商業ギルド
打合せを終えてシンディの家を辞したサラとレベッカは、それぞれの愛馬に騎乗して領都の中心部へと向かった。
「お母様、グランチェスター領に来てから、領都の中心街には初めてきました」
「ソフィアさん、誰が聞いているかわかりません。その姿の時は私をレベッカって呼んでもらえるかしら。だけどオルソン令嬢じゃ他人行儀過ぎて私がイヤよ」
「ふふっ。ではレベッカ様とお呼びしますね」
領都の中心街はグランチェスター城の城下町ではあるものの、実際には城の城壁から4キロ程離れた場所にある。しかも、城と中心街を繋ぐ街道の両脇は意図的に森が配置されており、夜になれば周囲は真っ暗になる。
この森はグランチェスター家から許可を得た者しか立ち入ることが許されていない。理由は非常に単純で、この森には外敵を防ぐための罠があちらこちらに仕掛けられているのだ。つまり安全対策である。
こうした事情もあって、グランチェスター城で働く使用人の子供たちは、親から領都に一人で出掛けることを禁止されていることが多い。もちろん過保護なロバートはサラが馬に乗れることを知っても許可は出さず、侯爵も護衛なしで出掛けることには難色を示した。
『うーん。商会のことを考えると、自由に動けないのは不便だな』
などと考えているうちに、サラは侯爵が用意した商会の本店に到着した。それは大商会と言っても差し支えない程の広さを持った建物であった。頑健な石造りの建物でありつつも、漆喰で優美に装飾されている。
そして建物には看板が掲げられており、『ソフィア商会』と書かれていた。
『商会の名前がやっとわかったよ。まぁ設立者の名前を付けるのは普通か』
建物の中に入ると、既に内装は終わっていた。一階部分は店舗になっているがショーウィンドウのようなものはなく、カウンターや打合せスペースや休憩スペース以外の部分はガランとしている。
「どんな商品を並べるかわからないから、敢えて広いスペースをそのままにしてあるようですね」
「そのようね。でも訪れたお客様はゆったりと座って商品を見られるように工夫されているみたい」
『なるほど。この雰囲気だと一見の客は入りづらいようなハードルの高い店って感じね。貴族や富裕層が中心になりそう』
二階に上がるといくつかの空き部屋があり、一番奥にある大きな部屋が執務室となっていた。既に机や椅子、書棚や金庫といった必要な什器は運び込まれていた。
「もう少しこぢんまりした雰囲気を想像していたのですが、予想以上に大きくて立派で焦りますね」
「それくらい侯爵閣下がソフィアさんに期待しているのでしょうね」
「それにしても掃除が行き届いてますね。まだ誰も働いていないのに」
「建物を管理する使用人は既に雇用されているそうよ」
「すでに給与の支払いが発生しているのですか。それは色々急がねばなりませんね」
まだ人がいないので空虚な雰囲気ではあるが、どの部屋も内装は終えている。人々が働き始めれば活気も出るだろう。
「素敵な建物ですし、店舗もしっかりしていますね。本店としてはこれで良いのでしょうけど、アメリアさんの開発する商品を販売する店舗は別にした方が良さそうです。庶民でもちょっと頑張れば手が届くような感じにしたいので」
「どちらかと言えば女性向きの可愛いらしい店舗ってことかしら?」
「そうですね。そういうイメージだと思います」
実際に本店の建物を見て商会運営の実感が湧いてきたサラは、次々と浮かんでくるアイデアを細かくメモしていった。
一通り店内を見て回ったサラとレベッカは、ここで一旦別行動することとなった。商業ギルドへの加入を申請するため、サラはギルド本部に行かねばならないのだ。
事前に連絡してあったため、建物の敷地内にある車寄せにはロバートが手配した馬車と御者、ジェフリーが手配した護衛の男性が待機していた。護衛は元グランチェスター騎士団に所属していたが、怪我で退団を余儀なくされたため、個人の護衛を請け負う仕事に就いたのだという。
レベッカはサラと別行動することに不安を覚えたが、レベッカの顔は知られ過ぎているため付き添ってもらうのはかなり厳しい。
「私がグランチェスターの関係者であることは気付かれてる可能性が高いとは思いますが、レベッカ様と一緒に行けばソフィア商会がグランチェスターの商会という印象が強く残ってしまいます。近い関係ではあっても、グランチェスター家とは別の組織でなければならないのです」
「ソフィアさんはアデリアによく似ているから、そちらから気付かれるかもしれないわね」
「そんなに母と似ていますか?」
「よく似てるけど、アデリアはもう少し柔らかい雰囲気だったわ。アーサーにも少し似てるから、アデリアよりもソフィアさんの方が凛々しい感じね。服装のせいかもしれないけど」
確かに今のサラは男装の令嬢スタイルである。
「じゃぁドレスに着替えて行こうかしら。その方がギルド関係者も油断しそう」
「ソフィアさんでも、そんなことを考えるのね。女性の武器は否定するタイプかと思ってたわ」
「私は使える武器はすべて使うタイプです。相手を舐めてかかって痛い思いをする人を見るのは嫌いではないので」
「ちょっとだけソフィアさんが怖くなったわ」
サラは空き部屋でドレスに着替えた。もちろん魔法を使った着替えである。部屋を出るとレベッカはバッグから化粧品を取り出していた。サラの化粧をササッと直し、先程よりも柔らかい雰囲気に仕上げた。
「改めて見ると、ソフィアさんは本当に綺麗よね。やっぱり一人で行かせるのは不安だわ」
「お褒め頂きありがとうございます。ですが私に襲い掛かっても、返り討ちに遭うと思うのですけど」
「だから心配なのよ。やり過ぎないように注意してね」
「商業ギルドに行ったらすぐに戻りますから大丈夫です」
サラは馬車に乗り込み、心配そうな表情のレベッカに手を振ってから商業ギルドへと向かった。
商業ギルドは商会の本店から徒歩で10分くらいの距離なのだが、『商会長が徒歩や馬で訪問するのは威厳がない』という侯爵の一言で馬車に揺られることになった。だが、実際に侯爵が心配したのは、サラの威厳ではなく目立つ容姿であった。
商業ギルドは、煉瓦造りの威風堂々とした建物の中にあった。護衛にエスコートされて馬車を降り、商業ギルドの受付へと向かう。
受付窓口の職員は、サラに名前と用件を確認した。
「ソフィア商会のソフィアと申します。本日は商業ギルドへの加入申請に参りました」
「承知しました。ただいま係の者が参りますので、お掛けになってお待ちください」
言われた通りサラは近くのソファに腰かけたが、商業ギルドの受付という人が大勢いる場所で、堂々とした体躯の護衛を連れたサラはとんでもなく目立った。人々の視線を感じたサラは、レベッカに教えられた通りに優雅な微笑みを浮かべたが、そのせいで事態はより悪化した。
『どうしよう。なんか凄い目立ってる』
どうしようもない。係の職員が迎えに来るまでの数分間で、サラに胸を撃ち抜かれた被害者が両手で数えきれないほど出来上がっていた。侯爵の懸念は正しかったようだ。
職員に案内された応接室には、恰幅の良い中年男性と部下と思われる男性の2名が待っていた。
「ようこそ商業ギルドへ。私がギルド長のコジモです」
「お初にお目にかかります。ソフィア商会のソフィアと申します」
「ようやくお会いできましたな。なんとも麗しい商会長ですな」
コジモは柔らかな微笑みを浮かべてはいるが、視線は明らかにサラを値踏みしている。それは部下の二人も同様であった。
「こちらから商業ギルドへの加入は申請しておりましたが、差し戻しになったと伺いました」
「そうですな。実際に商会長にお会いして、どのような商会なのか確認しなければと思った次第です」
しかし、実際には商業ギルドのギルド長による面接の必要はなく、手数料さえ払えばギルドへの加入申請はあっさり通る。
「実際にこうしてお伺いしたことですし、許可していただけませんでしょうか?」
サラはにこりと微笑みながらコジモに訴えた。
「ところで、どういった商いをされる予定でいらっしゃるのですか?」
部下の一人がサラに問いかけた。
「商品は多岐に渡る予定ですが、今のところはハーブティやエルマ酒などを予定しております。それとポプリを詰めたサシェなどでしょうか」
「それは何とも女性らしく可愛らしい商売ですな」
問いかけた男性はやや小馬鹿にしたような笑いを浮かべた。
「まだまだこれからなのです。あぁ、でもサシェを内職してくださる女性の方々は見つけましたわ。ところで取り扱い品目について届出が必要なのでしょうか?」
「いえ塩などの専売品を取り扱うのでなければ、届出は必要ありません」
実はこの答えはサラも知っていた。にもかかわらず、職員たちはこちらが何を売るのか探りをいれてきたのである。
『面倒だなぁ。ここは適当なところで切り上げるか』
「ところでソフィアさんはグランチェスター領のご出身なのでしょうか?」
「いいえ。私は王都から参りました」
王都からグランチェスター領に来たのは事実である。実際には半年しか王都には住んでいなかったが。
「どうしてグランチェスター領にいらしたのですか?」
「知り合いを頼ってこちらに参りましたの。それに、グランチェスターのエルマ酒にも興味がありまして」
「なるほど。確かにエルマ酒は美味いですからな。女性にも人気の酒です」
「本当に素晴らしいですよね」
サラはにっこりと微笑んだ。
「それにしても、このように麗しい方がわざわざ王都から移り住まれる程に頼られるとは、よほどお知り合いの方とは深いご関係のようですね」
「どうでしょう。私は末永くそうありたいと願っておりますが、先方のお気持ちを計り知ることはできません。ですが困っていた私を助けてくださり、こちらに移り住む手助けをしてもらった御恩のある方でございます」
コジモとその部下は、もっと深く聞きたそうにはしていたが、領主一族が関わっている可能性が高いことには気付いていたため、踏み込んだ質問はしにくいようである。
取り扱う予定の商品については、他の商家や商会を圧倒するようなものとは思えない。むしろ、この程度の商売のために、わざわざ領主一族の息がかかった人物が登記の手続きをしたことが不審なくらいだ。
だが、領主一族の愛人や庶子が絡んでいるのであればそういうこともあるだろうと、コジモたちは考えた。こうした短絡的な発想に至るには、サラの見た目年齢や容姿が大きく影響したことは間違いないだろう。商売人として長年の経験をもってしても、人は自分の尺度でしか物を計ることはできないという良い例である。
こうしてソフィア商会は無事に商業ギルドへの加入を果たすことになったのである。