やっぱり職人ギルドは必要らしい
女性たちの集落を後にしたサラとレベッカは、近くにあるシンディのガラス工房へと足を向けた。”シンディの”とは呼んでいるが、工房の主は彼女の父親であるマットで、工房の名前は祖父の名前をそのまま使い『ティム工房』と言うらしい。
「ごめんください」
サラが熱気に満ちた工房で声を張り上げると、シンディによく似た男性が振り向いた。おそらく彼がマットだろう。どうやらガラスを吹いている最中だったらしく、マットはジェスチャーで少し待つようサラとレベッカに合図した。
しばらく待っていると、マットがサラたちの元まで歩み寄った。
「貴族のお嬢様がこんなところまでどうなさった?」
「シンディさんにお会いできないかと。私はソフィアと申します。残念ながら、私は貴族ではございません。ですが、こちらはオルソン子爵家のレベッカ嬢です」
「レベッカ・オルソンと申します」
「はっ! いや、これはご丁寧にどうも」
あまり大袈裟にならないよう、軽い会釈だけで挨拶したサラとレベッカであったが、それすら職人であるマットには衝撃を与えてしまったらしい。
「シンディさんから何か聞いていらっしゃいませんか? 私は瓶を大量に発注したのですが」
「もしや、急ぎで分厚いボトルを100本発注された方ですか?」
「仰る通りです。急な依頼で申し訳ございません」
そのとき、シンディが慌てて駆け寄ってきた。どうやら彼女は外出していたらしい。
「遅れてすみません」
「急に来たのはこちらですもの、気にしないでいいわ」
レベッカはシンディに微笑みかけた。
「初めましてシンディさん。私はソフィアと申します」
「は、初めましてシンディと申します。エルマブランデーを販売する商会の会長さんでいらっしゃいますよね?」
「ええ。その通りよ。まだ登記したばかりの赤子のような商会ですけれども」
「それにしても、驚くほどサラお嬢様に似ていらっしゃいますね」
「よく言われるわ」
指摘されることは事前に予想できていたため、サラは慌てることなく頷いた。
「実は今朝から知り合いのガラス工房をいくつか回ってきたんです」
「飾り瓶の発注を伝えるためかしら?」
「それもありますが……珪砂を勝手に持ち去ると罪に問われることを伝える方を優先したかもしれません」
「ガラス工房にとっては死活問題ですもの仕方ありませんわ」
『ふふっ。シンディさんはいい仕事するわね。珪砂をタダで採取できなくなれば、必然的にガラス製品の値段を上げざるを得ない。さて、ガラス工房を抱えている商家はどう動くかしら』
商家がガラス製品の買い取り価格を据え置いた場合、ガラス工房の被る損失は決して少なくない。商家との取引を考え直す可能性もある。そのときサラの商会がガラス製品を大量に発注したがっているという情報を流したらどうなるだろうか。
しかも、エルマブランデーやエルマ酒の瓶の代金は侯爵の私財から支払われるので、資金が不足する心配もない。
もちろん技術力の高い工房ばかりではないだろう。しかし、高い技術力を持っていることだけが全てではない。全ての工房に飾り瓶を作って欲しいわけではないのだ。規格品を作る最低限の技術があれば、シンプルな酒瓶は作れるはずだ。
「それでなのですが…」
シンディが申し訳なさそうな声を出した。
「どうかされました?」
「その、私だけでは説得力に欠けると言われまして…」
「あぁなるほど」
確かにいきなり工房主でもない職人がやってきて、『珪砂を持ち去ると罪に問われる』だの『大量にガラス製品を発注したい商会がある』だの言われたところで、あっさりと頷いてもらえるわけもないのだ。
しかし最初の通達としては悪い方法ではない。それが真実であるということを、周知すれば良いだけだ。
「ではグランチェスター城で、ガラス職人の会合を開くことにしましょう。必要であれば取引している商家や商会の関係者も参加していただいて構いません」
「え、お城で会議ですか?」
「文官が参加すれば説得力がありますから」
「それはそうかもしれませんが…」
『わかるよ。職人さんたちが全員ビビっちゃうってことだよね? でも、それが狙いだから!』
サラは会合のついでに、自分の商会から複数のガラス工房に正式に発注するつもりでいた。『領の文官を動かす力を持った商会』として強く印象を残しつつ、大量発注で資金力を見せつける気満々である。
本来、グランチェスター領の権威と侯爵の私財は、サラの商会の力ではない。たまたま文官が珪砂の情報を職人に伝える必要があり、たまたま侯爵が盗み飲みのペナルティを支払う羽目に陥っているに過ぎない。
しかし、こうしたタイミングを利用することをサラは一切躊躇わない。多くのガラス職人、商業ギルドに加入する商家や商会に対し、サラは自分の商会の力を示さなければならないのだ。
おそらく工房からは前払い金を要求されるだろう。そして支払に使った手形は、すぐに商会に持ち込まれて現金化せざるを得なくなることも予想していた。もちろん、サラは商会の金庫に大量の現金を用意して、こうしたお客様を出迎えるつもりでいる。
それくらい強いインパクトを与えなければ、しばらくは独占販売となるエルマブランデーやエルマ酒、そして乙女の塔から生み出される多くの商品をスムーズに販売できないとサラは考えた。
『商業ギルドの登記ひとつとってもスムーズにできなかった以上、おそらく他の商家や商会との摩擦は避けられない。新しい商品ばかりだから市場競争にはならないはずだけど、ウチの真似をしようとするところはいくらでも出てくるでしょうね。あれ? そういえば登記してもらった商会の名前を聞き損ねた。後で祖父様に聞かないと!』
商会の立ち回りについて腹黒いことを考える割に、基本的なことを聞き忘れていたらしい。
「シンディさん、声を掛けなければならないガラス工房のリストを作成していただくことは可能でしょうか? 可能であれば工房と専属契約を締結している商家や商会の名前もあると大変助かるのですか」
「大丈夫ですよ。明日までに作成しておきます」
「ではグランチェスター領の執務室にいるカストルさん宛に送ってくださいませ」
「承知しました」
ここでシンディは重大なことに気が付いた。それは貴族とその関係者と思われる重要人物たちと、工房の入り口付近で”立ち話”していたという事実である。
「すみません、こんなところで長々と立ち話をさせてしまって! 綺麗なところではありませんが、どうか中にお入りください」
シンディは工房の隣にある二階建ての建物にサラとレベッカを案内した。どうやらこちらが住居部分のようだ。頑健な雰囲気の工房とは異なり、こちらは柔らかい色合いの布を多く使った可愛らしい雰囲気を漂わせていた。
「高貴な方をお招きできるようなところではございませんが、どうぞお掛けください」
サラとレベッカが腰を下ろすと、奥から中年の女性が顔を出し、軽く会釈してからテーブルにお茶を置いていった。顔立ちからすると、おそらくシンディの母親だろう。
「ソフィア様、製作する瓶のサンプルをいくつか見ていただけますか?」
シンディは部屋を後にすると、4本の瓶を持って戻ってきた。そこには、更紗時代のワインボトルとほぼ同じ形状のガラス瓶が並んでいる。
『この色やデザインも前世持ちの人が広めたのかなぁ?』
そんな風にサラが思ってしまうほど、普通にワインボトルであった。
「この中に、サラお嬢様が仰っていた形状の瓶はありますでしょうか?」
「この形が良さそうですが、もう少し底の窪みを高くし、ガラスの厚みも増やしていただきたいです」
「大きさや色は大丈夫でしょうか?」
「はい。問題ありません」
サラはなで肩で緑色のボトルを指さした。
「ではこんな感じでいかがでしょうか?」
シンディはテーブルの上で器用に木炭のような筆記用具でボトルの絵を描いた。断面図を描いてガラスの厚みを記載し、底面の部分は4種類のイメージ図を描いている。
「そうですね。厚みはこれくらいで良さそうです。底面については、一番右に描かれている物にしてください」
「承知しました。これなら、金型は既にあるものを利用できそうです」
こうしてサラとシンディは瓶のデザインを決め、納期と料金を取り決めた。なんと100本もあるのに、7日で作れるという。ちなみに1本あたり約800ダルだが、特急料金として1本あたり50ダルを上乗せすることにした。
『一つ一つ手作りのガラス瓶って考えれば、破格のお値段なのかもしれないけど、エルマ酒のシードルは庶民的なお値段にはなりそうにないな。うまくリサイクルできれば良いんだけど』
ちなみに、この価格は珪砂が有料になる前提の価格なので、珪砂を勝手に持ってきて良ければもう少し下がるらしい。
「珪砂を有料にした場合の価格をあっさりお決めになったようですが、まだ会合前ですし珪砂の価格は決まっていませんよね?」
「実は珪砂を販売している商家もあるにはあるのです」
どうやら珪砂の流通網は既にあるらしい。
「販売している珪砂は土属性の魔法で石英を粉砕して作っているので、質は良いのですが値段が高いのです」
「なるほど。つまり質の高い珪砂で作るとこの価格になるのですね。少なくとも川の近くで採集できる珪砂については、石英を砕いて作るものよりも安い値段で販売しなければなりません。良い指標ができましたわ」
サラは手元の紙に『質の高い珪砂は石英を粉砕して作る』や『流通網を確認する』などとメモしつつ、シンディとの会話を続けていく。
「ただ、少しばかり気がかりなこともございます」
「と、仰いますと?」
「珪砂が有料になれば製品の価格を上げざるを得ません。ですが、取引先の商家は納得するでしょうか?」
「商家によるとは思いますが、難しいかもしれませんね」
「原材料の費用が高くなれば、必然的に製品を値上げせざるを得なくなります。もし、商家が提示する買い取り価格が以前と同じであれば、専属の契約を解除したいと考える工房も現われるかもしれません。ですが、商家との契約を解消するにあたって、工房側になんらかの不利益が生じることはないのでしょうか」
シンディは顎に手を当てて考え込んだ。
「契約ごとに条件は異なるとは思いますが、契約期間が設けられている場合には違約金の支払いが発生するかもしれません。それに、工房側の都合で契約を解除すると、その商家で製品を売ってもらえなくなることもあります」
『やっぱり職人のギルドは必要よ! 職人や工房が協力し合って、商家や商会の都合で不利益を被ることが無いようにしないと!』




