版を入れたら良いのではないか、そしてアカデミーで教える範囲は今回の教科書には入れずに別途書籍化するのが良いのではないかという3つの提案ね。商会の商品である以上、予算の都合もあるはずなので、ソフィアさんに相談しないで決めることはできないわね」


これにはレベッカも頷いた。


「こちらから連絡しておきます。その内容であれば承認されると思いますが、分冊する数や書籍化範囲についてはあちらからも意見があるかもしれません」

「では、私は引き続き読み書きの方の教科書を編纂いたします。既に半分ほどは終わっているので、あと3日くらいで初稿は出せると思います。そちらも皆様に相談させていただきたいのですが構いませんか?」

「「「「もちろんです(わ)」」」」


そして次の会合は3日後に行うことを約束して解散した。

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― 新着の感想 ―
[一言] 初等教育が行き渡ると、あれこれ領地的にも捗りますね♪
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