エルマブランデー用のボトル
エルマ酒の瓶のデザインの打合せが終わったところで、シンディの父であるマットが入ってきた。マットは大きな籠を抱えており、中にはさまざまな形の飾り瓶が入っていた。
「飾り瓶も要り用と伺ったので、過去に作ったものをいくつか持ってきました」
マットは籠から次々と綺麗な瓶を取り出し、テーブルの上に並べ始めた。大小さまざま、色とりどりの瓶は見ているだけでも飽きない程に美しい。
「素晴らしいですね。ところでこれを一つ作るのにどれくらいの時間が必要になるのでしょうか?」
「大きさや細工の細かさにもよりますが、1日に1つか2つが限度でしょうな」
狩猟大会までひと月を切っている今の状況では、参加している貴族家全部の飾り瓶は間に合いそうにない。狩猟大会には4つの公爵家を筆頭に、50以上の貴族家が参加する。しかも、直系だけでなく傍系の一族も一緒に訪れるため、配らなければならないエルマブランデーのボトルは100本を下回ることは無いだろう。
「ガラス工房がどれくらいあるか存じませんが、おそらく飾り瓶を必要な個数集めるのは難しそうですわ」
サラは絶望的な声をあげた。
するとシンディが立ち上がり、部屋の隅に置かれていた籠を持ってきた。中にはリボンや端切れ布、手作りのレースなどが収められていた。おそらく誰かの手作業の残りだろう。
「こういったリボンやレース、あるいはドライフラワーなどで瓶を飾ってはいかがでしょう? ちょっとしたお土産であれば、面白いと思うのですが」
シンディはシンプルなデザインの小瓶を手に取り、リボンやレースで飾り立てる。
「あ、確かに面白いですね」
『そうかシンプルなボトルを飾り立てれば、かなり華やかな雰囲気になる』
「だが女性的すぎないだろうか。酒精の強い酒と聞いているのだが」
マットがリボンで飾られたボトルを見て感想を述べた。
「そういえば、サラさんが私にくれたエルマブランデーのボトルには、彫刻が施されていたわ」
「「え?」」
これにはシンディとマットが同時に驚いた。
「サラお嬢様はどちらの工房に依頼されたんでしょう。ガラスへのエッチングは劇薬を使用するため、できる工房は限られているはずなのです。グランチェスター領にエッチングできる工房はないと思っていたのですが…」
『そうだよね。サンドブラストなんて知ってるわけなかった』
「いえ、ガラスの表面に手彫りしているだけなので、薬品で腐食させているわけではありません。しかも急ぎで加工する必要があったため、あれはサラお嬢様自身が魔法で彫られたのです」
「なんと! その瓶を拝見することはできますでしょうか?」
マットが食い気味でサラに詰め寄った。
「えっと…ロバート卿とオルソン令嬢の婚約記念に贈られたものですので、違うものでしたらご用意可能かと」
さすがに目の前でサンドブラストを見せるわけにもいかないので、後から送ることにした。
「いずれにしても、エルマブランデー用にもシンプルなボトルが必要そうですね。まだ希少なお酒ですから小さめのボトルにしてもらって、あとは装飾の方法を検討することにしましょう」
「デザインについては、ガラスへの彫刻のサンプルを見てから決めても構いませんか? 何かアイデアが生まれるかもしれません」
『え、なんかちょっとプレッシャー感じてきた。そんな凄い加工できないよ!』
「では明日までにこちらに届けさせるよう手配いたします」
そしてサラは再びテーブルの上に並べられたガラス瓶に目を遣った。
「ですが、やはり王家への献上品は美しい飾り瓶にしたいと思います。このように美しい瓶に琥珀色のエルマブランデーを満たしたいですわ」
レベッカも同意するように横で頷いたが、製作者であるマットは大慌てである。
「王室への献上品とは伺っておりません! 本当にうちの工房に注文なさるおつもりなのですか?」
「はい。そのつもりです。最終的には100本程欲しいですが、ひとまず狩猟大会までに間に合う分だけでも大丈夫です。他の工房を紹介してくださっても良いですよ?」
サラはにっこりと笑ってマットの動揺を受け流した。
「さすがにそれだけの量となると、他の工房に声を掛けざるを得ないでしょうな」
「実は近いうちに飾り瓶のコンテストを開催する予定なのです。もうじき領主からの命がすべてのガラス工房に届くはずです。1位になった職人には、賞金や称号を与える予定です」
「領主の命でコンテストですか!?」
「ガラス工芸をグランチェスター領に根付かせたいというのが領主の意向なので、可能であれば毎年開催したいそうです」
「はぁ、そうですか…」
マットは驚き過ぎて、口をぽかんと開けたままになった。
『ごめんなさい。祖父様の意向ではなく私の意向です』
「それにしても、シンディさんの花瓶も綺麗だと思いましたが、こちらにある品々はそれ以上に美しいですね」
「私がサラお嬢様に贈った花瓶をご覧になったのですか?」
『しまった、今はソフィアだった!』
「拝見しました。青と緑が混ざり合った色合いがとても美しい作品でした」
「お褒め頂きありがとうございます。でも、まだまだ父や祖父の域には達しておらず、未熟な作品です。実はジェームズに託すときも、贈り物であることは言わないようにしてもらったんです。たとえ聞かれても、婚約者がガラス職人とは言わないようにと」
言われてみれば、ジェームズは魔法発現の祝いに花束は渡したが、花瓶はマリアに預けていた。マリアが教えなければ、サラは贈り物であることにすら気付かなかっただろう。
「経験年数が違うのですから、今のシンディさんがお父様に及ばないのは致し方ないのではありませんか? 隠すようなことではないと思いますが」
するとシンディは苦笑し、マットは困ったような表情を浮かべた。
「実は職人を続けていくべきなのか悩んでいるのです。今やジェームズは領の文官としてトップに近い地位におります。そんな文官の妻となる私が、いつまでも職人のままでいいのかと…」
今は文官のトップである代官にロバートが就任しているため、会計官であるジェームズと補佐官であるベンジャミンは文官のツートップである。
「ですがジェームズさんは、シンディさんが職人であり続けることを願っていらっしゃるのではないのですか? シンディさんのお父様には、結婚してもシンディさんには職人を続けてもらうことをお約束したと伺いましたが」
「はい。父も私もそのつもりでおりました。ですが婚約して早々にジェームズは会計官になり、家に戻ってくるのも難しい程の激務に追われるようになりました。社会的な地位も高く、仕事も忙しい夫を放り出してしまう妻で良いのかと…」
シンディは俯き加減で冷めたお茶を一口飲んだ。その様子を見たサラは、シンディの隣に座ったマットに質問する。
「マットさんはどう思われますか?」
いきなり話を振られたマットは、訥々と語り始めた。
「私はジェームズとシンディの結婚には反対でした。シンディは弟子の誰かと結婚させて、この工房を継いでもらおうと思っていたんです」
マットは目の前に並べた瓶の一つを手に取った。
「これはシンディが作った瓶です。繊細で美しい仕上がりです。私や父ではこのようなデザインは思いつかないでしょう。もしかすると女性のシンディだからこそ作れた作品なのかもしれません。私はこの才能を捨てて文官の妻として生きて行くことは、シンディのためにはならないと考えたのです」
コトリとマットは手に取っていた瓶をテーブルの上に戻した。
「ジェームズは昔から頭のいい子供でした。だからと言ってそれを鼻にかけたりもせず、周りの子供たちに進んで勉強を教えるような子でした。アカデミーを卒業して領の文官になったときは、みんなで盛大に祝ったものです」
『そっかジェームズさんはコーデリアさんの教え子だもんね。この辺の人たちはみんな知ってるはずだわ』
「そんなジェームズがシンディと結婚したいと言い出しました。親としては反対しますよね。文官の嫁ともなれば、貴族とも付き合わなきゃいけないような立場になるんです。ずっと職人として生きてきたシンディに務まるわけがないと思ったんですよ。なのに、ジェームズは職人としてのシンディを愛してるなどと言いだしましてね。シンディと結婚できないなら一生独身でいるとまで言う始末で。毎日のように訪ねてきて熱心に頼み込むもんだから、さすがに私も根負けしました。いやぁアレには本当に参りました」
マットは困ったような顔のまま、それでも少し嬉しそうな曖昧な微笑みを浮かべる。
「ですが、まさか文官の頂点に近いところまで出世するとはまったく思っていませんでした。それまで領の文官で出世するのは領主一族の傍系親族か、下級貴族の令息ばかりでしたので、平民のジェームズがそこまで出世するとは想像もしていなかったんです」
『ん? グランチェスター領でも実力主義じゃなかったってこと? これは祖父様とお父様に確認しないと』
突然レベッカが横から口を挟んだ。
「つまり、ジェームズさんが予想外に出世してしまったから、シンディさんに職人の道を諦めさせるべきだと仰るのですか? 彼が会計官になってから、一度でもシンディさんに職人を辞めて欲しいと申し出ましたか?」
「いえジェームズは一度もそんなことは言っていません」
シンディが慌てて答えた。
「でしたらジェームズさんの能力を信じて差し上げるべきでしょう。一度きちんとお話合いをすべきだと思いますよ? シンディさんが職人を辞めることを、おそらくジェームズさんは喜ばない気がいたしますわ」
『ううむ。さすがに結婚を控えた女性は言うことが違う。っていうかジェームズさんとシンディさんを不幸にしたくないってことだよね』
「シンディさん。私は才能あるガラス職人を失いたくありません。どうかガラス職人を続けていただけませんか?」
『うん。貴重なガラス職人を失ったら損失大きすぎるよ!』
いいことを言っているはずなのだが、サラの腹は微妙に黒かった…。