騎士の在り様
ソフィアのまま本邸に戻るわけにはいかないため、サラとレベッカはひとまずジェフリーの邸宅で落ち合う約束をしていた。
「サ…ソフィアおかえり」
「おかえり」
サラが玄関に着くや否や、スコットとブレイズが先を争うように飛び出してきた。ところがソフィアの姿を目にした途端、スコットは嬉しそうに駆け寄ってきたのに対し、ブレイズはピタリと足を止めて静かに歩み寄ってきた。
「ただいま。そういえば途中で猪にあったから仕留めてきたの。デュランダルに括りつけてきたわ」
「猪か、久しぶりだな。ソフィアは狩猟大会でも活躍しそうだ」
息子たちの後ろから歩いてきたジェフリーもサラに声を掛ける。
「ジェフリー卿、私は商会の仕事がありますから狩猟大会には参加しませんわ」
「あ、あぁそうだったな。残念なことだ」
『うっかりサラのつもりで話しかけたわね』
「ダニエルもご苦労様。ソフィアをここまで送ってくれるとは思ってなかったよ」
「団長にご紹介いただいたのですから当然です」
ジェフリーは自分が推薦したダニエルが、きっちり護衛任務を果たしていることに安堵したようだ。
「ジェフリー卿、ダニエルさんは素晴らしい護衛ですね」
「気に入ったなら、ソフィアが護衛として雇用してくれると嬉しいね。どうせこの後も単独で動き回りたいんだろう?」
商会の仕事を推進するのであれば、これからは単独で動く必要がある。さすがに貴族や富裕層の女性が護衛もなく単独で歩けば、不埒な輩に襲ってくれというようなものだ。
『そうよ。ここは日本みたいに女性が一人で歩いて良いような場所じゃないわ』
更紗時代でさえ、お金を持っていそうな女性が単独で歩くのは危険な国や地域はいくらでもあった。しかもソフィアの容姿は非常に目立つ。『身ぐるみを剥いだ後に売り飛ばそう』などと考える者は一人や二人ではきかないだろう。
そうした破落戸にソフィアが負けるとは思わないが、返り討ちにすれば逆に悪目立ちすることになる。他領の貴族や王室に目を付けられてしまう危険を冒す必要はないだろう。
しかし、ソフィアの姿ではグランチェスターの騎士を護衛にすることはできない。そんなことをすれば、ソフィアの背後にグランチェスター騎士団を動かせる人物がいることがモロバレである。薄々気づかれていることと、明確に示すことでは意味が違うのだ。
「ダニエルさんがお嫌でなければ是非お願いしたいですね。商業ギルドに行って、自分が目立つことを実感しました」
「「「いまさら?」」」
ジェフリーと息子たちは、一斉に突っ込んだ。見事にハモっている。
「ははは。私を信頼していただけて光栄です。精一杯務めさせていただきますが…」
「どうしたダニエル、歯切れが悪いな」
「いえ、その…ソフィア様に果たして護衛が必要なのかと。先程も私が剣を抜くより先に、猪を魔法であっさりと仕留めていらっしゃいましたので」
ダニエルの答えを聞いたジェフリーは、くるりとサラに振り向いた。
「おい、ソフィア。護衛のプライドを折ってくれるなよ」
「正面に立っていたものですから咄嗟に?」
ジェフリーは深いため息を吐いた。
「すまんなダニエル。コイツには護衛される側の心得を言い聞かせておくよ」
「いえ、私が不甲斐ないだけです。ソフィア様にはなんら問題はございません」
顔を赤らめたダニエルが慌ててフォローするが、おそらくお説教は確実だろうことにサラは気づいた。だが、ダニエルの様子を見ていたジェフリーはぼそりと呟く。
「ダニエル、お前もか…」
『なにそのカエサル的発言は!?』
「まぁいい。忠誠心の高い護衛騎士になるだろうからな」
「いえ、私は既に騎士団を退団しておりますので、護衛騎士ではありません」
すると次の瞬間、ジェフリーの雰囲気が大きく変化した。
「ダニエル。騎士というのは心の在り様だ。社会的な肩書として剣も使えぬ騎士爵がいるのと同じように、肩書などなくても立派な騎士は存在する。たとえお前が騎士団を辞めたとしても、お前が騎士の心を持ち続けるのであれば騎士である」
「はっ」
「私は単なる護衛をソフィアに付けるつもりはない。彼女に必要なのは彼女に忠誠を誓う騎士だ」
ジェフリーは壁に掛けられていた剣を鞘ごと取り、そのまま床にドンっと打ちつける。するとその場でダニエルはジェフリーの前に跪いた。
「決して忘れるな。騎士を騎士たらしめるものは、主君に対する忠誠であり、弱き者たちへの慈愛である。騎士の武勇は誰かを守るためのものであり、驕るためのものであってはならない。寛容の心を忘れず、常に公正であれ。そして礼節を重んじるのだ」
「承知いたしました」
『どうしよう、マジでジェフリー卿カッコイイ』
などと暢気にジェフリーを観察していたサラであったが、一度立ち上がったダニエルが自分に向かって再度跪くのを見て動揺した。
「ソフィア様、どうかお許しいただけるのであれば、私の忠誠をお受け取り下さい。私はあなた様を主君と仰ぎたく存じます」
ダニエルの宣言を聞いて、サラは救いを求めるようにジェフリーを振り向いたが、ジェフリーは表情一つ変えることなくその様子を見守っている。
「ダニエルさん、忠誠を誓われるということは、私のすべての秘密を守るということでもあります。どのように重い秘密であっても守れますか?」
「当然です。たとえソフィア様が反逆を企てたとしてもお供いたします」
サラは小さく笑った。
「そこまで重いつもりはないんですけどね」
「主従の誓いということであれば、この剣を使うといい」
傍らで見守っていたジェフリーが、手にしていた剣をサラに差し出した。サラは剣を抜いてダニエルの肩に当てる。
「其方の忠誠を受け入れる」
「私のすべてをあなた様に捧げます。たとえ天が堕ち地が裂けようとも、この誓い破らるることなし」
『誓いが重すぎるよぉぉぉ』
サラは剣を鞘に納めてジェフリーに返した。
「ダニエルさんお立ち下さい」
「どうかダニエルとお呼びください。既にあなたは私の主君ですので」
「ではダニエル命令です。立ちなさい」
すくっと立ち上がったダニエルを見て、サラは深いため息を吐いた。
「ジェフリー卿、なぜこのような誓いを強要するのですか!」
「それはダニエルに失礼だ。騎士の誓いは強要されてするものではないぞ」
「仰る通りです。ソフィア様」
「ですが!」
だが、ジェフリーが誘導したことは明らかである。
「いやオレもな、レディに対する忠誠の誓いくらいで済むかなと思ってたんだよ。まさか主従の誓いまでするとは思わなかった」
『なんじゃそりゃ!』
サラとしてトマスから忠誠の誓いを受けたことはあったが、これはレディに対して男性が忠誠を誓う行為であり、最上級の敬愛と思慕を示す。
だが主従の誓いは、騎士が自分の仕える主君に対する宣言である。生殺与奪の権を相手に与えるという意味を持ち、多くの騎士は一生に一度しかこの誓いをしない。というより二度目以降の誓いは過去の誓いを否定する行為であり、騎士の恥となる。
「だがなぁ。ダニエルがお前に対して思慕を隠さないからさぁ。これはもう、誓いをさせるしかないっておもうだろ?」
「なんでそうなるんですか!?」
「単なるお仕事で護衛する以上の感情を持った相手だよ? 立ち位置はハッキリさせないとヤバいのはソフィアだろう?」
「それだと、ダニエルさんが私のこと好きみたいじゃないですか」
「ソフィア…お前そりゃ逆にヒドイぞ」
ダニエルを振り向くと、彼は顔を真っ赤にして俯いていた。
『えーーーーーーーーっ!』
「さて。お前を主君と仰ぐ優秀な騎士が誕生したわけだが、どこまで秘密を共有するんだい?」
ニヤニヤとジェフリーが笑ってサラを見つめた。
『くぅぅ。これがわかっててジェフリー卿はダニエルに誓いをさせたのね』
「ここまでお膳立てされれば秘密を共有することに否やはございません」
「だとよ、レヴィ」
ジェフリーはサラの背後に向かって話しかけた。サラが振り向くとレベッカが驚いた顔をして立っていた。
「到着した途端、忠誠の誓いを目撃することになるとは思わなかったわ」
「さすがにオレもダニエルがここまでするとは予想してなかったよ」
指摘されたダニエルは、ますます顔を赤らめている。
「でも、ソフィアさんが秘密を打ち明けると決めたのであれば、私も反対はしないわ。おそらく早い方が良いでしょう」
「じゃぁ場所を移すか。さすがに玄関ホールでやるようなことじゃないだろ」
だが、ジェフリーの息子たちは目のまえで行われた騎士の誓いを不満に思っていた。
「父上、なぜ今日初めてソフィアに会ったダニエルさんに、このようなことをさせたのですか! ソフィアの為人すらわかっていない相手ですよ!」
スコットが憤りを隠せずに吠えた。
「オレも父上が何を考えているのかわかりません。ソフィアは護衛が必要なほど弱くないはずです」
ブレイズもスコットに同調する。
ジェフリーは立ち止まって息子たちを怒鳴りつけた。
「黙れこの愚か者ども! この邸において騎士の誇りを傷つけるような発言は絶対に許さん。どうせお前たちはソフィアの傍に他の男が寄り添うことが気に入らぬだけだろう。力無き者どもの戯言など耳汚しだ。恥を知れ」
それは空気をビリビリと震わせるほどの怒声であった。
『うん、やっぱりジェフリー卿が一番カッコイイ…』
今日はサラの中でジェフリーの株が爆上がりである。そろそろストップ高だ。
「これ以上くだらぬことを言い募るのであれば、お前たちは部屋に戻れ!」
スコットとブレイズは不満を燻らせつつも、騎士の誇りを傷つけるのは本意ではなかったため、ダニエルにきちんと謝罪した。ダニエルはこの二人が自分の主君に好意を持っていることに気付き、謝罪を受け入れた。
その後、全員で応接室に移動した。そう、サラがソフィアに変身した応接室である。ジェフリーは気を利かせて先に人払いを済ませていた。
「ダニエル、そこに座って少し待ってていただけますか?」
サラは衝立の後ろに隠れ、ミケを呼び出してソフィアから本来の姿に戻ると、そのままぴょんっと衝立の後ろから飛び出した。
「お、今度はエスコートしなくて良かったみたいだな」
「慣れましたから。ダニエル、これが私の本来の姿よ」
見ればダニエルは完全に固まっていた。
『あー、これは処理落ちしてるな』
「うーん。以前の自分を見るようだな」
「僕たちも驚いたしね」
「うんうん」
ジェフリー親子は暢気にダニエルの様子を見守っていたが、レベッカは少しばかり厳しい視線を向けていた。
「ダニエルさん、彼女はソフィアに姿を替えますが、私の娘となるサラ・グランチェスターです。驚くのはわかりますが、いつまで固まっているおつもりですか? それとも彼女が幼ければ、あなたの忠誠心は消え去り、誓いは無効となるのですか!?」
レベッカの指摘にダニエルが我を取り戻した。
「いえ。決してそんなことはございません。ソフィア様、いえサラお嬢様がどのようなお姿であっても私の忠誠心は変わりません」
ダニエルは立ち上がり、サラの前に跪いて右手を差し出した。サラはダニエルの手に自分の手を乗せてにっこり微笑んだ。
「黙っていてごめんなさい。この能力を他に知られるわけにはいかなかったの」
「いいえ。サラお嬢様。これほどの能力を隠すのは当然です。お嬢様がどのような姿であろうとも、変わらず忠誠を誓います」
「ありがとうダニエル」
こうして無骨で強面なサラの護衛騎士が誕生した。後に『文のトマスと武のダニエル』と並び称されるサラの二人目の側近である。